隠れた場所の温度分布を可視化
2019-08-29 産業技術総合研究所
ポイント
- 計測温度範囲が広く高感度な温度検出部をフィルムの表面に配列させ温度分布を測定
- センサーシートは全工程が印刷技術で製造され、大面積化や低コスト製造にも対応可能
- サーモグラフィーでは観察できなかった狭所や密閉空間などの温度分布も可視化
概要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)センシングシステム研究センター【研究センター長 鎌田 俊英】 兼人間拡張研究センター【研究センター長 持丸 正明】 金澤 周介 研究員、牛島 洋史 人間拡張研究センター研究副センター長 兼センシングシステム研究センター付、センシングシステム研究センター フレキシブル実装研究チーム 植村 聖 研究チーム長、延島 大樹 研究員、板垣 元士 研究員、スマートインタフェース研究チーム 武居 淳 主任研究員は、薄い樹脂フィルムの表面に感度の高い温度検出部を多数配列させた温度分布センサーシートを開発した。
普段使われる体温計のように、一般的な温度計測では測定器を固定したある一点を計測する。しかしこうした計測方法では、測定器の固定方法やわずかな位置の違いによって計測結果が変わってしまい、得られる情報も限定的であった。今回開発した温度分布センサーシートは、フィルムの表面に多数の温度検出部を配列させて、面内の温度分布を一括して計測するものである。薄いシート状なので、赤外線サーモグラフィーでは観察が困難な密閉空間や狭所の温度分布も計測できる。従来開発されていたものよりも幅広い温度への対応を実現したことで、日常生活内での温度計測から、工場や製造装置の温度管理など、多岐にわたる温度分布計測への応用が可能となった。さらに、開発されたセンサーシートの全製造工程は印刷技術によって行われるため、シートの大面積化や低コスト生産にも期待できる。
なお、今回開発したセンサーシートは2019年9月4日~6日に幕張メッセ国際展示場(千葉県千葉市)で開催される展示会、JASIS 2019で一般に公開される。
開発したセンサーシートの外観(左)とペットボトル飲料を使った温度分布計測の様子(右)
開発の社会的背景
温度の計測は日常生活と関(かか)わり合いの深い物理量計測である。体温や室内温度の測定などの身近なものから、工場や産業機器の温度管理まで、温度計測の適用範囲は多岐に及ぶ。一般的な温度計測では、計測器を取り付けたある一点の計測結果を用いることが多い。しかし多くの計測対象では、熱源から末端にかけての温度分布が生じるため、特定の一点の計測結果だけで全体の温度を正しく把握することは容易ではない。例えば体温計を使う際に、測る位置や固定の仕方によって計測結果が変わることは多くの人が経験する現象である。
分布を含めた正確な温度計測を行う上で、赤外線サーモグラフィーは優れた技術として知られており、赤外線カメラの観察視野内の温度分布を目で見るように計測できる。しかし同手法では測定対象をカメラの視野内に捉えて計測するため、密閉された容器の内部や、他の物の背面に隠れた物体の計測は困難である。また、赤外線カメラには一定の焦点距離が必要なため、狭い空間への適用も難しい。こうした表からは見えない箇所の温度計測は、近年注目されているIoT (モノのインターネット)の推進には特に重要となる。多数のセンサーによって状態を把握し、業務の効率化や高度なサービスへつなげるIoTでは、機器の内部や底部など従来測定が困難であった箇所の情報の取得が求められるためである。こうした背景を受け、薄い基板の表面に温度検出部を配列させた温度分布センサーシートの開発が近年進められているが、計測可能な温度範囲が狭いため用途が限られていた。また温度の計測精度についても課題があるなど、さらなる性能向上が求められていた。
研究の経緯
産総研センシングシステム研究センターでは、人々の生活空間や自動車などの機械システム、インフラなどの種々の対象の状態を情報化し、サイバー空間へつなぐことを目的とした新規センシング技術の開発を推進している。今回、高度センシングシステムの基盤となり、広範な適用範囲を持つ新規センサーデバイスとして、温度分布センサーシートの開発に取り組んだ。
