2022-09-06 農研機構,国際農研,岐阜大学,島根大学
ポイント
農研機構らの研究グループが構築した国際的な水田微気象観測ネットワークにより、気温ではなく開花時間帯の水稲の穂の温度(穂温)を指標とすることで、温度や湿度条件の異なる様々な気候下の水田における高温不稔を統一的に評価できることを、世界で初めて実証的に明らかにしました。その結果、高温で湿潤な気候の地域では蒸散に伴う気化冷却効果が小さく穂温が高くなりやすいため、高温不稔リスクが高いと推定されました。本評価手法を活用することで、世界の高温不稔の予測精度を向上させ、また高温不稔に対して適切な対策を講じることが可能になります。
概要
MINCERによる水稲群落内熱環境の測定の様子
コメは世界人口の約半数が主食とし、様々な気候帯で水稲栽培が行われています。しかし、温暖化の進行に伴いその高温障害の増加が懸念されています。特に、開花時に穂が高温に曝されることで発生する開花期高温不稔1)は、コメの生産性を大きく低下させると考えられています。これまで、一部の熱帯地域や中国の長江流域などで高温不稔による減収被害が報告されており、国内でも猛暑年に高温不稔が一部地域で確認されたことを、今年1月に報告しています(2022年1月18日農研機構プレスリリース)。しかし、どのような環境や栽培条件下で高温不稔が発生しやすいのかを広範に解析した事例はありませんでした。このため農研機構らの研究グループは、アジア・アフリカ・アメリカの11の国と地域にわたる国際的な水田微気象2)観測ネットワーク(MINCERnet)を構築し、共通の測器(MINCER)3)を用いて観測を行い、世界の稲作地域の水田の水稲群落内熱環境4)と高温不稔に関するデータを集積してきました。このデータを解析し、MINCERによる気温・湿度の実測値を穂温推定モデル5)に適用して、各水田の水稲の穂温を計算した結果、開花時間帯の穂温を指標とすることで、温度や湿度の異なる様々な気候条件の水田における高温不稔を統一的に評価できることを、世界で初めて明らかにしました。
穂温は、群落上の気温だけでなく、群落や穂の蒸散に伴う気化冷却効果6)に左右されます。乾燥した気候では活発な蒸散により冷却効果が大きく、穂温は群落上の気温よりも低くなる一方、湿潤な気候では蒸散が抑制され冷却効果が小さいために、穂温の方が気温より高くなる傾向がありました。その結果、気温が高い地域と穂温が高い地域とは、必ずしも一致しないことがわかりました。不稔率は、群落上の気温とではなく穂温と高い相関が認められ、開花時間帯の穂温を指標とすることで、様々な気候条件下でも高温不稔を統一的に評価できることを明らかにしました。開花時間帯の穂温を指標として各観測地点の不稔率の分布範囲を算定すると、酷暑でも乾燥した気候では高温不稔リスクが低く、高温で湿潤な気候で高温不稔リスクが高いと推定されました。
このように、開花時間帯の穂温を指標とした評価手法は、現在の高温不稔の発生リスクが高い地域の特定に役立つだけでなく、将来のコメ収量の予測精度の向上や、高温障害の軽減技術の有効性評価などを通じて、気候変動下の世界の安定的なコメ生産を実現するための重要な機軸となることが期待されます。
この成果は2022年4月1日に国際科学誌Agricultural and Forest Meteorologyに掲載されました。
参考資料
農研機構2022年1月18日プレスリリース「猛暑年に国内水稲の高温不稔の実態を調査、モデル化で将来予測も可能に」
https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/niaes/148782.html
関連情報
予算: 運営費交付金、科学研究費補助金 基盤研究A「15H02650」、地球環境保全等試験研究費「農-1531」、「農-1842」
問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構農業環境研究部門 所長山本 勝利
研究担当者 :
同 気候変動適応策研究領域 主席研究員吉本 真由美
広報担当者 :
農研機構農業環境研究部門 研究推進室(兼本部広報部)杉山 恵
国際農林水産業研究センター 情報広報室長大森 圭祐
国立大学法人 東海国立大学機構岐阜大学 総務部総務課広報グループ野原 太地
国立大学法人 島根大学 企画広報課広報グループ岡 真里恵
詳細情報
開発の社会的背景と経緯
