DNA損傷の複雑さを決める極低エネルギー電子の新たな役割を解明

ad
ad
放射線照射により生体の遺伝子情報はどのように変質するのか
2018/02/16  量子科学技術研究開発機構

発表のポイント

  •   生体への放射線照射により発生する二次電子が及ぼすDNA分子の損傷プロセスは未だに解明されておらず、シミュレーションによる予測が切望されていた。
  •   独自に開発した動的モンテカルロシミュレーションコードを用いた解析で、DNA損傷の複雑化を促進させる極低エネルギー二次電子の役割を解明した。
  •   放射線により突然変異やがんを誘発する初期要因の解明を目指した研究への貢献が期待できる。

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄)原子力基礎工学研究センターの甲斐健師研究副主幹らは、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫)の渡邊立子上席研究員ら及び東京農工大学(学長 大野弘幸)の鵜飼正敏教授との共同研究により、放射線照射による突然変異の誘発や発がんの主要な原因となる遺伝子情報の変質に関する新たなプロセスをシミュレーションにより解明しました。
生体に放射線が照射され、遺伝子情報の担い手であるDNA分子が損傷した場合、そのほとんどは修復されますが、ごくまれに修復されにくいナノメートルレベルで局在化したDNA損傷(クラスター損傷1))が生じ、その結果遺伝子情報が変質すると考えられています。クラスター損傷により生じる化学的な変異部位についての正確な構造や生成のプロセスについては、未だ解明されていません。
本研究では、様々な放射線照射により生体内で生成される電子に注目し、細胞中のDNAとの相互作用に着目しました。DNA分子への電子線照射をナノメートルレベルで模擬する動的モンテカルロシミュレーションコード2)を開発し、クラスター損傷をもたらす電子の挙動の詳細なシミュレーションに初めて成功しました。この結果の解析から、照射した電子線と生体内で生じた極低エネルギー二次電子3)の作用により生成されたクラスター損傷が、修復酵素4)によりDNA二重らせんの切断(二本鎖切断)に変換され、その切断端の近傍に遺伝情報を担う塩基5)の損傷がもたらされていることを明らかにしました。極低エネルギー二次電子が生体内で遺伝子情報の変質に関与することを示した本結果は、放射線による突然変異やがんの誘発の初期要因を解き明かすための重要な役割を果たすものと期待できます。
今後は、放射線照射により生じる複雑なDNA損傷の定量的評価に必要な研究に展開する予定です。本成果は、2018年1月28日に英国王立化学会の『Physical Chemistry Chemical Physics』に掲載されました。

研究開発の背景と目的

細胞中のDNAが放射線にさらされると、DNAの二重らせんのうちの片鎖の切断(一本鎖切断)や二重らせんの完全な切断(二本鎖切断)、遺伝情報を担う塩基の酸化損傷など、様々なDNA損傷が生成されます。もし複数の損傷が同時に、DNA分子上の10 nm(ナノメートル)程度のごく狭い領域(100万分の1㎝で、DNAの1~2らせんピッチに相当)に生じると、生体の持つ修復反応が困難となり、細胞死や突然変異・発がんなどの影響が誘発されると考えられていました。このようなナノメートルレベルに局在化した損傷は、クラスター損傷と呼ばれています。クラスター損傷を調べるための現在の主要な化学的手法では、DNAを構成する低分子に分解して分析を行うため、損傷が近接しているか否かといった空間情報が失われます。また、近年多く用いられている塩基損傷を特異的に認識する修復酵素を利用した生化学的な方法についても、クラスター損傷部位でDNAの立体構造の歪みが大きくなるほど酵素反応が起こりにくくなるため、クラスター損傷部位は検出できません。そのため、計算機を用いたシミュレーションによる、クラスター損傷の構造と生成プロセスの予測が切望されていました。
放射線が生体中へ入射した場合、生体を構成する物質との相互作用を通じて二次電子と呼ばれるエネルギーの低い数多くの電子が生じます。これらの二次電子は、細胞中のDNAと高い確率で相互作用を及ぼすことが知られています。従来の研究では、10 eV6)程度のエネルギーを持つ電子であってもDNAにある確率で損傷を与えることが指摘されていました。しかし、近年では解離性電子付着(DEA)7)と呼ばれる効果により、数eV程度の電子も鎖切断を誘発することが報告されました。さらに水和前電子8)と呼ばれるほぼ完全にエネルギーを失い1 eV以下となった電子であっても、解離性電子移行(DET)9)により、DNA分子中の塩基の損傷を誘発することが実験により明らかになりました。そのため、クラスター損傷の生成機構を解明するためには、これらの10 eV未満の低エネルギー電子が生成される初期の位置を正確に特定し、DEAやDETがクラスター損傷の誘発に関与するかを検討する必要があります。
本研究では、まず、比較的高いエネルギーの電子線(1 keV)を水中でDNAに照射する状況をコンピューター上で設定し、イオン化10)や電子的励起11)及びDEAによるクラスター損傷の誘発頻度を評価しました。そして、この反応で生じた二次電子によるDETを考慮することで、生体修復の起こりにくさ、及び損傷除去修復による付加的なDNAの分子鎖の切断を考慮した遺伝子情報の喪失過程のモデルを構築し、生体影響を誘発し得る初期要因について解析しました。

研究の手法

本研究では、高エネルギー電子や二次電子がエネルギーを失って0.025eV程度まで減速された熱化と呼ばれる状態まで電子挙動を計算機で追跡するための動的モンテカルロシミュレーションコードを独自に開発しました。負の電荷を持つ二次電子は、その生成に伴って生じる正電荷分子により静電相互作用(クーロン力)を受けます。特にエネルギーの小さい電子ほど、この効果は大きくなることが予想されます。そこで、クーロン力を計算に取り込むことで、過去の研究では一切考慮されてこなかった、自らの発生源となる正電荷を持つイオンへ低エネルギー電子が引き戻される詳細な挙動まで計算可能にしました。
実際のDNAの半径は約1 nmであるため、本研究ではDNAを横と奥行きがそれぞれ2 nmの断面を持つ長い直方体としてモデル化しました(図1)。この仮想DNA分子領域を縦方向(図1のy軸)に対して1 nmの空間メッシュで区切り、DNAモデルの単位ブロックとしました。このブロックは、3塩基対12)分のDNA分子を含む体積に相当します。このDNAモデルから40 nm離れた位置から初期入射放射線として1 keVの電子線を入射させました。


図1 本研究で開発したシミュレーションコードの特徴とシミュレーションに用いたDNAモデル。

得られた成果

図2  左図は1 keV電子の進行に伴う反応過程(飛跡)を示し、右図はDNAの3塩基対以内に誘発される衝突頻度の計算結果を示しています。

タイトルとURLをコピーしました