2020-03-10 理化学研究所
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センターバイオ高分子研究チームの沼田圭司チームリーダーらの共同研究グループは、クモ糸が生息環境の湿度にあるときや獲物となる昆虫の飛来速度に近い速度で延伸するとき、強靭性が向上することを発見しました。
本研究成果は、軽量で高強度であることに加え、生分解性や低細胞毒性を持つことから、従来の石油由来のプラスチックに代替する次世代材料として着目され、医療用途や宇宙産業への応用も期待されている人工クモ糸の設計指針として有用です。
今回、共同研究グループは、天然のジョロウグモ(Nephila Clavata)[1]から、命綱の役割をする牽引糸(クモ糸)を採取し、生息環境の湿度とクモ糸の伸長速度が、クモ糸の構造と力学的性質に与える影響を評価しました。その結果、温和な湿度や獲物となる昆虫がクモ糸に捕捉される際に起こりうる伸長速度付近において、クモ糸のエネルギー吸収性[2](強靭性)が大きくなることを見いだしました。これは、高速での延伸時には、糸全体に、より均等に負荷がかかることに起因すると考えられます。さらに、クモ糸の構造が湿度と伸長速度によって変化する仕組みを明らかにしました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Communications Materials』(3月10日付)に掲載されます。
背景
タンパク質から構成されるクモ糸は軽量で、強度と延伸性に優れているため、従来の石油由来の材料の代替として注目され、人工的に合成する手法が研究されています。しかし、クモ糸の力学的性質を示す仕組みについては構造の観点から未知の部分が多く、人工クモ糸の作製が困難である一因となっていました。
クモは、さまざまな湿度条件下の生息環境において種々の飛来速度の昆虫を捕捉しています。そこで共同研究グループは、クモ糸の構造と力学的性質(強靭性など)が、異なる湿度環境と伸長速度でどのように変化するのかを調べることにしました。糸の伸長時の構造解析にはX線散乱[3]、力学的性質の解析には引っ張り試験[4]が有用ですが、従来法ではX線散乱と引っ張り試験を別々に行っていたため、構造変化に伴う力学的性質の変化を調べることは困難でした。
研究手法と成果
共同研究グループは、大型放射光施設「SPring-8」[5]を用い、湿度条件を調整した状態で、X線散乱と引っ張り試験を同時に行う実験系を構築しました(図1)。これにより、クモ糸の伸長時の構造と力学的性質の変化を同時に観察することに成功しただけでなく、湿度の影響を調べることも可能になりました。
図1 本研究における実験系
(a)雌ジョロウグモ。
(b)クモ糸の伸長時の構造を調べるX線散乱装置と力学的性質を調べる引っ張り試験装置の外観。
(c)引っ張り試験装置の内部。緑矢印の向きにクモ牽引糸の束を引っ張る。
実験結果の解析により、クモ糸の伸長速度が獲物となる昆虫の飛来速度に近いとき(3.3s-1)にエネルギー吸収性(強靭性)が発現され、さらにその強靭性はジョロウグモの通常の生息環境の湿度(相対湿度[6]43%と75%)において大きくなることが分かりました(図2b)。この理由としては、飛来昆虫を捕捉するためのクモ糸のエネルギー吸収性が、進化の過程において生息環境中で最大限に発揮されるように変化した可能性が考えられます。
図2 クモ糸の力学的性質の伸長速度と湿度依存性
(a)引っ張り試験により得られた応力-伸び曲線。RHは相対湿度を表す。湿度条件に関わらず、高速伸長時(赤線)は低速伸長時(青線)に比べ、強度と伸びがともに大きくなった。
(b)強靱性の湿度依存性。高速伸長時(赤棒)は、相対湿度43%と75%において強靱性の向上が確認された。
クモ糸が伸長する構造の仕組みとして、低湿度条件下(RH0%)では、主にクモ糸の結晶領域[7]が変形し、繊維軸方向への配向化が起こる一方で、高湿度条件下(RH97%)では、水分子の可塑化作用[8]によって柔軟になった非晶領域[7]が主に変形し、配向化することが分かりました(図3)。また、クモ糸が破断する構造の仕組みとして、どちらの湿度条件下においても、低速伸長では、糸の構造欠陥部で破断が進行しやすく、高速伸長では、結晶領域の分裂とともに糸を構成する微小繊維[9]で破断が進行することが示唆されました(図3)。
穏和な湿度において高速の延伸が起こる場合には、結晶領域と非晶領域の両方に負荷がかかり、力が分散することで強靱性が発揮されると考えられます。
図3 クモ糸の湿度と伸長速度依存的な破断挙動の模式図
