室温で18桁の精度を持つ小型・可搬型光格子時計の実現に道筋
2019-09-14 理化学研究所,東京大学,科学技術振興機構
理化学研究所(理研)開拓研究本部香取量子計測研究室の山口敦史研究員、香取秀俊主任研究員(東京大学大学院工学系研究科教授)らの国際共同研究グループ※は、カドミウム原子を用いた「光格子時計[1]」の「魔法波長[2]」を実験的に決定しました。
本研究成果は、室温で18桁の精度[3]を持つ小型・可搬型光格子時計の実現につながる重要な成果です。
今回、国際共同研究グループは、カドミウム原子を光格子に捕獲し、光格子レーザーによる光シフト[4]を精密に測定しました。その結果、光シフトがゼロになる光格子レーザーの波長(魔法波長)を、419.88±0.14ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)と決定しました。さらに、この結果をもとに、カドミウム光格子時計の黒体放射シフト[5]を理論的に見積もったところ、既に実現されているストロンチウム原子やイッテルビウム原子の光格子時計[6]と比べて、室温で1桁程度小さいことが分かりました。これにより、カドミウム光格子時計が、室温で18桁の精度を持つ小型・可搬型光格子時計を実現する有力な候補であることが明らかになりました。
本研究は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』の掲載に先立ち、オンライン版(9月13日付け:日本時間9月14日)に掲載される予定です。
図 カドミウム光格子時計の魔法波長を419.88±0.14nmと決定
※国際共同研究グループ
理化学研究所 開拓研究本部 香取量子計測研究室
主任研究員 香取 秀俊(かとりひ でとし)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームリーダー、東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 教授)
研究員 山口 敦史(やまぐち あつし)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 研究員)
デラウェア大学
教授 マリアナ・サフロノバ(Marianna Safronova)
ペンシルベニア州立大学
教授 カート・ギッブル(Kurt Gibble)
※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金特別推進研究「超高精度光格子時計による新たな工学・基礎物理学的応用の開拓(研究代表者:香取秀俊)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO「香取創造時空間(研究総括:香取秀俊)」、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業 大規模プロジェクト型「クラウド光格子時計による時空間情報基盤の構築(プログラムマネージャー:香取秀俊)」による支援を受けて行われました。
背景
「原子時計」とは、原子が選択的に吸収する電磁波の周波数を基準に作られる時計です。現在の世界の1秒は、セシウム原子が吸収する9.2ギガヘルツ(GHz、ギガは10億)の電磁波の周波数を基準に作られた、精度およそ16桁の原子時計で定義されています。
「光格子時計」は、2001年に東京大学大学院工学系研究科の香取秀俊助教授(研究当時)が提案した原子時計の手法の一つです。光格子時計では、レーザー光を干渉させてできる干渉縞(光格子)に原子を閉じ込め、その原子が吸収する光の周波数を測定します。このとき通常は、光格子レーザーの影響で、原子が吸収する光の周波数が変わってしまいます(光シフト)。しかし、「魔法波長」と呼ばれる特別な波長のレーザーで光格子を作ると、光シフトがゼロになります。すると、原子が静止しかつ周囲に電磁場が存在しない孤立状態のときに吸収する光の周波数と同じ周波数を、光格子中でも測定できるようになります。さらに、光格子に閉じ込められた多数の原子を一気に観測することで、この周波数測定を短時間に精度良くできるのも、光格子時計の大きな利点です。
国際共同研究グループは、カドミウム原子を使った光格子時計の実現を目指して研究を進めてきました。既に実現されているストロンチウム原子やイッテルビウム原子の光格子時計では、原子の周辺環境から放射される黒体放射による周波数シフト(黒体放射シフト)を抑えるために、冷凍機を使った低温環境を用意し、その中で実験を行うことで18桁の精度を達成しました。これに対して、カドミウム原子は、黒体放射シフトが極めて小さく、そのような複雑な装置を用意しなくても、室温のシンプルで小型な装置で同じレベルの精度が実現できると期待されています。そのため、光格子時計を実現する上で必須のパラメータである魔法波長の実験的な決定が待たれていました。しかし、カドミウム光格子時計を実現するためには、開発の非常に難しい深紫外波長のレーザー光源を多数用意する必要があるため、今までほとんど研究が行われてきませんでした。
