中山間地域の耕作放棄地を活用した牛飼養の省力化と効率化に貢献する情報通信技術

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スマートフォンで牛を飼う?!

後藤貴文 鹿児島大学学術研究院農水産獣医学域

Takafumi GOTOH, Nonmember (Graduate School of Agriculture, Kagoshima University, Kagoshima-shi, 890-0065 Japan).

電子情報通信学会誌 Vol.100 No.11 pp.1242-1247 2017年11月

©電子情報通信学会2017

1.緒     言

どのようにIoT農業,特にICT技術を農業に生かしていくのか? 現在,国も,多くのICT企業も,既存の農業への参入を目指し,種々活動が行われている.しかしながら,経営管理やデータ管理はある程度可能となってきているが,本格的な成功例は少ないように思う.多くの農業は,ICT導入以前に,一度現状の生産の仕組みを見直す時期に来ているように思われる.食のグローバライゼーション,アメリカの政権交代でとん挫したTPP等,国内への食料輸入と一方で日本農産物の輸出への取組み,日本の農業はこれからどのような哲学を持ち,どの方向へ進むのか,凛とした考え方や政策が必要だろう.海外では,いち早く戦略的に農業政策を転換し,様々な事業を展開している.海外と同じステージで,コストパフォーマンスと環境への配慮等をこれまで以上に考慮する必要がある.農業活性化のためには,新たな生物生産科学概念の取込みとマーケットの中に農家に利益の出る仕組みがあってこそ,農産業は大きなビジネスチャンスを生む.また,これからの農産業は,単なる食料生産ではなく,食のおいしさ・安全性はもとより,生産における周囲の環境との共生,環境負荷の低減,食のグローバル化による世界的な物質循環のバランス調整,フードマイレージ等低炭素社会の実現といった,多くの公益的な意味が考慮されるべき時代となった.一方,このような状況の中,農業研究者は,農業そのものだけでなく,ICT研究分野へ深く入り込み,新しい形の農業システムを創造しなければならない.そうしなければ仕組みの変革は難しく,同様にICT研究者も深く農業分野に入り込まなければ,真の農業ICTあるいはIoTイノベーションと,新しい哲学に基づく,真の農産業のイノベーションは構築できないだろう.

日本は主に工業製品を海外に輸出し,外貨を得て,日本を豊かにしてきた.一方で,食料輸入を規制し,自国の農産業を保護するとともに,国内に足りない食料品を海外から購入してきた.しかしながら,1991年のウルグアイラウンドの締結により,それまで輸入制限により守ってきた国内の基幹農業生産物,米,牛肉及びオレンジ等を諸外国より輸入自由化するように迫られた.安価な食料の輸入により,日本農業は痛手を負うこととなった.多くの農家が経営困難となり,高齢化にも拍車が掛かり,多くの耕作放棄地が認められるようになった.

日本の国土の73%は山であり,平野部は主食の米生産が主要である.輸入穀物飼料に依存した集約的な畜産を選んだ日本では,畜産も比較的平野部で営まれた.輸入穀物を多給して生産する和牛肉は,筋内脂肪が多い特徴的な霜降り牛肉となった.和牛は,そのユニークな肉質から,(海外に持ち出された和牛や和牛精液を元に)アメリカ,カナダ,オーストラリア,メキシコ,中国,タイ,及びドイツ等ヨーロッパ各地等,現在では世界中で飼養され始めている.(外国の品種と交雑したものもWAGYUとして販売されている.)

しかし,日本では,草食動物であるこの和牛に輸入したとうもろこしを中心とした穀物飼料を1頭当り4~5t与えなければならない.更に,輸入穀物価格の高騰や生産システムの特異性により,現在,1頭の売値に対してコスト率は90%以上であり,ビジネスとしては非常に厳しい状況である.平成26年度の農林水産省によると全国平均として,和牛1頭の生産費は約101万円(子牛を購入して20か月間の肥育の場合)であり,農家所得は1頭当り約4.5万円となっている.このように経営が厳しい状況に,単純に高コストのICT機器を導入することは現実的ではない.牛肉生産は,激しい価格競争の中,牛舎内で,大量の輸入穀物飼料を給与している状況である.また,過度な輸入飼料への依存は,輸入飼料にBSEやFMD(口てい疫)等に係るたん白質やウイルス等が混入するリスクも高まる.牛は従来,地域の植物を食し,ふん尿はその地域の植物を繁茂させるための堆肥となり,植物―牛―ふん尿―堆肥―植物という循環が成立していた.しかし現実は,海外で生産された穀物を日本で与えているために,そのふん尿は堆肥化しても行き場を失って,統計では,年間約8,000万トンのふん尿が日本国土に蓄積されている.この過剰な堆肥は,現実的に日本で使用できる量をはるかに超えている.(机上の計算では使用できるという人もいるが.)特に窒素が問題であり,環境への負荷を考えると,この処理をどのようにするのか,早急に対応する必要があるだろう.しかしながら,行政機関としては,このシステムを基盤に営む現在の農家を守らなければならない現実がある.更にそれに関わる生産の仕組みを維持しなければ,流通業界がダメージを伴ってしまう.このように牛肉生産の仕組みは,変革することが難しい状況がある.

