単一分子による共鳴ラマン散乱の可視化に成功 ~究極の化学分析手法の確立に向けた大きな一歩~

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2020-02-17    理化学研究所,北海道大学

理化学研究所(理研)開拓研究本部Kim表面界面科学研究室のラファエル・ハクルビア基礎科学特別研究員、今田裕研究員、早澤紀彦専任研究員、金有洙主任研究員、北海道大学量子化学研究室の岩佐豪助教、武次徹也教授らの共同研究チームは、単一分子による共鳴ラマン散乱[1]の可視化に成功し、その解析から、化学分析手法として重要な選択則[2]を見いだしました。

本研究成果は、近接場光[3]の分子によるラマン散乱過程やそれを用いたラマン分光法[1]に関してある明快な理解を与える結果です。これによって、触媒反応に代表される固体表面上における化学反応の解明などに重要な、単一分子の化学感度[4]と分子・原子スケールの空間分解能[5]とを両立する化学分析手法の確立に貢献すると期待できます。

ラマン分光法[1]は、分子の種類を識別する化学分析手法として広く用いられています。近年、近接場光というナノスケールの光を用いて、単一分子の化学感度と分子・原子スケールの空間分解能が実現されたことから、研究開発が世界的に活発化しています。しかしこれまでの研究では、単一分子によるラマン散乱過程の詳細が分かっておらず、化学分析手法として確立されるために必要な選択則が解明されていませんでした。

今回、共同研究チームは、独自に開発した光の照射と検出が可能な走査トンネル顕微鏡(STM)[6]装置(光STM)を用いて、単一分子からの共鳴ラマン散乱を詳細に調べました。シグナル強度が従来よりも大きく向上した結果、単一分子のラマン分光マッピング(ラマン散乱の可視化)に成功しました。さらに、理論的考察により、共鳴ラマン散乱の発生を支配している選択則を記述することにも成功しました。

本研究は、科学雑誌『Nature Nanotechnology』のオンライン版(1月20日付:日本時間1月21日)に掲載されました。

光STMを用いた単一分子による共鳴ラマン散乱の測定と結果の図

光STMを用いた単一分子による共鳴ラマン散乱の測定と結果

背景

光学顕微鏡を用いると、光を使ったさまざまな分光手法で物質の性質を詳しく調べることが可能です。しかし空間を伝播する光は、その回折限界のために、波長の半分程度(可視光の場合で数100ナノメートル[nm、1nmは10億分の1メートル])の領域にしか集光できません。したがって、数100nmよりも小さい物質の観察と性質の同時測定は光学的技術では困難とされています。

「ラマン分光法」は、分子の種類を識別する化学分析手法として広く用いられており、近年、近接場光というナノスケールの光を用いた手法の研究開発が世界的に活発化しています。しかしこれまでの研究では、単一分子によるラマン散乱過程の詳細が分かっておらず、化学分析手法として確立されるために必要な選択則が解明されていませんでした。

金主任研究員らは、ナノスケールの空間分解能を持つ走査トンネル顕微鏡(STM)に光学技術(光照射・検出)を組み合わせた装置(光STM)を独自に開発し、近年、さまざまな現象を単一分子レベルで観測しています注1-4)。今回、共同研究チームは、ラマン散乱過程を単一分子レベルで詳細に調べることにしました。

注1)2016年10月4日プレスリリース「分子間エネルギー移動の単分子レベル計測に成功

注2)2017年7月5日プレスリリース「新原理に基づく単一分子発光・吸収分光を実現

注3)2019年3月1日プレスリリース「単一分子電界発光の機構解明

注4)2019年6月6日プレスリリース「有機ELの新たな発光機構を発見

研究手法と成果

共同研究チームは、独自に開発した光STM装置を用いて、単一分子のラマン分光測定を行いました。本研究では、ラマン散乱のシグナル強度を強くする「共鳴ラマン散乱」の効果に注目するために、波長可変レーザーを用いて実験を行いました。試料には、レーザーの波長可変領域内に強い吸収を示す銅ナフタロシアニン分子を用いました。

まず、STMの探針を測定する分子の中心から2nm程度の距離に置いた状態で、外部からレーザー光を照射し、ラマン散乱スペクトルを測定しました(図1)。入射光のエネルギーと分子の吸収エネルギーが一致する、つまり照射するレーザーの波長と分子に固有の吸収波長が一致する場合に、非常に強いラマン散乱シグナルが検出されたことから、共鳴ラマン散乱の効果が単一分子で実証されました。