研究手法と成果
カドミウム原子の魔法波長を決定するためには、光シフトを測定し、それがゼロとなる光格子レーザーの波長を探します。そのためには、まずレーザー冷却によりカドミウム原子の熱運動を小さくし、光格子に捕獲する必要があります(図1)。研究チームは、そのために開発した深紫外波長のレーザー冷却光源を使い、カドミウム原子の熱運動を、温度に換算して6マイクロケルビン(μK、1μKは100万分の1ケルビン)にまで小さくしました。
次に、こうして熱運動を小さくしたカドミウム原子を光格子に捕獲し、光シフトを調べました。光格子レーザーの波長が魔法波長になると、その強度が変わっても、原子が吸収する光の周波数は変わらなくなります。実験でそのような波長を調べ(図2)、魔法波長を419.88±0.14ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)と決定しました。さらに、理論的にも魔法波長を計算し、420.1±0.7nmという実験結果と矛盾しない結果を得ました。
以上の実験結果に基づいて、カドミウム光格子時計の黒体放射シフトを理論的に計算した結果、ストロンチウム原子やイッテルビウム原子の光格子時計の黒体放射シフトより1桁小さいことが確認されました。これは、室温付近で温度が0.1℃揺らいでも、時計の精度が19桁目でしか揺らがないことを意味します。これにより、室温で18桁の精度を持つ原子時計として、カドミウム光格子時計が有力な候補であることを明らかにしました。
今後の期待
今回の研究では、カドミウム光格子時計にとって最も重要なパラメータである魔法波長を実験的に決定しました。これにより、カドミウム光格子時計の実現に向け道筋をつけることができました。
さらに、既に実現されているストロンチウム原子やイッテルビウム原子の光格子時計と比べて、カドミウム光格子時計は黒体放射に対する影響が1桁程度小さいことを明らかにしました。黒体放射の影響が大きい光格子時計では、冷凍機を使い低温環境を用意することで黒体放射シフトを抑制しています。カドミウム光格子時計なら、そのような複雑な装置を使わなくても、室温のシンプルで小型な実験系で、同じ精度の光格子時計を実現できる可能性があります。
そのような小型・可搬型の光格子時計は、例えば、近年活発に研究が行われている、重力ポテンシャルの変化を原子時計の周波数変化として検出する、相対論測地学[7]と呼ばれる分野の強力な計測ツールとしての応用が期待できます。
原論文情報
A. Yamaguchi, M. S. Safronova, K. Gibble, and H. Katori, “Narrow-line Cooling and Determination of Magic Wavelength of Cd”, Physical Review Letters
発表者
理化学研究所
主任研究員研究室 香取量子計測研究室
主任研究員 香取 秀俊(かとり ひでとし)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームリーダー、東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 教授)
研究員 山口 敦史(やまぐち あつし)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 研究員)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学大学院 工学系研究科 広報室
科学技術振興機構 広報課
JST事業に関すること
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
古川 雅士(ふるかわ まさし)
科学技術振興機構 未来社会創造研究開発推進部
犬飼 孔(いぬかい こう)
補足説明
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- 光格子時計
- 光格子時計は2001年、東京大学大学院工学系研究科の香取秀俊助教授(研究当時)が考案した原子時計の手法。「魔法波長(魔法周波数)」と呼ばれる特別な波長(周波数)のレーザー光を対向させてできる、数十ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)の微小空間に原子を閉じ込めて、その原子が吸収する光の周波数(共鳴周波数)を測定する。この光の周波数により、1秒の長さを決める。
