伝統工芸品にヘビーデューティー用途に対応した耐久性を付与
2020-01-24 産業技術総合研究所
ポイント
- 粘土を含むナノコンポジットを玉虫塗の保護層として使用
- 保護層付与で表面硬度が2段階向上し、傷がつきにくい
- 2020シーズンから正式採用
概要
国立研究開発法人産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)化学プロセス研究部門【研究部門長 古屋 武】 蛯名 武雄 首席研究員らは、宮城県指定伝統的工芸品「玉虫塗」を製作する有限会社東北工芸製作所【代表取締役 佐浦 康洋】(以下「東北工芸製作所」という)らと共同で工芸品の活用範囲を広げる粘土含有ナノコンポジット保護層を開発した。この保護層を付与した玉虫塗は、5カ月に亘る太陽光暴露試験でも色褪せない耐久性があり、さらに、ウレタン樹脂と比べて表面硬度が2段階向上し、傷がつきにくいことが特徴である。この保護層を付与した玉虫塗ナノコンポジットで塗装したヘルメットは、株式会社楽天野球団【代表取締役社長 立花 陽三】(以下「楽天野球団」という)の東北楽天ゴールデンイーグルス(以下「楽天イーグルス」という)の選手用ヘルメットとして2020シーズンより正式採用が決定した。
このヘルメットは1月29日(水)から31日(金)まで東京ビッグサイト(東京都江東区)で開催される新機能性材料展2020にて展示される。
図1 玉虫塗ナノコンポジットの構成(左)と玉虫塗ナノコンポジットを付与したヘルメット(右)
開発の社会的背景
漆器は国際的に高く評価されている工芸品であるが、市場が縮小傾向にあり、その再興が重要な問題である。東北地域では、特に東日本大震災がこの傾向を助長しており、”和の価値”Cool Japan製品として展開するため耐久性の向上が求められる。
また漆器に限らず塗料は一般に表面が柔らかく傷がつきやすい、紫外線によって色が褪せるなどの問題を持っている。粘土などの細かな無機粒子を均一に樹脂と混合すると樹脂と無機粒子のネットワーク構造が形成され樹脂の硬度が上がる。実際に、漆と無機粒子の混合によって堅牢な漆器が製作されているが、この場合塗料には透明性は要求されず、無機粒子が漆中にナノメートルレベルで均一混合することは求められない。一方、無機粒子が樹脂中にナノメートルレベルで均一混合すると、無機粒子と樹脂の界面で可視光が散乱せず透明なコンポジット材料にできる。多くの色の塗料に対して適用できることから、透明性をもち、かつ簡単なプロセスによりさまざまな形状の製品に使用できる保護層の開発が求められていた。
研究の経緯
産総研は粘土と樹脂からなるナノコンポジット膜の研究開発で多くの実績がある。東北工芸製作所と産総研はJST復興促進プログラムシーズ顕在化タイプ、ハイリスク挑戦タイプ(復興促進型)によって宮城県伝統的工芸品である「玉虫塗」の表面にこのナノコンポジット膜を保護層として付与し、保護層の高い硬度により玉虫塗を傷つきにくくして、高耐久食器として製品化していた。
しかし、保護層を硬化するために紫外線をあてるプロセスを必要とし、そのため製造できる製品の大きさや数は紫外線炉の大きさに制限され、同時に生産性が劣るという問題があった。また、紫外線を全体に均一にあてなければならず、硬化できているかが外観では分からないため、複雑な立体形状の製品への適用が難しいという問題があった。さらに、塗布作業を行う場所から紫外線炉に入れる作業の途中で埃が表面に付着する場合があり、良品比率が低下するという問題もあった。そのため、紫外線をあてずに硬度を上げる保護層塗料と製造プロセスの開発が求められていた。
今回、地元の伝統的な技法である玉虫塗に興味を持った楽天野球団からヘルメットへの応用を提案された東北工芸製作所が試作を開始し、産総研と開発したナノコンポジット保護層の採用を決めた。共同で試作評価を進め、透明性が高く、表面硬度も高い保護層用塗料を特定し、そのコーティングプロセスも開発した。本研究の成果を適用することで十分な外観・性能を有するヘルメットの製作に成功した。
なお、この開発は、ものづくり中小企業製品開発補助金(仙台市)による支援を受けて行った。
研究の内容
