標的範囲を拡張したゲノム編集酵素によるイネ遺伝子の塩基置換技術
このたび、愛媛大学大学院 農学研究科の賀屋秀隆 准教授(元 農研機構 特別研究員)、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の土岐精一 ユニット長らのグループは、イネの遺伝子を標的としてアデニン (A) からグアニン (G)への塩基置換を可能とする技術について、標的範囲を拡張できる新たな技術を開発しました。
ゲノム編集ツールであるCRISPR/Cas9を利用する際DNA配列上にPAMとよばれる特定配列の制限があります。最も広く利用されているStreptococcus pyogenes由来のSpCas9のPAM配列はNGG(Nは任意の塩基、Gはグアニン)で、最も小さく、昨年、この制限をNGへと低減させた新しいタイプのSpCas9-NGが報告されました。一方、通常のゲノム編集では、塩基の欠失・挿入による遺伝子破壊がほとんどで、遺伝子の機能を制御できる塩基置換の頻度は非常に低く、起こっても置換パターンがランダムでした。最近、狙った位置にある A(アデニン)をG(グアニン)に置換できる技術が開発され、今回、この2つの技術を融合させることで、イネのゲノム編集において、PAMによる制限の少ないSpCas9-NGv1によりAをGに塩基置換できることを明らかにしました。
この技術をさらに検証し、イネ以外の植物、例えば愛媛県の最重要作物であるカンキツでも適応可能であることを検証したいと考えています。
この研究成果は、国際学術誌 ”Plant Biotechnology Journal” に2019年5月1日にEarly Viewとしてオンライン掲載されました。
本研究は内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「次世代農林水産業創造技術」(平成26-30年度)(管理法人:農研機構生研支援センター)のサポートによって行われました。
掲載誌
Plant Biotechnology Journal
D O I
10.1111/pbi.13120
題名
An adenine base editor with expanded targeting scope using SpCas9-NGv1 in rice
著者
Katsuya Negishi, Hidetaka Kaya, Kiyomi Abe, Naho Hara, Hiroaki Saika, Seiichi Toki
イネ遺伝子の書換えを容易にするゲノム編集技術の開発
〜標的範囲を拡張したゲノム編集酵素によるイネ遺伝子の塩基置換技術〜
【発表のポイント】
1.イネの遺伝子において,アデニンをグアニンに塩基置換できる標的が拡張した。
2.この技術をカンキツにも適用し,優良形質を付与した品種を改良する。
【発表内容】
CRISPR/Cas9 はゲノム編集ツールの一つで,狙った位置にある遺伝子を,簡便かつ効率的に改変 することができるといわれている技術である。実際,狙った遺伝子を潰すという目的では,十分に機 能を果たしている。ただ,思い通りに改変するという目的には,まだ道のりは長い。その大きな理由 の一つが,PAM による制限である。なぜなら,Cas9 による DNA 切断において,PAM 配列は必須 で,PAM 配列があるところでしかゲノム編集できないからである。最も広く使用されている Streptococcus pyogenes 由来の SpCas9 の PAM 配列は,今のところ最も小さい NGG である (N は 任意の塩基)。もう一つの理由は,Cas9 により誘導される変異パターンである。SpCas9 による変異 のほとんどが塩基欠損あるいは塩基挿入であり,塩基置換は非常に希で,さらにその置換パターン もランダムである。遺伝子の機能を潰すという点では,塩基欠損 ・挿入で十分であるが,機能を制御 するという目的では狙った塩基を,望む塩基に置換することが必要である。
昨年,東京大学の濡木教授 ・西増助教らのグループから,PAM 配列が NGG に加えて,NGA, NGC, NGT にも対応できるように改良された SpCas9-NG が報告された。また,米国 Liu 博士らからは, アデノシンデアミナーゼを用いて,狙った位置のアデニン (A) をグアニン (G) に塩基置換できる という技術が報告されている。
今回,農業 ・食品産業技術総合研究機構 (農研機構)生物機能利用研究部門 遺伝子利用基盤研究 領域 先進作物ゲノム改変ユニットの土岐精一 ユニット長,愛媛大学大学院 農学研究科の賀屋秀隆 准教授 (元 農研機構 特別研究員)らのグループは,両方の技術を融合し,イネの遺伝子を改変する ことを試みた。まず,SpCas9-NGv1 に変異を入れ,DNA を完全には切断できないようにした nSpCas9-NGv1 を作成した。これに,アデニンをグアニンに塩基置換できるアデノシンデアミナー ゼを融合させたものを作成し,イネに発現させた。その結果,標的とした遺伝子で,アデニンがグア ニンに塩基置換されていることを明らかにした。
今後は,イネ以外の植物,例えば愛媛県の最重要作物であるカンキツなどにおいても,この技術が 適用できることを検証したいと考えている。
【用語説明】
CRISPR/Cas9:
Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeat (CRISPR)/ CRISPR associated protein 9 の略。ゲノム編集ツールの一つで,第3世代。他には,第1世代の Zinc-finger nuclease (ZFN), 第2世代の Transcription activator-like effector nucleases (TALENs) がある。細菌由来 である Cas9 には,多様なタイプが存在するが,中でも Streptococcus pyogenes 由来の SpCas9 が最も広く使用されている。SpCas9 は,PAM と呼ばれる DNA 配列 (NGG) を認識し,PAM の 上流 3‒4 塩基の間で DNA を切断する。G はグアニン,N は any の略で,A/C/G/T いずれかの塩 基を指す。
PAM:
protospacer adjacent motif の略.Cas9 は,それぞれ固有の PAM 配列を認識する。SpCas9 が認 識する PAM は,今のところ最小である。すなわち,PAM による制限が最も低い Cas9 である。 SpCas9-NG: 昨年,東京大学の濡木教授・西増助教らのグループが開発した新しい SpCas9.SpCas9-NG は, PAM として NG 配列を認識する。
sgRNA:
single guide RNA の略.sgRNA は Cas9 と複合体を形成する。Cas9 は sgRNA がもつ 20 数塩基 の配列と相補的な配列の DNA を切断する。
塩基置換:
DNA は,4 種類の塩基(アデニン A, シトシン C, グアニン G, チミン T)で構成されている。塩 基置換は,4 種類の内の 1 つの塩基が別の塩基に置き換わること。今回のゲノム編集技術では,ア デニン(A)をグアニン(G)に置き換えることができた。通常のゲノム編集技術では,塩基の欠失や挿 入がほとんどである。塩基の欠失や挿入は,遺伝子の機能を破壊してしまうことが多い。一方,塩 基置換は,酵素の活性を調節することも可能である。
アデノシンデアミナーゼ:
アデニンのアミノ基を除くことで,最終的にアデニンをグアニンに変換することができる酵素