グラフェン・ディラック電子の対称性の破れを観測

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極限超強磁場サイクロトロン共鳴実験が明かすディラック電子の真実

2020-03-13    東京大学,大阪大学

発表のポイント
  • グラフェン(注1)中に存在する質量ゼロの電子(ディラック電子(注1))が、極限強磁場下で「電子・正孔間の対称性の破れ」が生じていることを世界に先駆けて解明。
  • 電磁濃縮法(注2)による1000テスラ級超強磁場発生装置で発生した560テスラ(注3)までの強磁場におけるサイクロトロン共鳴(注4)実験とその精緻な計測により観測。
  • グラフェンの電気伝導特性を支配するディラック電子の隠れた性質「電子・正孔間の対称性の破れ」を新たな自由度とした、量子エレクトロニクスへの基礎および応用研究の発展が期待される。
発表概要:

東京大学物性研究所の中村大輔助教、齋藤宏晃大学院生(研究当時)、嶽山正二郎教授(研究当時)、関西学院大学の日比野浩樹教授、大阪大学の浅野建一教授からなる研究グループは、炭素原子1層から成るグラフェンを対象に、560テスラまでの磁場下においてサイクロトロン共鳴実験を行い、電子のエネルギーが離散化することにより生じるランダウ準位(注4)構造を調べました。その結果、300-500テスラの磁場領域でサイクロトロン共鳴スペクトルに明確な分裂が観測され、「電子と正孔間の対称性の破れ」が生じていることを示しました。

単層グラフェンは電気的・熱的伝導性が従来の半導体に比べて極めて優れており、かつフレキシブルな電子デバイス材料であるために、応用に向けて世界中で開発研究が行われています。電気的伝導性を担うのが、質量ゼロの電子であるディラック電子であり、ディラック電子そのものの性質を知ることが、グラフェンの電子デバイスとしての性質を高める上で不可欠です。これまで、人為的にひずみ等を加えた単層グラフェンでは、電子と正孔のランダウ準位構造が非対称的になるという報告がありました。しかし、歪みのない理想的な単層グラフェンに関しては、電子と正孔の非対称性が極めて小さいと考えられていた為にこれまで実験的に観測された報告例はありませんでした。

磁場下では、電子の運動エネルギーが離散化したランダウ準位が形成され、その間隔は磁場が強くなるほど大きくなるため、超強磁場を用いることによって高い分解能でランダウ準位を決定することが可能になります。本研究では、物性研究所が有する世界で唯一100テスラ以上でのサイクロトロン共鳴実験とその精密な計測を行うことが可能な、1000テスラ級電磁濃縮法超強磁場発生装置を用い、精緻な実験を行うことにより観測に成功しました。
本成果は、「電子・正孔間の対称性の破れ」が歪みのない単層グラフェンそのものの性質であることを発見し、究極の電子デバイスとしてグラフェンを利用する際に重要となるデイラック電子の隠れた性質を明らかにしました。本成果は、アメリカ物理学会が刊行する科学誌「Physical Review B」のEditors’ suggestionに選定され、米国東部時間3月16日版に掲載される予定です。

全文PDF

発表内容:
①研究の背景

単層グラフェンは室温において電気の移動度がシリコンの100倍以上に、熱伝導率が銅の10倍以上に達するといった優れた物理特性を持つことから、デバイス応用に向けた研究が進められています。特にエレクトロニクスの観点から既存の半導体材料と比較すると、単層グラフェンは小さいバイアス電圧によって電子・正孔の両極性の動作を切り替えることが可能であるという特徴があります。これは、電子と正孔のエネルギーがある一点(ディラック点)で交わるというグラフェン特有のバンド構造に由来しています。そのため、トランジスタに代表されるようなp型半導体およびn型半導体の接合から形成されるエレクトロニクス素子の次世代材料としてグラフェンの応用開発が進展することが見込まれますが、そのためには単層グラフェン中の電子・正孔両方の精密な特性評価に関する基礎研究が重要となります。

電子などの荷電粒子は磁場中で円運動(サイクロトロン運動)をし、その時取り得るエネルギーは離散化し、ランダウ準位と呼ばれます。グラフェンでは、通常の半導体とは異なる特殊な磁場依存性を示す事が知られています。ランダウ準位エネルギーからは物質のフェルミ速度(電気伝導に寄与する電子の移動速度)を見積もることができるため、応用を見据えて物性評価を行うための重要なパラメータとなっています。しかし、多くの不純物を含むような電子散乱が大きい物質に対しては非常に強い磁場を物質に加えないとランダウ準位構造が観測できないという問題があり、大面積の試料作製が可能である熱分解法や化学気相成長法によって作製されたグラフェンに対しては、そのランダウ準位構造に対する理解はあまり進んでいませんでした。