今回、玉虫塗ナノコンポジットをヘルメットに適用するため、東北工芸製作所と産総研が種々の組成の保護層用塗料を比較評価し、透明ウレタン樹脂に透明な粘土である合成スメクタイトを添加したものを採用した。ウレタン樹脂に混ざりやすくするため、有機物で合成スメクタイトの表面を覆った有機化粘土を用いた。ウレタン樹脂の硬化には、加熱・紫外線照射などの硬化プロセスは適用しなかった。ウレタン樹脂への分散性が不十分だと粘土がだまになり、これが白い粒として認められ美観が損なわれる。三種類の有機化粘土を含む粘土素材を候補とし、添加量の最適化を行ってウレタン樹脂と混合した。図2は種々の粘土素材と混合したウレタン樹脂からなる保護層の光学顕微鏡像である。粘土素材Aを添加した場合は大きなだまが観察され、粘土素材Bを添加した場合は、粘土素材Aほどではないが大きなだまが観察された。一方、粘土素材Cを添加した場合は、粘土素材を添加しない場合と区別がつかない程度までだまの発生を抑えられた。これは粘土素材Cのウレタン樹脂への分散性が優れていることを示す。ガラス板上に保護層を付与しその透明性を評価したところ、粘土素材の種類によらず全光線透過率は高い値を示した一方で、ヘーズ(曇度)は、粘土素材A、B、Cの順に小さくなった。ヘーズは小さいほど外観がクリアであることを示し、粘土素材Cを添加した場合は、ウレタン樹脂そのものの値に近かった。硬さについて鉛筆硬度試験で評価したところ、粘土素材を添加しないウレタン樹脂の表面硬度はFであったが、粘土素材Cを添加すると、表面硬度は2Hまで二段階向上した。だまが発生した粘土素材AやBよりも添加効果が高いことから、粘土素材Cの高い分散性が表面硬度の向上にも寄与することが示唆された。以上のように、だまが発生せず表面硬度を上げられる粘土素材とその添加量を見いだした。
東北工芸製作所はこの材料を玉虫塗の保護層としてスプレー塗工で付与できることを確認するとともに、さまざまな立体形状の製品に適用できる製造プロセスを確立した。これにより、十分な外観・性能の玉虫塗ナノコンポジットヘルメットを製作することができた。このヘルメットは5カ月間に亘る屋外での太陽光暴露試験を行い、色褪せがないことを確認した。また、玉虫塗ナノコンポジットヘルメットは楽天イーグルスの選手用ヘルメットとして2020シーズンより正式採用が決定した。
図2 種々の粘土素材を添加したウレタン樹脂の光学顕微鏡像
表 種々の粘土素材を添加したコーティング層の評価結果
今後の予定
今回開発した透明保護層はスプレー塗工で付与でき、加熱処理や紫外線照射による焼き付けを行う必要がないため、付与できる製品の大きさに制限がなく、複雑な形状の製品に適用できる。今後はナノコンポジット保護層の工芸品へのさらなる用途展開を進めて、従来のテーブルウェアにとどまらず、屋外での利用や工業製品など幅広い用途への適用を検討する予定である。
用語の説明
- ◆玉虫塗
- 昭和7年、産総研東北センターの前身である国立工藝指導所で開発された漆器技法。「銀粉」を撒き、その上から「染料」を加えた透明な漆を塗り上げる。宮城県指定伝統的工芸品であり鮮やかな色と輝きが特徴である。
- ◆粘土
- 2 マイクロメートル以下の微細な層状珪酸塩。ケイ素と酸素からなる4面体シートとアルミニウム、鉄、マグネシウムなどの金属元素と、酸素と水酸基からなる8面体シートが重ね合わさり、厚さ約1 ナノメートルの単位結晶となる。
- ◆ナノコンポジット
- 二種類以上の材料を1ナノメートルから100ナノメートルのオーダーで分散・混合した複合材料。
- ◆合成スメクタイト
- 水ガラスなどを原料にした合成粘土の一種。着色の原因になる不純物を含まないため無色透明である。また、水やプラスチックに非常に細かいレベルで分散させることができる。産総研の前身である東北工業試験所は、昭和50年代にこの合成スメクタイトの工業的製造法を開発した。
- ◆有機化粘土
- 本来、樹脂に混ざりにくい粘土を界面活性剤などと結合させて、樹脂との親和性を向上させ混ざりやすくしたもの。
- ◆全光線透過率
- 人間が肉眼で感じることができる光を材料がどの程度反対側に透過させるかを割合で示した値。100%に近いほど材料の光透過性が高い。ここでの透過光は材料をまっすぐ透過した光と拡散して透過した光の両方を含む。
- ◆ヘーズ(曇度)
- 材料を透過する光の内、材料内部で拡散したものの割合。透明材料の曇り具合を判断するのに用いられ、この数値が大きいほど白濁して見える。
- ◆鉛筆硬度試験
- 鉛筆の芯を試料表面に押し付けて動かし、傷付きの有無により試料の引っかき硬度を鉛筆の芯の硬さで表す。JIS K5600-5-4(ISO/DIN 15184)。