表面波の安定性のメカニズム解明が、情報機器の省エネ・高機能化に新たな道を拓く
2019-05-29 日本原子力研究開発機構
【発表のポイント】
- 磁気の波には、磁石の内部を伝わる波と表面を伝わる波があります。表面波は内部波より長い距離を安定して伝わります。これは古くから知られていましたが、なぜ安定して伝わるかは解明されていませんでした。
- 本研究では、磁気の波を数式として表した上で、トポロジーによる分類手法を用いて、表面波が安定に伝わる仕組みを世界で初めて解明しました。
- 本成果は、表面波を情報処理へ応用できる可能性を拓くもので、電気回路に依存しないより省エネ・高機能な情報機器の開発につながることが期待されます。
- 本成果は、2019年5月29日付の米国物理学会誌「Physical Review Letters」に掲載される予定です。
磁石の表面波と内部波の概念図
表面波は内部波より安定して長く伝わる。
そのメカニズムをトポロジーにより解明した。
トポロジーによる磁石の表面波と内部波の分類
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄、略称・原子力機構)先端基礎研究センター スピン-エネルギー変換材料科学研究グループ 山本 慧任期付研究員(文科省卓越研究員制度)、東京大学工学部の齊藤 英治教授らの研究グループは、磁石を伝わる磁気の波をトポロジー1)を用いて分類し、表面波が持つ安定性2)を説明することに世界で初めて成功しました。
現在、情報機器では主に電流を用いて電気信号を伝えることで計算や情報の記録を行なっていますが、代わりに磁気の波が運ぶ磁気信号を用いることで省エネルギー化・高機能化を実現できる可能性があり、世界中で盛んに研究されています。
磁石は極めて小さな棒状の磁石(磁気モーメント)の集まりで、磁気モーメントが細かく動くことで磁気の波が伝わります。磁石表面を伝搬する磁気表面波は内部を伝わるものと比較して伝搬距離が大幅に長いことは古くから知られていましたが、なぜ長距離を安定して伝わるのかはこれまで「謎」とされていました。
本研究ではまず、磁気の波をトポロジーの応用に適した形の数式として表しました。これをもとに、表面波を持たない磁石を表す数式と表面波を持つ磁石の数式をトポロジーによって区別することに成功しました。表面波を持つかどうかがトポロジーにより区別できると、標準的な数学の定理を用いて様々な性質を明らかにできます。例えば表面波は内部波と混じり合うことがありません。このため表面波が障害物や外からの刺激によって乱されても内部に拡散していくことはできず、安定して表面に沿って伝わり続けることができます。
本研究は、さまざまな磁性を持つ物質に応用できます。表面波は安定性以外にも一方通行性など内部波にはないユニークな性質があり、それらは例えば情報機器への応用に向いています。より情報処理に適した表面波を持つ物質を探索する研究が続けられていますが、その物質を選ぶ際に本成果を判断基準とすることが可能になります。
磁気の波は電子よりもゆっくりと動くため、情報処理に用いた場合電気回路よりも発熱を抑えることができ、省エネルギー化につながります。また磁気の波の振幅はさまざまな方向があるため3)、一定の方向が通常の電気信号よりも一度に多くの情報を伝えることができる可能性があり、今後の情報伝送技術の発展に貢献することが期待されます。
本成果は、2019年5月29日付の米国物理学会誌「Physical Review Letters」のオンライン版に掲載されました。
【研究の背景と目的】
コンピュータの中には無数の微小な電子回路が組み込まれており、そこを流れる電流が情報処理に必要な電気信号を運んでいます。電流は高い信頼性で高速に情報を伝える事ができますが、流れるたびに必ず熱を発生してエネルギーを無駄にしてしまうのが欠点です。そこで近年、より発熱が小さく効率の良い情報伝達の方法として、磁石を伝わる磁気の波を利用することが物質科学の分野で注目されています。
