2022-08-23 北見工業大学,国立極地研究所,海洋研究開発機構,東京大学大学院理学系研究科
近年、世界中で干ばつや熱波などの極端現象による被害が頻繁に報告されるようになりました。南半球のオーストラリア(以下、豪州)では、猛烈な熱波や時にはそれによる山火事などの大きな被害がでており、被害を軽減するために熱波を引き起こす大気循環場の正確な予報が重要となります。本研究チームによるこれまでの成果で、南極圏で実施した特別観測でのラジオゾンデ(注1)による高層気象観測によって豪州に接近する低気圧進路の予報精度が向上することを明らかにしていますが(文献1)、継続的に高頻度で観測データを取得することが課題となっていました。
北見工業大学の佐藤和敏助教、国立極地研究所の猪上淳准教授と冨川喜弘准教授、海洋研究開発機構の山崎哲研究員、東京大学大学院理学系研究科の佐藤薫教授による研究チームは、南極昭和基地大型大気レーダー(PANSYレーダー)(文献2、図1)による上空の水平風速データが、2017年12月に豪州西部に高温をもたらした低気圧の進路予報にどのように影響するのかを調べました。その結果、PANSYレーダー観測データを予報計算に取り込むことで、低気圧の中心の位置や気圧予報の精度が向上することを明らかにしました。PANSYによる観測データを現業の天気予報に組み込むことができるようになれば、さらに天気予報の予報精度を向上させることが期待できます。
これらの成果は、英国王立気象学会の論文誌「Quarterly Journal of the Royal Meteorological Society」のオンライン版に2022年8月23日に掲載されました。
研究の背景
豪州では、近年記録的な熱波が発生しています。時には、熱波が原因で山火事が多発し、人的被害や産業界に大打撃をもたらすだけでなく、多くの野生動物も犠牲になっています。熱波の要因の一つに中緯度の温帯低気圧があります。今回の研究の目的はこの低気圧の予測精度の向上です。熱波を引き起こした低気圧を数日前から正確に予報できれば、熱波による高温などの被害の軽減につながります。精度の良い予報を行うためには、予報計算に用いる初期の大気の状態(初期値)をより正確にすることが有効です。我々のグループでは、特に気象観測の少ない領域での観測を充実させることで初期の大気状態の正確な把握を目指しています(文献1)。気象観測の少ない領域が、中緯度帯に隣接している南極域です。
本研究チームは、南半球では、観測データの少ない高緯度(南極大陸や南大洋)でラジオゾンデによる高層気象観測を実施すると、初期値の不確定性が小さくなり、豪州に接近する低気圧の進路予報の精度が向上することを明らかにしてきました(文献1)。しかし、ラジオゾンデ観測に関する経費(機材費、物品の輸送費、バルーンに使用するヘリウムなど)は世界情勢の影響を受けやすく、近年価格の高騰が続いています。また、環境負荷を軽減するためにも、繰り返し利用が可能な測器による高層気象観測が理想です。
南極の昭和基地には、1045本のアンテナで構成される南極最大の大気レーダーである南極昭和基地大型大気レーダー(PANSYレーダー)が設置されています(図1)。PANSYレーダーは、上空に向けて強力な電波を発射し、大気中で散乱され戻ってきたわずかな電波(反射エコー)を検出することで、大気の動き(風)や電子密度を観測します。PANSYレーダーは、鉛直分解能150m、時間分解能1分と、既存の観測器に比べて桁違いの観測分解能を持っていますが、取得された風速のデータは天気予報に利用されていません。昭和基地周辺では、各国の現業の天気予報でも初期値の不確定性が比較的大きく(図2上)、新たな気象観測データを組み込むことで初期値が改善されることが予想されます。
そこで本研究チームは、PANSYレーダーが2017年12月に高度約1.5kmから約20kmまで取得した水平風速データに着目し、PANSYレーダーの観測データが豪州南方の低気圧の予報に与える影響を調べました。
図1:PANSYレーダー
研究の内容
対象とした事例は、2017年12月17日に豪州西部のユークラで最高気温43度を引きおこした大気循環場(図2下)です。予測実験は、海洋研究開発機構(JAMSTEC)のスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」で行いました。まず、同機構で開発されたデータ同化システム(注2)を用い、PANSY観測データを取り込んだ場合(「PANSY観測あり」)と取り除いた場合(「PANSY観測なし」)のそれぞれについて、(天気)予報実験に必要な初期の大気状態を作成しました。次に、大気大循環モデル(注3)で、得られた2種類の初期場を用い、2017年12月12日12時をそれぞれ初期時刻とした4.5日間のアンサンブル予報(注4)を行いました。
