2020-03-26 日本原子力研究開発機構,理化学研究所
【発表のポイント】
- 自動車などの輸送機器の軽量化には、高強度と高い延性を両立した鉄鋼材料の開発が必要不可欠であるが、その実現には、鋼材の材料特性に影響する集合組織を定量的に把握することが重要。
- その集合組織を測定する技術として、中性子回折法は有効であるが、ものづくり現場でこれを実現する技術は存在しないため、現場で手軽に使える小型中性子源を用いた集合組織測定技術の開発が期待されている。
- この度、国立研究開発法人理化学研究所の開発する理研小型加速器中性子源システムRANSと、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構が開発する中性子回折法による集合組織測定技術を組み合わせることで、ものづくり現場で実現できる中性子回折法による集合組織測定技術の開発に、世界で初めて成功した。
- 小型加速器中性子源を利用した実験室レベルでの日常的な研究開発と、大型中性子実験施設を利用した先端研究開発を組み合わせた新たな研究開発サイクルの構築が、イノベーション創出を実現する革新的な材料開発や製品開発につながると期待される。
小型加速器中性子源システムRANS(ランズ) (提供:理化学研究所)
【概要】
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、以下「原子力機構」という。)物質科学研究センターの徐平光研究副主幹、鈴木裕士グループリーダーおよび国立研究開発法人理化学研究所(理事長 松本紘、以下「理研」という。)光量子工学研究センターの中性子ビーム技術開発チームの高村正人上級研究員、大竹淑恵チームリーダーらの共同研究グループは、原子力機構が開発してきた中性子回折法による集合組織測定技術と、理研が開発してきた理研小型加速器中性子源システムRANS(ランズ)[1]を組み合わせることで、中性子回折法による実験室レベルでの集合組織測定技術の開発に世界で初めて成功しました。
鉄鋼材料は一般的に高強度になるほど変形しにくくなるために、高強度と高い延性[2]を両立した材料の開発が必要となっています。鉄鋼材料は複数の小さな結晶の粒(結晶粒)が集まってできた多結晶と呼ばれる状態にあり、これらの結晶粒はそれぞれ異なる方向を持っています。この結晶粒の方向は、圧延や加熱によって、ある程度揃った(偏った)状態になります(図1)。この結晶の向きの偏りは集合組織と呼ばれ、その偏りの仕方によって材料の強度や延性などの材料特性が変化します。そのため、延性を持たせた高強度な鉄鋼材料の開発には、その集合組織の状態を正しく把握して制御することが重要になります。鉄鋼材料のバルク[3]に対して集合組織を測定するには、鋼材に対して透過性の高い中性子を用いる中性子回折法[4]が有効です。しかし、その中性子源は研究用原子炉などの大型実験施設に限られ、企業の実験室や工場などでの利用が期待される小型中性子源では、ビーム強度が低くこれまで測定されてきませんでした。
今回、共同研究グループは、RANSによる集合組織の測定技術を開発し、J-PARC[5]の物質・生命科学実験施設(以下、「MLF」という。)で測定される集合組織と同等の精度で、小型中性子源による集合組織の測定を実現しました。本技術により、今後、実験室や工場レベルでの集合組織の測定が実現し、材料の基礎研究、軽量かつ高強度を可能にする新材料開発および加工技術開発の加速につながると期待できます。
本研究成果は、国際学術誌「Journal of applied crystallography」のオンライン公開版(3月26日(日本時間))に掲載されます。なお、本研究の一部は、日本学術振興会の基盤研究(B)科研費補助金「中性子ハイブリット回折が拓く現場利用バルク金属残留応力計測技術の開拓」の支援を受けて実施しました。
図1 集合組織の模式図。鉄鋼材料は複数の小さな結晶の粒(結晶粒)が集まってできた多結晶と呼ばれる状態にあり、これらの結晶粒はそれぞれ異なる方向を持っている。この結晶粒の方向は、圧延などの加工によって、ある程度揃った状態になる。この結晶の向きの偏りを集合組織と呼ぶ。
【研究の背景】
近年、地球温暖化対策として二酸化炭素(CO2)排出量の削減が求められており、自動車などの輸送機器は、その軽量化による燃費向上が急務となっています。軽量化のためには、部材として多く使われている鋼板の厚さを薄くすることが有効です。そのため、薄くても高い強度を維持できる高張力鋼板が注目されていますが、一般的には鋼の強度が高くなるにつれて成形性は低下し(図2)、部品成形のためのプレス加工が難しくなります。これらのことから、強度と成形性を両立した材料の開発が重要な課題となっています。
