シリコン量子ビットの高精度交換操作を実現

ad

シリコン量子コンピュータの高忠実度2量子ビット操作に指針

2020-03-25 理化学研究所

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの武田健太研究員、野入亮人特別研究員、樽茶清悟グループディレクターらの研究チームは、シリコン量子ドット[1]デバイス中の電子スピン[2]において、高い精度を持つスピン交換操作の実装に成功しました。

本研究成果は、高精度制御と将来的な集積性の観点から、近年注目を浴びているシリコン量子ドットを用いた量子コンピュータ[3]の実現において、重要な課題である「忠実度[4]の高い2量子ビットゲート[5]の実装」に指針を与えるもので、今後の研究開発を加速させると期待できます。

量子コンピュータの制御には、1スピンの操作に加えて、2スピン間の制御を行う2量子ビットゲートが必要です。電子スピン量子ビット[6]では、これまでに高い精度の1スピン操作が実証されましたが、二つのスピン量子ビットの操作は、半導体母材中の核スピン[7]による磁気的雑音に加えて、電荷不純物による電気的雑音の影響を受けることから、高い精度での実装が困難でした。

今回、研究チームは、核スピンによる影響の少ないシリコンを用いた量子ドットに加えて、電気的雑音の影響を低減する2スピン制御の方法を開発した結果、従来の精度を大きく上回る99.6%という高精度のスピン交換操作を実証しました。スピン交換操作の報告例の中では世界最高となる精度(忠実度)です。

本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』のオンライン版(3月20日付)に掲載されました。

背景

近年、半導体デバイスの微細化による情報処理能力の向上が限界を迎えつつあり、新しい動作原理に基づく次世代型コンピュータの実現が切望されています。特に有望視されているのが、量子力学の原理に基づき、複数の情報を同時に符号化することで超並列計算を実行する量子コンピュータであり、その実用化に向けた研究開発が世界的に活発化しています。

さまざまな物理系を用いた研究が進められているなか、シリコン量子ドット中の電子スピンを用いた「シリコンスピン量子コンピュータ」は、制御性が優れることに加えて、既存産業の集積回路技術と相性が良いことから、大規模量子コンピュータの実装に適していると考えられています。

シリコンスピン量子コンピュータの実現に向けて解決すべき課題の一つに、「2量子ビットゲート(2量子ビット間のもつれ操作)」があります。通常、これは2スピン間の交換相互作用[8]を用いて実装されますが、交換相互作用の大きさは半導体母材中の電荷不純物による電気的雑音の影響を受けます。そのため、本来、磁気的雑音の影響しか受けないはずのスピンでも、2スピンの操作には電気的雑音が影響します。また、これまで行われたスピン交換操作の実験では、多くの場合、ヒ化ガリウムを用いた量子ドットが用いられており、ヒ素およびガリウムの持つ核スピンによる磁気的雑音も問題でした。

これらの電気的および磁気的雑音の影響が原因で、これまで誤り耐性量子計算[9]に必要とされる十分に高い精度(99%以上)で、スピンの交換操作(2量子ビットゲートの一つであるSWAPゲート[10]に相当)を行うことは困難でした。

研究手法と成果

研究チームは、シリコン量子ドット中の電子スピンを用いて、高い精度でスピン交換操作を実現しました。量子ドット構造は、シリコンスピン量子コンピュータで一般的に用いられている、シリコン/シリコンゲルマニウム量子井戸[11]基板上に微細加工を施すことで作製しました(図1)。アルミニウム微細ゲート電極に適切な正電圧をかけることにより、量子井戸中に電子を電界誘起し、量子ドットを形成することができます。

