2022-10-26 理化学研究所,東京工業大学,住友ゴム工業株式会社
理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター先端NMR開発・応用研究チームの石井佳誉チームリーダー(東京工業大学生命理工学院生命理工学系教授、放射光科学研究センターNMR研究開発部門部門長(研究当時))、大内宗城客員研究員(放射光科学研究センターNMR研究開発部門NMR応用・利用グループNMR先端応用・外部共用チーム技師(研究当時))、東京工業大学生命理工学院生命理工学系の柏原功典大学院生(研究当時)、住友ゴム工業株式会社の北浦健大主査、堀江美記氏らの共同研究グループは、超高磁場核磁気共鳴(NMR)[1]装置を使用し、加硫[2]天然ゴム(加硫NR)の特性を決定すると考えられる硫黄を含む構造の精密な解析に成功しました。
本研究成果は、新しいゴムの合成法やゴムの再生に有効な脱硫[2]法の開発にとって重要な知見であり、持続可能な社会の実現に貢献すると期待できます。
加硫NRはタイヤなど私たちの日常で広く使われており、さらなる高性能化や、リサイクルのための効率的な脱硫法の開発が求められています。しかし、加硫NRには複雑な硫黄結合を含む部分構造[3]が含まれるため、その詳細構造は未知のままでした。
今回、共同研究グループは、超高磁場NMRを用いたアプローチにより、加硫天然ゴムに硫黄を含む環状構造[4]や架橋構造[5]を含む新しい部分構造が存在することを明らかにしました。また、加硫により形成する架橋構造 [5]の副生成物と考えられてきた環状構造が、実際には主要な部分構造である可能性が示されました。
本研究は、科学雑誌『Biomacromolecules』オンライン版(10月25日付:日本時間10月25日)に掲載されました。
加硫天然ゴム中の新しい部分構造を発見
背景
加硫天然ゴム(加硫NR)は、自動車や航空機のタイヤ、医療用装置の部品など私たちの日常で広く使われています。加硫NRは、高分子(ポリマー)の一種である天然ゴムに硫黄(S)などの加硫剤と加硫促進剤を混練し、高温・高圧下で高分子を架橋することで製造されます。こうして加硫された天然ゴムは高い弾性を持つようになり、その機械的特性を超える合成ゴム材料は未だにありません。
加硫NRは、硫黄を含む部分構造の形成により、網目構造をとるとされています。加硫により形成される部分構造には、分子と分子をつなぐ架橋構造が含まれており、この詳細な構造が分かれば、ゴム材料としての高性能化や製造の効率化に役立つと期待されています。また、リサイクルが非常に困難なゴム製品を再生可能とするためには、硫黄を効率的に除去(脱硫)する方法の開発も重要です。さらに、天然ゴムの原料であるパラゴムノキの高齢化・病気などへの対策として新しい合成ゴム開発を進めるためにも、加硫NRの構造解明が望まれています。
しかし、核磁気共鳴(NMR)やその他の手法により、過去30年間以上にわたって様々な研究の取り組みがなされてきましたが、加硫NRが溶媒に不溶であるなどの性質や、硫黄を含む部分構造の複雑さのために、その詳細な構造は依然として不明なままでした。
研究手法と成果
加硫NRの構造解析には、NMR測定法が広く用いられてきました。加硫NRは一般に溶媒に溶解しないため、特殊な場合を除いて通常は固体NMR[6]が使用されています。
今回共同研究グループは、固体状の加硫NR試料を高速マジック角回転[6]を併用した高磁場固体NMRで分析するとともに、新しく考案した手法による溶液NMR[6]測定も試みました。この手法は、加硫前の天然ゴムを溶媒に溶解した後で、さらに硫黄などを添加して、加熱反応させたゾル[7]状のNR溶液試料を高磁場溶液NMRで分析するものです(図1)。
図1 タイヤ製造における天然ゴムの加硫と、本実験の流れの比較
a)タイヤ製造における天然ゴムの加硫の流れ。パラゴムノキの樹液(ラテックス)を固めたブロック状の生ゴム(TSR)やシート状の生ゴム(RSS)に、硫黄や炭素などの加硫剤と加硫促進剤を加えた固体試料を混錬し、高温・高圧で加硫したものからタイヤを製造する。