図2 鋼材の強さと成形性の関係。一般的に、引張強度(横軸)が高いほど成形性(縦軸)は低くなる。ゆえに、高張力鋼板の利用拡大には、高強度と高成形性を両立する鋼材を開発することが重要である。
自動車部材として広く利用されている鉄鋼材料は、複数の小さな結晶の粒(結晶粒)が集まってできた多結晶と呼ばれる状態にあり、これらの結晶粒はそれぞれ異なる方向を向いています。材料製造の過程で圧延(ロールなどで薄く延ばす)したり、加熱したりすることで、結晶粒の向きがある程度揃った(偏った)状態になります。この結晶粒の向きの偏りは集合組織と呼ばれ、その偏りのしかたや強さによって強度や成形性などの材料特性が変わります。そのため、延性を持たせた高強度の鋼板の開発には、その集合組織の状態を正しく把握して制御することが重要です。
集合組織の測定には、量子ビームによる回折測定が広く用いられています。しかし、一般的によく用いられるX線回折法[6]や電子線後方散乱回折法[7]では、鋼板のごく表面層の集合組織しか測定できません。したがって、これらの手法は、強度や加工性といったマクロな特性の評価には必ずしも適しているとは言えません。これに対して、透過能に優れた中性子回折法は、鉄鋼材料内部の結晶情報をバルク平均で得られる特徴を持つことから、集合組織を測定する上で有力な手段の一つです。しかし、現状では中性子回折測定が可能な中性子源は、研究用原子炉や大型加速器施設などの大型実験施設に限られ、これらは共用施設のため利用者が頻繁に測定する機会を得ることは困難です。一方、理研では、大学や企業の研究室、工場などの現場で手軽に使える中性子源として、「理研小型加速器中性子源RANS(ランズ)」を構築し、その利用技術の研究開発を進めてきました(図3)。
大型実験施設と比べるとビーム強度の低い小型加速器中性子源では、中性子回折法による集合組織の測定は困難と考えられてきました。しかし、小型加速器中性子源によって鋼板の集合組織の測定が可能になれば、企業や大学などの研究室レベルの中性子利用により、新しい材料開発や鋼材の品質管理などの手法が大きく進歩すると期待できます。そこで共同研究グループは、原子力機構が開発してきた中性子回折法による集合組織測定技術と、理研が開発してきたRANSを組み合わせることで、中性子回折法による実験室レベルでの集合組織測定技術の実現を目指しました。
図3 RANSの基本構造。陽子を加速し、ターゲットステーション内にあるベリリウム(Be)薄膜に衝突させて核反応を起こし、中性子を発生させる。
【研究手法と成果】
RANSでは、飛行時間型中性子回折と呼ばれる回折手法を用いています。様々な波長をもった複数の中性子線が同時に発生して試料に向かいます。波長の異なる中性子線はそれぞれ異なる速度を持つため、中性子が発生してから試料に当たり、検出器にたどり着くまでの時間を計測することで、異なる波長の中性子線を見分けることができます。中性子線が試料に当たると、その物質の結晶粒の向きによって、異なる方向に異なる波長、異なる強度の中性子線が跳ね返ってくるため、それらを解析することで、試料の集合組織を知ることができます。
共同研究グループは、自動車用鉄鋼材料の一つであるIF鋼[8]を使った一辺が15mmの立方体形状の試料(以下、「試料」という。)を用意しました。回折計の構築では、遮蔽を効率的に配置することでバックグラウンドノイズを低減し、中性子ビームを有効利用することで、出力の小さい小型加速器中性子源でも複数の回折ピークを識別できるようにしました。また、試料に入射中性子線を当てる角度を変えて実験を繰り返すために、試料を2つの軸で回転させる方式を取り入れました。一方、RANSに設置された100mm×600mmの面積を有する検出器の検出面領域を16個に分割することで、16の異なる方向の回折線を同時に捉えることを可能にしました(図4)。これにより、試料を回転させる回数をできる限り少なくすることが可能となり、試料の全方位の回折パターンを5時間で測定することができました。そして、測定した弱い回折パターンを有効に活用するために、解析条件の最適化を行うことで、小型加速器中性子源により鉄鋼材料の集合組織を測定することに初めて成功しました(図5)。今回の結果は、J-PARC MLFの工学材料回折装置「匠」[9]で測定した結果とほぼ一致しており、小型加速器中性子源でも大型実験施設と同等の精度で集合組織測定が可能であることが示されました。
図4 RANS回折計の概観(左)と16分割した中性子検出器と回折パターン(右)。16分割した中性子検出器の一つひとつのパネルから検出される回折パターンは、集合組織の影響を受けて異なる強度の回折パターンを示す。
図5 結晶の向きの分布を等高線で表した図(極点図)。(a)は小型中性子源RANSで測定した極点図。(b)はJ-PARC MLFの工学材料回折装置「匠」で測定した極点図。両者でよく一致した極点図が得られた。ここで、110と200は回折面指数を表す。
【今後の期待】
今後、さらなる検出器の増設や中性子源の高度化によって、小型加速器中性子源による集合組織測定時間の短縮が見込まれます。これにより、大型実験施設と比べてビーム強度と分解能で劣る小型中性子源であっても、研究室や工場レベルでの日常的な利用が可能となり、鋼材開発といったものづくり現場に貢献することが期待できます。一方で、大型中性子実験施設との相補的利用は中性子を利用した材料工学研究の発展に不可欠であり、小型加速器中性子源を利用した実験室レベルでの日常的な研究開発と、大型中性子実験施設を利用した先端研究開発を組み合わせた新たな研究開発サイクルの構築が、イノベーション創出を実現する革新的な材料開発や製品開発につながると期待されます。
【論文情報】
雑誌名:Journal of Applied Crystallography
タイトル:In-house texture measurement using a compact neutron source
著者名:Pingguang Xu1, Yoshimasa Ikeda2, Tomoyuki Hakoyama2, Masato Takamura2, Yoshie Otake2, Hiroshi Suzuki1
所属:1原子力機構、2理研
【用語解説】
[1] 理研小型中性子源システムRANS
理研が開発し、現在高度化を行っている普及型の小型中性子源システムで、中性子ビームが2013年1月に取り出された。J-PARCに代表される大型中性子源より手軽な装置として、企業の研究所や工場といったものづくり現場への普及を目指している。また、小型な可搬型加速器中性子源として、橋梁などの大型構造物非破壊検査健全性診断システムを確立することも目指している。RANS(ランズ)は、RIKEN Accelerator-driven Compact Neutron Source の略称。
[2] 延性
長く引き延ばされる性質のこと。
[3] バルク
界面などが有している特異な性質とは異なり、物質本来の性質が現れる一定レベル(ここでは例えば1mm3程度)以上の体積を持つかたまり。
[4] 中性子回折法
中性子線の持つ波の性質を利用して、結晶の格子面間隔のような整列した原子間で回折を起こし、その間隔を測定する手法。回折の強度から結晶の向きや量を測ることができる。回折法では測定したい間隔(鋼材では0.05~0.3ナノメートル程度)に近い波長を持つ放射線を使用し、中性子線の他にもX線や電子線を用いた回折法が有名である。中性子線は鋼材に対して比較的透過性が高く、数ミリから数センチメートル程度の内部まで測定できる。
[5] J-PARC
J-PARCは大強度陽子加速器施設(Japan Proton Accelerator Research Complex)の略。高エネルギー加速器研究機構と原子力機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われている。J-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF)では、世界最高強度のミュオンおよび中性子線を用いた研究が行われており、国内のみならず世界中から研究者が集まっている。
[6] X線回折
X線を用いた回折法。中性子線に比べると鋼材に対する透過性は低く、表面層の測定が可能である。
[7] 電子線後方散乱回折法
測定対象の物質に電子線を照射したときに試料表面から生じる後方散乱回折を解析することにより、結晶材料の微小領域の結晶構造などを調べる手法。
[8] IF鋼
Interstitial Free鋼の略で、炭素量が10ppm以下という極低炭素鋼の一つ。自動車用鋼板として利用される。
[9] 工学材料回折装置「匠」
J-PARCの MLFに設置された飛行時間型中性子回折装置。世界最高水準の高い分解能をもつ。実験しながら、その場で材料内部のひずみ分布や微細構造変化を詳細に測定できるため、工学材料研究の強力な手段になっている。