コメは世界人口の約半数が主食とし、様々な気候帯で水稲栽培が行われています。しかし温暖化の進行に伴いその高温障害の増加が懸念されています。高温障害のうち、登熟期(開花後、米粒が充実する期間)の高温による白未熟粒(米粒へのデンプン蓄積が不十分なため白く濁って見える状態)の増加などの品質低下は、国内でも既に問題が顕在化しており、登熟期の高温下でも品質が低下しにくい高温耐性品種や栽培管理手法の開発が、農研機構や各自治体等で進められています。一方、さらなる温暖化の進行に伴い発生が懸念されている高温障害が、開花期の高温による不稔です。開花期高温不稔は、開花時に穂が高温に曝されることにより受粉が阻害されて不稔になる障害で、これまでに、一部の熱帯地域や中国の長江流域などで高温不稔による減収被害の報告例がある他、日本でも猛暑年には通常より高い割合での不稔発生が報告されています(2022年1月18日農研機構プレスリリース)。
開花期高温不稔は、気温よりも穂の温度が大きく影響する可能性が示唆されてきたものの、穂温を左右する水田微気象条件が、世界の稲作地帯でどのように異なり高温不稔を引き起こすかは未解明でした。そこで農研機構を中心とした研究グループは、電源の確保が困難な水田でも高精度かつ簡易に水田の微気象を測定できる自立型群落内微気象測定装置(MINCER)を開発し、MINCERを共通測器として観測を行う国際的な水田微気象観測ネットワーク(MINCERnet)を構築しました。これにより世界の稲作地域における水田微気象と高温不稔に関するデータを集積し、実測データに微気象モデルを適用することで、温度や湿度の異なる様々な気候条件の水田における高温不稔の発生要因を解明し、そのリスク分布の解析を行いました。
研究の内容・意義
1.国際的な水田微気象観測ネットワーク(MINCERnet、図1)の11の国と地域(セネガル、ガーナ、ベナン、インド、スリランカ、ミャンマー、フィリピン、中国、台湾、日本、アメリカ合衆国)の観測地点の水田で栽培試験を行い、水稲群落上と群落内の気温・湿度を自立型群落内微気象測定装置(MINCER)で連続測定しました。共通品種として、高温不稔にやや弱い標準品種(IR64)と高温不稔に強い耐性品種(N22)を栽培し、開花期間や開花時間帯、不稔率等のデータを収集しました。また、MINCERによる気温・湿度の実測値を、農研機構で開発した穂温推定モデルに適用して、各水田の水稲の穂温を計算しました。
2.水稲は一般に午前から昼にかけての数時間に開花します。各観測水田での開花時刻を調べ、開花期7日間の開花時間帯の気温と穂温の分布を比べました(図2)。すると、水稲が直接感受する群落内の気温や穂温は、群落上の気温とは異なり、その差は観測地点によって大きく異なりました。特に、乾燥した気候のセネガルの観測地点では、群落や穂の蒸散が盛んに行われることによる気化冷却効果が大きく、穂温は群落上の気温よりも(中央値で)5°C以上低くなりました。一方、湿潤な気候のベナン、中国、台湾、アメリカ合衆国等の各観測地点では、群落や穂の蒸散が抑制され冷却効果が小さいために、むしろ穂温の方が群落上の気温より高くなる傾向がありました。この結果、群落上の気温が高い地域と、穂温が高い地域とは、必ずしも一致しないことがわかりました。
3.開花時間帯の気温・穂温と不稔率との関係を調べると(図3)、群落上の気温を指標とした場合は不稔率との相関は認められず、穂温を指標とした場合に相関が認められました。これまで高温不稔発生の指標として、最寄りの気象観測所での日最高気温など群落上の気温がしばしば用いられましたが、異なる気候条件で比べる場合には指標として不適であることがわかりました。一方、開花時間帯の穂温を指標とすることで、様々な気候条件下でも高温不稔を統一的に評価でき、その品種間比較も可能となることを、世界で初めて実証的に明らかにしました。
4.各観測地点の開花期頃の30日間の気象データから推定される不稔率の分布範囲を算定したところ(図4)、標準品種(IR64)では、酷暑で乾燥した気候のセネガルよりも、ベナン、フィリピン、中国などの高温で湿潤な気候の観測地点で不稔率の分布の中央値が約30%と高く、不稔リスクが高いと推定されました。台湾やアメリカ合衆国等の湿潤な温帯の各観測地点では、不稔率の分布の中央値は低いものの分布範囲が広く、開花期が高温の時期に遭遇した場合には穂温が上昇し、高い不稔率となる可能性があることが示唆されました。高温不稔耐性品種(N22)を導入すると、現在の気候条件ではすべての観測地点で不稔リスクを低く抑えられると推定されました。
今後の予定・期待
国際的な水田微気象観測ネットワーク(MINCERnet)により、水稲群落上の気温ではなく開花時間帯の穂温を指標とすることで、多様な気候条件下での高温不稔の統一的な評価やその品種間比較が可能となることを、世界で初めて実証的に明らかにしました。この開花時間帯の穂温を指標とした高温不稔評価手法を気候シナリオに適用すれば、今後の温暖化で、世界のどのような地域でどの程度高温不稔発生リスクが高くなるかの予測も可能になります。
また、高温不稔に対する適応策として、栽培時期の変更で高温を避ける技術の他、品種改良で高温不稔耐性を高めたり、開花時刻を昼前からより涼しい早朝に早めたりする方法、蒸散を盛んにすることで穂温や群落内の気温を下げる方法など、様々な技術が開発されつつあります。これらの適応策に対しても本成果の評価手法は有効で、各適応策を講じた場合の穂温の変化を把握することで、どのような気候の水田でどの程度高温不稔を低減できるのかを定量的に予測することができます。このように、国際的ネットワークにおける観測から裏付けされた高温不稔発生予測手法は、世界のコメ生産予測の精度向上や適応技術の有効性評価に役立つものと期待されます。
用語の解説
- 1)開花期高温不稔
- 水稲は一般に午前から昼にかけての数時間に開花しますが、開花時に水稲の穂(頴花えいか)が高温に曝されると、おしべの葯やくの裂開が阻害されたり、裂開しても葯から花粉がめしべの柱頭にこぼれなかったりして、受粉が阻害されて実らなくなります。これまでの室内実験では、開花時の気温が35°Cを超えると発生しはじめ、1°Cの温度上昇で不稔率が16%増大するという報告があり、閾値を超えた温度域で急激に不稔となる割合が増えることが知られていますが、屋外の水田での発生の実態については調査例が少なく未解明でした。
高温不稔で空となった籾 - 2)微気象
- 天気図などでの気象現象よりもスケールの小さい、地表面から高さ数メートルくらいまでの気象現象です。地面や植生の状態によって影響を受けており、特に水田などの農耕地は上空と大きく異なる気象環境となっています。
- 3)自立型群落内微気象測定装置(MINCER)
- 国際的な水田微気象観測ネットワーク(MINCERnet)のために、群落内の気温と湿度の観測を高精度かつ簡単に行えるように開発された気象観測装置(MINCER: Micrometeorological Instrument for Near Canopy Environment of Rice)。茎葉により風が遮られる群落内でも正確に観測を行えるように強制通風式シェルターを採用しています。通風ファンはソーラーパネルと充電池で駆動されるので、通風のための電源確保や配線作業の必要がなく、開発途上国などでの電源の確保が困難な水田でも置くだけで観測を始められます。
自立型群落内微気象測定装置(MINCER)の外観と構成
- 4)水田の水稲群落内熱環境
- 屋外の水田の群落内は、日射による群落の昇温や、植物の蒸散や水面からの蒸発に伴う気化冷却効果、植物体による日傘効果等のため、群落上の一般気象とは異なる微気象環境となっています。このため、水稲が直接感受する群落内の気温や穂温は、群落上の気温や気象観測所等での気温とは異なります。
水田の水稲群落内熱環境(イメージ)
屋外の水田では、水稲群落の上の気温と、群落内の温度環境は異なります - 5)穂温推定モデル(IM2PACT)
- 農研機構が水稲の高温障害を解明するためのツールとして開発した微気象モデル(IM2PACT: Integrated Micrometeorology Model for PAnicle and Canopy Temperature)。屋外の水田での熱収支式を解くことにより、一般的な日射量や風速、気温、湿度などの気象要素から、水田における穂の温度を推定することができます。本研究では、MINCERによる群落内外の気温・湿度の実測値と、水田の近くで測定した日射量、風速をIM2PACTに適用して穂温を推定しました。
- 6)蒸散による気化冷却効果
- 葉の気孔等を通して植物体内の水分が水蒸気として蒸発することを蒸散と呼びます。水分が蒸発する際には気化熱が奪われるため、蒸散によって植物体温が下がります。人間の場合でも、乾燥した気象条件で汗が蒸発すると体の表面温度が下がり、涼しく感じるのと同じ原理です。逆に、非常に湿潤で汗が蒸発しにくく、人間も熱中症になりやすいような気象条件では、植物体温も上がりやすくなります。
発表論文
Mayumi Yoshimoto, Minehiko Fukuoka, Yasuhiro Tsujimoto, Tsutomu Matsui, Kazuhiro Kobayasi, Kazuki Saito, Pepijn A.J. van Oort, Baba I.Y. Inusah, Chenniappan Vijayalakshmi, Dhashnamurthi Vijayalakshmi, W.M.W. Weerakoon, L.C. Silva, Tin Tin Myint, Zar Chi Phyo, Xiaohai Tian, Huu-Sheng Lur, Chwen-Ming Yang, Lee Tarpley, Norvie L. Manigbas, Toshihiro Hasegawa (2022) Monitoring canopy micrometeorology in diverse climates to improve the prediction of heat-induced spikelet sterility in rice under climate change. Agricultural and Forest Meteorology, 316, 108860. http://doi.org/10.1016/j.agrformet.2022.108860