b)本実験で用いた試料の作製とNMR測定の流れ。固体試料は、タイヤ製造とほぼ同様の加硫を行ったものを固体NMR測定に用いた。溶液試料には、加硫前の精製天然ゴムを溶媒で溶かして試料管に入れた後に硫黄などを添加して、高温で反応させたものを用いた。また、溶媒で溶解しただけの精製天然ゴムを未処理NRとし、対照実験に用いた。TSR20やSVRLは、実験に用いた生ゴムの品名。
図2は、固体試料(加硫NR)、溶液試料(ゾル状NR)、および天然ゴムを溶媒で溶解した未処理NRの13C-NMR[8]の1次元NMR[9]スペクトルです。固体試料と溶液試料のどちらにも、未処理NR試料に比較して多くの信号が検出されていることから、これらの信号は硫黄の添加・加熱で生じた化学反応による構造変化を反映したものと考えられます。さらに固体試料と溶液試料では、信号の強度差はあるもののほぼ同じ位置に信号が表れており、固体と溶液試料でほぼ同じ構造が得られていることが分かります。
図2 13C-NMRの1次元スペクトル
a固体試料(固体NMR)、b溶液試料およびc未処理NR(いずれも溶液NMR)の13C-NMRの1次元NMRスペクトルを比較したグラフ。a、bでは、cには見られない信号が同じ位置に多数検出された。なお、aに特異的なシグナル**は、試料回転により本来のピークとは異なる位置にシグナルが検出されるスピニングサイドバンドと呼ばれる現象。b、cに特有のシグナル***は、NMRに用いた溶媒のシグナル。
次に、溶液試料の高磁場1次元NMRおよび高磁場2次元NMR[9]による詳細な解析から、ゾル状NRの精密な構造解析を試みました。その結果、加硫されたゾル状NRには、環状スルフィド[4]などを持つ環状構造およびビニリデン基[5]などを持つ架橋構造の存在が明らかになり、これまで知られていなかった部分構造が推定されました(図3)。
図3 高磁場溶液NMRにより明らかになった、加硫されたゾル状NRの部分構造
上)加硫されたNRの架橋構造および網目構造の概念図。波線(分子鎖)内部をつなぐ硫黄(S)は環状構造を示し、分子鎖間をつなぐSは架橋構造を示す。
中)本研究から推定された環状構造を含む部分構造の3例(α、β、γ)。X=1の場合を環状スルフィドと呼ぶ。
下)本研究から推定された架橋構造を含む部分構造の3例(A、B、C)。Bはビニリデン基を持つ。
さらに、溶液NMRスペクトルと固体NMRスペクトルを詳しく比較することで、固体試料においても環状スルフィドなどを持つ環状構造、およびビニリデン基などを持つ架橋構造を持った部分構造が明らかになりました(図4)。異なるNMR測定法で一致する結果が得られたことから、これらの部分構造の存在の確らしさがより高められたといえます。
また、従来の加硫NRの研究では、さまざまな架橋構造が報告・提案されていましたが、今回、信号の帰属などを含めて改めて定量的な高磁場NMR分析を行ったところ、架橋構造のみでなく、環状構造(図4赤字α~γ)も加硫NRの硫黄を含む主要な部分構造を形成する可能性を示す具体的な証拠が得られました。また、上記の新しい構造を含めて加硫NRに存在する架橋構造(図4青字A~C)は、比較的少ない種類に絞られる可能性が示されました。従って本研究の結果では、加硫による架橋構造の副生成物と考えられてきた環状構造が、実際には主要な部分構造であると考えられます。以上のことは、従来の加硫NR構造の展望を大幅に更新する可能性があります。
図4 固体試料(a)と溶液試料(b)で比較した硫黄結合点のメチン基の2次元NMR
天然ゴム(NR)を硫化すると、硫黄原子は高分子(ポリcis-イソプレン)の鎖の一部に結合し、硫黄と結合したメチン基(CH)などが生成するため、2次元NMRでメチン基の炭素・水素間の情報を得ることで、硫黄を含む部分構造を解析できる。固体試料(a)と溶液試料(b)を用いた高分解能2次元NMRスペクトルでは、架橋構造と環状構造を示すシグナルがいずれも一致していた。
今後の期待
今回の加硫NRのNMR解析では、以前に報告されたものとは異なる架橋構造が特定されるとともに、環状構造が硫黄を含む主要な部分構造の可能性があるという予想外の結果を得ました。環状構造は分子鎖と分子鎖をつなぐ架橋構造ではないので、ゴムの弾性を含む機械的性能などにどのような影響があるか今後の検証が必要です。本研究で考案した溶液NMRを用いた測定方法は、環状構造の生成の検証に応用可能であり、ゴム製品の高性能化や製造時の効率化に貢献するものと考えられます。
ゴム製品はリサイクルが非常に困難で、持続可能性に対する社会での意識の高まりから、ゴム製品をリサイクルするために加硫NR製品を脱硫する効率的な方法の開発が求められています。本研究での構造解析アプローチは、ゴムの高性能化や新しいゴム合成およびゴムの再生に有効な脱硫法の開発のための非常に有効なツールとなり得ます。例えば、高寿命化のために自己再生機能などを持った高性能なゴムの開発が求められていますが、適切にデザインされた環状構造が自己再生機能の導入などに有用である可能性もあります。また近年、気候変動やパラゴムノキの高齢化により天然ゴムの安定供給が課題となっています。そのため市場では、生合成による代替品の検討や人工的に高性能なゴムを合成する試みもあり、本研究で得られた知見が今後のゴム産業の発展につながると期待されます。
さらに、今回用いたNMR法は天然ゴム以外のさまざまな高分子に応用可能です。硫黄を含む架橋構造以外にも、架橋構造の解析が困難だった分野に展開することで、NMR法による高分子物性の研究のさらなる進展が期待されます。また、提案した方法に理研と東工大の研究チームらが開発中の水素核の共鳴周波数が1 ギガヘルツ(GHz、1Gzは10億ヘルツ)を超える超高磁場NMR装置を組み合わせることで、さらに解析力が向上することが期待できます。
補足説明
1.超高磁場核磁気共鳴(NMR)
NMRは、静磁場中に置かれた原子核が核固有の共鳴周波数の電磁波と相互作用する現象、または、この現象を用いた分析装置を指す。化学結合状態がスペクトルとして得られるため、物質の構造の分析に用いられる。磁場が強くなるほど感度と分解能が向上し、普及型のNMRよりも高い磁場(18.8テスラ以上)を持つNMRはしばしば超高磁場NMRと呼ばれる。NMRはNuclear Magnetic Resonanceの略。
2.加硫、脱硫
パラゴムノキの樹液を集め、脱水や化学的処理などを施して作られる天然ゴムは、そのままでは弾力性に乏しいが、硫黄と反応させてゴム分子を架橋させると伸び縮みするゴムとしての性質が得られる。この工程を加硫と呼ぶ。一方、ゴム製品をゴム原料に戻してリサイクルするためには硫黄を含む架橋構造を壊すなどの必要があり、この目的で加硫天然ゴムから硫黄を除去する処理を脱硫と呼ぶ。
3.部分構造
単位分子の繰り返しで構成されるポリマー中にあって、架橋や枝分かれなど部分的に異なる構造。
4.環状構造、環状スルフィド
複数の原子が結合し環のような形になった部分を環状構造と呼ぶ。図3に記載の環状構造のうち、x=1の場合を環状スルフィドと呼び、x=2の場合を環状ジスルフィド、x≧3の場合を環状ポリスルフィドと呼ぶ。
5.架橋構造、加硫による架橋構造、ビニリデン基
複数の分子が橋を架けたような形で結合した構造を架橋構造と呼ぶ。図3のように、高分子鎖(今回の場合は、天然ゴムのポリ-cis-イソプレン)を加硫などで結合させ、新しく化学結合を作った場合は硫黄を含む架橋構造が形成され、高分子は3次元網目構造を成す。このうち、図3の架橋構造Bのように、H2C=C<基を持ったものをビニリデン基と呼ぶ。
6.固体NMR、高速マジック角回転、溶液NMR
測定対象となる物質を溶媒に溶かす溶液NMR法に対し、固体状態の物質を測定するNMR法を固体NMR法と呼ぶ。固体サンプルのNMR信号は分解能が非常に低いが、磁場方向に対して試料を54.7°傾けて高速回転させて計測することにより、分解能・感度ともに向上させることができる。この手法を高速マジック角回転と呼ぶ。
7.ゾル
ポリマーなどのコロイド粒子が溶媒中に分散し、流動性を保っていること。これに対し、コロイド粒子の固形状態はゲルという。
8.13C-NMR
13C核を観測するものを13C-NMRという。炭素原子の天然存在比(天然に存在する比率)は、約99%の12Cと約1%の13Cである。12C核はNMRで観測されないため、13C核が対象となる。
9.1次元NMR、2次元NMR
通常の1次元NMRでは、横軸に周波数、縦軸に共鳴の強度をとるグラフ状のスペクトルとして表される。一方2次元NMRは、化学結合でつながって隣接する基やお互いに作用し合う基など、相互作用を測定する手法。例えば、H-H相関2次元NMRでは隣接した水素間の情報を、また、高分解能のC-H相関2次元NMRでは隣接した炭素と水素間の情報を得る。これらの情報から化合物の構造解析が可能となる。情報を分かりやすくするため2次元に展開され、数百種類の測定法がある。
研究チーム
理化学研究所生命機能科学研究センター
先端NMR開発・応用研究チーム
チームリーダー石井佳誉(イシイ・ヨシタカ)
(放射光科学研究センターNMR研究開発部門 部門長(研究当時))
(東京工業大学生命理工学院生命理工学系 教授)
客員研究員 大内宗城(オオウチ・ムネキ)
(放射光科学研究センターNMR研究開発部門
NMR応用・利用グループNMR先端応用・外部共用チーム技師(研究当時))
(東京工業大学生命理工学院研究員)
東京工業大学生命理工学院生命理工学系
大学院生(研究当時)柏原功典(カシハラ・コウスケ)
大学生 児玉有(コダマ・ユウ)
大学生(研究当時)新井逹寛(アライ・タツヒロ)
住友ゴム工業株式会社
主査 北浦健大(キタウラ・タケヒロ)
堀江美記(ホリエ・ミキ)
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業大規模プロジェクト型エネルギー損失の革新的な低減化につながる高温超電導線材接合技術「高温超電導線材接合技術の超高磁場NMRと鉄道き電線への社会実装(研究開発代表者:前田秀明)」の助成を受けて行われました。また本研究の一部は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業国際共同研究加速基金帰国発展研究「次世代の高磁場生体固体NMR法の開発とアミロイドとリガンド相互作用の構造生物学(研究代表者:石井佳誉)」の助成も受けて行われました。
原論文情報
Kousuke Kashihara, Muneki Oouchi, Yu Kodama, Tatsuhiro Arai, Miki Horie, Takehiro Kitaura, and Yoshitaka Ishii, “High-Field Nuclear Magnetic Resonance Studies Reveal New Structural Landscape of Sulfur-Vulcanized Natural Rubber”, Biomacromolecules, 10.1021/acs.biomac.2c00141
発表者
理化学研究所
生命機能科学研究センター 先端NMR開発・応用研究チーム
チームリーダー石井佳誉(イシイ・ヨシタカ)
(放射光科学研究センターNMR研究開発部門部門長(研究当時))
(東京工業大学生命理工学院生命理工学系教授)
客員研究員 大内宗城(オオウチ・ムネキ)
(放射光科学研究センターNMR研究開発部門
NMR応用・利用グループNMR先端応用・外部共用チーム技師(研究当時))
(東京工業大学生命理工学院研究員)
東京工業大学生命理工学院生命理工学系
大学院生(研究当時)柏原功典(カシハラ・コウスケ)
住友ゴム工業株式会社
主査 北浦健大(キタウラ・タケヒロ)
堀江美記(ホリエ・ミキ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京工業大学総務部広報課
住友ゴム工業株式会社 広報部