光STMを用いた単一分子の共鳴ラマン散乱の測定の図

図1 光STMを用いた単一分子の共鳴ラマン散乱の測定

外部から照射する波長可変レーザーによってSTM探針直下に局在する近接場光を励起し、単一分子の共鳴ラマン散乱を測定した。試料には銅ナフタロシアニンを用いた。金属基板上に絶縁体薄膜を成長させ、その上に試料分子を蒸着することで、分子と金属基板の直接の相互作用を弱めることができ、分子に固有の共鳴を用いた共鳴ラマン散乱測定が可能になった。

次に、STM探針の位置を変えながら共鳴ラマン散乱スペクトルを測定し、シグナルの探針位置依存性(ラマン分光マッピング)を調べました(図2)。検出された15の共鳴ラマン散乱スペクトルのピークに対してその強度を画像化したところ、特徴的な三つのパターンに分類され、それぞれのパターンが試料の分子振動の空間対称性と1対1で対応していることを見いだしました。この結果は、共鳴ラマン散乱が生じる条件が分子振動の対称性によって異なっており、対称性によって決まるある法則に基づいて共鳴ラマン散乱が生じていることを示唆しています。

共鳴ラマン散乱スペクトルとラマン分光マッピングの図

図2 共鳴ラマン散乱スペクトルとラマン分光マッピング

STM探針の位置を分子の周りで変えながら、各点において共鳴ラマン散乱スペクトルの測定を行った。ラマンスペクトルに見られる各ピーク(左上の赤矢印)における共鳴ラマン散乱を可視化(右側のパネル)することで、分布パターンによる分類ができ、空間対称性に基づく議論によって選択則の解明に至った。マップのサイズは一辺4nm程度である。分子モデル中の赤矢印は、各分子振動モードでどのように原子が動くかを示している。

最後に、ラマン分光マップの理論的考察によって、近接場光を使った共鳴ラマン散乱過程の発生を支配している選択則を明らかにしました。具体的には、近接場を介したラマン散乱過程が生じるためには、近接場光の電場によって分子内に双極子[7]が誘起されるだけでは十分ではなく、その誘起双極子が光を放出する過程においても近接場光の電場に結合する必要があることを見いだしました。そのため、ラマン分光マップに現れる明暗の分布は、STM探針の位置と分子振動の空間対称性によっては、誘起双極子の向きが局在電場に対して直交してしまうために、ラマン散乱が抑制されると解釈するとよく説明することができます(図3)。

このような基礎的な知見の獲得は、近年盛んに研究が進められている近接場光を使ったラマン分光法が、単一分子の化学感度と分子・原子スケールの空間分解能を両立する究極の化学分析法として確立・普及されるための大きな一歩と言えます。

近接場光を使った共鳴ラマン散乱の選択則の図

図3 近接場光を使った共鳴ラマン散乱の選択則

近接場光によって分子内に誘起される双極子が散乱光を放射するためには、放射過程においても近接場光の電場に結合する必要がある(許容)。誘起双極子(赤矢印)が近接場光の電場(黒矢印)と直交する場合には、散乱光は抑制される(禁制)。

今後の期待

本研究では、原子レベルで構造の決まった試料を用いた高精度の実験に基づき、近接場光の分子によるラマン散乱過程やそれを用いたラマン分光法に関してある明快な理解を与えることができました。今回、単一分子共鳴ラマン分光に成功した場である金属表面や酸化物などの絶縁体薄膜に覆われた金属表面は、触媒反応など化学反応の場としても重要です。単一分子レベルでの化学分析が発展すれば、どこでどのように化学反応が進行するのかをより詳しく理解することが可能になり、今まで未解明だった問題の解決や新しい現象の発見につながると期待できます。

補足説明

1.共鳴ラマン散乱、ラマン分光法
物質に光が入射され散乱される際に、入射光と異なる色(エネルギー)の光となり放出される光学過程を「ラマン散乱」という。入射光からのエネルギー変化が物質固有の性質を反映するため、「ラマン分光法」として物質の識別などに広く用いられている。ラマン散乱過程のうち、物質の吸収エネルギーと入射光のエネルギーが一致するときにラマン散乱強度が強くなる現象が「共鳴ラマン散乱」である。

2.選択則
ある種の光学過程が生じる(許容される)条件、あるいは生じない(禁じられる)条件を選択則という。選択則が確立されていると、実験結果をルールに従って理解することが可能になる。そのため、ある現象を測定手法として用いるには、その現象の選択則を記述することが非常に重要である。

