2019-10-05 理化学研究所,東京大学,科学技術振興機構
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの上田健人研修生(東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 博士課程2年)、松尾貞茂基礎科学特別研究員、樽茶清悟グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授(研究当時))らの研究チームは、並列に配置された2本の半導体ナノ細線上にジョセフソン接合[1]を形成し、超伝導[2]体中のクーパー対[3]を構成する二つの電子を2本のナノ細線へ、高効率で弾道的[4]に分離することに成功しました。
本研究成果は、量子情報処理技術[5]の基盤となる量子もつれ状態[6]を二つの1次元電子系に形成し、それを制御してマヨラナ粒子[7]などの新しい量子物性を発現させ、また固体中での量子もつれ状態の物理を解明するための重要な基盤技術を提供します。
超伝導体中のクーパー対は、「非局所的[8]」な性質である量子もつれ状態を持つため、二つの電子を分離できれば、量子情報処理の高速性が期待されます。しかし、これまでクーパー対を分離するには、電子の閉じ込め構造である量子ドット[9]を用いる方法しかなく、分離した電子の持つ量子もつれ状態に関する研究は停滞していました。
今回、研究チームは、並列に配置した半導体ナノ細線インジウムヒ素(InAs)に超伝導体アルミニウムを接合したジョセフソン接合デバイスを作製しました。接合間を流れる超伝導電流を測定した結果、量子もつれ状態にあるクーパー対が2本のナノ細線中へと効率良く分離する現象を発見しました。
本研究は、科学雑誌『Science Advances』の掲載に先立ち、オンライン版(10月4日付け:日本時間10月5日)に掲載されます。
図 本研究で発見された弾道的なクーパー対分離の模式図
背景
量子もつれ状態にある二つの粒子は、空間的に離れていても、片方の粒子の測定結果が瞬時にもう一方の粒子の状態に影響します。このような「非局所的」な性質を持つ粒子相関を制御・検出することが、量子情報を長距離に伝播させ、またネットワーク化する技術の基盤となります。
量子もつれ状態は、超伝導体中のクーパー対を構成する二つの電子の間に存在しています。このクーパー対を空間的に分離し、量子もつれ状態にある二つの電子を個々に操作できれば、固体中ではよく分かっていない「非局所性」の量子相関の物理を解き明かすことができます。また、二つの異なる伝導体の間に量子的な相関を形成することにより、新原理の量子情報素子の誕生が期待されます。
しかし、これまでクーパー対の分離には、電子を閉じ込める構造である量子ドットを2個使う方法が用いられており、電子を個々に伝搬させたり、操作したりすることはできませんでした。この量子ドットを1次元の細線に置き換え、さらに電子を弾道的に伝搬させることができれば、電子回路の自由度が高くなり量子もつれ状態の多彩な量子力学実験が可能になると期待されます。
加えて近年、高効率で弾道的なクーパー対分離により2本の細線の間に量子的な相関が形成された際には、従来になく安定なマヨラナ粒子が生成されることが理論提案されました注1)。マヨラナ粒子には、互いに入れ替えると元の状態とは異なる状態に変化するという特殊な性質があり、トポロジカル量子計算に応用できると考えられています。
以上のことから、2本の細線での高効率で弾道的なクーパー対分離の実現が期待されていました。
注1)Jelena Klinovaja and Daniel Loss, “Time-reversal invariant parafermions in interacting Rashba nanowires” Phys. Rev. B 90, 045118 (2014)
研究手法と成果
研究チームは、シリコン(Si)基板上に、北京大学でHongqi Xu教授らのグループが作製した高移動度[10]の半導体ナノ細線インジウムヒ素(InAs)を撒き、並列になっている2本のナノ細線を見つけて、その両端に超伝導体のアルミニウム電極を取り付けました。そして酸化アルミニウム薄膜を堆積させ、その上に2本のナノ細線の電子密度を独立に制御するためのゲート電極を取り付けたジョセフソン接合デバイスを作製しました(図1)。
図1 素子の電子顕微鏡写真
基板上に近接して並んだ2本の半導体ナノ細線(InAs)に、超伝導体アルミニウム(水色の領域)が接合されている。二つのゲート電極(オレンジの領域)に電圧を加えることで、それぞれのナノ細線の電気伝導度を独立に制御できる。
まず、二つのゲート電極を用いて、2本のナノ細線の電子密度を独立に変化させながら電気伝導度を測定しました。その結果、それぞれのナノ細線の電気伝導度が量子化[11]することを確認しました。これは、両方のナノ細線中に量子ドットがなく、弾道的に電子が輸送されていることを意味しています。
次に、極低温において超伝導電流のゲート電圧依存性を測定しました。超伝導電流は、クーパー対がアルミニウム電極間を流れることにより運ばれます。ゲート電圧を変化させることで、超伝導電流を2本のナノ細線の両方に流したり、1本ずつに流したりすることができます。測定の結果、両方のナノ細線に流れる場合の超伝導電流の大きさは、片側のナノ細線のみをそれぞれ流れる場合の超伝導電流の和よりも大きくなることを発見しました。片側のナノ細線のみを流れる場合の超伝導電流では、クーパー対を形成する二つの電子は片側のナノ細線だけを流れます。したがって、両方のナノ細線を流れる場合の超伝導電流の増加分は、クーパー対を形成する二つの電子が空間的に分離して、それぞれ異なるナノ細線に運ばれるものがあることを示しています。
また、観測された超伝導電流の値から、クーパー対分離が起こる効率を評価しました。すると、ナノ細線の電子密度が小さいほどクーパー対分離の効率が大きくなり、両方のナノ細線を流れる超伝導電流に占めるクーパー対分離の割合が大きくなることが分かりました。この電子密度の変化とクーパー対分離の効率の依存性は、理論研究で示されている振る舞いと定性的に一致しており、分離効率が1次元電子系の電子間相互作用により増大することが分かりました。従来の量子ドットでは、量子ドットの静電エネルギーによりクーパー対分離が高効率になることから、今回の結果はこれまでとは異なる新しい機構により発現していると考えられます。
さらに、クーパー対分離による超伝導電流の磁場依存性を測定しました。その結果、アルミニウムが超伝導性を失う臨界磁場[12]のほぼ半分の磁場の値で、クーパー対分離成分が消失することが分かりました(図2)。これは、クーパー対分離を用いて形成された2本のナノ細線間の非局所な相関が局所成分とは異なる物性を持つことを示しています。
図2 クーパー対分離成分の磁場依存性
磁場を加えた際の超伝導電流の変化を示す。紫色の三角点は、両方のナノ細線を流れる超伝導電流である。桃色の丸点は、片側のナノ細線のみをそれぞれ流れる超伝導電流の和である。薄紫色の領域が、クーパー対分離により運ばれる超伝導電流(クーパー対分離成分)である。アルミニウムが超伝導性を失う臨界磁場は約160mTであり、そのほぼ半分の磁場(約80mT)で、クーパー対分離成分が消失することが分かる。
今後の期待
本研究では、2本のナノ細線を用いて、高効率で弾道的にクーパー対が分離される機構を発見しました。また、この分離効率が1次元電子の相互作用により著しく増大することも明らかにしました。これらの結果は、クーパー対分離の物理を従来の0次元電子系である量子ドットから、ナノ細線の1次元電子系へと拡張するものです。今後、分離効率のさらなる増加や、1次元電子回路中での量子もつれ状態の制御という新技術の誕生が期待できます。
さらに、これをもとにして、クーパー対分離を用いた新たな量子現象を発現するデバイスの実現や、固体中での量子もつれ状態が持つ基礎物性の解明が期待できます。
特に、マヨラナ粒子は、周囲の環境の変化によって発生するエラーに耐性のあるトポロジカル量子計算[13]の構成要素です。これまでの先行研究で利用されている、単一ナノ細線の超伝導接合に強磁場を印加してマヨラナ粒子を生成する手法では、強磁場により超伝導性が鈍化するため、安定性に問題が生じてマヨラナ粒子特有の性質の観測が困難になると指摘されています。しかし、本研究で用いた2本のInAsナノ細線の超伝導接合素子では、高効率クーパー対分離によってナノ細線間に十分な量子もつれ状態が形成された際に、安定な「マヨラナ粒子」が発現することが予想されます。したがって、今回の発見は将来のトポロジカル量子計算の道を開く重要な成果といえます。
補足説明
1.ジョセフソン接合
二つの超伝導体の間に、非常に薄い絶縁体もしくは常伝導体を挟んだ接合のことで、クーパー対のトンネル効果により超伝導電流が生じる。
2.超伝導
ある温度を境として電気抵抗がゼロになる状態。この状態ではエネルギーの消費がなく、電流が永久に流れる。超伝導体状態では、二つの電子がクーパー対を形成する。
3.クーパー対
超伝導状態では電子同士がフォノンを媒介して互いに引き寄せあう結果、スピンが逆向きで運動量がゼロの電子対が生じる。これをクーパー対という。
4.弾道的
電子が物質中の不純物などにぶつからず、したがって散乱せずに伝導する状態のこと。
5.量子情報処理技術
量子状態を用いて情報を取り扱う技術のことであり、古典状態では実現できない情報処理が可能となる。
6.量子もつれ状態
複数の粒子の間に生じた量子力学的な相関のこと。量子もつれ状態であるクーパー対は、片方の電子の状態を測定すると、もう片方の電子の状態が同時に決まる性質を持つ。
7.マヨラナ粒子
粒子それ自身が反粒子としても振る舞う特性をもち、電気的に中性である。二つのマヨラナ粒子を入れ替えると元の状態とは異なる状態に変化するという特殊な性質を持ち、トポロジカル量子計算に応用できると考えられている。
8.非局所的
量子もつれ状態にある二つの粒子が、空間的に離れていること。
9.量子ドット
電子をナノメートルサイズの3次元の微小空間に閉じ込めることで運動を制御し、0次元としたもの。離散化したエネルギー状態を作り出すことができる。
10.移動度
固体の物質中での電子の移動のしやすさを示す量。
11.電気伝導度が量子化
電子が弾道的に伝導するとき、試料の電気伝導度は電子一つの伝導度を示す値(e2/h)の整数倍で表される。
12.臨界磁場
超伝導体がその超伝導性を消失する磁場の値のこと。
13.トポロジカル量子計算
マヨラナ粒子を例とする非可換性を持つ粒子の交換によって行われる計算。環境からの影響を受けない安定的な量子計算として期待されている。
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金 基盤研究B「強いスピン軌道相互作用を持つ1次元電子系の物性解明と超伝導接合への展開(研究代表者:松尾貞茂)」、同 若手研究A「ナノ細線を介した超伝導輸送現象と電子構造の相関(研究代表者:松尾貞茂)」、同 基盤研究S「非可換エニオンの電気的光学的制御、量子対の空間制御による新規固体電子物性の研究(研究代表者:樽茶清悟)」、同 基盤研究A「半導体ナノ構造における人工トポロジカル相の創成(研究代表者:ロス=ダニエル)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業個人型研究(さきがけ)「並列二重ナノ細線と超伝導体の接合を用いた無磁場でのマヨラナ粒子の実現(研究者:松尾貞茂)による支援を受けて行われました。
原論文情報
Kento Ueda, Sadashige Matsuo, Hiroshi Kamata, Shoji Baba, Yosuke Sato, Yusuke Takeshige, Kan Li, Sören Jeppesen, Lars Samuelson, Hongqi Xu, and Seigo Tarucha, “Dominant non-local superconducting proximity effect due to electron-electron interaction in a ballistic double nanowire”, Science Advances
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研修生 上田 健人(うえだ けんと) (東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 博士課程2年)
基礎科学特別研究員 松尾 貞茂(まつお さだしげ)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学大学院工学系研究科 広報室
科学技術振興機構 広報課
JST事業に関すること
中村 幹(なかむら つよし)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