本研究で用いたシリコン量子ドット試料の電子顕微鏡写真の図

図1 本研究で用いたシリコン量子ドット試料の電子顕微鏡写真

二つの丸で示したゲート電極(P1およびP2)の直下に、二つの量子ドットを形成できる。1nmは10億分の1メートル。

実験は、P1およびP2ゲート電極の先端直下に形成された二つの量子ドットに電子を一つずつ閉じ込め、それらの電子スピンを操作することで行いました。

スピン交換相互作用を制御する際に問題となる電気的雑音の影響を、次の二つの方法によって低減しました。電気的雑音の影響は、電子の感じる電場(およびその電場によるスピン交換相互作用)の時間的変動として現れますが、この電場の変化に対する応答は、ゲート電圧による電場の変化に対する応答とほぼ同じと見なせます。そこで、まず、試料設計や動作条件を最適化することによって、スピン交換相互作用のゲート電圧に対する感度を小さくすることに成功し、電気的雑音がスピン交換相互作用に与える影響を低減しました。また、スピン交換相互作用を量子ビットの周波数(350MHz程度の高周波)で交流変調(正弦波状に変化)することで、低周波電気的雑音の影響をさらに低減しました。

上記の方法によって、|↑↓>と|↓↑>の二つのスピン状態(前者は左側の量子ドット内の電子スピンが上向き、右側の量子ドット内の電子スピンが下向きの状態を表し、後者はその逆を表す)の間のラビ振動[12]を観測しました(図2)。その結果、理想的なほぼ減衰のない振動が観測されたことから、高い精度でスピン操作が行われたと考えられます。

|↑↓>と|↑↓>の二つのスピン状態の間のラビ振動の測定結果の図

図2 |↑↓>と|↓↑>の二つのスピン状態の間のラビ振動の測定結果

1マイクロ秒は100万分の1秒。黒点は測定結果を示し、緑色の線は正弦関数によるフィッティングを示す。量子ビットの状態が、高周波の印加時間に対してほぼ減衰せずに振動している様子が観測された。観測された振動は、二つのスピンが高周波の印加時間に対して交換を繰り返す様子を表す。グラフの右側は二つの電子スピンの交換を表した模式図である。高周波を印加することで、右上の初期状態|↑↓>(左側のスピンが上向き、右側のスピンが下向き)が、右下の状態|↓↑>(左側のスピンが下向き、右側のスピンが上向き)に変化する。

最後に、スピン操作の精度を検証するため、ランダム化ベンチマーキングと呼ばれる方法を用いた評価を行いました。この評価法では、ランダムなスピン交換操作の回数に対するシーケンス忠実度の指数関数的減衰から、量子ビット操作の精度(忠実度)を測定することができます。今回の測定では、同種のスピン交換操作の報告例の中では世界最高となる99.6%の忠実度が得られました。

スピン交換操作のランダム化ベンチマーキングの図

図3 スピン交換操作のランダム化ベンチマーキング

左:ランダム化ベンチマーキングのシーケンス。電子スピンを|↑↓>状態に初期化した後、ランダムに選択されたクリフォード操作(この実験では、電子スピンのx軸およびy軸周りのπ、±π/2回転(交換操作)を組み合わせて得られるような操作)をm回繰り返す。

右:ランダム化ベンチマーキングの測定結果。シーケンス忠実度は、左図のようなシーケンス後にスピン測定を行ったときの|↑↓>スピン状態の検出確率である。赤い丸点が測定結果で、黒線は指数関数によるフィッティング結果である。1クリフォード操作あたりのシーケンス忠実度の減衰量から、忠実度を評価することができ、本研究では99.6%が得られた。

今後の期待

本研究では、シリコン量子ドット中の2電子スピンの交換操作を99.6%という高い精度で実現し、量子コンピュータ実現における課題の一つであった、高精度の2量子ビットゲートの実装に向けた指針を与えました。

シリコン量子ドット中の電子スピンでは、本研究の結果に加え、既に長い量子情報保持時間、高精度の1スピン操作、スピンの量子非破壊測定など量子コンピュータ実現に向けた基本要素が実証されており、今後の基本原理検証を超えた大規模量子コンピュータの実現に向けた研究開発が期待できます。

補足説明

1.量子ドット
電子を空間的に3次元全ての方向に閉じ込めることで運動を制限し、0次元構造としたもの。その性質から人工原子とも呼ばれ、電子を一つずつ出し入れすることができる。

