高移動度で新機能性を発現する物質開発に期待
2019-01-25 理化学研究所,東京大学大学院工学系研究科
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター強相関界面研究グループの藤岡淳客員研究員(筑波大学数理物質系准教授)、強相関物性研究グループの山田林介研修生(東京大学大学院工学系研究科修士課程)、十倉好紀グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授)らの共同研究グループ※は、電子間に働くクーロン相互作用(電子相関)[1]が極めて強い場合でも、電子の移動度[2]が極めて高い「ディラック半金属[3]」を発見しました。
本研究成果は、ディラック半金属の理解を深めるとともに、IT機器の省電力化のための新しい電子材料の探索・設計のための新しい指針を示しています。
ディラック半金属では、「ディラック電子[3]」と呼ばれる相対性理論の運動方程式に従う特殊な電子が電気的な性質を担っています。そして、通常の金属とは異なり、エネルギーロスが少ない電流を流す、電子の移動度が極めて高いといった性質があります。
今回、研究グループは、電子相関によってディラック電子のエネルギーを制御できる新しい原理を見いだし、極めて高い移動度のディラック半金属状態がペロブスカイト型結晶構造[4]を持つイリジウム酸カルシウム「CaIrO3(Ca:カルシウム、Ir:イリジウム、O:酸素)」で生じていることを明らかにしました。従来の金属や半導体では通常、電子相関によって電子間の反発が強まると電子の移動度が下がります。そのため、これまで電子相関を強めることは電子の移動度を向上させるとは考えられておらず、この発見はその常識を覆すものです。
本研究は、英国の科学雑誌『Nature Communications』掲載に先立ち、オンライン版(1月21日付け)に掲載されました。
※共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
強相関界面研究グループ
客員研究員 藤岡 淳(ふじおか じゅん)
(筑波大学 数理物質系准教授、科学技術振興機構(JST) さきがけ研究者)
強相関物性研究グループ
研修生 山田 林介(やまだ りんすけ)
(東京大学大学院 工学系研究科 修士課程1年)
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
強相関量子伝導研究チーム
専任研究員 川村 稔(かわむら みのる)
計算物質科学研究チーム
上級研究員 酒井 志朗(さかい しろう)
研究員 平山 元昭(ひらやま もとあき)
チームリーダー 有田 亮太郎(ありた りょうたろう)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
研修生(研究当時) 大川 達也(おおかわ たつや)
(東京大学大学院 工学系研究科 修士課程2年(研究当時))
物質評価支援チーム
チームリーダー 橋爪 大輔(はしづめ だいすけ)
客員研究員 星野 学(ほしの まなぶ)
※研究支援
本研究は、⽇本学術振興会(JSPS)科学研究費補助⾦基盤研究B「強相関トポロジカル半金属の物質開発と新奇量子現象の開拓(研究代表者:藤岡淳)」、同新学術領域研究「イリジウム酸化物におけるワイル電子による異常電磁気応答の探索(研究代表者:藤岡淳)」、JST戦略的創造研究推進事業個⼈型研究(さきがけ)「トポロジカル半金属における熱・スピン起電力の開拓(研究代表者:藤岡淳)」、JST戦略的創造研究推進事業(CREST)「トポロジカル絶縁体ヘテロ接合による量⼦技術の基盤創成(研究代表者:川﨑雅司)」による支援を受けて行われました。
背景
「ディラック半金属」では、「ディラック電子」と呼ばれる相対論的な運動をする電子が物性を担う性質があり、通常の物質と異なった電気伝導特性を示します。ディラック電子には「移動度」が極めて高い、また電気抵抗の起源となる不純物による散乱を受けにくいといった性質があることから、電子デバイスの高速化や省電力化につながる可能性があります。これまで、ディラック電子はグラフェン[5]などの一部の物質で見られる特殊な電子と考えられてきましたが、最近の研究により、金属酸化物や磁性体などの物質でも生じることが確認されています。
通常の金属や半導体では、伝導電子が電気的な性質を決めていますが、電子間に働くクーロン相互作用(電子相関)が強くなってくると、電子は互いに反発し合い、動きにくくなります。特に、電子相関が十分強い場合には電子は動けなくなって、物質は電気を通さない絶縁体状態(モット絶縁体)になります。電子相関が強い物質は「強相関物質[6]」と呼ばれており、高温超伝導やマルチフェロイクス[7]などの機能性を示す電子材料として知られています。
電子相関が強いディラック半金属が示す物理現象は、物性物理学の最先端の課題の一つで、既存の物質では見られない新しい機能性が期待されています。その第一歩として、強相関物質で高い移動度のディラック電子を持つディラック半金属を実現する必要がありますが、これまでにそれを実証した研究報告はほとんどありませんでした。
研究手法と成果
共同研究グループは、強相関物質でディラック半金属状態を示す候補であるペロブスカイト型結晶構造を持つ「イリジウム酸カルシウムCaIrO3(Ca:カルシウム、Ir:イリジウム、O:酸素)」に着目しました(図1)。ペロブスカイト型酸化物は、コンデンサーなどの電子材料として工業的に普及している化合物群ですが、これまでこの組成の単結晶の合成は報告がありませんでした。
共同研究グループは、超高圧合成法[8]を駆使した作製法を開発し、精密物性測定を行えるCaIrO3の単結晶の合成に成功しました。そのCaIrO3単結晶の電気伝導度を測定したところ、極低温の0.12K(約-273℃)において、電子の移動度が60,000cm2/Vsを超える極めて高い値となっていることが分かりました(図2)。この値は、既存の酸化物半導体ではほぼ最大値となります。
さらに、磁場中で電気伝導度を測定したところ、「シュブニコフ・ド・ハース振動[9]」と呼ばれる高移動度電子に特徴的な電気伝導現象が見られました。シュブニコフ・ド・ハース振動を詳しく解析したところ、ディラック電子のバンド分散(電子のエネルギーと運動量の関係)の特異点が、フェルミエネルギー[10]のごく近傍に近接したディラック半金属状態が実現していることが分かりました。このため、電子のキャリア密度と「見かけの重さ」である有効質量[11]が極めて小さくなり、高い移動度の起源となっていると考えられます。
次に、この起源を探るために、電子相関を取り込んだ精密な理論計算を行いました。その結果、「この電子状態は、電子相関によってディラック電子のエネルギーが変化する」という新しいメカニズムによって生じていることが分かりました。
具体的には図3に示したように、電子相関を強めていくと、バンド分散の特異点のエネルギーがフェルミエネルギーに近づいていくことが明らかになりました。また、実験結果と比較することで、実際の物質では電子相関の強さが2eV程度の強い電子相関効果が働いていることが分かりました。既存の多くの物質では、この強さの電子相関が働く場合には、電子の移動度は極めて小さいことからもCaIrO3の特異性がうかがえます。
今後の期待
本研究により、電子相関が強いディラック電子がペロブスカイト型酸化物というよく知られた化合物群で実現できたことから、基礎研究や高移動度電子材料の研究開発が一層進展すると期待できます。
基礎研究では、ディラック電子の強相関効果によって生じる新しい絶縁体状態やエネルギー散逸の小さい電子流に高い関心が集まっており、本研究はその実現に向けた第一歩といえます。
また、電子相関によって高い移動度の電子を持ったディラック半金属が作り出せることは、エレクトロニクスを支える高移動度電子材料を探索するための新しい原理として有用です。CaIrO3は工業的に誘電体材料として広く普及しているペロブスカイト型酸化物のチタン酸バリウム(BaTiO3)と同じ化合物群に属しており、新物質だけでなく既存の物質、幅広い物質で高移動度電子材料の候補物質を見つけられる可能性があります。
原論文情報
J. Fujioka, R. Yamada, M. Kawamura, S. Sakai, M. Hirayama, R. Arita, T. Okawa, D. Hashizume, M. Hoshino and Y. Tokura, “Strong-correlation induced high-mobility electrons in Dirac semimetal of perovskite oxide”, Nature Communications, 10.1038/s41467-018-08149-y
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 強相関界面研究グループ
客員研究員 藤岡 淳(ふじおか じゅん)
(筑波大学 数理物質系 准教授、JST さきがけ研究者)
創発物性科学研究センター 強相関物性研究グループ
研修生 山田 林介(やまだ りんすけ)
(東京大学大学院 工学系研究科 修士課程1年)
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学大学院工学系研究科 広報室
補足説明
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- クーロン相互作用(電子相関)
- 荷電粒子間に働く相互作用力。電荷間の距離に反比例し、同符号の電荷間では斥力が、異なる符号の電荷間では引力が働く。電子間に働く相互作用を電子相関という。
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- 移動度
- 固体の物質中での電子の移動のしやすさを示す量。トランジスタなどの電子デバイスの素材として移動度が高い物質を使用すると、高周波動作(高速動作)のものが作製できる。
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- ディラック半金属、ディラック電子
- ディラック電子とは、相対論的量子力学の基本方程式であるディラック方程式に従って運動する電子のこと。ディラック半金属は、そのディラック電子が電気的な性質を決める物質である。もともとディラック方程式は、光速に近い速度で運動する粒子やニュートリノなど、日常生活からかけ離れた高いエネルギーを持つ粒子の運動を表すために考案されたが、近年、物質中にもディラック方程式で表される「固体電子」が生じる場合があることが分かってきた。
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- ペロブスカイト型結晶構造
- CaTiO3(灰チタン石)に代表される結晶構造。発見者のLev Perovskiの名前にちなんで名付けられている。典型的なペロブスカイト結晶構造ABX3は、下図のような立方体構造を取り、Aサイトは立方体の各頂点、Bサイトは立方体の中心、Xサイトは各面心に位置している。
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- グラフェン
- 炭素原子が2次元上に並んだシート状物質。各炭素原子は、sp2結合により正六角形がつながった蜂の巣状の格子を組む。
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- 強相関物質
- 金属や半導体などの電気伝導性物質は、伝導電子が物質の電気的な性質を決めている。その電子間に働くクーロン相互作用が強い物質のことを強相関物質と呼ぶ。特にクーロン相互作用が非常に強くなると、電子は互いに反発し合って動けなくなり、物質は電気を流さない絶縁体となる。高温超電導体や巨大磁気抵抗体はよく知られた強相関物質の例である。
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- マルチフェロイクス
- 強磁性体と強誘電体の性質を併せ持つ物質。
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- 超高圧合成法
- 原料を圧力媒体内に密閉し、1万気圧程度の圧力下で加熱し、原料を化学反応させる合成方法。
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- シュブニコフ・ド・ハース振動
- 金属物質の抵抗値または伝導度が、磁場の逆数に対して、周期的に振動する現象。振動の振動数からフェルミ面(フェミルエネルギー)の大きさを知ることができる。
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- フェルミエネルギー
- 金属や半導体などの導電性物質の電気的性質を決める固体電子が持つ最も高いエネルギーの目安である。フェルミエネルギーに近いエネルギー準位の電子が、電子物性を決める。
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- 有効質量
- 固体の中を流れる電子は、周りの原子や電子と相互作用しながら進んでいくが、相互作用を全て考慮して電子の流れを解析することは非常に難しい。そこで、電子の重さ(質量)が変化したと考えることで、周りと相互作用の全くない電子が集団として流れていると解釈できることが理論的に示されている。この変化したと考える質量を有効質量と呼ぶ。
図1 ペロブスカイト型CaIrO3の結晶構造
正八面対の頂点に酸化物イオン、その中心にイリジウムイオンが配置した構造をしている。
図2 本研究のCaIrO3と代表的な酸化物半導体の電子の移動度
0.12K(約-273℃)におけるCaIrO3(赤色)の電子の移動度は60,000cm2/Vs以上であり、既存の酸化物半導体の中ではほぼ最高値であった。
図3 ディラック電子のバンド分散(電子のエネルギーと運動量の関係)
青い線がディラック電子のバンド分散の特異点(特異線)。緑色で示した面がフェルミエネルギー。電子相関が強くなるに従って、特異点がフェルミエネルギーに接近する。