なお今回の開発の一部は、内閣府が進める「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期/フィジカル空間デジタルデータ処理基盤」(管理法人:国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO))によって実施された。
研究の内容
今回開発した温度分布センサーは、樹脂フィルムの表面に格子状に並べた多数の温度検出部によって温度分布を測定するものである。表1に従来品との性能の比較を示す。計測可能な温度範囲を5~140℃と大幅に拡大したことでさまざまな温度計測への応用が可能となった。また従来の温度分布センサーシートは計測精度に課題があったが、今回開発したものは各温度で±1 ℃と実用に十分な測定精度である。さらに、0.3 ℃というわずかな温度差も見分けることができるため、温度の分布を高精細に取得することが可能である。
表1 開発した温度分布センサーシートの性能と、従来品(先行研究)との比較 (赤字が更新点)
今回の開発では、幅広い温度に対応可能でき、温度によって大きく電気抵抗が変化する抵抗体(感温性抵抗体)を各温度検出部に用いることで温度分布センサーシートの高性能化に成功した。図1(b)に示すように、開発したセンサーシートはX電極線、Y電極線、絶縁膜、感温性抵抗体の四つの機能層で構成される。このうち感温性抵抗体は温度を検出する役割を持ち、図1(c)に示すように温度に応じてその電気抵抗が極めて大きく変化する。100 ℃を超える高温時には室温の約10倍まで抵抗値は上昇する。図1(c)に示すように、感度の指標となる抵抗温度係数は室温から80℃までの範囲において0.13 / ℃である。これは一般的な金属材料の抵抗温度係数(0.005付近)の数十倍であり、さらに同様に抵抗の温度変化がセンシングに利用されるサーミスタ材料の抵抗温度係数(0.05付近)と比較しても数倍高い感度である。この優れた感温性抵抗膜は独自に配合した導電インクを印刷することで形成される。導電性の微粒子を、熱膨張率が高く耐熱性を有する樹脂に最適な比率で分散させることで、温度に応じた膜の体積変化により内部の導電粒子同士の距離が大きく変化し、抵抗値の温度変化がもたらされる。この高感度な温度検出部により、ゆるやかな温度分布でも各感温性抵抗体の抵抗値が明確な違いを示すので、温度分布を的確に捉えることができる。
一方、感温性抵抗体の抵抗値を正確に読み取り、精度の高い温度センサーとするためには、計測に用いるX電極線とY電極線は抵抗の温度変化が小さいことが求められる。これらの配線は絶縁膜を挟んで複数本交差することでパッシブマトリクス回路を形成し、面内に形成された各感温性抵抗体の抵抗値の変化を読み取る。これらの配線の抵抗の温度変化が大きいと、各感温性抵抗体の抵抗値の変化と見分けることができず、正確な温度測定が困難となる。今回、感温性抵抗体と同様に、独自のインク開発により温度変化が著しく小さい導電層の開発に成功し、これをX電極線とY電極線に用いることでこの問題を解決した。感温性抵抗膜とは対照的に、熱膨張率の低い樹脂と導電性の微粒子を混合したインクを印刷することで、図1(c)に示すように温度に対して安定な抵抗値を示す導電層が形成可能となった。市販の導電インクにも抵抗の温度変化を低減したものが発表されているが、図1(d)での比較からわかるように、今回開発した導電インクの抵抗の温度変化はそれらよりもさらに小さいものである。このように温度に対して大きく電気抵抗を変化させる材料と、安定な電気抵抗を示す材料を用いることで、高性能な温度分布センサーシートを開発した。なお、感温性抵抗体、XおよびY電極線、絶縁膜はいずれも一般的なスクリーン印刷法で形成できるため、シートの大面積化や低コスト生産に十分対応できる。
図1 開発した温度分布センサーシートの外観(a)と層構成(b)、使用した導電材料の温度による抵抗変化率(c)、X, Y電極線に用いた導電インクと市販の導電インクの温度による抵抗変化率の比較(d)
今回開発した温度分布センサーシートは、従来の赤外線サーモグラフィーでは困難であった様式の温度分布計測を可能にする。図2にその測定例を示す。引き出し式の狭い加熱炉を持つ装置(はんだ実装用リフロー装置)のステージにセンサーシートを設置し、70 ℃に設定された加熱炉へ挿入したところ、およそ68 ℃から72 ℃の温度分布が観測された。図中右側に示すように、同じ状態の装置を赤外線サーモグラフィーで観測しても、装置の外装の温度分布が示されるのみであり、また高さ数cmの狭い内部に赤外線カメラを入れることも極めて困難である。今回開発したセンサーシートはこうした密閉された狭所の温度分布を精細に計測できる点が特長である。