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- 魔法波長
- 一般に、原子の分極率は電子状態によって異なるため、生じる光シフトも電子状態によって異なる。その結果、光格子中では、二つの電子状態間の光シフト量の差分だけ共鳴周波数が変化する。ところが、特定の周波数で光トラップを作ると、二状態の電気分極率が等しくなり、共鳴周波数の変化をゼロにできる。このような、二状態の電気分極率が等しくなる波長を魔法波長と呼ぶ。
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- (時計の)精度
- 時計の精度は、ある時間経過した後の時間のずれで評価する。例えば、一般的によく使われているクオーツ時計の月差は約10秒で、10秒/2,600,000秒(ひと月)から計算されるおよそ4×10-6が時計の精度になる。この値の指数の数字を取って、6桁の精度の時計という。18桁精度は、1×1018秒(およそ300億年)経過すると1秒ずれる精度で、宇宙誕生から現在まで(138億年)の約2倍の年月が経って、ようやく1秒ずれるといった精度になる。
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- 光シフト
- 原子は、電場の中では吸収する光の周波数が変化する。これを光シフトという。光格子に閉じ込められている原子も、光格子の電場の影響で光シフトが生じる。光格子の光シフトは、光の電場によって誘起された原子の電気双極子と電場との相互作用であり、シフト量は(原則として)光の強度に比例する。
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- 黒体放射シフト
- 原子の周辺環境から放射される電磁波(黒体放射)により引き起こされる光シフト。ここで、黒体放射とは黒体が放出する熱放射。黒体とは、外部から入射する電磁波をあらゆる波長にわたって完全に吸収し、また熱放射できる(理想的な)物体。現実の物質表面からの放射は、電磁波の反射や透過の効果により、同じ温度の黒体からの放射より弱くなる。黒体放射のスペクトルは、黒体の温度だけで定まり、プランクの放射式によって理論的に与えられる。室温ではそのピーク波長は約17マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)である。黒体放射のエネルギー密度は、シュテファン=ボルツマンの法則に従い、絶対温度の4乗に比例して増大する。原子の周辺環境の温度がゆらぐと、黒体放射シフトもゆらぐため、原子時計の精度を劣化させる。このゆらぎを抑えるためには、原子の周辺環境の温度を下げる(もしくは精密に測定する)か、そもそも黒体放射シフトが小さい原子を使う。カドミウム光格子時計は後者に該当する。
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- ストロンチウム原子やイッテルビウム原子の光格子時計
- 光格子時計に用いる原子の有力候補として、ストロンチウム原子とイッテルビウム原子の光格子時計の研究が、多くの研究開発機関で行われている。どちらも、フランスの国際度量衡局で開催されたメートル条約関連会議において、新しい秒の定義の候補である「秒の二次表現」に採択されている。
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- 相対論測地学
- 「重力が強いところでは、時間がゆっくり進む」というアインシュタインの相対論の効果を、精密な原子時計で検出し測地に応用する技術。例えば、地上で異なる高さに置かれた2台の時計を比較すると、1センチメートル低い位置にある時計は、地球重力の影響で、1.1×10-18だけ時間の遅れが生じる。つまり、1x10-18の精度の2台の時計比較は、1センチメートルの精度での標高差計測を可能にする。
図1 カドミウム原子の魔法波長を決定するために開発した装置の概念図
ディスペンサーから蒸気として放出されたカドミウム原子は、レーザー冷却光により真空チャンバーの中心に捕獲・冷却され、光格子レーザーでトラップされる。光格子レーザーの波長と強度を変えながら、原子が吸収する時計レーザーの周波数シフト(光シフト)を測定する。この際、時計レーザー光に共鳴してカドミウム原子の状態が変化したかどうかを、カメラで観測する。
図2 魔法波長の決定
(a) 光シフトの光格子レーザーの波長およびトラップ深さ(横軸)依存性。トラップ深さは、光格子レーザーの強度に比例する量。図中の数字は光格子レーザーの波長を表す。
(b) 光シフトの傾きの波長依存性。(a)の六つの波長での光シフトの傾きを、光格子レーザーの波長でプロットしたもの。縦軸がゼロになる(光シフトが光強度で変化しなくなる)波長が魔法波長であり、419.88±0.14nmと決定された。