図2:(上)現業の予報センターにおいて予報計算に用いる初期の大気の状態(初期値)で生じる不確定性(色)。昭和基地周辺は初期値の不確定性が比較的大きい。四角は南極大陸でラジオゾンデ観測が実施されている観測所の位置(青:1日1回、黒:1日2回、灰色:不定期)。赤点は昭和基地(ラジオゾンデ観測1日2回)の位置。黒線は2017年12月17日の地表気圧で、黒点は豪州西部に接近した低気圧の中心位置。(下)上図の橙線で囲まれた領域の拡大図。地表気圧(黒線)と250hPa面(高度10000m付近)の高度場(色)。黒線は低気圧発生から予報時刻までの経路。この時刻には豪州西部の南側に位置していた。四角点はこの日に高温を記録したユークラの位置。
これらの予報実験の結果を比較することで、PANSYのデータが予報に組み込まれた場合に、ユークラで最高気温43度を引き起こした低気圧の予報精度が向上するのかを調べることができます。その結果、「PANSY観測あり」の場合、低気圧の位置に影響する上空の気圧の谷(トラフ)の位置が比較的正確に予報できるため、「PANSY観測なし」よりも低気圧の位置が約200km実際に近い予報結果が得られました(図3)。また、アンサンブル予報での低気圧の中心位置のばらつきは「PANSY観測あり」の方が小さくなりました。さらに、「PANSY観測あり」の場合の方が低気圧の中心気圧の予報が約5hPa改善されることがわかりました(図3下)。これらの低気圧の予報精度の違いを引き起こす「PANSY観測あり」と「PANSY観測なし」の不確実性の差(特別観測の影響)は、初期時刻に昭和基地周辺で生じ、予報時間中に増幅しながら偏西風の影響を受けて東に伝播し、予報4.5日目に豪州西部へ到達していました(図4)。これらの結果から、南極圏で既存の観測器であるPANSYレーダーのデータを天気予報に利用することで、昭和基地周辺の初期値の不確定性が小さくなり、風下に位置する豪州西部の4.5日後の天気予報の予報精度が改善することが示されました。
図3:PANSY観測あり予報(上左)とPANSY観測なし予報(上右)それぞれの上空250hPaの高度場(色)と地表面気圧(線)。黒線と黒点は実際の低気圧の経路と2017年12月17日の実施の中心位置。赤と青の細い線は複数回実施した予報(アンサンブル予報)で得られた低気圧の経路。赤と青線は、アンサンブル予報の平均した経路。小さい赤と青点はアンサンブル予報で得られた低気圧の中心位置、大きい赤と青点はアンサンブル予報を平均した中心位置。PAMSY観測あり予報では、PANSY観測なしに比べて黒線に近いメンバーが多く、ばらつきが小さい。(下)PANSY観測あり予報(赤)とPANSY観測なし予報(青)それぞれの2017年12月17日の実際の低気圧に対する中心位置と中心気圧の誤差。
図4:「PANSY観測あり」と「PANSY観測なし」予報での高度250hPa面の高度場に対する予報誤差の差(色)。予報初期時刻に昭和基地周辺にあった観測の有無が原因となる予報誤差が、予報時間中に増幅しながらトラフとともに東進し(黒点)、2017年12月17日に豪州西部に到達(赤三角)して低気圧の予報に影響していた。
今後の展望
本研究やこれまでの知見から、南極圏で高層気象観測を実施することが、トラフの予報精度の向上を通じて南半球で発生する低気圧の予報の精度を向上させるために有効であることが分かってきました。特に、本研究では、環境負荷の低い繰り返し利用可能な気象観測器により天気予報の精度向上の可能性が示されました。PANSYのデータは高度1500m以下では得られないため、大気下層に対しては繰り返し利用可能な無人航空機を使用した高精度の気象観測データ(文献3)の活用も期待されます。
本研究では、夏期間にPANSYで取得されたデータの影響に着目しましたが、冬季は南極大陸上で実施されているラジオゾンデ観測の頻度は大きく低下し、さらに偏西風が夏季より強まることから、PANSY観測の影響がより強くより広範囲に伝播することが予想されます。今後の研究では、夏季以外の季節でPANSYレーダーが天気予報に与える影響を調査するとともに、現業の天気予報に組み込む手法を模索する予定です。
図5:本研究の概略図
研究サポート
本研究は、南極地域観測事業(JARE)重点研究観測、科学研究費助成事業 若手研究(22K14103、19K14802)、科学研究費助成事業 新学術領域研究(研究領域提案型)(20H04963、18H05053)、科学研究費助成事業 基盤研究A(22H00169)、情報・システム研究機構2022年度公募型共同研究「ROIS-DS-JOINT」(017RP2022)の助成を受けて実施されました。
