ヘリウム3原子核の磁石の強さ~NMRやMRIの飛躍的な高精度化を実現する磁場プローブ~

ad

2022-06-13 理化学研究所

理化学研究所(理研)開拓研究本部Ulmer基本的対称性研究室のステファン・ウルマー主任研究員らの国際共同研究グループは、ヘリウム4(4He、陽子数2、中性子数2)の安定同位体であるヘリウム3(3He、陽子数2、中性子数1)原子核の磁気モーメント[1](磁石の強さ)を超高精度で決定することに初めて成功しました。

本研究成果は、3Heの原子核構造(電荷分布、磁化分布)など基礎物理的な視点から重要であるだけでなく、基礎科学、工学、医学など広い分野で重要な分析法である核磁気共鳴(NMR)法[2]や磁気共鳴画像(MRI)法[3]の高度化(化学シフト[4]測定の高精度化)を実現し、これらの方法の汎用性や有用性を飛躍的に広げると期待できます。

今回、国際共同研究グループはペニングトラップ[5]を用いて、極低温に冷却した3Heの1価の陽イオンである3He+の磁場ゼロにおける超微細準位[6]を100億分の1の精度で直接測定しました。この結果と3He+の束縛状態について、国際共同研究グループで進めた精密理論計算とを比較することにより、3He原子核(3He2+)の磁気モーメントを従来よりも10倍高い精度で決定することに成功しました。これにより、磁場プローブ[7]3He原子核を用いれば、NMR法やMRI法が10倍高精度化することが明らかになりました。

本研究は、科学雑誌『Nature』(2022年6月8日付)に掲載されました。

背景

核磁気共鳴(NMR)法や磁気共鳴画像(MRI)法は、基礎科学、工学、医学など広い分野でなくてはならない分析技術です。NMR法やMRI法における分析を高精度化するためには、加える磁場の絶対強度を高精度で決定する必要があります。従来の磁場プローブには、水に含まれる陽子の磁気モーメント(磁石の強さ)、あるいは水との比較で得られたヘリウム3(3He、陽子数2、中性子数1)原子核の磁気モーメントが利用されていました。3Heはヘリウム4(4He、陽子数2、中性子数2)の安定同位体です。しかし、水に含まれる陽子の磁気モーメントは化学組成、温度、化学環境に影響される遮蔽効果、プローブ形状などの環境要因に依存するため、磁場の絶対強度の精度は1億分の1程度に限られていました。

本研究では、3Heの1価の陽イオン(3He+)のゼロ磁場超微細構造を直接測定することで、3He原子核(3He2+)の磁気モーメントを超高精度で決定することを試みました。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、3He+の磁気モーメントを超高精度で決定するために、荷電粒子を閉じ込めることができる「ペニングトラップ」という装置を用いました(図1)。ペニングトラップを極低温まで冷やし、超高真空を実現することで、ペニングトラップに3He+を安定に捕獲できます。捕獲中の3He+の軸方向運動により、ペニングトラップの電極にはフェムトアンペア(fA、1fAは1000兆分の1アンペア)程度の微弱な電流が生じます。その電流を独自に開発した高感度検出器で測定することで、3He+の磁気モーメントを測りました。

ヘリウム3原子核の磁石の強さ~NMRやMRIの飛躍的な高精度化を実現する磁場プローブ~

図1 3He+の超微細構造測定のためのペニングトラップの模式図

左側の分析トラップは、中央の電極を強磁性体で作っている。こうすることで、3He+の超微細状態によって3He+の軸方向の振動数がわずかに変化し、その変化量から超微細状態を特定できる。右側の高精度トラップは一様磁場中にあり、ここに捕獲した3He+に右側からマイクロ波を照射することで超微細遷移を誘起する。


本実験では、2個の3He+をペニングトラップ中に捕獲しました。1個目の3He+のサイクロトロン周波数[8]を測って磁場強度を決め、もう1個の3He+にマイクロ波[9]を照射することで、超微細遷移を誘起しました。3He+は、3Heの原子核(3He2+)と電子1個から成ります。3He+の磁気モーメントは、3He原子核と電子の磁気モーメントの向きの組み合わせで決まり、磁場中の3He+のエネルギー準位(超微細準位)は四つのエネルギー準位に分かれます(図2)。この四つの準位間の遷移周波数に相当するマイクロ波を照射すると、3He+を一つの準位から別の準位に遷移させることができます。磁場の強さをサイクロトロン周波数から精密に決めていますので、理論計算の結果と比較することにより、磁場ゼロにおける3He+の超微細準位を100億分の1の精度で決めることに成功しました。

3He+の超微細準位の磁場強度依存性の図

図2 3He+の超微細準位の磁場強度依存性

3He+の超微細準位は、3He原子核の磁気モーメントと電子の磁気モーメント(図中のmjとmI)が磁場に対してそれぞれどちらを向いているかの組み合わせによって、四つのエネルギー準位を持つ。これらのエネルギー準位は、磁場の強さによって図のように変化する。縦の破線は、今回使った磁場の強さを示す。


一定の磁場における超微細準位を調べることにより、3He+の磁気モーメント、磁場ゼロでの超微細準位、束縛電子のg因子[10]の値が分かりました。そして精密理論計算により、3He原子核(3He2+)の磁気モーメントを従来よりも10倍高い精度で決定することに成功しました。

