従来の100倍明るいX線ビームを作り出す新技術
2018-03-01 理化学研究所 高輝度光科学研究センター
要旨
理化学研究所(理研)放射光科学総合研究センタービームライン開発チームの井上伊知郎基礎科学特別研究員、ビームライン研究開発グループの矢橋牧名グループディレクター、高輝度光科学研究センター光源基盤部門の後藤俊治部門長らの共同研究チームは、新しいX線光学技術「ハーモニックセパレーター」を考案・開発し、X線自由電子レーザー(XFEL)施設[1]SACLA[2]において従来よりも100倍明るいX線レーザービームを作り出すことに成功しました。
大型放射光施設「SPring-8」[3]など従来のX線光源は、放射されるX線の波長が多岐にわたるため、分光器[4]を通して、特定の波長のX線のみを抽出しています。しかし、2結晶分光器[4]を通すとX線のバンド幅[5]は元の0.01%程度に小さくなるため、X線の強度が落ちます。一方で、近年、世界各所で建設・運用が進められているXFELや次世代放射光[6]といった最先端X線光源では、ある特定の波長とその近傍の波長のX線が強く放射されます。このとき、各波長のバンド幅は1%です。分光器を通さずに、1%というバンド幅を維持したまま特定波長のX線を抽出できれば、より高強度のX線の利用が可能になります。
今回、共同研究チームは、全反射ミラーとX線プリズムを組み合わせたハーモニックセパレーターという光学技術を考案しました。この方法ではまず、X線を全反射ミラーに入射して、抽出波長よりも短波長のX線を取り除きます。さらに、プリズムを通した後にスリットを使って、抽出波長よりも長波長のX線も除去することで、分光器を通すことなく特定波長のX線を抽出することに成功しました。この光学技術を使って研究チームは、SACLAから放射された光子エネルギーが10keV(波長約0.124ナノメートル、1nmは10億分の1m)のX線レーザーから、2次高調波[7]の20keV(約0.062nm)や3次高調波の30keV(同約0.041nm)のX線レーザーの抽出を試みました。その結果、分光器を使った従来のSACLAの高調波光と比較して、約100倍の強度の高調波X線レーザービームを作り出すことに成功しました。
今後、開発した光学技術をXFELや次世代放射光と組み合わせることで、従来よりも2桁以上明るいX線の利用が可能になり、X線計測の飛躍的なハイスループット化や高速化の実現が期待できます。
本研究成果は、英国の放射光科学専門誌『Journal of Synchrotron Radiation』(3月号)掲載に先立ち、オンライン版(2月28日付け)に掲載されます。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金若手研究(B)「X線ポンプ・X線プローブ法によるフェムト秒X線ダメージ過程の解明」の支援を受けて実施しました。
背景
1895年のレントゲンによるX線の発見以来、科学者たちはより明るい高輝度なX線を求めてさまざまな光源を開発してきました。X線光源の歴史の中で大きな転機になったのが、約60年前、放射光をX線光源として利用し始めたことです。それ以来、放射光X線光源はさまざまな改良や進化を重ね、その明るさを飛躍的に増大させてきました。
大型放射光施設「SPring-8」などでは、光源から出射されたX線を、分光器を通すことによって、特定の波長のX線のみを抽出(単色化[8])して実験を行います。これは、光源から出てくるX線にさまざまな波長のX線が含まれており、そのまま実験に使うことが難しいためです。世界中の放射光施設では多くの場合、2枚のシリコン結晶からなる2結晶分光器によって、バンド幅(光の波長幅を中心波長で割った値)が0.01%程度のX線を切り出して実験に使っています。
一方、SACLAなどのX線自由電子レーザー(XFEL)や次世代放射光源といった最先端のX線光源では、ある特定の波長とその近傍の波長のX線が強く放射されます(図1)。
最先端のX線光源から放射されるX線は、基本波[7]と呼ばれる波長の光と、波長が基本波の整数倍分の1の高調波と呼ばれる光から構成されています。基本波と高調波は共に、光源から放射された時点で既に1%程度という非常に狭いバンド幅を持っています。最先端のX線光源を使った多くの実験では、バンド幅を0.01%程度まで小さくする必要はなく、1%程度のバンド幅でもほとんどの実験を行うことが出来ます。分光器で単色化せずに基本波や特定の高調波を取り出すことができれば、バンド幅は1%に保たれるため、バンド幅が0.01%と小さくなる2結晶分光器を使った場合と比較して、約100倍強いX線を実験に用いることができます。
研究手法と成果