注
注1:ラジオゾンデ観測
センサーをバルーンに取り付け、気温や風などの気象要素の鉛直分布を観測する。対流圏上層(高度約10km)を超えて成層圏まで観測が可能。世界の約800カ所で1日2回(場所によっては1回)の頻度で実施され、そのデータはGTS(Global Telecommunication System)を介してリアルタイムに通報され、各国の気象予報センターが利用できる形式となっている。
注2: データ同化
数値シミュレーションモデルに観測データを融合させる手法のこと。大気モデル等で数値シミュレーションを行う際に、初期値として実際の観測データをデータ同化により取り入れることでより精度の高い大気状態の再現性(初期値)が得られ、より精度の高い予測が可能になる。JAMSTECは独自のアンサンブルデータ同化システムと予報モデルの両方を有しており、大気大循環モデルAFES(Atmospheric general circulation model for the Earth Simulator)と同化コードLETKF(局所変換アンサンブルカルマンフィルター: Local Ensemble Transform Kalman Filter)をJAMSTECのスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」上で実行し、全球大気再解析データセット「ALERA2」を作成している。
http://www.jamstec.go.jp/alera/alera2.html
注3:大気大循環モデル
流体力学や熱力学の方程式を基に、大気の温度・湿度や流れの変化を計算するためのプログラム。大気大循環モデルを用いて数日から経年スケールの大気現象をシミュレートし、メカニズムや予測可能性を調査する。
注4:アンサンブル予報
似ているがわずかに異なる初期値を複数個作成し、それぞれの初期値から予報を行う手法。不確実性の情報を加味した天気予報が可能となる。
文献
文献1:
国立極地研究所プレスリリース「南極海での船上気象観測で豪州の低気圧予報を改善 〜豪州の観測船と日本のデータ同化による南極予測可能性研究のさきがけ〜」(2018年10月23日)
文献2:
国立極地研究所プレスリリース「南極最大の大気レーダー「PANSYレーダー」が可能にする南極大気の精密研究」(2015年4月10日)
文献3:
国立極地研究所プレスリリース「安価なドローンで高精度気象観測を実現~極域の持続可能な観測網の構築へ向けて~」(2022年1月24日)
発表論文
掲載誌:Quarterly Journal of the Royal Meteorological Society
タイトル:Reduced error and uncertainty in analysis and forecasting in the Southern Hemisphere through assimilation of PANSY radar observations from Syowa Station: a mid-latitude extreme cyclone case
著者:
佐藤 和敏(北見工業大学 工学部 助教/海洋研究開発機構 アプリケーションラボ 外来研究員)
猪上 淳(国立極地研究所 気水圏研究グループ 准教授/総合研究大学院大学 複合科学研究科 極域科学専攻 併任准教授/海洋研究開発機構 アプリケーションラボ 外来研究員)
山崎 哲(海洋研究開発機構 アプリケーションラボ 研究員)
冨川 喜弘(国立極地研究所 宙空圏研究グループ 准教授/総合研究大学院大学 複合科学研究科 極域科学専攻 併任准教授/データサイエンス共同利用基盤施設 極域環境データサイエンスセンター 准教授)
佐藤 薫(東京大学 大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 教授)
URL:https://doi.org/10.1002/qj.4347
DOI:10.1002/qj.4347
論文出版日:2022年8月23日(オンライン公開)
お問い合わせ先
(研究内容について)
北見工業大学 助教 佐藤和敏
国立極地研究所 国際北極環境研究センター 准教授 猪上淳
(報道について)
北見工業大学 企画総務課広報戦略係
国立極地研究所 広報室
東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室