3.近接場光
金属微細構造の電子の振動に伴って、金属微細構造のごく近傍(ナノスケールの近さ)には強い電磁場が生じる。この電磁場は近接場光や伝播しない光と呼ばれ、空間的には伝播せず局在しているものの、振動する電磁場であるという点では伝播する光と似た性質を持つ。本研究では、先端の尖ったSTM探針と平らな金属基板の間の隙間に局在している近接場光を、分子からのラマン散乱を誘起するナノスケールの光源として利用した。

4.化学感度
測定対象の化学種を同定する感度のこと。感度が低いと、数多くの分子が測定に必要になり、測定結果はそれらの分子の平均的な性質を反映する。

5.空間分解能
分解能とは、どのくらい細かくものを”見る”ことができるかの目安。分解能が小さな値では細かく(分解能が高く)、大きな値では粗く(分解能が低く)なる。空間分解能が高いほど、物体をより精細に観測できる。

6.走査トンネル顕微鏡(STM)
先端を尖がらせた金属針(探針)を測定表面に極限に近づけたときに電流が流れるトンネル現象を測定原理として用いる装置。試料表面をなぞるように走査して、その表面の形状を原子レベルの空間分解能で観測する。探針と試料間に流れる電流をトンネル電流と呼び、トンネル電流を検出し、その電流値を探針と試料間の距離に変換させ画像化する。STMはScanning Tunneling Microscopeの略。

7.双極子
正電荷と負電荷の空間的な偏りのこと。ラマン散乱過程は、光が分子に照射されることによって分子内に双極子が誘起され、その誘起双極子が光を放出する過程であると考えられている。

共同研究チーム

理化学研究所 開拓研究本部 Kim表面界面科学研究室
基礎科学特別研究員 ラファエル・ハクルビア(Rafael B. Jaculbia)
研究員 今田 裕(いまだ ひろし)
(JST さきがけ研究員兼任)
客員研究員 三輪 邦之(みわ くにゆき)
(ノースウェスタン大学 博士研究員)
研修生(研究当時) ボー・ヤン(Bo Yang)
研究員 數間 惠弥子(かずま えみこ)
専任研究員 早澤 紀彦(はやざわ のりひこ)
主任研究員 金 有洙(きむ ゆうす)

北海道大学大学院 理学研究院 量子化学研究室
博士後期課程 2年 竹中 将斗(たけなか まさと)
助教 岩佐 豪(いわさ たけし)
教授 武次 徹也(たけつぐ てつや)

研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金 基盤研究A「THz-可視STM発光分光を用いた単一分子におけるエネルギー散逸過程の研究(研究代表者:金有洙)」、同基盤研究B「1光子検出かつ1分子感度を有する先端増強近接場分光法の開発(研究代表者:早澤紀彦)」、同若手研究A「単一分子STMフォトルミネッセンス法の開発及びエネルギーダイナミクスの解明と制御(研究代表者:今田裕)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「共鳴吸収と熱ゆらぎの協奏による固体基板上に吸着した分子の光マニピュレーション(研究代表者:今田裕)」、同挑戦的研究(萌芽)「スピン偏極STM発光分光法の開発及び二次元半導体におけるスピン-光変換の解明(研究代表者:今田裕)」、同若手研究「Development of time resolved STM-THz-TDS system for studying the ultrafast carrier dynamics of graphene(研究代表者:Rafael B. Jaculbia)」、同若手研究B「表面吸着単一分子系の電気伝導特性・発光特性に現れる電子相関効果の定量解析(研究代表者:三輪邦之)」、同若手研究B「多重極相互作用を取り込んだ近接場光励起のための第一原理分子動力学法の構築(研究代表者:岩佐豪)」、同特別研究員奨励費「分子・プラズモンの発光過程における『多体量子ダイナミクス』の理論領域の開拓(研究代表者:三輪邦之)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

Rafael B. Jaculbia, Hiroshi Imada, Kuniyuki Miwa, Takeshi Iwasa, Masato Takenaka, Bo Yang, Emiko Kazuma, Norihiko Hayazawa, Tetsuya Taketsugu & Yousoo Kim, “Single-molecule resonance Raman effect in a plasmonic nanocavity”, Nature Nanotechnology, 10.1038/s41565-019-0614-8

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 Kim表面界面科学研究室
基礎科学特別研究員 Rafael B. Jaculbia(ラファエル・ハクルビア)
研究員 今田 裕(いまだ ひろし)
専任研究員 早澤 紀彦(はやざわ のりひこ)
主任研究員 金 有洙(きむ ゆうす)

北海道大学大学院 理学研究院 量子化学研究室
助教 岩佐 豪(いわさ たけし)
教授 武次 徹也(たけつぐ てつや)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

北海道大学総務企画部広報課広報・渉外担当

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