2019-06-15 理化学研究所
理化学研究所(理研)仁科加速器科学研究センター放射線研究室のラルフ・サイデル専任研究員らの国際共同研究グループ※は、高エネルギー加速器研究機構(KEK)BファクトリーのBelle実験[1]において、電子と陽電子[2](電子の反粒子)を正面衝突させ、クォーク[3]と反クォーク[3]の対に対して、垂直な方向に2次的に生成されたさまざまなハドロン[4](グルーオン[5]で結合したクォーク複合粒子)の横運動量を測定することに初めて成功しました。
本研究成果は、初期宇宙におけるハドロンの生成メカニズムの理解に役立つと期待できます。
初期宇宙では、クォークやグルーオンからさまざまな種類のハドロンが強い相互作用[6]によって生成されました。しかし、質量がほぼゼロのクォークから固有質量を持ったハドロンがどのように生成されたかは、まだよく分かっていません。
今回、共同研究グループはBelle実験において、電子と陽電子の高エネルギー正面衝突により2次的に生成されたハドロンの横運動量を測定しました。横運動量は、強い相互作用を理解する上で欠かすことのできない物理量で、理論のみで決定することはできません。測定の結果、中間子[4](クォークと反クォークからなるハドロン、パイ中間子やK中間子など)は、重粒子[4](三つのクォークからなるハドロン、陽子など)とは異なる振る舞いをすることが分かりました。
本研究は、米国の科学雑誌『Physical Review D』(6月15日号)の掲載に先立ち、オンライン版(6月14日付け:日本時間6月15日)に掲載されます。
※国際共同研究グループ
理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 放射線研究室
専任研究員 ラルフ・サイデル(Ralf Seidl)
本研究は、イリノイ大学、インディアナ大学、デューク大学およびバスク自治州立大学の研究者で構成されるBelle実験の破砕関数に関する作業部会で解析の妥当性が詳細に検討されました。
背景
目に見える宇宙の物質のほとんどは、量子色力学(QCD)[7]によって記述されるハドロン(クォーク複合粒子)によって構成されています。初期の宇宙では、クォークやグルーオンからさまざまな種類のハドロンが強い相互作用によって生成されました。しかし、パイ中間子やK中間子など、陽子と中性子以外のハドロンは崩壊してしまい、安定には存在できませんでした。現在の宇宙では、物質の質量は、陽子と中性子で構成される原子核に集中しています。質量がほぼゼロのクォークから、固有質量を持ったハドロン(パイ中間子、K中間子、陽子など)がどのように生成されるか、その生成メカニズムは、いまだによく分かっていません。そのため、ハドロン生成メカニズムを第一原理計算[8]によって理論的に導くことができません。
初期宇宙におけるハドロンの生成メカニズムを理解するには、加速器を用いた電子と陽電子(電子の反粒子)の高エネルギー衝突実験が有効です。この実験において、どのような粒子(および質量)がどの方向に生成されるのか、生成された粒子がどの種類のクォークを含み、どのようなハドロンを作るのかを調べることで、ハドロンの生成メカニズムの理解に近づくことができると考えられています。
そこで、共同研究グループは、茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構(KEK)Bファクトリーにおいて、電子と陽電子を高エネルギーで衝突させるBelle実験を試みました。
研究手法と成果
KEKBファクトリーは、ほぼ光速まで加速された異なるエネルギーの電子と陽電子のビームを正面衝突させ、素粒子反応を実験するための衝突型加速器です。Belle実験では、衝突した電子と陽電子は消滅し、最初に高エネルギーの「クォーク(色)と反クォーク(その補色)の対」が生成されます。ここで、色と補色は、量子色力学で示される自由度で、色には赤・緑・青があります。
次に、この対生成したクォークと反クォークが離れ、色と補色が空間的に分離し始めると、色と補色の組合せの関係性を満たす(白色になる)ように、再びさまざまなクォーク・反クォーク対が生成されます。そして最終的には、色と補色の関係性を満たした(白色になった)クォーク複合体であるハドロンが生成されます。生成したハドロンは、Belle実験のさまざまな検出器で検出され、ハドロンの種類だけでなく、そのエネルギーや運動量の分布を決定することができます。
図1に示すように、電子・陽電子衝突によって、初期クォーク・反クォーク対が生成された後2次的に生成されるハドロンは、初期クォーク・反クォーク対生成方向の両側に広がる狭い円錐内に現れます。したがって、この対になった円錐の頂点(赤球)を求めることで、初期クォーク・反クォーク対の生成方向(紫の線)を決めることができます。
例えば、トウモロコシの種を加熱するとポンポンと破裂してポップコーンが飛び出してくるように、さまざまなハドロンは、初期クォーク・反クォーク対の方向から離れて横に飛び出してきます。本研究では、この横方向の運動量の大きさやそのエネルギー依存性が、粒子の種類または質量に依存するかどうかを解析しました。
測定後、生成されたハドロンの種類ごとに、横運動量の大きさと全エネルギー依存性を定量化しました。そして、この横運動量分布が、それぞれのハドロンの全エネルギーのクォーク・反クォーク対生成の初期エネルギーに対する割合(z)によって、どのように変わるかを示しました。すると、中間子(クォークと反クォークからなるパイ中間子やK中間子などのハドロン)は、重粒子(三つのクォークからなる陽子などのハドロン)とは異なった振る舞いをすることが分かりました(図2)。
横運動量の振る舞いは、強い相互作用の理論的モデルによって予想されますが、モデルは現象論的パラメータ[9]を含んでいるため、その理論だけではこれまで測定値をうまく再現できませんでした。しかし、今回のデータから現象論的パラメータを適切に調整することによって、実験結果をシミュレーションによって再現できたことが分かりました。(図3)
今後の期待
本研究では、ハドロンの生成において横方向の運動量がどれだけ生じるかを定量的に示すことができました。この成果は、初期宇宙におけるハドロン生成メカニズムの理解に役立つと期待できます。
また、今回得られた知見は、将来、電子・イオン衝突型加速器(EIC)[10]が目指すハドロン内部構造の研究に活用されると考えられます。
今後、生成された最終状態のハドロンの生成角度分布幅と初期状態のクォークの種類、それらのスピンおよび質量にどのような相関があるのかを解明していきます。
原論文情報
Seidl, R. et al.(The Belle collaboration), “Transverse momentum dependent production cross sections of charged pions, kaons and protons produced in inclusive e+e- annihilation at √s = 10.58 GeV”, Physical Review D
発表者
理化学研究所
仁科加速器科学研究センター 放射線研究室
専任研究員 ラルフ・サイデル(Ralf Seidl)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
補足説明
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- Belle実験
- 現在日本と13の国および地域から約360名の研究者が参加している国際共同実験。初期宇宙における物質と反物質の対称性の破れを理解することを目的としている。これまで、Belle実験において大きな対称性の破れを測定したことが、小林誠博士と益川敏英博士のノーベル物理学賞受賞につながった。
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- 陽電子
- 陽電子は電子の反粒子。反粒子は粒子と同じ性質を持つが、電荷と磁気モーメントの符号が反対である。例えば、負の電荷を持つ電子の反粒子は正の電荷を持つ陽電子であり、正の電荷を持つ陽子の反粒子は負の電荷を持つ反陽子である。
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- クォーク、反クォーク
- 強い相互作用と電弱相互作用を介して相互作用する素粒子。粒子は、基本電荷の2/3または-1/3の電荷を持つ。6種類のフレーバー(軽い方からアップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップ)と3種類のカラー(赤、青、緑)を持つ。また、6種類のクォークにはそれぞれ反クォークが存在する。反クォークを含めると、全部で36種類がある。現在存在する物質は、ほぼアップとダウンのクォークのみから作られる。初期の宇宙では、全てのタイプが生成されたと考えられている。
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- ハドロン、中間子、重粒子
- 複数のクォークがグルーオンによって結び付けられた複合粒子をハドロンと呼ぶ。三つのクォークとそれらを結びつけるグルーオンからなる陽子や中性子などの重粒子と、クォークと反クォークがグルーオンによって結び付けられた中間子に分けられる。重粒子は、三つのクォークがそれぞれ赤・緑・青の色を持って集まった状態(光の三原色との類推で白色となった状態)だけが安定に存在できる。中間子では、例えば、赤のクォークと赤の補色の反クォークが結びついて白色になった状態だけが安定に存在できる。
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- グルーオン
- 強い相互作用を媒介する素粒子で、クォーク同士を結びつける「のり」の役割をする。
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- 強い相互作用
- クォークとグルーオンの間に働く相互作用で、自然界の四つの力(強い相互作用、電磁相互作用、弱い相互作用、重力相互作用)の中で最も強い。
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- 量子色力学(QCD)
- 原子核を構成するクォークとその間に働く強い相互作用を媒介するグルーオンが従う物理法則であり、素粒子の標準理論の一部である。量子色力学によれば、クォークは単体で存在できず、3種類のカラー(赤、青、緑)とそれらの補色から、3種類のカラーを持つ3つのクォークが一つずつ集まった重粒子や、あるカラーを持つクォークとその補色を持つ反クォークとが結びついてできる中間子など、常に数個のクォークが集まって、バリオンなどの複合粒子を作ると考えられている。QCDはQuantum Chromo Dynamicsの略。
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- 第一原理計算
- 物質を構成する素粒子の振る舞いを、経験的な情報を使わずに基礎方程式から計算することをいう。本研究成果は、量子色力学の第一原理計算で予想することができていない。
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- 現象論的パラメータ
- 基礎方程式のみから現象を解析できない場合、現象論的なモデルを立てシミュレーション計算を行うことがある。いくつかのパラメータを実験と合わせるように調整する。ここでは「どのくらいの横運動量でハドロンが生成されるか」が重要なパラメータの一つである。現在の理論では横運動量の計算ができない。パラメータをうまく選ぶことにより、物理的な描像が描きやすくなるという利点がある。
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- 電子・イオン衝突型加速器(EIC)
- 米国で提案された陽子と原子核の内部構造を研究するために、偏極電子と偏極陽子または原子核を加速し、それらを衝突させる新しい加速器。EIC はElectron-ion Colliderの略。
図1 クォーク・反クォーク対生成後に2次的に発生するハドロン
電子・陽電子消滅から初期クォーク・反クォーク対が生成した後、対生成した方向(紫の線で近似)の周りにさまざまな2次的粒子が飛散していくことを示した模式図。初期クォーク・反クォーク対が生成した方向に垂直な運動量成分が、横方向運動量PhTである。
図2 本実験で生成された三つのハドロンの横運動量の振る舞い
横軸は、観測されたハドロン(パイ中間子:赤、K中間子:青、陽子:緑)のエネルギーの初期状態(クォーク・反クォーク対生成エネルギー)」に対する割合。zはエネルギー比を示す。縦軸は、ハドロンが持つ横運動量幅(ガウス近似)。2種類の中間子は、陽子と異なった振る舞いを示したことが分かる。
図3 パイ中間子の横運動量の実測と理論の比較
パイ中間子に対するエネルギー比zの関数としてのガウス近似で求めた横運動量幅(赤)と、理論的モデルの基づくシミュレーションにより得られた横運動量幅(青)の比較。実測を理論で再現できたことが分かる。