掲載日:2019-08-22
株式会社カネカ 高砂工業所 バイオテクノロジー研究所 田岡直明、佐藤俊輔
私たちの身の回りの、ありとあらゆるところで使われているプラスチック。加工しやすく丈夫なうえに価格も安く、ストローやスーパーマーケットのレジ袋をはじめ、私たちの生活にはもはや欠かせないものとなっている。しかし、皮肉にもその便利さが、大きな環境問題を引き起こす要因にもなっている。その環境問題とは、「海洋プラスチック問題」だ。テレビや新聞などでも大きく取り上げられ、耳にしたことのある人も多いだろう。世界を揺るがす社会課題に対し、様々な取り組みが行われている中で、日本発の科学技術が一筋の光を放っている。
G20大阪サミットでも主要な議論となった海洋プラスチック問題
今年6月に大阪市で開催された「金融・世界経済に関する首脳会合(G20 サミット)」。各国の大統領や首相などが集うトップ会談の場でも、海洋プラスチック問題は大きな議題の一つとして取り上げられた。今やこの問題は、世界共通の社会課題となっている。
海洋プラスチック問題は、ごみとして捨てられたプラスチックが適切に処理されずに海へと流出し、環境を汚染している深刻な問題だ。漁業の網に絡まった亀、胃袋から大量のプラスチックごみが発見された海鳥など、衝撃的な写真を目にした人も多いと思う。2050年には、海水中で魚類よりもプラスチックの重量の方が多くなるといった、驚くべき試算もなされている。
また、海水中で波の力や紫外線によって劣化し、直径5ミリ以下の微粒子になったプラスチックごみは「マイクロプラスチック」と呼ばれる。有害物質を吸着しやすい性質を持つとも言われており、生態系や私たちの健康への影響を心配する声も少なくない。
この海洋プラスチック問題に関して、G20大阪サミットである企業が存在感を示した。日本の化学メーカー「カネカ」だ。カネカは、「高分子技術」による化学の力と、「発酵技術」によるバイオテクノロジーの力を強みに、幅広い分野で社会課題解決への貢献を目指している企業。G20大阪サミットや、その直前に長野県軽井沢町で行われた「G20持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会合」では、“自然界で分解されるプラスチック”を使用したごみ袋、食器、ネームプレートなどを提供し、注目を集めた。
PHBHを用いた各種製品展示
会場で使用されたごみ袋(PHBH使用)
「G20イノベーション展」で使用されたネームプレート(PHBH使用)
そもそも、プラスチックが抱える一番の問題は、自然界では極めて“生分解”されにくいところにある。一般的に「生分解」とは、微生物の働きによってプラスチックが二酸化炭素や水などに分解されることをいう。しかし石油由来のプラスチックには、自然環境下での生分解が進まず、数十年以上留まり続けるものも存在する。
その点、「生分解性プラスチック」は、その名のとおり自然界で分解される性質を持っている。中でも植物由来の原料から作られたものは、分解時に排出される二酸化炭素も自然環境の中で循環すると考えられていることから、地球温暖化への影響もなく、期待が高まっているのだ。実はその歴史は古く、約90年前のフランスではすでに原料となるポリマーが発見されていた。だが、価格や強度などの様々な理由から、石油由来のプラスチックの開発が優先され、生分解性プラスチックは普及するに至らなかった。
しかし近年では、海洋プラスチック問題などを背景に、風向きが変わりつつある。ヨーロッパを中心に石油由来のプラスチック製品の使用を規制する動きが広まっており、カネカが開発したポリマーにも大きな注目が集まっているというわけだ。
では、カネカが開発した「カネカ生分解性ポリマーPHBH(以下「PHBH」)」は、従来のものと比べてどこが優れているのか。その理由を、株式会社カネカ高砂工業所バイオテクノロジー研究所バイオプロダクツ研究グループ主任の佐藤俊輔さんに聞いた。
「従来からあるポリ乳酸などの生分解性プラスチックは、有機廃棄物を堆肥化するコンポスト施設の中の50~60℃という高温環境でなければ生分解されませんでした。その点、カネカのPHBHは、自然の土壌はもちろん、土壌に比べ微生物の数が少ないとされる海水の中でも生分解されることが確認されているので、海洋プラスチック問題の解決に貢献できると期待されています」
また、石油由来のプラスチックと遜色のない質感を実現したことに加え、硬いものから柔らかいものまで、用途に応じて幅広く対応可能だという。
世界初!生分解性プラスチックの大量生産に成功するまでの道のり
PHBHのライフサイクル
PHBHは、食用油などの植物油脂を原料として微生物の体内にポリマーが蓄積され、有機溶剤を使わないプロセスで形成されて製品化に至る。また、一般的なプラスチックとは異なり、土壌や海水の中など自然環境下で二酸化炭素と水に分解される。
カネカが生分解性プラスチックの開発に乗り出したのは、1991年のこと。当時、海洋プラスチック問題はまだ認識されておらず、石油資源に依存しない環境にやさしいソリューションづくりが原点だった。
PHBHの主原料は、食用油などの植物油脂だ。製造過程は非常にユニークで、微生物が用いられている。微生物には、摂取したエネルギー源を脂肪のように体内にため込む性質を持つものがいるという。ポリマーの材料となる“脂肪”をため込む微生物を発見した当時のことを、佐藤さんとともに研究開発に取り組む同バイオプロダクツ研究グループリーダーの田岡直明さんが説明してくれた。
「私が入社した頃は、各地の山や池に出かけては微生物を採取し、その中から目的に合致した物質を作り出す微生物を見つけるのが仕事でした。PHBHの開発も同様です。その過程で、私たちの活動拠点である高砂工業所(兵庫県)の土の中から、PHBHを作り出す微生物を偶然発見しました」
だが、生分解性プラスチックを製品として安定的に作るためには、微生物に大量のPHBHを生産させる必要がある。しかし、残念ながら高砂工業所で発見された微生物は、わずかなPHBHしか作り出せなかった。この微生物で何とか大量生産をできないものかと、様々な試行錯誤が繰り返されたものの、なかなか生産性を高めることはできなかったという。ところが1997年、理化学研究所との共同研究によって、研究を大きく前進させる成果が得られた。PHBHの合成に関わる遺伝子群が発見されたのだ。
この発見をもとに遺伝子操作を繰り返した結果、体内に大量のPHBHを蓄えることができる微生物を作り出すことに成功した。
微生物が体内にPHBHを蓄積していく過程を撮影した顕微鏡写真
だが佐藤さんは、ここからが大変だったと振り返る。
「PHBHを大量に作り出す微生物ができても、プラスチックの原料として利用するために克服しなければならない課題がたくさんありました。その一例として挙げられるのが、微生物の細胞成分、つまり“膜”を取り除く作業です。自然環境にやさしい材料を開発しようとするのですから、不要な膜を取り除き、PHBHだけを精製する過程でも、環境に悪影響を及ぼすようなことがあってはなりません。有機溶媒を使わず、消費するエネルギーを抑えられるように精製技術の開発を進めました」(佐藤さん)
この課題は、社内の別チームとの協働で解決することができたという。幅広い分野で社会課題解決を目指す、カネカの強みが生きた格好だ。
また、この手の研究開発は小さな実験器具からスタートするが、商用生産するためのスケールアップにも困難が伴うという。PHBHの場合も同様で、巨大な培養槽の中で常に安定した品質で生産し続ける技術が求められたが、カネカには高分子技術と発酵技術によって有用物質を大量生産してきたノウハウがあり、乗り越えることができた。この時期には、科学技術振興機構(JST)からの支援も受け、年間1,000トンの生分解性プラスチックを生産することに世界で初めて成功した。
PHBHで作られたプラスチック製品は、通常の環境で使用していれば分解されることはない。土壌や海水の中などでは、微生物の働きにより自然に分解されていく性質を持っている。
地球環境のために、今できることをする
従来の生分解性プラスチックが海水中でほとんど分解されなかったのに対し、PHBHは土壌中・海水中のいずれでも生分解性があると認められているため、向けられる期待は非常に大きい。
佐藤さんはPHBHの将来展望について、次のように語ってくれた。「海洋プラスチックによって、今後どのような影響が起きるのか。地球や人類にとって最悪のシナリオとは何なのか。これらの研究は、まだ十分ではないと思います。ただ、自然界への影響が明らかになってから対策を講じるのでは、手遅れになりかねません。だからこそ私たちは、信念を持って今できることをやる。地球は待ってくれません。これからも持続可能な社会を実現する材料の開発に取り組んでいきたいです」
1年間に世界中で生産されるプラスチックの量は、4億トンを超えるとも言われている。対して、カネカが今年12月の稼働を目指す新しいプラントでも、生産できるPHBHの量は年間5,000トン。佐藤さんは最後まで冷静に「PHBHだけで海洋プラスチック問題や、地球温暖化を解決できるとは思っていない」と話してくれた。それでも、サプライチェーン全体で仲間を増やし、使用の輪が広がっていけば、海洋プラスチック問題の解決にまた一歩近づくことができる。日本の科学技術力に、期待したい。
【実用事例1:フランス】
いち早く海洋プラスチック問題に注目したヨーロッパでは、2015年に欧州連合(EU)がプラスチック製のレジ袋の規制を求め、まずはフランスで2017年に石油由来のプラスチック袋が禁じられた。ただし、植物原料を一定量以上含む生分解性プラスチックの使用は認められているため、PHBHを使用した袋が普及しつつあるという。
【実用事例2:ケニア】
レジ袋の使用量が増加し、ごみ処理場の能力不足や不法投棄が社会問題化。そこでケニア政府は、プラスチック製レジ袋を禁止する法律を制定した。カネカは国際協力機構(JICA)の支援を受け、生分解性認証制度等の導入に向けた支援や、現地メーカーへの技術指導を展開。同国での将来的なPHBH普及に向け、取り組んでいる。
【実用事例3:日本】
この1年で、日本における生分解性プラスチックへの注目度は加速度的に上がっている。PHBHも同様で、スーパーマーケットやコンビニエンスストアを展開する企業とはストローや食品トレーなどを、化粧品メーカーとは化粧品容器を共同で開発することが決まっている。近い将来、日本でもPHBHで作られた製品を目にすることになるだろう。
株式会社カネカ
高砂工業所 バイオテクノロジー研究所
バイオプロダクツ研究グループ リーダー 田岡直明さん