しかしながら,この生産システムは,未来に向けて深刻な多くの問題を包含しており,TPP等国際的な食料貿易関係の導入も見据えて,将来に向け,日本の牛肉生産は,どのような生産の仕組みにシフトすべきか真剣に考慮する時期に来ている.昨今,少しずつ消費者や飲食業界,あるいは予防医学を探究する医師たちが,放牧による自然な形の肥育による,いわゆる牧草牛に興味を持ち始め,赤身肉のし好も高まり始めている.放牧肥育は,牛にも飼養する人にも優しい農業であるが,産業とするには,更なる効率化,省力化が必要である.筆者は,九州大学の遠隔地施設,農学部附属農場高原農業実験実習場にて,多くの民間企業と連携しながら,約100頭の牛と約80ヘクタールの土地を使って研究を進めてきた.本稿では民間企業と共同研究で行った新しい牛肉生産システムにおけるIoT農業の取組みを御紹介し,議論したい(図1).

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2.地球の物質循環における牛肉生産の意味

牛は本来,穀物ではなく植物,特に草資源を飼料とし,植物繊維を微生物の力を借りて,肉やミルクといったたん白質に変換してくれる経済動物である.消費者は概して,牛は草原でのんびり生産されていると思われている.実際は,先に述べたように牛舎の中で,輸入穀物飼料を中心に,集約的に飼養されている.

植物資源は日本に豊富にある.この豊富な日本の植物資源を活用して,牛は牛肉やミルクといったたん白質を日本人に供給してほしい.先に述べた土地利用の少ない集約的な霜降り牛肉生産の一方で,日本は国土の14%ほどの土地に約50%の人口が密集している.すなわち国土の80%以上をうまく活用できていない.日本の人口分布は,東京をはじめとした都市部に集中し,山間部や中山間地域は,過疎化,限界集落化が増加して荒廃している.山地や中山間地域の環境を守ることは,希少植物,動物と環境の保全,概して日本国土の保全において重要である.鳥獣害について防御柵を作っても根本的な問題解決にはならない.山は放置して木があればよいというものではない.山を管理し,定期的に間伐を行い,しっかりと山中の森を守ることで,木は実をつけ,また下草が生える.そのような環境を作ってやれば,鹿や猪は,里に降りて農作物に被害をもたらさずに山に住むことができる.これからの社会が目指す自然共生,資源循環,食料自給率の維持において,山地の活用やその植物資源をどのように活用していくかは重要な問題である.農業と国土保全の面から地域創生の鍵となる.近年,日本でも行政機関が,耕作放棄地等の未利用地の牛による放牧活用を推奨しているところである.九州大学では,生物科学的な研究,すなわちエピジェネティクスを用いた代謝プログラミング機構を用いて,子牛の時期に,粗飼料でも太りやすい体質の制御に関する研究を行っているが,本稿では詳細な内容は割愛する.この代謝プログラミングのシステムにより,国内の粗飼料(草資源)でも肥育できる体質を制御して,その後はICT技術を活用した放牧による肥育技術を模索している(図1,2).

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3.ICTというツールをどのように牛肉生産に活用するのか

山や広大な中山間地域を用いて,牛を放牧するとなるとそれなりの管理が必要となる.しかし,それは,飼養というより,個体の行動管理や位置モニタ等,ICT技術でカバーできる技術である.そこで我々は,現在の牛肉生産システムとは異なる,山地,中山間地域を活用した新しい環境保全型の生産システムの仕組みを,ICT技術を導入して確立したいと挑戦している.これは単なる農産物の生産ではなく,倫理的(エシカル)な意味も含めた次世代型産業の創出である.日本の国土の66%は森林であるが,林産業の経営状態も海外からの安い木材の輸入や後継者不足で悪化している.牛は,植物資源を効率的にたん白質にコンバートしてくれる比較的大形,自立型で移動型プラントとも言える.そこで,ICT技術とともに牛の放牧を基盤とした日本オリジナルな山地型Silvopasture(林畜複合経営)牛肉生産システムの構築を目指したい.限界集落の山地,森林や中山間地域の耕作放棄地の草資源シーズを活用して構築したい.しかしながら,大家畜牛の放牧管理は,依然,旧型でアナログ的なものである.筆者らは,この牛の放牧管理を中心に,どのようにICT技術で管理するかについて,特に放牧時における遠隔地からの位置・生体情報を収集し,家畜管理へ利活用可能な無線生体管理システムの研究開発を行った(1)

