2020-03-26 量子科学技術研究開発機構
要点
〇特異な電荷分布を持つペロブスカイト型酸化物コバルト酸鉛
〇圧力の印加でスピン状態転移と電荷移動転移が生じることを発見
〇同時に体積収縮を観測、新規負熱膨張材料への期待
概要
東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所の酒井雄樹特定助教(神奈川県立産業技術総合研究所常勤研究員)、東正樹教授、Zhao Pan(ザオ パン)研究員らの研究グループは、「Pb2+0.25Pb4+0.75Co2+0.5Co3+0.5O3」という他に例のない電荷分布(用語1)を持つペロブスカイト型(用語2)酸化物コバルト酸鉛(PbCoO3)に圧力を印加すると、スピン状態転移(用語3)と電荷移動転移(用語4)を生じることを発見した。
この際に体積の連続な収縮も観測されており、実用面では新しい負熱膨張材料(用語5)につながることが期待される。
東教授らは2017年に世界で初めてPbCoO3の合成に成功している。今回の研究成果により、学術はもとより、産業分野でも負熱膨張材料だけでなく新素材として、さまざまな分野での活用につながるものとみられる。
研究成果は2月21日付で米国化学会誌「Journal of the American Chemical Society(ジャーナル オブ ジ アメリカン ケミカル ソサイエティー)」オンライン版に掲載された。
研究グループには東工大の西久保匠、石崎颯人、山本樹、福田真幸、大橋孔太郎、松野夏奈各大学院生、量子科学技術研究開発機構の綿貫徹次長、町田晃彦上席研究員、高輝度光科学研究センターの河口沙織研究員、台湾國家同歩輻射研究中心の石井啓文助理研究員、陳錦明研究員、何樹智助理研究員、に加え、中国科学院物理研究所、独国マックスプランク研究所、仏国放射光施設SOLEIL、英国エジンバラ大学が参画した。
研究の背景
ペロブスカイト型酸化物は、強誘電性、圧電性、超伝導性、巨大磁気抵抗効果、イオン伝導など、多彩な機能を持つため、盛んに研究されている。こうした機能は、3d遷移金属(用語6)が担っており、その価数やスピン状態によって変化する。しかしながら、スピン状態と価数の両方が変化する物質は非常に希(まれ)である。
東教授らは2017年にPbCoO3が図1のPb2+0.25Pb4+0.75Co2+0.5Co3+0.5O3(平均価数はPb3.5+Co2.5+O3)という特殊な電荷分布を持つ新しい化合物であることを発見している。
Co2+はd軌道(用語7)の7つの電子が持つスピンのうち、5つが平行、2つがそれらに反平行に揃った、高スピンという状態を持っているため、差し引き電子3つ分の磁化を持つ。それに対し、Co3+は6つの電子のスピンが3つずつ上向き、下向きになっているため、磁化を持たない。
図1 PbCoO3(Pb2+0.25Pb4+0.75Co2+0.5Co3+0.5O3)の結晶構造
研究成果
今回の研究では、Pb2+0.25Pb4+0.75Co2+0.5Co3+0.5O3の電荷分布と高スピンのCo2+を持つPbCoO3の圧力下の振る舞いを、大型放射光施設SPring-8(用語8)のビームラインBL12XUでのX線発光分光実験(用語9)と高分解能X線吸収分光実験(用語10)、そしてBL22XUでの放射光X線粉末回折実験(用語11)によって詳細に調べた。
その結果、15GPa(ギガパスカル)までの圧力で、高スピン状態のCo2+が、上向きスピン4つ、下向きスピン3つの低スピン状態へと変化し、さらに30GPaまでの間にPb4+とCo2+の間で電荷の移動が起こり、Pb2+0.5Pb4+0.5Co3+O3の電荷分布へと変化することがわかった。高スピン状態から低スピン状態への変化でも、Co2+からCo3+への変化でも、イオン半径が収縮するため、体積の減少が起こる(図2)。
図2 PbCoO3(Pb2+0.25Pb4+0.75Co2+0.5Co3+0.5O3)の単位格子体積の印加圧力による変化。スピン状態変化、電荷移動転移に伴って、不連続な収縮が観測される。
今後の展開
PbCoO3では、圧力を印加することにより、いずれも体積の減少に繋がるCo2+の高スピン状態から低スピン状態への転移と、Pb4+とCo2+の間の電荷移動が起こることが確認できた。今後、PbCoO3に化学置換を施すことで、こうした変化を温度の上昇によって引き起こすことができれば、半導体製造装置のような高精度な位置決めが求められる場面において、熱膨張によるずれを抑制できる負熱膨張の発現も期待される。
用語説明
(1)電荷分布:
鉛は2価と4価、コバルトは2価、3価、4価を取ることができる。それらの価数の組み合わせ。
(2)ペロブスカイト型:
一般式ABO3で表される元素組成を持つ、金属酸化物の代表的な結晶構造。
(3)スピン状態転移:
イオンが持つ電子の総数は変わらないが、上向きの電子スピン(電子が持つ小さな磁石)と下向きの電子スピンの数が変化することで、磁気モーメントやイオン半径が変化すること。
(4)電荷移動転移:
二つのイオンの間で電子の受け渡しが生じ、それぞれの価数が増減すること。
(5)負熱膨張材料:
通常の物質は温めると体積や長さが増大する、正の熱膨張を示す。しかし、一部の物質は温めることで可逆的に収縮する。こうした性質を負熱膨張と呼び、熱膨張の効果を打ち消すことができる(ゼロ熱膨張)材料を開発する上で重要である。
(6)3d遷移金属:
元素周期表の第4周期、スカンジウム(Sc)から銅(Cu)
までの金属元素。複数の価数のイオンになることができ、磁性や電気伝導などの機能をもたらす。
(7)d軌道:
内側から3番目の電子軌道。遷移金属元素はs軌道、p軌道がそ れぞれ2つ、6つの電子で埋まっており、d軌道を占有する電子の数で性質が変化する。
(8)大型放射光施設SPring-8:
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
BL12XUは固体の電子状態を10~1000meVのエネルギー分解能のX線非弾性散乱により研究、BL22XUは硬X線アンジュレータビームライン。
(9)X線発光分光実験:
物質の電子状態を調べる方法。放射光X線を試料に照射して内殻電子を外核状態に励起し、その励起状態が緩和する際に放射されるX線を分光することで、結合状態やスピン状態に関する情報を得る。
(10)高分解能X線吸収分光実験:
X線発光分光とX線吸収実験を組み合わせて行うことにより従来の一般的に行われているX線吸収実験よりも高エネルギー分解能なX線吸収スペクトルを得る実験手法。高分解のスペクトルを測定することで、より詳細に物質のイオンの価数や配位状態等の電子状態に関する情報を調べることが可能。
(11)放射光X線粉末回折実験:
物質の構造を調べる方法。放射光X線を試料に照射し、回折X線の角度と強度を調べることで結晶構造(原子の並び方や原子間の距離)を決定する。
付記
本研究は中国科学院物理研究所のZhehong Liu(ゼホン リウ)、Wenmin Li(ウエンミン リー)、Ying Liu(イン リウ)、Xubin Ye(ゾクヒン イエ)、Shijun Qin(シジュン チン)大学院生、Changqing Jin(チャンチン ジン)教授、Youwen Long(ユーエン ロン)教授、独国マックスプランク研究所のStefano Agrestini(ステファノ アグレスティーニ)博士、Kai Chen(カイ チェン)博士、仏国放射光施設SOLEILのFrancois Baudelet(フランソワ ボーデ)博士、英国エジンバラ大学のAngel M. Arevalo-Lopez(エンジェル アルベロ ロペス)博士、J. Paul Attfield(ポール アットフィールド)教授との共同で行われた。
本研究の一部は、地方独立行政法人神奈川県立産業技術総合研究所・有望シーズ展開事業「次世代機能性酸化物材料プロジェクト」(リーダー・東正樹)との共同研究であり、文部科学省・科学研究費助成事業・基盤研究(S)「革新的負熱膨張材料を用いた熱膨張制御」(代表・東正樹東京工業大学教授)、特別推進研究「光と物質の一体的量子動力学が生み出す新しい光誘起協同現象物質開拓への挑戦」(代表・腰原伸也東京工業大学教授)、東京工業大学科学技術創成研究院World Research Hub Initiative(WRHI)プログラムの助成を受けて行った。
論文情報
掲載誌:Journal of the American Chemical Society, 139 (2020)
論文タイトル:Sequential Spin State Transition and Intermetallic Charge Transfer in PbCoO3
著者:Zhehong Liu, Yuki Sakai, Junye Yang, Wenmin Li, Ying Liu, Xubin Ye, Shijun Qin, Jinming Chen, Stefano Agrestini, Kai Chen, Sheng-Chieh Liao, Shu-Chih Haw, Francois Baudelet, Hirofumi Ishii, Takumi Nishikubo, Hayato Ishizaki, Tatsuru Yamamoto, Zhao Pan, Masayuki Fukuda, Kotaro Ohashi, Kana Matsuno, Akihiko Machida, Tetsu Watanuki, Saori I. Kawaguchi, Angel M. Arevalo-Lopez, Changqing Jin, Zhiwei Hu, J. Paul Attfield, Masaki Azuma & Youwen Long.
DOI:10.1021/jacs.9b13508