シリコン量子コンピュータの量子誤り訂正に向け大きく前進
2020-03-03 理化学研究所,東京工業大学
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの米田淳研究員(研究当時)、樽茶清悟グループディレクター、東京工業大学の小寺哲夫准教授らの共同研究チームは、シリコン中の単一電子スピン[1]の「量子非破壊測定[2]」に成功しました。
本研究成果により、シリコン中の単一電子スピンを用いた量子コンピュータ[3]に不可欠である「量子誤り訂正[4]」の実現が大きく近づくと期待できます。
シリコン中の単一電子スピンは、半導体プロセス技術の応用による集積実用化が見込まれる、量子コンピュータの有力候補です。しかし、単一電子スピンを読み出す際にスピン状態が必要以上に破壊され、量子誤り訂正をはじめとした多くの有用なプロトコルの実行が困難でした。
今回、共同研究チームは、イジング型の相互作用[5]を利用し、隣接電子スピンに情報をうまく転写することで、量子非破壊測定を初めて実証しました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature Communications』(3月2日付)に掲載されました。
電子スピンの量子非破壊測定実験のイメージ
背景
半導体デバイスの微細化による性能向上が限界を迎えつつあるなか、量子コンピュータは新しい動作原理に基づく次世代コンピュータとして注目され、世界的に開発競争が活発化しています。とりわけ、シリコン中の単一電子スピンを利用した量子コンピュータは、現行の集積エレクトロニクス技術の応用が見込めるため、大規模化による計算能力向上の観点から注目を集めています。
量子コンピュータ内の情報は、量子力学的な重ね合わせ状態[6]を用いて符号化されます。一般に量子力学的な状態は、「観測」によって影響を受けることが知られています。このため、量子コンピュータの誤りを検出・訂正する際には、観測による変化が測定される量に及ばない「量子非破壊測定」が用いられます。
シリコン中の単一電子スピンは、長い量子情報保持時間と超高精度の量子演算が実証された一方で、「量子誤り訂正」など、測定結果に基づく量子情報処理に必要となる量子非破壊測定は実現していませんでした。
研究手法と成果
シリコン中の単一電子スピンを読み出す手法として、これまでは主に、電子スピンを高速に検出可能な電荷へと変換する方法が用いられてきました。しかしこの方法では、電荷の検出過程で電子スピンが必然的に影響を受けてしまいます。量子非破壊測定は、この問題を解消できる有力な方法ですが、その実現には、スピン状態の自然な緩和を克服する「高速性」と、スピン状態の緩和を誘起しない「非破壊性」の両立が求められます。
そこで共同研究チームは、電子スピンの情報を、電荷としてではなく、いったん別の電子スピンに転写してから読み出すことを試みました(図1)。測定されるスピン量(上向きか下向きか)が転写の際に影響を受けないよう、局所的な磁場を加えることで、電子スピン間にイジング型の相互作用が働くように試料を設計しました(図2)。転写した後に、転写先の電子スピンの向きを従来通り電荷へ変換する方法で読み出すことで、検出速度の高速性と非破壊性を両立させ、シリコン中の単一電子スピンの量子非破壊測定に成功しました。さらに、この手法は補助に同種の量子系を用いているため、拡張性への技術的制約が最小限に抑えられます。
図1 従来方法との比較
単一の電子スピンを読み出す従来の方法(左)では、読み出しの際に電子スピンが破壊されていた。今回の実験で用いた方法(右)では、イジング型の相互作用を利用して電子スピン(青)の情報を別の電子スピン(赤)へと転写してから読み出すことで、測定の影響が及びにくくしている。
図2 本研究で設計した試料の構造
実験には、シリコン中に電子スピンを二つ隣り合わせて、閉じ込められるようにした試料を用いた。電極に電気信号を加えることで、電子スピンを自在に制御できる構造になっている。イジング型の相互作用に必要となる局所的な磁場は、試料上部に微小な磁石を取り付けることで実現している。近傍に配置したトランジスタ構造を電荷検出器として用いることで、補助電子の電荷を高速に読み出すことが可能になっている。
量子非破壊測定には、測定される電子スピンの向きが変わらないという「非破壊性」と、電子スピンの向きの「読み出し」の機能が備わっています。これらを組み合わせることで、電子スピンの向きを確定させる「初期化」を実装することができます(図3)。これら量子非破壊測定の三つの機能が実際にどれくらいの精度で実行できているかを調べたところ、非破壊性が99%、読み出しと初期化が80%であることが分かりました。
図3 量子非破壊測定の3機能