4.牛の行動特性を活用した遠隔給餌システム

畜産業の現場では,いわゆる“餌付け”というシステムをよく使用する.それは放牧している牛群管理に非常に有効である.牛は群れで動く.牛の群れをコントロールするためには,牛の行動特性を基盤とした餌付けシステムは,極めて有効である.また,スタンチョンという個体の首をロックし確保して,均等に餌を与える機器もある.実際には,現地に人がおり,そこで牛を呼び,また餌を少し与えることで,牛が集まり,スタンチョンで確保できる.筆者らはそれを,ICTにより遠隔から給餌するシステムを構築した.牛の行動特性を用いて,Webカメラ,サウンドシステム,自動給餌機,ロック機構付スタンチョンを用いて,リモートによる遠隔での牛呼び寄せ実験を行い,餌付けシステムを構築した(図3).放牧実験エリアに機器制御用の無線ノード,制御盤を設置し,関連機器と接続した.スマートフォン/タブレットから操作可能なGUIを準備し,遠隔地からのモニタ・機器操作を行った.放牧牛の管理では,通常,条件反射あるいは条件付けを活用して,種々の音により,牛群を集め,給餌を行う.条件反射は,いわゆるパブロフの犬の実験に代表されるように,餌を与えるという無条件刺激と,そのときに与える音が条件刺激として牛の中で条件付けされ,牛群に対して音を鳴らすことで,広大な放牧地でも音を鳴らす場所に集めることができる.本研究では,スマートフォンを用いて遠隔で牛を呼び寄せる,いわゆる遠隔餌付けシステムを実証した.スマートフォンのアプリケーションを作成し操作画面を構築した.まず画像の目視により,放牧地の状況を観察できる.その後,スピーカのボタンにタッチすることで,放牧地現地のスピーカから,録音された牛を呼び集める声を放牧地に響かせることができる.牛は放牧地からゆっくりとWebカメラの前に集まってくる.更に自動給餌機のボタンに触れると,牛はその音を聞いて,ゆっくりとスタンチョンに首を入れる.その後,スタンチョンのロック用のボタンを押すと,牛の首がロックされ捕獲することができる(図3).遠隔からスマートフォンにて,放牧している牛に補助給餌及び捕獲が可能な装置を構築した.放牧牛は放置しておけばよいというわけではない.繁殖牛であれば,健康管理や生理の把握,人工授精により,妊娠させて子牛を生産しなければならない.また,日本では夏場は,ダニを予防するための薬剤も定期的に牛に散布する必要もある.また,産業としての補助飼料給与も必要である.現地に行けないとき,このような手間をスマートフォンでできるのであれば,非常に効率的に管理ができることになる.

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5.放牧牛の位置情報を把握するための技術:放牧地におけるネットワーク構築

まず,牛の放牧地のネットワークを構築することを考えた.例えば,1頭の繁殖牛(母牛)を,放牧地における種々の事故等で死なせることがあれば,約480万円(年間に80万円以上の価値の子牛を6年間生産する場合)以上の価値を農家は失うことになる.また,牛の放牧軌跡を見ることで,健康状態やエネルギー消費量の推定や,放牧地の草地管理にもその情報は活用することができる.このように放牧地での牛の測位は重要な情報となる.

通常,測位と言えば,GPSを思い浮かべるが,GPSを放牧牛の測位情報収集に使用するには,コストの問題とバッテリーの耐久性の問題がある.GPSを使用した場合,牛を頻繁に捕まえてバッテリー交換をしなくてはならない.現場で想定した場合,この労力を,労力的に現実的ではない.数年単位で牛に装着できるデバイスが必要である.そこで,伝搬環境を測定した後に,放牧地に測位アンカ局を設置し,放牧地をカバーする無線ネットワークを構築した(2).その後,測位システムを放牧地で稼動させ,放牧経営で求められる測位の精度を明らかとし,実際の現場における実現化,普及に向けた問題点をも明らかにした.GPSを用いない,電界強度3辺測位法による測位によってアンカ局設置密度0.6ha/1台において,測位誤差を約30mまで縮めることができた.また必要な測位精度を,アンカ局設置数を増減させることでフレキシブルに対応できることが想定された.これにより,放牧地の牛の測位について,受信電波強度を用いた電界強度3辺測量方式による測位が適用可能であると示唆された.更にGPSを用いた測位に対して,約60%以上の省電力化の効果を見込めることが判明した.これらの検討から,バッテリーの寿命を長くするためにはスリープ制御が効果的であることが明らかとなった.省電力化の効果は実際の放牧地の運用方法に大きく依存することが考えられるため,普及に向けてシステムの最適化を,実証を通じて実施する必要性がある.

実験を進めているうちに,放牧地のネットワーク構築を考慮する上で,放牧地の植生や地形の影響を考慮することが,良好な無線伝搬環境や電界強度3辺測位法による測位の精度向上に重要であることが明らかとなった.放牧地の植生についてはITU-Rで規定されている森伝搬モデルの適用が有効であることが分かった.また地形の影響については,電波のフレネルゾーンに及ぼす影響や地形の凹凸の回折時の損失モデルを考慮することが有効であることが明らかとなった.また,放牧時の多数の牛のセンシング情報を効果的に収集する上で,時分割多重によるスケジューリング方法が有効であることが示唆された.牛に取り付ける端末のモビリティ機能を実現する上で,マルチホッピング機能が効果的であることが示唆された.これらの機能を実現する上で,端末の消費電力と,限られた周波数リソースの有効活用が重要であることが示唆された.現在,我々の考えた測位システムとGPSを併用して測位誤差を比較しながら,試作アプリケーションソフトを開発し,タブレットに牛の測位情報や放牧軌跡を捉えることに成功している.

6.牛個体のバイタルセンシングを把握するためのネットワーク構築

まずはインプラントセンサシステムの構築が挙げられる.放牧牛の管理上,重要なことは,測位のほかに牛個体のバイタル情報の把握である.牛の飼養において農家が最も重要な情報と考えるのは,健康のためのバイタルデータ(体温等),繁殖牛(母牛)の発情(排卵)や分べん探知のためのバイタルデータである.当初,MEMSセンサなどを体表面に張り付けて,センシングする方法を模索したが,牛には体表面に被毛があり,長期にセンサを取り付けることが困難であった.また,被毛の少ない陰部等も検討したが,センサを貼り付ける方法が困難であった.

そこで,数年前より思い切ってインプラント方式に挑戦している.インプラントとは体内にセンサデバイスを埋め込むことである.本項では430MHz帯特定小電力方式の小形無線機を開発し,牛の最後肋骨後方に埋め込んで牛体表の無線伝搬環境を測定した.その結果,無線機から各部位への電波の伝搬経路は,牛体内よりも体表が支配的と考えられ,皮下インプラントした無線機から体表面上の無線機との無線回線設計のためには,アンテナ埋込によって生じる挿入損と,体表上の距離損及び回折損を考慮すればよいことが分かった.本研究による基礎データはBAN(Body Area Network)技術を用いたインプラントデータセンシングを実現する上で非常に有効であることが示唆された(図4).

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更に,一昼夜にわたって,埋め込んだインプラント無線機に搭載した温度センサのデータを,無線ネットワークを介して受信し,取得したデータの有効性が示された.

7.お わ り に

牛肉生産業システムを放牧基盤に変革し(図5),IoT,特にICT技術を放牧牛管理に用いることができれば,人も牛も極めて畜産業が楽しくなる.

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謝辞 本研究は,NTT西日本株式会社,富士通株式会社との共同研究,並びに総務省競争的資金(Strategic information and communications R & D Promotion Program(SCOPE)of Ministry of internal affairs and Communications(112310005))にて実施されました.ここに深謝致します.

文     献

(1)後藤貴文,(財)社会開発研究センター,“図解よくわかる農業技術イノベーション―農業はここまで工業化・IT化できる―,”大転換する畜産技術,第V章,pp.120-135,日刊工業新聞社,2011.

(2)K. Yokoo, T. Nishidoi, J. Sugiyama, M. Yoshida, T. Ninomiya, H. Urabe, and T. Ikenouchi, “RSS-based localization considering topographical feature for pasturing,” Workshop on Positioning, Navigation and Communication(WPNC)2013, no.S2-LS4, Dresden, March 2013.

(平成29年6月19日受付)

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