共同研究チームは、全反射ミラーとX線プリズムを組み合わせた「ハーモニックセパレーター」という光学技術によって分光器で単色化せずに基本波や特定の高調波のみを取り出すことを考案し、光学系を開発しました(図2)。
この方法では、まずX線を全反射ミラーに入射します。このとき、X線のミラーへの入射角度を適切に調整すると、特定の波長よりも短い波長のX線は反射されません。これにより、抽出したいX線よりも短波長のX線が取り除かれます。その後、X線をくさび型のプリズムに通します。X線の領域では物質中の屈折率は1よりもわずかに小さく、波長が短くなるにつれて単調に増加していきます。そのため、プリズムを透過した基本波やそれぞれの高調波はその波長に応じて異なる方向へ進んでいきます。プリズムよりも下流で十分にX線を伝搬させた後、スリットを使って不必要な波長の光を除去することで、特定の基本波や高調波のみを選択的に抽出することができます。
このアイデアに基づいて、SACLAから放射された基本波の光子エネルギーが10keV(波長約0.124ナノメートル、1nmは10億分の1メートル)のX線レーザーから、光子エネルギー20keV(約0.062nm)の2次高調波や30keV(約0.041nm)の3次高調波のみを選択して抽出することを試みました。全反射ミラーによって4次以上の高調波を除去した後、グラッシーカーボン[9]と呼ばれる材質でできたプリズムを用いて、基本波・2次高調波・3次高調波のそれぞれを空間的に分離させることに成功しました(図3)。それぞれの光のみをスリットによって取り出すことで、分光器を使って取り出していた従来のSACLAの高調波X線レーザービームと比較して強度が約100倍の高調波X線レーザービームを作り出すことができました。
今後の期待
今回考案・開発したハーモニックセパレーターは、高強度のX線ビームを実現する画期的な光学技術です。SACLAでの実験では、3次高調波までを取り出すことに成功していますが、プリズムの材質やプリズムへの入射角度を変えることによって、より高次の、より短波長な高調波も取り出すことが可能です。
この光学技術をXFELや次世代放射光に導入すれば、2結晶分光器を用いる従来の手法と比較して、2桁以上明るいX線を利用できるようになります。この技術によってX線計測の飛躍的なハイスループット化・高速化が期待できます。
また、XFELにおける2次高調波、3次高調波といった高次光[7]の利用は、強度が限られているためにほとんど行われていません。ハーモニックセパレーターによって強度を保ったまま高次光を抽出することで、今後、X線レーザーの高次光の利用が広まると期待できます。
原論文情報
- Ichiro Inoue, Taito Osaka, Kenji Tamasaku, Haruhiko Ohashi, Hiroshi Yamazaki, Shunji Goto, and Makina Yabashi, “An X-ray harmonic separator for next-generation synchrotron X-ray sources and X-ray free-electron lasers”, Journal of Synchrotron Radiation, 10.1107/S160057751800108X
発表者
理化学研究所
放射光科学総合研究センター XFEL研究開発部門 ビームライン研究開発グループ ビームライン開発チーム
基礎科学特別研究員 井上 伊知郎(いのうえ いちろう)
放射光科学総合研究センター XFEL研究開発部門 ビームライン研究開発グループ
グループディレクター 矢橋 牧名 (やばし まきな)
高輝度光科学研究センター 光源基盤部門
部門長 後藤 俊治 (ごとう しゅんじ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
産業利用に関するお問い合わせ
理化学研究所 産業連携本部 連携推進部
補足説明
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- X線自由電子レーザー(XFEL)施設
- X線自由電子レーザーとは、X線領域におけるレーザーのこと。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とするため、原理的な波長の制限はない。また、数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)の超短パルスを出力する。XFELはX-ray Free Electron Laserの略。
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- SACLA
- 理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAser の頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用運転が開始され、利用実験が始まっている。大きさが諸外国の同様の施設と比べて数分の1とコンパクトであるにも関わらず、0.1ナノメートル(nm、100億分の1m)以下という世界最短波長のレーザーの生成能力を有する。
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- 大型放射光施設「SPring-8」
- 理研が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光(シンクロトロン放射)とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する細くて強力な電磁波のこと。SPring-8では、遠赤外から可視光線、軟X線を経て硬X線に至る幅広い波長域で放射光を得ることができるため、原子核の研究からナノテクノロジー、バイオテクノロジー、産業利用や科学捜査まで幅広い研究が行われている。
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- 分光器、2結晶分光器
- 分光器は、さまざまな波長が含まれる光から特定の波長の光のみを取り出す装置のこと。X線領域の分光器は、二つのシリコンの結晶からなる2結晶分光器が広く用いられている。2結晶分光器に入射されたX線は、結晶への入射角によって決まる特定の波長の光のみがシリコン結晶によって反射され、他の光は取り除かれる。1枚ではなく2枚の結晶を用いのは、2回の反射によって入射したX線と平行に単色化したX線を出射するためである。
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- バンド幅
- 本原稿でのバンド幅とは、X線ビームにおいてその波長の広がりの大きさを中心波長で割ったものを指す。例えば、バンド幅が10%で中心波長が0.1 nmのX線ビームとは、0.01nmの波長広がりを持つX線ビームのことをいう。
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- 次世代放射光源
- 蓄積リングの電磁石を細分化することで小さく絞った電子ビームを作り出し、磁場によって電子を曲げることで強いX線を発生させる光源。SPring-8などの現在の放射光源と比較して、格段に輝度が高いX線を発生させることができる。
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- 高調波、基本波、高次光
- ある周波数成分を持つ電磁波などの波動に対して、その整数倍の高次の周波数成分のこと。元々の周波数を基本波、その2倍の周波数(1/2の波長)を持つものを2次高調波、n倍の周波数(1/nの波長)を持つものをn次高調波などと呼ぶ。2次高調波以上の高調波を高次光と呼ぶ。
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- 単色化
- 分光器などの光学技術を用いて、複数の波長を含む光から、波長の広がりが抑えられた単色の光を取り出すこと。
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- グラッシーカーボン
- 炭素によって構成される物質の一種。様々な形状に加工することができる安価な材料。
図1 現在の放射光源と次世代放射光源で得られるスペクトルの比較
図は基本波の光子エネルギーを10keVとして、光源から30mの下流で光軸付近の300μm(0.3mm)四方に放射されるX線のスペクトルを計算した結果を示したものである。現在の放射光源(青線)と比較して次世代放射光源(赤線)のスペクトルは、シャープで広がりが少ないことから、特定の波長とその近傍の波長のX線が放射されていることが分かる。
図2 ハーモニックセパレーターの仕組み
3次高調波を取り出す場合を例としたハーモニックセパレーターの概略図。スリットで長波長側、全反射ミラーで短波長側の不要なX線を除去することで特定の基本波や高調波のみを選択的に抽出できる。
図3 ハーモニックセパレーターで空間分離したX線レーザーの空間プロファイル
開発したハーモニックセパレーターを用いて、SACLAの10keVのX線レーザーから20keV(約0.062nm)の2次高調波や30keV(約0.041nm)の3次高調波のみを選択して抽出した。2次高調波、3次高調波ともにプロファイルの歪みはなく、質の高いX線レーザーが抽出されている。検出器に入射するそれぞれのX線強度を同程度にするために、X線をシリコンの板に通すことで強度を減衰させている。