2.電子スピン
電子が右回りまたは左回りに自転する回転の内部自由度のこと。この回転の向きに応じて、通常上向きまたは下向きの矢印で表される。

3.量子コンピュータ
量子力学における重ね合わせを利用して、超並列計算を実現するコンピュータ。従来のコンピュータでは天文学的な時間のかかる因数分解の問題などを、数時間で解くことができる量子アルゴリズムが開発されており、超高速計算が可能になると考えられている。

4.忠実度
量子ビットの操作がどれだけ理想的な操作に近いかを表す性能指数のこと。100%が完全に理想的な操作を示していて、現実的な量子エラー訂正などを含む量子コンピュータの実現には約99%以上の値が必要になる。

5.量子ビット、2量子ビットゲート
量子ビットは、電子スピンの向きなどに符号化された量子情報の最小単位のこと。通常のデジタル回路では「0もしくは1」の2状態に情報が保持されるのに対し、量子ビットでは「0でありかつ1でもある」状態を任意の割合で組み合わせて表現することができ、これを量子力学的な重ね合わせ状態と呼ぶ。このことを表現するために、通常量子ビットの状態は任意の向きの矢印によって表される。「2量子ビットゲート」は、二つの量子ビットの間に相関のある状態(量子もつれ状態)を作ることのできる量子状態操作のこと。

6.電子スピン量子ビット
電子スピンの上向き(1)および下向き(0)状態を用いて構成される量子ビット。

7.核スピン
原子核の持つスピン内部自由度のこと。電子スピンは典型的な測定温度(100mK以下)と磁場(0.5T程度)では安定した向きを持つが、核スピンは熱によって揺らぐことで近傍の電子スピンに磁気的雑音を及ぼす。

8.交換相互作用
一般的には、二つの電子の軌道が互いに重なり合うときに生じるスピンに関係した相互作用。本研究で用いた量子ドットデバイスでは、二つの電子スピンの向きが相異なるときのみにスピン状態を安定化するように働く。

9.誤り耐性量子計算
量子ビットの操作は一般的に完璧ではなく、一定の確率で誤りが発生する。量子ビットの数が多くなるにつれて、この誤りは蓄積していくため、大規模な量子コンピュータの実現のためには、この誤りを訂正する機能(量子誤り訂正)が必要である。誤りを訂正するために必要な量子ビット操作の精度にはしきい値があり、現状では約99%以上の精度での2量子ビット操作が必要とされている。

10.SWAPゲート
二つの量子ビットに対して、それらの状態が同じときは何も作用せず、相異なる場合は二つの状態を交換するような操作。

11.量子井戸構造
ある方向の電子の運動を束縛した構造のこと。電子は束縛されていない2次元方向にのみ運動が可能。通常数ナノメートル程度の薄膜を異なる材料で挟むことで構成する。

12.ラビ振動
二つの量子力学的な状態に、そのエネルギー分裂に共鳴的に交流変調された外場を印加したときに、それらの間の遷移が周期的に起こる現象。

研究チーム

理化学研究所 創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研究員 武田 健太(たけだ けんた)
特別研究員 野入 亮人(のいり あきと)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
研究員(研究当時) 米田 淳(よねだ じゅん)
研究員 中島 峻(なかじま たかし)

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「スピン量子計算の基盤技術開発(研究代表者:樽茶清悟)」、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)技術領域「量子情報処理(主に量子シミュレータ・量子コンピュータ)(研究総括:伊藤公平)」の研究開発課題「シリコン量子ビットによる量子計算機向け大規模集積回路の実現(研究代表者:森貴洋)JPMXS0118069228」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金若手研究(B)「半導体量子ドットスピン量子ビットにおける高忠実度2量子ビットゲートの実装(研究代表者:武田健太)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

K. Takeda, A. Noiri, J. Yoneda, T. Nakajima, and S. Tarucha, “Resonantly Driven Singlet-Triplet Spin Qubit in Silicon”, Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.124.117701

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研究員 武田 健太(たけだ けんた)
特別研究員 野入 亮人(のいり あきと)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

ad
0403電子応用1601コンピュータ工学1701物理及び化学
ad
ad


Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました