近年の草地の激減は地質学的時間スケールで大きな出来事
2019-05-29 森林研究・整備機構 森林総合研究所,京都大学,龍谷大学,北海道大学
ポイント
- 日本では最近100年間で草地が90%以上消失した結果、多くの草地性生物が絶滅の危機に直面
- 全国的な遺伝子解析の結果、日本人になじみの深い草地性植物4種は過去10万年間にわたって国内で個体数を安定的に維持してきたことが示された
- 近年の草地と草地性生物の減少は、千年~万年を単位とする地質学的時間スケールでも大きな出来事
概要
国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所は、京都大学、北海道立総合研究機構森林研究本部、農研機構西日本農業研究センター、龍谷大学、京都府立大学、北海道大学、オーストラリア国立大学と共同で、過去10万年間にわたる日本の草地の歴史を植物の遺伝子解析により推測しました。
温暖多雨な日本は国土の約7割が森林に覆われています。最近100年間で森林の面積は大きく変わっていませんが、草地*1は90%以上が消失し、草地に依存した多くの生物が減少しました。国内各地に残存する草地も今まさに減少を続けています。それでは、森林の国における草地や草地に依存した生物の減少は、どのような意味を持つのでしょうか?
センブリ、カワラナデシコ、オミナエシ、ワレモコウは数十年前まで、どこでも身近に見られた、日本の秋を彩る草地性植物でした。私たちは全国各地に残された草地を訪問してこれらの種の葉を収集し、次世代シーケンサー*2を用いた遺伝子解析を行いました。その結果、これらの種は過去10万年間にわたって、個体数を数百年前の0.5~2.0倍の範囲で維持してきたことが明らかになりました。この結果は、最近100年間に起きた草地と草地性生物の国内での激減は、千年~万年を単位とする地質学的な時間スケールで見て大きな出来事であることを示しています。
林業や野焼きなどの人による自然の攪乱は、温暖多雨な日本で草地を維持するのに貢献してきました。こうした人間活動によって維持されてきた草地は、最終氷期*3以降も草地性生物を維持してきたと考えられます。本研究の結果は、人類が環境の改変や維持に果たしてきた役割、特に林業や農業が草地を維持してきた役割の歴史的な重要性を示しています。
本研究成果は、2019年5月29日に Biology Letters 誌でオンライン公開されます。
背景
100年前まで、草地は堆肥や牛馬の飼料、屋根の材料を生産する重要な場所として、日本の国土の10%以上を占めていました。しかし、近代化によって草地はこのような役割を失い、人工林に転換、あるいは管理が放棄されて天然林に遷移した結果、現在では草地は国土の1%を占めるに過ぎません。その結果、草地に依存する多くの生物が絶滅の危機に瀕しています。それでは、このような草地とその生物多様性の減少は、千年~万年を単位とする地質学的な時間スケールでは、どのような意味を持つでしょうか?
日本の草地の歴史に関して、国土の17%を覆う「黒色土」が注目されてきました。黒色土は草本植生が長期間繁茂した環境下で発達するとされることから、黒色土が日本国内に広く分布するという事実は、草地が広域的かつ継続的に維持されてきたことを示すと考えられます。一方で、植生の変遷を調べる際に用いられる花粉分析からは、日本で継続的に草地が維持されたという確固たる証拠は見つかっておらず、両者の間には大きな隔たりがありました。また、黒色土は草地に確実に由来するという統一的な結論は得られておらず、花粉分析は花粉が分解されにくい湿潤環境の堆積物に限定されます。このため、黒色土の分布と花粉分析、いずれも乾燥した草地の歴史の再構築には限界がありました。
内容
そこで本研究では、日本人になじみが深く、かつてはごく一般的に分布していた草地性植物4種(センブリ、カワラナデシコ、オミナエシ、ワレモコウ:図1左)の遺伝子解析により、草地の歴史を探ることにしました。具体的には、これらの種の葉を、全国に残存する25カ所の草地から収集しました(図1右)。葉から抽出した遺伝子を次世代シーケンサーで分析して大量の塩基配列を得ました。この塩基配列情報を集団遺伝学的手法で解析することにより、それぞれの草地における各種の個体数(集団サイズ)の過去の変遷を推測しました。
その結果、種によって違いがあるものの、集団サイズの変遷を数十万年から数百年前までさかのぼって推測することができました。そして、対象とした4種の集団サイズは、過去10万年間にわたって数百年前の0.5~2.0倍の範囲で維持されてきたことが明らかになりました(図2)。この結果は、国内の草地が地質学的な時間スケールで安定的に維持されてきたことを示します。このため、最近100年間に起きた草地の激減は、地質学的にみて大きな出来事であると考えられます。
図1. (左)草地に特化した4種の対象草本植物。(a) センブリ、(b) カワラナデシコ、(c) オミナエシ、(d) ワレモコウ。(右)野焼きによって維持されている代表的な草地(奈良県・曽爾高原)。
図2. 遺伝子解析によって推測された草地性植物4種の集団サイズの変遷。
それぞれの種について10カ所の草地で調査を行ない、集団サイズの変化を推測しました。横軸は現在からの時間(右から左にかけて、過去から現在の集団サイズの変化を示します)、縦軸は数百年前の集団サイズに対する、過去の集団サイズの比率を示します。10カ所の平均的な変遷を灰色の太線で、その95%信用区間を灰色の区域で示しています。
センブリ以外で、集団サイズは100万年前から10万年前にかけて増加し、その後カワラナデシコの集団サイズは変化せず、オミナエシとワレモコウの集団サイズは1万年前にかけて減少しています。センブリは10万年前から1万年前にかけて増加してその後集団サイズは維持されていると推定されました。灰色の区域で示した10集団の95%信用区間から、過去10万年間、4種の集団サイズは0.5~2.0倍の範囲で維持されてきたことが分かります。
今後の展開
林業や野焼きなどの人による自然の攪乱は、温暖多雨な日本で草地を維持するのに貢献してきました。そのため、黒色土が発達するほど長期的に草地が維持されるには、1万年以上前から継続的に人の手が自然に加えられる必要があったと指摘されてきました。本研究の結果はこの仮説を支持するものです。100年前まで人為的に維持されてきた草地は、最終氷期に広がっていた疎林や草地で繁栄し、その後の温暖化・湿潤化によって生息場所が失われたために減少するはずだった草地性生物の逃避地になったと考えられます。
人類によって地球環境は近年大きく劣化しており、地球は新たな地質時代―人新世―に入ったと指摘されています。一方で、本研究で明らかになった日本の草地の長い歴史は、人類が地球環境の改変や維持に果たしてきた役割、特に林業や農業が草地や草地性生物を維持してきた役割の歴史的な重要性を示しています。
論文
タイトル:Genomic reconstruction of 100,000-year grassland history in a forested country: population dynamics of specialist forbs(森林の国における過去10万年の草地の歴史の遺伝的再構築:生息地に特化した草本植物の集団動態)
著者:山浦悠一(森林総合研究所)、成田あゆ(北海道立総合研究機構森林研究本部)、楠本良延(農研機構西日本農業研究センター)、永野惇(龍谷大学)、手塚あゆみ(龍谷大学)、岡本透(森林総合研究所)、高原光(京都府立大学)、中村太士(北海道大学)、井鷺裕司(京都大学)、David Lindenmayer(オーストラリア国立大学)
掲載誌:Biology Letters(英国王立協会)
(URL)https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsbl.2018.0577
研究費:文部科学省科学研究費補助金「26292074、16KK0176、18H03407」、環境研究総合推進費4-1605
共同研究機関
京都大学、北海道立総合研究機構森林研究本部、農研機構西日本農業研究センター、龍谷大学、京都府立大学、北海道大学、オーストラリア国立大学
用語解説
*1草地
ここで草地とは「半自然草地」のことで、施肥や播種などを強度に行わずに人の手が加わることで維持されている草地を指します。
*2次世代シーケンサー
DNAの塩基配列を高速で解読できる装置。2000年代に開発され、遺伝子研究に変革を引き起こしています。本研究では次世代シーケンサーを用い、各種でおよそ1億塩基対の配列を解読しました。大量の遺伝子情報を利用することで、精度の高い遺伝解析が可能です。
*3最終氷期
おおよそ1万年前まで続いた、もっとも最近の氷期。現在よりも気温が最大7度低く、乾燥した気候も相まって、高標高域や北海道などの北方域では森林が発達せず、疎林や草地が広がったとされています。
お問い合わせ先
研究推進責任者:
森林総合研究所 研究ディレクター 尾崎 研一
研究担当者:
森林総合研究所 四国支所森林生態系変動研究グループ 主任研究員 山浦 悠一
京都大学 大学院農学研究科 教授 井鷺 裕司
龍谷大学 農学部植物生命科学科 准教授 永野 惇
北海道大学 大学院農学研究院 教授 中村 太士
広報担当者:
森林総合研究所 広報普及科広報係
京都大学 総務部 広報課 国際広報室
龍谷大学 学長室(広報)
北海道大学 総務企画部 広報課
所属課室:企画部広報普及科