2022-05-12 東京大学
1.発表者:
有沢 洋希(東北大学 金属材料研究所 博士課程3年)
小野 崇人(東北大学 大学院工学研究科 教授)
Hang Shim(研究当時:東北大学 大学院工学研究科 博士課程学生)
齊藤 英治(東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授/東北大学 材料科学高等研究所 主任研究者)
2.発表のポイント:
◆電子の自転運動であるスピン(注1)の流れ(スピン流)を磁性体に注入することで磁性体の体積を変調可能であることを実証した。
◆スピン流由来の体積変化が磁性体中のスピンのゆらぎの変化に起因していることを明らかにした。
◆電子素子の省電力制御技術として期待されるスピン流が、力学素子制御技術としても応用できる可能性を示した。
3.発表概要:
東北大学金属材料研究所の有沢 洋希 大学院生(研究当時:東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻特別研究学生)と、東京大学大学院工学系研究科の齊藤 英治 教授(東北大学材料科学高等研究所主任研究者兼任)らを中心とする研究グループは、東北大学大学院工学研究科の小野 崇人 教授、Hang Shim大学院生(研究当時)らと共同で、スピン流を用いて強磁性体の体積を変調できることを実証しました。
電子の自転運動であるスピンの流れをスピン流と呼びます。スピン流は電荷の流れである電流と対比され、電流では不可能だった省電力情報処理を実現する可能性があることから、スピントロニクス分野(注2)において次世代の電子素子制御技術として期待されています。本研究では、スピン流により強磁性体中のスピンゆらぎを制御し、強磁性体の体積が変化することを見出しました。これは近年微小化が進む精密機器において課題となる、熱による部品変形をスピン流で制御できることを示唆しており、新たな材料開発を推進する可能性があります。
本研究成果は、2022年5月11日(英国夏時間)に英国科学雑誌「Nature Communications」のオンライン版に掲載されました。
4.発表内容:
【研究の背景】
物質を加熱すると原子の熱の“ゆらぎ”が増大し、熱膨張します。強磁性体においては、この熱膨張に加え、スピンの“ゆらぎ”(スピンゆらぎ)の温度変化や磁場変化に応じて体積膨張/体積収縮することが知られています。これを磁気体積効果と呼びます(図1)。磁気体積効果を用いると、熱膨張を相殺し、熱変形しにくい物質を作ることができます。熱変形が小さい物質は精密機械部品や力学素子の材料として応用上重要なことから、磁気体積効果に起因するスピンゆらぎと体積変化の結びつきは古くから盛んに研究されてきました。
一方で、スピンゆらぎを制御する新手法として、電子のスピンの流れであるスピン流があります。スピン流を磁性体に注入することで、スピンゆらぎを直接変化させられることがわかっています。つまり、スピンゆらぎが体積と結びつくという磁気体積効果の知見に基づけば、スピン流によるスピンゆらぎ制御によって磁性体の体積を変調できるはずです。そこで本研究ではスピン流による体積変調効果(スピン流体積効果)の実証に取り組みました。
【研究内容】
本研究では、スピン流体積効果の実証のためにTb0.3Dy0.7Fe2という強磁性体に注目しました。Tb0.3Dy0.7Fe2はスピン状態の変化に由来する大きな弾性変形を示すことが知られているため、スピン流注入に応じた体積変化の測定試料として適しています。
実験では、Pt薄膜にTb0.3Dy0.7Fe2薄膜を成膜した試料を用いました。Pt中のスピンホール効果(注3)を用いてスピン流をTb0.3Dy0.7Fe2に注入し、その時のTb0.3Dy0.7Fe2の膜厚変化を測定しました(図2a)。その結果、Ptからのスピン流注入に応じてTb0.3Dy0.7Fe2薄膜の膜厚が変化することがわかりました(図2b 青線)。さらに、Pt薄膜をW薄膜に変えてスピンホール効果による注入スピンを逆向きにすると、Pt/Tb0.3Dy0.7Fe2試料とは逆符号の膜厚変化を示すことが明らかになりました(図2b 緑線)。さらに、系統的な磁場強度/磁場角度依存性の測定結果がスピン流注入に基づく理論計算により説明されることを示しました。
【今後の展望】
本研究により、温度/磁場変化だけでなくスピン流によっても磁性体の体積が制御可能であることが明らかになりました。これにより、微小化が進む精密機器部品において、スピントロニクス分野の知見を用いた新たな材料開発や、力学素子作製・制御への応用可能性が示されました。
【研究支援】
本研究成果は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO 齊藤スピン量子整流プロジェクト(JPMJER1402)、科学研究費補助金基盤S(JP19H05600)などの一環で得られました。
5.発表雑誌:
雑誌名:「Nature Communications」(オンライン版:5月11日)
論文タイトル:Observation of spin-current striction in a magnet
著者:Hiroki Arisawa*, Hang Shim, Shunsuke Daimon, Takashi Kikkawa, Yasuyuki Oikawa, Saburo Takahashi, Takahito Ono, and Eiji Saitoh
DOI番号:10.1038/s41467-022-30115-y
アブストラクトURL:https://doi.org/10.1038/s41467-022-30115-y
6.用語解説:
注1)スピン
電子が持つ自転のような性質。スピンには上向きと下向きという2つの状態がある。電子スピンの向きが全て同じ方向に揃うと、物質は磁石の性質を示す。
注2)スピントロニクス分野
電子のスピンを利用して動作する全く新しい電子素子(トランジスタやダイオードなど)を研究開発する分野のこと。
注3)スピンホール効果
電流と垂直な方向にスピン流が生成される現象。電子のスピンと軌道の相互作用により、上向きスピンを持った電子と下向きスピンを持った電子が互いに逆方向に散乱されることによって生じる。
7.添付資料:
図1:磁気体積効果とスピン流体積効果の模式図
a, 磁気体積効果の模式図。温度変化や磁場変化に応じたスピンゆらぎの変化によって強磁性体の体積が変化する。b, スピン流体積効果の模式図。スピン流によるスピンゆらぎの変化によって強磁性体の体積が変化する。
図2:スピン流体積効果測定の模式図およびスピン流注入に対するTb0.3Dy0.7Fe2の力学応答測定結果
a, スピン流体積効果測定の模式図。Pt中のスピンホール効果を用いてスピン流をTb0.3Dy0.7Fe2薄膜に注入し、その時のTb0.3Dy0.7Fe2薄膜の膜厚変化を測定した。b, スピン流注入に対するTb0.3Dy0.7Fe2薄膜の力学応答測定結果。青色(緑色)実線がPt中(W中)のスピンホール効果を用いてスピン流注入を行った場合の結果である。