また近年、電子と正孔のランダウ準位構造に非対称性が生じるという理論的予測が、国内の理論グループによって報告されていました[T. Ando and H. Suzuura, J. Phys. Soc. Jpn. 86, 015001 (2017).]。これまで、人為的に外部からひずみ等を加えた単層グラフェンにおいて、電子と正孔のランダウ準位構造が非対称的になることを示唆した研究報告がありました。しかし、歪みのない単層グラフェンに関しては、電子と正孔の非対称性が小さいためにこれまで実験的に観測された例はありませんでした。磁場下における電子・正孔のランダウ準位エネルギーの間隔は、磁場が強くなるほど大きくなるために、より強い磁場を用いたサイクロトロン共鳴実験によって高い分解能でランダウ準位を決定することが可能になります。

②研究内容

本研究で用いた純良なグラフェン試料は、SiC(シリコンカーバイド)を高温に熱することによって表面のシリコン原子が脱離し、残された炭素原子によりグラフェンが形成される熱分解法によって作製しました。グラフェンを作製する手法としては、基礎科学の分野では黒鉛(グラファイト)を剥離する方法が最も一般的ですが、数10マイクロメートル程度の大きさの試料しか得ることができないため、応用の見地からは大面積のグラフェン作製が可能な熱分解法や化学気相成長法などの研究が盛んに行われています。熱分解法では、伝導電子の散乱は剥離法により作製されたグラフェンに比べて大きくなるのと引き換えに、大面積かつ物理特性の均一なグラフェン試料を作ることが可能になります。

図1 電磁濃縮法による超強磁場発生の模式図
重い金属製の一巻きコイル(主コイル)内に軽い金属の円筒(ライナー)をセットし、主コイルに大電流を瞬時に流すことで、電磁誘導によりライナーに大電流を生じさせ、両者の間の電磁力により軽いライナーを超高速に収縮させる。このとき、あらかじめライナー内に導入しておいた初期磁束がライナー内に閉じ込められたまま濃縮されることで超強磁場が発生する。収縮するライナー内に測定物質を入れておくことで、超強磁場中での物性の変化を調べることができる。

東京大学物性研究所が所有する電磁濃縮法磁場発生装置(図1)は、優に1000テスラを超えるパルス超強磁場の発生が可能です。強い磁場を数ミリ立法メートルの空間に、マイクロ秒(百万分の一秒)のスケールで発生することができ、しかも、物質の物理的性質を計測するための十分な磁場均一性・制御性を備えています。電磁濃縮法磁場発生装置に単層グラフェンを1 mm四方にカットした試料を配置し、光源として近赤外線レーザーを用いてサイクロトロン共鳴という精度の高い分光計測を行い、グラフェンのランダウ準位を決定しました。1000テスラ級の磁場発生が可能な電磁濃縮法磁場発生装置だからこそ、560テスラに至る磁場まで精密な赤外線分光測定を行うことができました。

その結果、300-500テスラの磁場領域でサイクロトロン共鳴スペクトルに分裂があることを観測し(図2)、デイラック電子と正孔のランダウ準位のエネルギーに僅かなズレがあることが明らかになりました(図3)。200テスラまでの超強磁場を用いた実験では、この分裂は観測できませんでした。そのため、300テスラ以上の超強磁場を印加することによってサイクロトロン共鳴計測の分解能が格段に向上し、低磁場では検知できなかった僅かな差があること、すなわち、対称性の破れが生じていることを明らかにし、電子と正孔のランダウ準位のエネルギーの値を定量的に評価することができました。従来、赤外線を用いた低磁場での分光測定でも電子と正孔の磁気光学遷移に差が生じている報告がありますが、十分な分解能がない為、電子・正孔間のギャップの存在を無理やり仮定するなどの解釈が必要でした。更に、電子と正孔のエネルギー分散関係が対称であるとの解釈のもとで成り立っていた単層グラフェンの伝導電子に関するこれまでの量子現象は、この修正された理論モデルの枠で理解されるべきであることが示されました。

