電子の蝶々型の空間分布を1000億分の2メートルの精度で観測!

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放射光X線を用いた電子軌道の新規観測手法を提案

2020-10-01 分子科学研究所

名古屋大学大学院工学研究科の鬼頭 俊介 博士研究員 (当時、分子科学研究所 特別共同利用研究員 兼任)、萬條 太駿 大学院博士後期課程学生、片山 尚幸 准教授、澤 博 教授らの研究グループと、米国ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の獅子堂 達也 博士は、理化学研究所 創発物性科学研究センター、東京大学、分子科学研究所、高輝度光科学研究センターとの共同研究により、大型放射光施設SPring-81)(BL02B1)におけるX線回折実験2)によって約1000億分の2メートル(0.2オングストローム)の分解能で電子の空間分布を直接観測することに成功しました。

固体物質の機能・性質は、構成原子の電子のうち、一番外側を回る電子(価電子)の「軌道」状態に支配されます。物質の性質を決定する最小単位が電子軌道であるともいえます。この軌道状態は教科書にも載っている基本的な知識です。例えば、鉄やニッケルなどの遷移元素の3d電子軌道3)は蝶々型や瓢箪型といった特徴的な形をしているとされています。ところが、このような軌道を持つ電子の実空間分布状態を直接観測することは極めて困難でした。

今回、本研究グループはSPring-8において、イットリウムとチタンと酸素からできている物質の30マイクロメートル角の小さな結晶を用いたX線回折実験を行い、我々が提案するコア差フーリエ合成(core differential Fourier synthesis; CDFS)法4)という新しい解析方法によって、チタンイオンの19個の電子のうち“たった1個の価電子”が蝶々型に分布している状態を観測することに成功しました。この方法は原理的に全ての元素に適用できるため、今後様々な物質の電子軌道の研究への活用が期待されます。

この研究成果は、2020年9月28日付米国科学誌「Physical Review Research」電子版に掲載されました。

この研究は、日本学術振興会・科学研究費助成事業(JP23244074/JP19J11697)及びSPring-8のパートナーユーザ課題(2011B0083/2019A0070)の支援を受けて実施されました。  

ポイント

  • 放射光X線回折測定と新しい解析手法により3d電子軌道を占有した電子分布の異方性の直接観測に成功
  • 結晶を構成する原子の軌道混成を含めた複雑な電子雲の詳細を決定
  • 幅広い物質における電子軌道の研究に対して有効な実験手法を提案

研究背景と内容

全ての物質の性質(物性)は原子が有する“電子の自由度”によって支配されています。電子がもつ「電荷」「スピン」「軌道」の3つの自由度が複雑に絡み合うことで、高温超伝導5)や電気磁気効果6)などのエキゾチックな物性が実現します。一般的に、「電荷」が担う電気伝導性や「スピン」が担う磁気的な性質は外場(電場・磁場)に応答するため、比較的容易にその性質を実験で調べることができます。一方、「軌道」は物質の“形”の最小単位であり、物性の異方性を支配する重要な要素ですが、外場に直接応答しないため、その性質を実験で調べることは容易ではありません。もし、“電子の分布状態”を実験で観測できれば、物性を量子力学的に正しく理解できます。この重要性のために、数十年にわたって様々な実験手法やその解析方法が提案されてきましたが、得られる空間・運動量の情報が限定的であり、理論計算の場合についてもある種の仮定に基づく情報しか抽出できませんでした。

我々は電子軌道の実験的観測手法として、放射光X線回折を用いたコア差フーリエ合成(core differential Fourier synthesis; CDFS)法による電子密度解析手法を提案しています。CDFS法は軌道状態の量子力学的モデルに依存しない手法であり、物性に寄与する価電子の情報のみを効率的に抽出することができ、その形状から軌道状態の実空間観測が可能です。

CDFS法を用いることで2017年に有機系分子性結晶における分子上に空間的に広がった分子軌道の観測に成功しています(【関連情報】を参照)。今回の研究では、その空間分解能を更に高めることで原子内に局在した3d電子軌道の観測に挑戦しました。対象として、1970年代から現在に至るまで軌道観測実験の標準的な物質として多角的に調べられているペロブスカイト型酸化物7) YTiO3 (図1(a))を選択しました。モット絶縁体8)であるYTiO3において、磁気的な性質を担うのは+3価のTi(チタン)イオンです。Ti3+イオンは19個の電子を持っていますが、その内18個の内殻電子は物性には殆ど寄与せず、その物性を支配しているのは異方的な3d軌道に占有されるたった1個の価電子です。量子力学的な視点から、局在した3d電子は蝶々型の形が期待されます。

この物質に対してCDFS解析を行うと、Tiイオンが蝶々型の形状の価電子密度分布を持つことが観測されました(図1(b))。これは、まさに教科書に載っている3d電子軌道の形そのもので、これが量子力学的な手続きなどを経ずに直接的に三次元描画されたときこそが感動の一瞬でした(まさに研究の醍醐味です)。よく調べてみると、結晶場理論9)で予想される31電子軌道分布(図2)に極めてよく一致しており、過去の様々な実験・計算手法で予想されてきた報告とも概形はよく似ています。そして、この軌道状態は、この物質が強磁性体になると古くから予言されていた理論とも整合しました。

しかし、得られた価電子密度分布には、本来3d軌道の節(電子密度がゼロ)となる中心部分にも電子密度が存在しています(図3(a))。感動したのも束の間、解かねばならない新たな問題に遭遇したわけです。しかし、よく考えてみるとこのペロブスカイト型構造の中でのTiO6八面体を安定化させる相互作用がなければ、結晶として存在しないことも事実です。化学分野で良く知られる配位子場理論10)は金属イオンと配位子間で混成軌道の形成を示唆しますが、混成軌道に占有された電子は結合する二つの原子間に拡がって存在すると漠然と考えられていました。