(a)低湿度条件での伸長挙動。結晶領域の配向化が進行するにつれて、低速伸長の場合は主に構造欠陥部位(タンパク質鎖の密度が小さい領域)による破断が進行し、高速伸長では結晶領域の分裂とともに、微小繊維(タンパク質鎖が揃った領域)における破断が主に起こる。
(b)高湿度条件での伸長挙動。水の可塑化作用によって、非晶領域の配向化が進行する。低速伸長の場合は主に構造欠陥部位による破断が進行し、高速伸長では結晶領域の分裂とともに、主に微小繊維における破断が起こる。
今後の期待
クモ糸を人工的に合成するため、組み換えタンパク質発現系[10]や化学合成[11]を駆使した研究が世界中で行われていますが、天然の物性を超える人工クモ糸を作製するには未だ至っていません。
今回、クモ糸の伸長時の構造変化と力学的性質の変化を同時に解析したことで、穏和な湿度条件で高速延伸時には、クモ糸全体にわたって力が加わることが分かり、クモ糸が強靱性を示す仕組みが明らかとなりました。これらの知見は材料化学の観点からも有用で、強靱な人工クモ糸を作製するための設計指針となることが期待できます。
補足説明
1.ジョロウグモ
学名はNephila clavataであり、夏から秋にかけて大型の網を張る。
2.エネルギー吸収性
延伸などの変形を加えた際に生じるエネルギーを、破断せずに吸収できる物質の性質。ここでは、クモの糸を延伸した際に、破断するまでに与えたエネルギー量として扱う。
3.X線散乱
X線を物質に照射し、散乱されたX線を測定して物質の構造情報を得る方法。
4.引っ張り試験
試料に張力を与えて、試料の強度や伸びなどの力学的性質を測定する試験。
5.大型放射光施設「SPring-8」
Super Photon ring-8 GeVの略。兵庫県の播磨科学公園都市内に位置する大型放射光施設。電子を加速するための加速器群と生じた放射光を利用するための実験施設から構成される。名前の「8」は電子の最大加速エネルギーである8GeVに由来する。
6.相対湿度
ある温度における飽和時の水蒸気量に対する実際の水蒸気量の割合。
7.結晶領域、非晶領域
結晶領域はタンパク質の鎖が折り畳まれ、密になった構造領域のこと。クモ糸の強度に寄与する。非晶領域は、タンパク質分子鎖の密度が、結晶領域よりも小さい領域のこと。
8.可塑化作用
水分子がシルクタンパク質鎖中に入り込み、タンパク質の分子鎖の運動性を向上させること。
9.微小繊維
クモ糸の中心部は、微細な繊維が集合して成り立っている。この微細な繊維をいう。
10.組み替えタンパク質発現系
タンパク質を構成するアミノ酸配列を決定している遺伝子を、大腸菌や酵母などの宿主に導入し、タンパク質を発現させること。
11.化学合成
化学反応を駆使して、タンパク質を構成するアミノ酸を結合させること。
共同研究グループ
理化学研究所 環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ぬまた けいじ)
特別研究員(当時) 矢澤 健二郎(やざわ けんじろう)
研究員 アンドレス・アリ・マライ(Andres AliMalay)
高輝度光科学研究センター
主幹研究員 増永 啓康(ますなが ひろやす)
マラヤ大学
教授 ノルマ-ラシド(Norma-Rashid)
研究支援
本研究は、総合科学技術・イノベーション会議により制度設計された革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「超高機能構造タンパク質による素材産業革命(プログラム・マネージャー:鈴木隆領、研究課題責任者:沼田圭司)」、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 ERATO「沼田オルガネラ反応クラスタープロジェクト(研究総括:沼田圭司)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Kenjiro Yazawa, Ali D. Malay, Hiroyasu Masunaga, Y. Norma-Rashid, and Keiji Numata, “Simultaneous effect of strain rate and humidity on the structure and mechanical behavior of spider silk”, Communications Materials, 10.1038/s43246-020-0011-8
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ぬまた けいじ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当