図2 サイクロトロン共鳴による光吸収ピーク構造

図2 サイクロトロン共鳴による光吸収ピーク構造
電磁濃縮法によって発生した560 テスラに至る磁場中でサイクロトロン共鳴条件が満たされ、単層グラフェンを透過する光の吸収ピークとなって観測された様子。実験結果(青線)は大きく分けて矢印で示された2つのピークに分解することができた。このピーク磁場の値から、ランダウ準位構造を決定した。

図3 ランダウ準位図より明らかになった電子-正孔間の非対称性

図3 ランダウ準位図より明らかになった電子-正孔間の非対称性
上図は、サイクロトロン共鳴実験によって得られた光吸収ピーク磁場に対して、入射した光のエネルギーをプロットしたものであり、ランダウ準位間エネルギーの磁場依存性を示している。エネルギーの異なる光源を用いて実験を行うことにより、点線のように磁場依存性の全体像を知ることができた。電磁濃縮装置により得られた2種類のピーク磁場は、図中の赤線と青線のような2種類のランダウ準位の磁場依存性が存在することを示唆している。インセットに示すように、グラフェンのディラック電子が持つエネルギー分散関係が交差するディラック点を境にして、電子と正孔の非対称性が存在することにより、ランダウ準位指数n=-1とn=0の間の遷移エネルギーと、n=0とn=1の間の遷移エネルギーが異なる事で実験結果を説明できる。

今回、世界で唯一300テスラ以上での高精度な物性計測が可能である電磁濃縮法磁場発生装置を用いたサイクロトロン共鳴実験を行ったことによって世界に先駆けて、「電子・正孔の対称性の破れ」が、歪みのない単層グラフェンのデイラック電子が有する本質であることを実証しました。

③社会的意義・今後の予定

本成果は300テスラを超える強磁場下の精緻実験により「電子・正孔間の対称性の破れ」を観測、この破れが歪みのない単層グラフェンそのものの性質であることを示しました。本研究によって「電子と正孔の対称性の破れ」という新たな自由度が見つかったことで、単層グラフェンを用いた量子エレクトロニクスへの基礎および応用研究がより発展することが期待されます。

発表雑誌:

雑誌名:Physical Review B(米国東部時間2020年3月16日オンライン掲載予定)

論文タイトル:Quantum limit cyclotron resonance in monolayer epitaxial graphene in magnetic fields up to 560 T: The relativistic electron and hole asymmetry

著者:D. Nakamura, H. Saito, H. Hibino, K. Asano, and S. Takeyama

用語解説:
注1:グラフェン、ディラック電子
グラフェンとは、炭素原子が2次元平面内に蜂の巣状(ハニカム)格子を形成している物質のことを示す。グラフェン内の電子の運動は、相対論的なディラック方程式に類似した式に従うため、ディラック電子系と呼ばれる。特徴として、エネルギーの分散関係が円錐形のディラックコーン(図3のインセット)のようになり、電子と正孔のエネルギー帯がディラック点と呼ばれる一点において交わる。磁場中では、最低エネルギーのランダウ準位(n=0)がディラック点に存在し、電子、正孔それぞれにn=±1, ±2…と指数付けされるランダウ準位が表れる。本研究で発見された電子・正孔の非対称性は、正孔がn=-1とn=0の状態間で遷移するエネルギーと、電子がn=0とn=1の状態間で遷移するエネルギーのあいだで観測された。
注2:電磁濃縮法
鉄製の一巻きコイル(主コイルという)内に金属筒(ライナーと呼ぶ)をセットし、主コイルに大電流を瞬時に流す時の電磁誘導によりライナーに電磁応力を発生させて超高速に収縮させる。これにより磁束を超高速に濃縮して超強磁場を発生する方法。図1に磁場発生の模式図を示す。
注3:テスラ
磁場(磁力、磁界)の強さを表す単位、Tで表記される。磁場の強さは磁力線の密度で示される。昔はテスラの代わりにガウスが使われていた。1 T=10,000ガウス。地磁気の強さがおよそ2万分の1テスラ程度であるので、1200 Tはその2千4百万倍に相当する。
注4:サイクロトロン共鳴、ランダウ準位
磁場中で電子が円運動(サイクロトロン運動)を行うために必要な離散的なエネルギー(ランダウ準位)の間隔と、外部から与える電磁波のエネルギーが等しいときに、電磁波のエネルギーを共鳴的に吸収する効果をサイクロトロン共鳴と呼ぶ。本研究では、赤外レーザーをグラフェン試料に照射してその透過光強度を磁場中で測定した。透過光の吸収ピーク磁場と赤外レーザーの光エネルギーの値を用いて、ランダウ準位の構造を決定できる。
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