著者と所属:
吉本 真由美(農研機構農業環境研究部門 主席研究員)
福岡 峰彦(農研機構農業環境研究部門 上級研究員)
辻本 泰弘(国際農林水産業研究センター プロジェクトリーダー)
松井 勤(岐阜大学 教授)
小林 和広(島根大学 准教授)
Kazuki Saito(Africa Rice Center, Cote d’Ivoire)
Pepijn A.J. van Oort(Wageningen Plant Research, the Netherlands)
Baba I.Y. Inusah(Savanna Agricultural Research Institute, Ghana)
Chenniappan Vijayalakshmi(Tamil Nadu Agricultural University, India)
Dhashnamurthi Vijayalakshmi(Tamil Nadu Agricultural University, India)
W.M.W. Weerakoon(Department of Agriculture, Sri Lanka)
L.C. Silva(Rice Research and Development Institute, Sri Lanka)
Tin Tin Myint(Department of Agricultural Research, Myanmar)
Zar Chi Phyo(Department of Agricultural Research, Myanmar)
Xiaohai Tian(Yangtze University, China)
Huu-Sheng Lur(National Taiwan University, Taiwan)
Chwen-Ming Yang(Taiwan Agricultural Research Institute, Taiwan)
Lee Tarpley(Texas A&M AgriLife Research, USA)
Norvie L. Manigbas(Philippine Rice Research Institute, the Philippines)
長谷川 利拡(農研機構農業環境研究部門 気候変動適応策研究領域長)
参考図
図1. 国際的な水田微気象観測ネットワーク(MINCERnet) 図2. 全観測地点で解析対象とした年の開花期7日間の開花時間帯の気温・穂温の分布
群落上と群落内の気温はMINCERによる実測値、穂温は穂温推定モデル(IM2PACT)による推定値です。箱ヒゲ図の箱の上下は分布の両端から25%の分布範囲、中央線は中央値を表します(ヒゲの上下は5%の分布範囲)。地点名の下の( )の数字は各地点の開花時間帯の群落上の湿度の平均値です。水稲が直接感受する群落内の気温や穂温は、群落上の気温とは異なり、その差は気候によって大きく異なることがわかりました。特に、乾燥した気候のセネガルの観測地点では、穂温は群落上の気温より(中央値で)5°C以上低くなる一方で、湿潤な気候のベナン、中国、台湾、アメリカ合衆国等の観測地点では、穂温の方が群落上の気温より高い傾向がありました。 図3. 不稔率と開花期7日間の開花時間帯の平均温度との関係
群落上の気温を指標とした場合(a)には不稔率との相関は認められませんでしたが、穂温を指標した場合(b)には相関が認められ、標準品種(IR64)と高温不稔耐性品種(N22)との定量的な比較も可能になりました。 図4. (a)標準品種(IR64)と(b)高温不稔耐性品種(N22)の高温不稔リスク分布
各観測地点の解析対象年の開花期頃の30日間の気象条件から、開花時間帯の穂温の分布範囲を推定し、図3(b)の関係を用いて不稔率の分布範囲を推定しました。箱ヒゲ図の箱の上下は分布の両端から25%の分布範囲、中央線は中央値を表します(ヒゲの上下は5%の分布範囲)。標準品種(IR64)では、ベナン、フィリピン、中国など湿潤な気候の観測地点で高温不稔リスクが高くなっています。高温不稔耐性品種(N22)を導入すると、現在の気候条件ではすべての観測地点で高温不稔リスクを低く抑えられています。