CDFS解析の結果は混成軌道に占有された価電子が実空間において3d軌道の節に存在するという非自明な描像を明確に示しました。これを確かめるために注意深く行われた第一原理計算11)の結果は、CDFS解析の軌道混成を極めてよく再現しました(図3(b))。つまり、CDFS法を用いることで軌道混成まで含めた系全体の軌道状態を価電子密度分布から直接決定することに初めて成功しました。
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図1. (a)ペロブスカイト型酸化物YTiO3の結晶構造。
(b)CDFS解析で得られたTiO6八面体内のTi原子まわりの価電子密度分布。
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図1. (b) 3次元動画

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図2. 結晶場理論で予想されるTi原子まわりの蝶々型の価電子密度分布。

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図3. (a)CDFS解析と(b)第一原理計算で得られた価電子密度分布の断面図。

成果の意義と今後の展開

CDFS法を用いた電子軌道の実験的観測手法を確立した
本研究において提案する放射光X線回折を用いたCDFS法の特筆すべき点は、量子力学的・情報学的モデルを仮定せずに価電子密度分布を抽出できるということです。これまでに提案されてきた実験手法は、何らかの仮定に基づいた原子軌道モデルの検証だったといえます。すなわち、解析者による人為的なバイアスが払底できませんでした。一方、CDFS法では得られる電子密度解析の結果は実験で得られるデータの質のみに依存し、原理的に系の物性によらず全ての元素に適用できます。従って、本手法を用いることで、今後、電子軌道の研究の幅広い展開が期待されます。

関連情報

SPring-8を用いた精密構造解析による分子軌道分布の可視化法を開発、電子状態の直接観測に成功―電荷分布観測による新たな分子設計への提案― (2017年8月7日)
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20170807_engg_2.pdf

用語説明

1) 大型放射光施設SPring-8:
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その利用者支援などは高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。

2) X線回折実験:
一般的に結晶構造を調べる手法。X線を試料に照射し、回折強度を測ることで原子の並び方や原子間の距離を決定する。ここでは、実験室で用いられるX線に比べて遙かに明るい放射光X線を用いた。

3) 3d電子軌道:
原子を構成する電子軌道の1種でM殻の外殻部に相当し、量子力学的には主量子数:= 3、方位量子数:l = 2に対応する。3d軌道には5つの異なる配位の軌道が存在し、それぞれの軌道は蝶々型や瓢箪型のような異方的な形状をしている。

4) コア差フーリエ合成(core differential Fourier synthesis; CDFS)法:
X線回折実験による電子密度解析手法の一種。実験的に得られる全電子の情報から、内殻(コア)電子の寄与を差し引くことで、物性に寄与する価電子の情報のみを抽出する方法。原理的にはフーリエ変換の式に基づいている。

5) 高温超伝導:
物質の電気抵抗が完全に消失する超伝導現象は通常、絶対零度(0 K = 約-273 ℃)近傍でしか起こらないが、それが比較的高温で起こる現象。「高温」の明確な定義はないが、おおよそ40 K(約-233 ℃)以上で超伝導になると高温超伝導と呼ばれる。

6) 電気磁気効果:
通常、物質中では電場に対しては電気分極が変化し、磁場に対しては磁化が変化する。一方、電気磁気効果は電場によって磁化が変化する、または、磁場によって電気分極が変化する現象。

7) ペロブスカイト型酸化物:
一般式ABO3で表される元素組成を持った代表的な結晶構造をもつ金属酸化物。

8) モット絶縁体:
バンド理論では金属的と予想されるにもかかわらず、電子間斥力の効果(電子相関効果)によって実現している絶縁体状態のこと。

9) 結晶場理論:
結晶中において、あるイオンの位置に他のイオンが作る静電場の総和を結晶場という。自由イオンにおいて軌道のエネルギーが縮退していたとしても、固体中では結晶場によって縮退が解けて分裂することがある。この縮退が解ける原因を配位子の持つ負電荷が作る静電場に求めるのが結晶場理論である。主に物理学分野で活用される。

10) 配位子場理論:
金属錯体のd軌道の分裂を、金属のd軌道と配位子の軌道との間の相互作用によって説明する理論。主に化学分野で活用される。

11) 第一原理計算:
量子力学の基礎的な方程式を用いて、物質を構成する原子の種類と位置の情報から電子構造を計算する手法。結晶構造さえ決まれば非経験的に電子構造を得ることができるため、性質の不明な物質に対しても威力を発揮するといわれている。

論文情報

雑誌名: Physical Review Research

論文タイトル: Collapse of the simple localized 31 orbital picture in Mott insulator
(モット絶縁体における単純な局在31軌道描像の崩壊)

著者: 鬼頭 俊介, 萬條 太駿, 片山 尚幸 (名大工), 獅子堂 達也 (ウィスコンシン大学ミルウォーキー校), 有馬 孝尚, 田口 康二郎, 十倉 好紀 (理研), 中村 敏和, 横山 利彦 (分子研), 杉本 邦久 (JASRI), 澤 博 (名大工)

DOI: 10.1103/PhysRevResearch.2.033503
URL: https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevResearch.2.033503

研究者連絡先

名古屋大学大学院工学研究科
教授 澤 博(さわ ひろし)

名古屋大学大学院工学研究科
博士研究員 鬼頭 俊介(きとう しゅんすけ)

報道連絡先

名古屋大学管理部総務課広報室
理化学研究所 広報室
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当

(SPring-8/SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課

関連研究員

分子科学研究所
機器センターチームリーダー
中村 敏和

分子科学研究所
物質分子科学研究領域 電子構造研究部門 教授
横山 利彦

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