2020-03-10 産業技術総合研究所
発表のポイント
- 「量子液晶」(注1)とは、電子の集団が量子効果によりある方向に揃おうとする状態です。これまでは、一般的な液晶と異なり、その方向が特定の結晶の向きに限られていました。
- 今回、鉄系超伝導体において、電子の集団がどの方向にも揃う新しいタイプの量子液晶状態が実現できることを見出しました。
- この新しい量子液晶状態は、有機分子などの一般的な液晶に近く、電子の集団応答の方向を容易に制御することができます。そのため、物質中の波(量子流)の偏波などの量子技術の開拓へとつながることが今後期待されます。
発表概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科の石田浩祐大学院生、辻井優哉大学院生、水上雄太助教、芝内孝禎教授、産業技術総合研究所電子光技術研究部門の石田茂之主任研究員、伊豫彰上級主任研究員、永崎洋首席研究員、ドイツカールスルーエ工科大学およびアメリカミネソタ大学の共同研究グループは、鉄系超伝導体において新たな量子液晶状態が実現できることを見出しました。この新しい量子液晶状態は、電子の応答の方向をどの方向にも揃えることが可能であり、新たな量子技術の開拓につながることが期待されます。
本研究成果は2020年3月9日の週に、米国科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)」に掲載される予定です。
本研究は科学研究費新学術領域研究(研究領域提案型)「量子液晶の物性科学」(領域代表:芝内孝禎教授)[JP19H05823,JP19H05824]、およびTIA連携プログラム探索推進事業「つくば−柏−本郷 超伝導かけはしプロジェクト」の助成を受けて行われました。
発表内容
研究の背景と経緯
電子間の反発力が強く働く強相関電子系(注2)と呼ばれる物質は、私たちの直観とは反する驚くべき性質を示すことがあります。その中の1つが量子液晶状態と呼ばれる状態です。ディスプレイなどで用いられている一般的な液晶では、棒状の液晶分子が高温側でバラバラの方向を向いていたものが低温である方向に向きが揃います。強相関電子系では電子1つ1つに向きはありませんが、量子力学的な効果によって電子の集団がある温度を境にして特定の方向に配向性を持つことがあり、これは量子液晶状態と呼ばれています。この量子液晶状態はこれまでさまざまな物質で見出され、中には超伝導も示すものもあり量子液晶状態の理解を深めることが重要と考えられていました。
このように物質中の電子による量子液晶状態は、一般的な液晶と「向きを持つ」という点で似ていますが、これまで決定的に異なると考えられていたのがどの向きに揃おうとするかという点です。液晶では分子が平面内の360度どの向きにも揃う可能性がありますが、電子系の量子液晶状態の場合、電子は物質中の結晶格子から影響を受けるため、揃いうる方向に制限があると考えられていました。
研究成果の内容と意義
本研究グループは、鉄系高温超伝導体であるBa1-xRbxFe2As2という物質で、電子の集団が結晶格子の向きに関係なく、どの向きにも揃うことができる新しい量子液晶状態が実現可能であることを発見しました。BaFe2As2(x=0)では低温で量子液晶状態を示すことが以前から知られており、その向きは隣接する2つのFe原子を結ぶ方向です。これは試料を伸び縮みさせた際に電気抵抗がどのくらい変化するかを測定することによって調べることができます。BaFe2As2の結晶構造の場合、量子液晶状態で考えられる向きは隣接する2つのFe原子を結ぶ方向(Fe-Fe方向)か、それと45度異なるFe原子とAs原子を結ぶ方向(Fe-As方向)の2つ可能性があります(図1)。量子液晶状態の向きの方向に試料を伸び縮みさせると、電子の集団がその方向に配向しようとしているために電気抵抗が大きく変化します。BaFe2As2はFe-Fe方向に伸び縮みさせた方がFe-As方向の場合よりも電気抵抗が大きく変化するのに対し、今回の研究でRbFe2As2(x=1)においてはその逆で、Fe-As方向の方が大きいことがわかりました。これはRbFe2As2においては量子液晶状態の向きがBaFe2As2と45度異なり、Fe-As方向であることが新たにわかりました。
本研究グループは、BaFe2As2のBaをRbに一部置換することにより量子液晶状態の向きが変わることに注目し、それらの混晶系であるBa1-xRbxFe2As2を新しく合成して向きの変化を詳しく調べました。その結果、あるBaとRbの比でできた試料ではFe-Fe方向とFe-As方向のどちらの向きにも揃いやすくなっていることから、これは面内のどの方向にも向きが揃おうとする一般的な液晶に非常に似た量子液晶状態であることがわかりました。
今回の結果は、これまで報告されていた量子液晶状態よりもさらに一般的な液晶に似た新しいタイプの量子液晶状態を実現することが可能であることを示すものです。量子液晶状態では、外場により電子状態そのものを変化させることができるため高速かつ巨大な応答が期待されますが、この新しい量子液晶状態はその向きを自由に制御できるため、これを用いて物質中の素励起の流れ(量子波あるいは量子流)の制御が可能になれば、量子情報の伝達方向制御など、新しい量子技術の開拓へつながることが期待されます。
(図1)鉄系超伝導体Ba1-xRbxFe2As2のRb置換量xを変化させた際の電子状態の変化を表した図。黒四角および白四角は超伝導状態へ変化する温度(Tc)を表す。図中の白三角は向きがFe-Fe方向の量子液晶状態が実現する温度(Tnem)、赤三角はFe-As方向の量子液晶状態が実現する温度(Tnem)を表す。図中には対応する量子液晶状態の概念図を示しており、楕円は電子の集団がどの方向に揃いたがっているかを簡単に表している。Rb置換量xが少ない青色の領域ではFe-Fe方向、多い赤色の領域ではFe-As方向であるのに対し、x=0.75付近では向きがある方向に限定されていない、新しい量子液晶状態の兆候が見出された。
発表者
石田 浩祐(東京大学大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 博士課程2年生)
辻井 優哉(東京大学大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 修士課程2年生)
水上 雄太(東京大学大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 助教)
芝内 孝禎(東京大学大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 教授)
石田 茂之(産業技術総合研究所 電子光技術研究部門 超伝導エレクトロニクスグループ 主任研究員)
伊豫 彰(産業技術総合研究所 電子光技術研究部門 超伝導エレクトロニクスグループ 上級主任研究員)
永崎 洋(産業技術総合研究所 電子光技術研究部門 首席研究員)
発表雑誌
雑誌名:「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)」 (オンライン:3月9日の週のLatest Articlesに掲載)
論文タイトル:Novel electronic nematicity in heavily hole-doped iron pnictides superconductors
著者:K. Ishida, M. Tsujii, S. Hosoi, Y. Mizukami, S. Ishida, A. Iyo, H. Eisaki, T. Wolf,
K. Grube, H. v. Loehneysen, R. M. Fernandes, and T. Shibauchi*
用語解説
- (注1)量子液晶状態
- 通常の液晶は、棒状や円盤状の分子でおきる状態ですが、分子の形自体に向きがあり、その向きが揃うことで液晶となります。一方で、物質中の電子に着目すると、電子は古典的には向きを持ちませんが、量子力学的な(スピンや軌道などの)効果により、電子の応答が液晶と類似の性質を示す場合があり、これを「量子液晶」状態と呼ぶことがあります。量子液晶状態では、電子が集団として特定の方向を向きたがる性質を示します。例えば、正方晶と呼ばれる結晶構造では、面内で原子たちは正方形を成すように並んでいます。この場合、この正方形の1辺(x方向)とそれと90度異なるもう1辺(y方向)では同じように原子が並んでいることとなり、x方向とy方向で電子の集団が示す性質も同じことが期待されます。しかしながら、量子液晶状態ではこのx方向とy方向で電気の流れやすさ、すなわち電気抵抗値が大きく異なるという振る舞いを示します。これは原子の並び方からはx方向とy方向で同じ電気の流れやすさを示すはずであるのに対し、電子の集団がどちらかの方向を選んでその方向にのみ電気を流れやすくさせているということになります。このような電子が集団としてある向きを向きたがる性質を示す状態は、液晶の振る舞いと似ていることから、量子液晶状態と呼ばれています。
- (注2)強相関電子系
- 電子はマイナスの電荷を持っており、2つの電子の間には反発力が働きますが、固体の中には無数の電子が存在し、それらが反発し合っているためどのような現象が起こるかは簡単に予想できません。通常のアルミニウムなどの金属ではこれらの反発力は大きくないため、それを無視した理論によってその振る舞いが説明されてきました。しかしながら、遷移金属化合物などでは、この反発力が非常に強く、それを無視した理論では説明がつかない振る舞いが多数見つかっています。このような電子の間に強い相互作用が働く系を強相関電子系と呼び、この系が示す特異な振る舞いをどのように理解すべきかについて盛んに研究がされています。