図2 狭い加熱炉を持つ装置内部の温度分布を計測した様子
(右は同じ状態を赤外線サーモグラフィーで観察した結果)
また開発した温度分布センサーシートは温度と関わりの深い気流計測にも応用できる。温度分布センサーの基板である樹脂フィルムの裏面に電熱線を形成し、シート全体を加熱しておき、気流を受けた際に熱が奪われて生じる温度分布から気流の速度分布を取得できる。シートの厚みは50 μmと薄いため、図3のように角のある自動車模型にも追従して貼り付けて固定できる。この状態で走行時の気流を模した風を模型に供給し、流速に応じてフィルムが冷却される様子を温度分布センサーシートで計測することで、模型が受ける気流の速度分布が測定できた。図3では荷台の奥側の側面から上面にかけては気流があたっているが、手前側の側面にはほぼ気流は生じていないことが確認できる。こうした気流計測は低燃費の車体形状の開発に有効であるほか、空調機や排熱機構の高度化へ向けた応用にも期待できる。このように、今回開発した高感度温度分布センサーは幅広いセンサーシステムの実現に有効である。
図3 開発した温度分布センサーシートを応用した気流計測の様子
今後の予定
開発した技術の実用化に向けた企業連携を広く推進する。
用語の説明
- ◆赤外線サーモグラフィー
- 赤外線カメラを用いて対象の温度分布を撮影し画像化する技術。物体から放射される赤外線のエネルギーが温度に依存することを利用している。
- ◆IoT (モノのインターネット)
- Internet of Thingsの略称。あらゆるものにセンサーと情報通信機能を持たせ、収集される膨大なデータを元に高い利便性を持つサービスを効率的に展開すること。実現に向けて設置自由度の高いセンサーの開発や、それらが集めた情報を処理するための基盤システムの整備が、近年大きく推進されている。
- ◆サイバー空間
- 計算機の中に構築される仮想の空間。
- ◆抵抗温度係数
- 温度が変化した時に電気抵抗が変化する割合であり、物体の電気の流しやすさ(抵抗)がどれほど温度に依存するかを示す指標となる。大きい値を持つ材料ほど抵抗値の温度依存性が大きく、反対に値が小さい材料ほど抵抗値は温度に対して安定である。一般的な金属材料の場合は1 ℃あたり0.1 %台(10のマイナス3乗オーダー)の割合であり、金:4.0×10-3 / ℃、銀:4.1×10-3 / ℃、銅:4.3×10-3 / ℃、アルミニウム:4.2×10-3 / ℃、鉄:9.0×10-3 / ℃である。
- ◆サーミスタ材料
- 電気抵抗が温度に対して大きく変化する材料であり、マンガン(Mn)、ニッケル(Ni)、コバルト(Co)などを成分とする酸化物を焼成したセラミックスが一般的である。電圧をかけた際に温度に応じて電流値が明確に変化する性質を生かして温度センサーに利用されている。
- ◆熱膨張率
- 温度に応じて物体の長さあるいは体積が変わる割合のこと。一般的には温度が上昇すると膨張し、温度が低下すると収縮する「正の熱膨張」を示す材料が多いが、逆の挙動を示す「負の熱膨張」を起こす材料もある。
- ◆パッシブマトリクス回路
- タッチパネルや液晶ディスプレーで使われる駆動回路の方式の一つ。デバイスの面内に座標を割り当てるために、X方向の電極線とY方向の電極線が絶縁層を介して交差した構造を用いる。例えばタッチパネルであれば、下の図のように指が触れることで静電容量が変化した箇所をX方向とY方向の電極の番号から割り出し、操作に利用する。今回はX電極線とY電極線が作る正方形部分に感温抵抗体を配置して温度分布センサーを構成した。
- ◆スクリーン印刷法
- 最も広く使われている印刷方式の一つであり、孔版印刷とも呼ばれる。印刷する形状と同じ開口部を持つはんこを紙や布地の表面に固定し、その上からインクをゴムへらなどで押しながら塗ることで、開口部からインクが供給され、パターンが印刷される。はんこには金属箔(はく)に開口処理したものや、メッシュ地に感光性の樹脂を塗布し微細な開口部を光処理で形成したものなどがある。