磁石は極めて小さな棒磁石(磁気モーメント、物理学では矢印で表す)が集まってできており(図1)、各磁気モーメントは独自に運動することができます。このミクロな磁気モーメントの運動が磁石全体を伝わることで磁気の波が生じます。磁気モーメントの運動は多くの場合電流を担う電子の運動よりも大変ゆっくりであるため、伝播する際に発生する熱を非常に小さくできる可能性があります。また流れる強さにしか信号を乗せることができない電流に対し、磁気の波はその強さ以外に偏極方向3)も区別できるため、一つの信号回路により多くの情報を乗せることができます。
磁気の波には様々な種類があるのですが、これまでに知られているもので最も安定して長距離を伝搬するのは磁石表面を伝わる表面波です(図2)。
図1:磁石のミクロな構造
図2:磁気の表面波と一方通行性
物質の内部を伝わる波と比較して、表面波は磁石表面の凹凸や外から加えた振動、光などによって撹乱されても簡単には散乱されてしまうことなく、表面の形状に沿って遠くまで伝わります2)。また磁石のN極について右回りの方向にしか伝わることができないという一方通行性を持ちます。これらの特別な性質によって表面波は内部波より制御が容易であるため、磁気の波を情報機器に応用するための研究の大部分はこの表面波を対象にして行われてきました。にもかかわらず、表面波がなぜ内部波にはない様々な性質を備えているかは理解されていませんでした。この疑問を解決して、磁気表面波の応用に向けた学術的基礎を作ることが今回の研究の目的でした。
【研究の手法】
研究グループは、表面波の安定性2)が位相数学(トポロジー)と密接に関連している、という物質科学における最新の知見に着目しました。トポロジーとは、数式を「互いにつながっているかどうか」に基づいて分類するための数学的ツールです1)。このトポロジーを磁気の波に応用することが今回の研究成果につながりました。
トポロジーと安定な表面波の関係は、例えば次のように考えることができます。まず表面波が存在する物質としない物質をそれぞれ数式を用いて表します(図3(a))。物質を数式で表すことで、トポロジーを用いてそれら2つの数式がつながるかどうかにより、表面波を持つ物質と持たない物質とを分類することができます(図3(b))。
図3:磁気の波のトポロジーによる分類
もし表面波を持つ物質と持たない物質がトポロジーに基づく分類により区別できる場合、表面波を表す数式は内部波を表す数式に連続につながることができません。この数学的関係に対応して、表面波を持つ物質に多少の加工を加えたり外から刺激を与えたりしても、表面波と内部波が混ざった状態を実現することはできません。結果として表面波は内部波にエネルギーを渡すことがなくなり、長い距離を表面に沿ったまま安定に伝わります。一方2つの数式が同じ分類に属して区別できない場合、そのような表面波は内部波と混じり合うため容易に内部に拡散してしまい、安定して表面を伝わることはありません。
図4:トポロジーによる磁石の表面波・内部波の分類と表面波の安定性
このトポロジーと表面波の関係性は、1980年頃から30年くらいの間に、量子力学における電子の波を対象として明らかにされました。しかしトポロジーにも波の概念にも、電子だけではなく幅広い物理現象に適応できる一般性と普遍性があります。研究グループは電子に対して作り上げられた理論を磁気の波に応用することを試みました。その際に鍵となったのは、磁気の波をどのように数式として表すかでした。電子の波と磁気の波は性質が全く異なるため、それぞれに対応する数式の構造も大きく異なります。磁気の波の数学的な構造を正しく理解することで、トポロジーを適用することが可能になりました。
【研究の成果】
磁気の表面波が存在する物質としない物質は、適切な数式で表したときに、トポロジーによって区別できることを世界で初めて明らかにしました。これによって、トポロジーの定理から表面波が内部波と混じり合うことなく存在できることや一方通行性を持つことがわかりました。また磁気の波に対して確立した理論を一般化して、今回の対象とは異なる種類の磁気の波、音あるいは光など、他の波に対してもトポロジーを適用できる可能性を提示しました。
【今後への期待】