今後の期待

本研究では、3He原子核の磁気モーメントを精密に求めることによって、3He原子核を従来よりも10倍高精度の磁場プローブとすることに成功しました。3He原子核は水中の陽子と比べて、磁気モーメントの温度依存性は100分の1、プローブ形状依存性は1,000分の1、反磁性補正は10分の1と極めて優れた特性を持っています。従って、NMR法やMRI法で重要な測定量である化学シフトをより正確に決定することができ、これらの方法の汎用性や有用性を飛躍的に広げると期待できます。

さらに本研究成果は、例えば、基礎物理分野で大きな話題となっているミューオンg-2実験[11]の高精度化や、本国際共同研究グループで進めている反陽子[12]と陽子を用いたCPT対称性[13]研究の高度化にも貢献すると期待できます。

補足説明

1.磁気モーメント
ミクロな粒子がスピンを持つと、それは小さな磁石になる。その磁石の強さを磁気モーメントと呼ぶ。古典的には、電荷を持つ粒子が円周運動をするときに磁気モーメントを持つ。原子核を構成する陽子、中性子は自分自身の自転に加えて、ある周回軌道を公転する運動をしていると見なせるので、原子核全体としてはこれらの運動全ての総和としての磁気モーメントを持つ。

2.核磁気共鳴(NMR)法
強い磁場中に置かれた原子核に電磁波を照射すると、核スピンの共鳴現象により、原子核の性質や周囲の環境に応じた周波数(共鳴周波数)の電磁波の吸収や放出が起こるが、その電磁波を捉えることで、物質の分子構造の解析や物性の解析を行う手法。NMRはNuclear Magnetic Resonanceの略。

3.磁気共鳴画像(MRI)法
核磁気共鳴の現象を利用して得る、生体などの空間的な情報を含む画像取得法。MRIはMagnetic Resonance Imagingの略。

4.化学シフト
NMR法では、同じ原子核でも原子核が置かれた磁場環境の違いによって、共鳴周波数がわずかに異なる。この周波数の違いは化学シフトと呼ばれ、化学シフトを測定することで、物質の構造を決定することができる。

5.ペニングトラップ
荷電粒子を捕獲する装置で、磁場と電場から構成される。荷電粒子は磁場のまわりに巻きついて運動するため、磁場と垂直方向には大きくは動けなくなる。そこで、磁場の向きに、最低三つの電極からなる電場をかけると、磁場方向にも動けなくなり、荷電粒子を3次元的に捕獲できるようになる。このような荷電粒子の捕獲装置をペニングトラップと呼ぶ。荷電粒子の質量や磁気モーメントの超高精度測定にも力を発揮する。

6.超微細準位
原子に束縛されている電子の磁気モーメントと原子核の磁気モーメントの相互作用で生じるエネルギー準位。

7.磁場プローブ
外部磁場の強さを測定する素子。水中の陽子やヘリウム3(3He)原子核はその例。

8.サイクロトロン周波数
磁場中にある荷電粒子は磁場と垂直面内で円運動をし、これをサイクロトロン運動と呼ぶ。この運動の単位時間あたりの回転数は、粒子の電荷と磁場の積に比例し、質量に反比例する。これをサイクロトロン周波数という。

9.マイクロ波
光子の振動がなす電磁波の一種。光子の波長が400~700nmのものを可視光線、800nm付近を赤外線、そして数cmのものをマイクロ波と呼ぶ。

10.g因子
粒子の磁気モーメントとその粒子の全角運動量の比に比例する無次元量。

11.ミューオンg-2実験
これまでの実験から、ミューオン(ミュー粒子)のg因子の測定値が、理論値とわずかに異なる可能性のあることが示唆されている。これが事実だとすると、まだ発見されていない素粒子や物理法則の存在といった新しい物理学につながるとして、大きな注目を集めている。このミューオンg-2実験をより精度良く進めるために、今回開発された3He原子核の磁場プローブは重要な役割を果たすと期待される。

12.反陽子
粒子と同じ性質を持つが、電荷と磁気モーメントの符号が反対の粒子を反粒子という。例えば、負の電荷を持つ電子の反粒子は正の電荷を持つ陽電子であり、正の電荷を持つ陽子の反粒子は負の電荷を持つ「反陽子」である。

13.CPT対称性
物理学において最も基本的と考えられている対称性。荷電共役変換(C)、空間反転変換(P)、時間反転変換(T)の三つの変換を同時に行うことを意味する。陽子と反陽子の振る舞いに違いが見つかれば、CPT対称性が破れていることになり、基礎物理理論の抜本的な書き換えが必要になる。

国際共同研究グループ

理化学研究所 開拓研究本部 Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)

マックスプランク研究所
ディレクター クラウス・ブラウム(Klaus Blaum)
研究員 アンドレアス・ムーサ―(Andreas Mooser)

マインツ大学
教授 ヨッヘン・ヴァルツ(Jochen Walz)

研究支援

本研究は、Max Planck-RIKEN-PTB-Center for Time, Constants, and Fundamental Symmetries(理研側代表:Stefan Ulmer, Max Planck側代表:K. Blaum、PTB代表:Joachim Ullrich)、European Research Council(No.832848)による支援を受けて行われました。

原論文情報

A. Schneider, B. Sikora, M. Mueller, N.S. Orenshkina, A. Rischka, I. A. Valuev, S. Ulmer, J. Walz, Z. Harman, C. H. Keitel, A. Mooser, and K. Blaum, “Direct Measurement of the 3He+ magnetic moments”, Nature, 10.1038/s41586-022-04761-7

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

1700応用理学一般
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました