~新開発の「WSPEEDI-DB」で計算時間が1/100に!~
2020-06-11 日本原子力研究開発機構
【発表のポイント】
- 従来の大気拡散予測システムWSPEEDIは、福島第一原子力発電所事故を契機に高度化し詳細解析を行い、また北朝鮮による核実験時の拡散予測に応用されてきた。しかし、高度な予測モデルにより計算時間がかかるため、様々な条件の予測結果を比較するのが困難だった。
- そこで、解析データを連続的に常時蓄積し、データベース化することで、様々な気象条件と任意の放出条件に対する大気拡散の計算結果の比較・検討を飛躍的に効率化できる(従来の約1/100の時間)計算システム「WSPEEDI-DB」を開発し、計算コードを無償公開した。
- 地方公共団体による大気拡散計算を用いた様々な検討への活用が期待できる。
図1 大気拡散データベースシステムWSPEEDI-DBの概念図
【概要】
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄)原子力基礎工学研究センターの寺田宏明研究副主幹らの研究グループは、放射性物質が大気中を拡散する様子を予測する大気拡散予測システムWSPEEDI1)を改良した大気拡散データベースシステム「WSPEEDI-DB」を開発しました。
「WSPEEDI-DB」では、今まで困難だった様々な気象条件や任意の放出源情報2)に対する大気拡散の計算結果を即座に取得でき、様々な応用が可能になります。
従来のWSPEEDIは、東京電力(株)福島第一原子力発電所事故や北朝鮮による地下核実験の拡散予測などへの応用実績があります。また、地形の影響や気象条件を考慮した拡散計算結果が、被ばく線量評価やモニタリング計画の策定に活用されてきました。
しかしながら、WSPEEDIで用いる高度な拡散予測モデルは、様々な計算条件の予測結果を得るのに多大な計算時間を要し、異なる条件の計算結果を比較検討するような利用は困難でした。
そこで、WSPEEDIによる大気拡散の計算結果を効率的に提供することを目的に、新たな計算手法の開発を行いました。
新たな計算手法では、多数の拡散計算結果をあらかじめデータベース化しておくことで、気象や放出源についての条件を変えても、大気拡散の計算結果を即座に得ることができます。これにより、従来の約100分の1(約7分→3、4秒)の時間で予測結果が得られ、様々な条件の計算結果の比較検討を効率的に行うことができるようになりました。
「WSPEEDI-DB」では、過去から数日先までの任意の気象条件に対する大気拡散の計算結果を作成できます。それに基づき、放射性物質の大気拡散に関する様々な検討に利用できます。実際に本システムを用いて、原子力発電所周辺のモニタリングポストの配置について検証し、有効性と改善点を提案することができました。
また、様々な仮想的な放出源の情報を用いた大気拡散解析により、訓練で想定すべき事象の把握や、事故発生を想定した模擬モニタリングデータを作成して訓練に活用することなどが可能です。
「WSPEEDI-DB」は、令和2年6月11日より無償公開します。また、システム及び計算手法の詳細は、1月8日に日本原子力学会英文誌「Journal of Nuclear Science and Technology」にオンライン掲載されました。
【研究開発の背景】
原子力機構では、原子力事故時に迅速に放射性物質の大気拡散予測情報を提供する国の緊急時対応システムであったSPEEDIに引き続き、計算範囲の拡大と、高度な気象及び拡散計算モデルの使用で予測性能を向上した大気拡散予測システムWSPEEDIの開発と応用研究を行ってきました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災に起因する東京電力(株)福島第一原子力発電所事故に対しては、SPEEDIの予測範囲を超える広域についてWSPEEDIを用いた大気拡散予測結果を原子力安全委員会に提供しました。また、大気拡散計算と環境モニタリングを組合せることで、放出量の推定や大気拡散と環境汚染形成過程の解析を行ってきました。この解析において、WSPEEDIによる地形の効果や気象条件を詳細に考慮した拡散計算は、航空機モニタリングで測定された放射性核種の沈着量分布を良好に再現し、高い計算精度を示しました。
北朝鮮による地下核実験(2009年5月、2013年2月、2016年9月、2017年9月)が実施された際には、実験直後に原子力規制庁と防衛省が行う高空の大気浮遊じんなどの採取・測定を実施する空域決定のための参考情報としてWSPEEDIによる大気拡散予測情報を提供してきました。この対応においては、毎日の定時に発せられる気象条件をもとに自動予測計算を行い、あらかじめ多数の拡散計算の結果を作成しておくことで、核実験実施時に即座に予測結果を提供しました。
一方、中央防災会議の防災基本計画においては、「国は、地域防災計画・避難計画に係る具体化・充実化に当たって地方公共団体が大気中放射性物質の拡散計算を活用する場合には、専門的・技術的観点から支援を行うものとする。」とされています。そこで、原子力機構として具体的な支援の内容を提案すべきと考えましたが、そのためには、WSPEEDIによる様々な条件に対する詳細な大気拡散計算結果を効率的に提供する必要があります。しかし、WSPEEDIで用いる高度な気象及び拡散予測モデルは、従来のSPEEDIのモデルよりも計算時間を要するため、計算条件を設定してから予測結果を得るまでに時間を要し、様々な条件の計算結果を比較検討するような利用は困難でした。
【研究開発の内容と成果】
そこで、WSPEEDIによる様々な条件に対する詳細な大気拡散計算結果を即座に作成できるように、新たな拡散計算手法を開発しました(図2)。この計算手法では、原子力施設など放出点が定まっている場合に、放出点以外の不確定情報である放射性核種、放出率、及び放出期間を特定することなく多数の拡散計算を実施して事前に計算結果のデータベースを作成しておき、放出条件を設定するとその条件に基づく予測結果を即座に得ることを可能としています。この計算手法の基本的な概念は従来から利用されてきたものですが、本研究では、この手法をさらに発展させ、以下の手順で計算を行います。
1)放出期間を一定の間隔で分割したそれぞれの期間について、単位放出条件(1時間で1ベクレル放出)による大気拡散を計算し、全ての放出期間ケースの結果(単位放出拡散データ)をデータベースとして保存する。放出する放射性核種については、拡散挙動が類似する5種類の核種グループに分け、それぞれのグループを代表する5つの核種についてのみ計算する。この際に、放射性壊変3)による減衰がない条件で計算を行い、出力結果に後から指定した放射性核種の放射性壊変率を適用することで、任意の放射性核種の放出に対応できる。
2)毎日の気象解析・予報データの更新に合わせて、上記大気拡散計算を定常的に実行し、単位放出拡散データを連続的に蓄積することにより、過去から数日先までの連続的なデータベースを整備する。
3)実際の放出条件が与えられた際には、分割期間ごとの放出条件を、単位放出拡散データに適用する。これによって得られる大気拡散計算結果を、全放出期間に合算させることにより、任意の放出条件に対する大気拡散計算結果を作成する。
図2 新たに開発した計算手法の原理
この計算手法で作成されるデータベースは、過去から数日先まで任意の解析期間に対して、任意の放出条件に対する大気拡散計算結果を即座に得ることを可能にしています。試験計算の結果、約7分かかっていた放出から1日後までの計算が3、4秒で終了するなど、従来の100分の1程度の時間で計算結果を得ることができました。さらに、この計算手法の実行と計算結果を取得するためのユーザーインターフェイスを整備し、大気拡散データベースシステムWSPEEDI-DB(図1)を開発しました。
【成果の活用方法】
今回新しく開発した「WSPEEDI-DB」は、過去の気象条件に対する様々な仮想放出源情報による大気拡散計算結果を作成することができます。これにより、以下の大気拡散計算結果の活用方法が考えられます(図3)。
-気象や地形の影響による放射性プルームの移動に対する沈着量と空間線量率4)の分布との関係から、原子力防災訓練時に想定すべき大気拡散事象を把握する。
-モニタリングポスト設置地点とその周辺の計算値を比較することで、地形の特徴や気象条件との関連性を考慮した、より効率的なモニタリング方法について検討する。
-過去の実際の気象場に対する想定事故シナリオに基づく拡散計算結果から、モニタリング地点の空間線量率の計算結果を出力し、事故を想定した模擬モニタリングデータを作成して訓練に活用することで、モニタリング実施の手順の確認や問題点の抽出を行う。
図3 大気拡散データベースシステムの活用
本システムで得られる拡散計算結果の活用事例として、島根県原子力環境センターとの共同研究により実施したモニタリング地点の配置の妥当性の検討について説明します。この検討では、モニタリングポストが設置されていない地点に空間線量率の高い場所(ホットスポット)がどの程度存在する可能性があるかを調べることで、モニタリングポスト配置の有効性を評価しました。
まず、島根原子力発電所周辺地域を対象とした100km四方(分解能1km)及び390km四方(分解能3km)の計算領域について、過去1年間(2015年)の気象データを用いた1時間間隔の単位放出拡散データを蓄積してデータベースを作成しました。このデータベースから、モニタリングポストが配置されている原発から30km圏内の計算格子の空間線量率を用いて解析を行いました。モニタリングポスト地点に対応する計算格子の値とそれ以外の計算格子の値を比較し、4つのモニタリング地点に囲まれた範囲の計算値に、モニタリング地点の計算値の最大値より高い値(ホットスポット)が存在する割合とその分布(図4)を調べました。
その結果、周辺のモニタリング地点の最大値の2倍以上の値となる計算値が1.2%の割合で存在しました。また、これらの地点の高い空間線量率は、ほとんどが降水により沈着量が大きくなったことが原因であることがわかりました。従って、現状のモニタリングポストの配置は、降水がない条件において空間線量率の空間分布を把握するのに有効であるといえます。しかしながら、降水時にはモニタリングポストでは把握できないホットスポットが想定されるため、そのような地域については、可搬型モニタリングポストや走行サーベイ、航空機モニタリングなどで補強することが有効と考えられます。
図4 島根原子力発電所周辺のモニタリングポスト配置の妥当性評価結果
過去1年間(2015年)の様々な気象条件に対する仮想放出条件の大気拡散解析において、島根原子力発電所周辺30km圏内の各計算格子の空間線量率が周辺4つのモニタリング地点の計算値の最大値の2倍以上の値となった割合の分布(上図のカラー塗り分け)。上図の黒色ボックスはモニタリング地点、下図のカラー塗り分けは標高を示す。
【今後の予定】
大気拡散状況は対象とする地域の地形や気象条件により大きく異なるため、地域の特性を考慮して大気拡散計算結果を活用する必要があります。そこで、島根原子力発電所以外の原子力施設に対して本成果を応用することで、様々な活用方法を検討する予定です。
さらに、システムの拡張としては、本計算手法と環境モニタリングで得られる実測値を組み合せて解析することにより、実測値を最も整合的に再現する放出条件を推定し、現実に即した放射性物質の時間空間分布を再構築することが可能となることに注目し、環境モニタリングの測定値からの逆解析により放出条件を推定する機能の開発を行う予定です。
【論文情報】
タイトル:Atmospheric-dispersion database system that can immediately provide calculation results for various source term and meteorological conditions
雑誌名:Journal of Nuclear Science and Technology
URL: https://doi.org/10.1080/00223131.2019.1709994
著者:寺田宏明1、永井晴康1、田中孝典2、都築克紀1、門脇正尚1
所属:1日本原子力研究開発機構、2 島根県原子力環境センター
タイトル:過去解析から短期予報まで任意の期間及び放出源情報に対する大気拡散計算結果を即座に提供可能な大気拡散データベース計算手法の開発
書籍名:日本原子力研究開発機構研究開発報告書JAEA-Data/Code 2017-013
URL:https://jopss.jaea.go.jp/pdfdata/JAEA-Data-Code-2017-013.pdf
著者:寺田宏明1、都築克紀1、門脇正尚1、永井晴康1、田中孝典2
所属:1日本原子力研究開発機構、2 島根県原子力環境センター
【コード公開情報】
公開した計算コードは、原子力機構のコンピュータプログラムなどの検索システム「PRODAS」を通して入手することができます。
用語説明
1) 世界版緊急時環境線量情報予測システムWSPEEDI
WSPEEDIは、緊急時環境線量情報予測システムSPEEDI (System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information)を、世界の任意地点での原子力事故に対応出来るように大幅に改良したもので、世界版SPEEDI(Worldwide version of SPEEDI)の略称です。WSPEEDI第1版は、チェルノブイリ事故を契機に開発に着手し、モデル開発や検証、システム化を経て、1997年に完成しました。その後、様々な事象に対する使用経験に基づく改良により、WSPEEDI第2版(WSPEEDI-II)が2009年に完成しました。
参考URL:https://www.jaea.go.jp/02/press2008/p09020501/
2)放出源情報
原子力施設の事故時に環境中へ放出される放射性物質の種類、放出量、放出継続時間、放出位置とその時間変化に関する情報です。
3)放射性壊変
放射性核種が放射線を放出したり核分裂して別の核種に変わる現象で、単位時間に壊変する確率は核種ごとに特有な定数を持ちます。半減期と呼ばれる時間が経過すると、原子の数は元の半分に減ります。
4)空間線量率
一定時間内に空気中を通過する放射線の量で、環境モニタリングにおける重要な測定項目となっています。