今回の研究成果によって、磁気の表面波が内部を伝わる波にはない特殊な性質を持つ理由が明らかになりました。現在知られている磁気の表面波は、内部波と混じり合わないために制御性が高いものの、波長が長いため装置を小型化するのには向かないなどの欠点もあり、より応用に適した表面波の探索が求められています。研究グループにより提示された新理論は今後の新しい表面波開拓に向けた指針となるもので、この分野の研究を加速させることが期待されます。
例えば、磁石に微細な加工を施すことでそこを伝わる磁気の波の性質を変えることでより応用に適した表面波を作り出す研究が進められています。どのような加工が安定で小型化も可能な表面波につながるかを知るために私たちの理論が用いられます。より優れた磁気の表面波が今後発見されれば、省エネルギーの磁気情報機器実現に大きく貢献することになるでしょう。
書籍情報
雑誌名:Physical Review Letters
タイトル:Topological Characterization of Classical Waves: The Topological Origin of Magnetostatic Surface Spin Waves
著者:Kei Yamamoto1,2, Guo Chuan Thiang3, Philipp Pirro4, Kyoung-Whan Kim2,5, Karin Everschor-Sitte2 and Eiji Saitoh6,7,1
所属:1 日本原子力研究開発機構, 2 Johannes Gutenberg-Universität Mainz, 3 University of Adelaide, 4 Technische Universität Kaiserslautern, 5 Korea Institute of Science and Technology, 6 東京大学, 7 東北大学
この研究は、科研費研究活動スタート支援(18H05855, 19K21040)及び文部科学省卓越研究員事業の支援を受けて行われました。
【用語解説】
1)トポロジー
トポロジーはある数式と別の数式を「互いにつながっているかどうか」を基準に区別するためのツールです。例えばトポロジーを2次元曲面に応用すると(図4)、球面を表す数式とドーナツの表面を表す数式を連続につなげることはできません。これは球面を少しだけ変形することを繰り返すだけではそこに穴を開けることはできないからです。一方ドーナツと取っ手付きのコップを表す数式はつながっています。この応用例では、トポロジーによる数式の分類が2次元曲面の穴の数による分類に対応しているのです。本研究ではこの分類法を磁気の波を表す数式に適用しました。
図4:トポロジーによる2次元曲面の分類
2)表面波の安定性
ここで議論している安定性とは、「波がどの程度頻繁に散乱されてエネルギーや運動量を失うか」です。散乱とは、波が何らかの障害物にぶつかって別の方向に進む波と混ざり合う現象を言います。磁気の波が遠くまで伝わることを阻む主な要因は、磁石の結晶および表面の不均一性、または音波や電磁波など外部から与えられた他の波による散乱です。トポロジーにより区別される表面波は、これらの散乱によって内部波と混ざってしまうことが極端に起こりにくくなるため、安定に方向を変えずに伝わることができます。
図5:数値シミュレーションによる表面波(左)と内部波(右)の比較(P. Pirro博士による)
図5はP. Pirro博士らによる磁気の波が障害物(defect)によって散乱される様子のシミュレーションです。上から下に向かって時間が進んでいて、波源(source)の左側だけに障害物があります。左側3枚は表面波、右側3枚が内部波です。内部波は障害物によって逆方向に進む波と混ざって一部はね返されているのに対し、表面波はほぼ影響を受けていないことがわかります。
3)偏極方向
磁気の波は、それが伝わる磁石のN極に垂直な方向にだけ振幅を持っています。この振幅が一定の方向を持つ性質を偏極と呼びます。そのためN極の方向を変えるとそれに従って磁気の波の偏極方向が変わり、信号として区別することができます。この例は実は応用には向いていませんが、ミクロな構造がより複雑な磁石では波も多様な偏極パターンを持っており、情報処理技術への応用可能性があります。