理想的な量子非破壊測定では、電子スピンが上向きか下向きかを、測定の前後で変えることなく(非破壊性)、知ることができる(読み出し)。このことは、測定結果から測定後の電子スピンの向きを確定できることを意味している(初期化)。
量子非破壊測定は通常の破壊測定と異なり、単一電子スピンを繰り返し測定することが可能です。この性質を利用することで、読み出しの精度は最大で95%に達することが分かりました(図4)。さらに、観測結果から精度の高い事象を予測する手法を開発し、下向きスピン状態への初期化(向きの確定)の精度を最大99.6%程度まで高められることを示しました。
図4 量子非破壊測定の性能評価
量子非破壊測定の3機能がどれくらいの精度で実行できているかを評価したもの。非破壊測定を繰り返すことで、読み出しと初期化の精度を高められる。
今後の期待
シリコン中の単一電子スピンは、既に長い量子情報保持時間と超高精度の量子演算が実証されています。本研究で、拡張性への制約が少なく、量子非破壊性をもつ測定が実証されたことで、シリコン量子コンピュータの開発は、量子誤り訂正などの測定結果に基づく量子情報処理を実証する、新たな段階へと進むと期待できます。
補足説明
1.電子スピン
電子の自転に相当する内部自由度。その自転方向に応じて、上向きあるいは下向きの電子スピンと呼ぶ。
2.量子非破壊測定
量子力学的な状態に対する測定で、例外的に、測定される物理量に擾乱を及ぼさないもの。理想的な量子射影測定。
3.量子コンピュータ
重ね合わせおよび量子もつれといった量子力学的状態を利用して情報を符合化し、超高速計算を実現するコンピュータ。ここでは特に、任意の量子アルゴリズムを実装できるゲートモデルによる量子計算を行うものを指す。
4.量子誤り訂正
量子コンピュータに生じた誤りを、検出し訂正すること。観測によって量子状態が必ず影響を受けることを考慮した特殊な情報の符合化と、量子非破壊測定を組み合わせることで実現できる。実用的な大規模量子コンピュータを実現するためには、必要不可欠な要素技術と考えられている。
5.イジング型の相互作用
電子スピンが互いに逆向きになろうとする力が、特定方向の成分にのみ働く場合をイジング型、全成分に対して働く場合をハイゼンベルグ型の相互作用と呼ぶ。
6.量子力学的な重ね合わせ状態
量子力学の法則に従う系は、異なる物理量に対応する状態を同時にとることができる。そのような状態を、重ね合わせ状態と呼ぶ。例えば電子スピンの場合、上向きと下向きのどちらでもあるような重ね合わせ状態をとることができる。
共同研究チーム
理化学研究所 創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研究員(研究当時) 米田 淳(よねだ じゅん)
研究員 武田 健太(たけだ けんた)
特別研究員 野入 亮人(のいり あきと)
研究員 中島 峻(なかじま たかし)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
東京工業大学 工学院 電気電子系
准教授 小寺 哲夫(こでら てつお)
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「スピン量子計算の基盤技術開発(研究代表者:樽茶清悟)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究S「量子対の空間制御による新規固体電子物性の研究(研究代表者:樽茶清悟)」、文部科学省光量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)基礎基盤研究「シリコン量子ビットによる量子計算機向け大規模集積回路の実現(研究代表者:森貴洋)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
J. Yoneda, K. Takeda, A. Noiri, T. Nakajima, S. Li, J. Kamioka, T. Kodera, S. Tarucha, “Quantum non-demolition readout of an electron spin in silicon”, Nature Communications, 10.1038/s41467-020-14818-8
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研究員(研究当時) 米田 淳(よねだ じゅん)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
東京工業大学 工学院 電気電子系
准教授 小寺哲夫(こでら てつお)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京工業大学 広報・社会連携本部 広報・地域連携部門