パルスNMRで乳牛の乳房炎を早期診断~難治性の黄色ブドウ球菌乳房炎をいち早く察知~

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2019-10-24 理化学研究所,農業・食品産業技術総合研究機構

理化学研究所(理研)光量子工学研究センター先端光学素子開発チームの田島右副専任研究員、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)動物衛生研究部門の菊佳男上級研究員、長澤裕哉研究員らの共同研究チーム※は、乳汁を小型のパルス核磁気共鳴装置(NMR)[1]で観測をすることで、黄色ブドウ球菌(SA)[2]感染による乳牛の乳房炎を簡便かつ迅速に診断できることを発見しました。

本研究成果は、酪農分野において深刻な被害をもたらす乳牛の難治性乳房炎の非侵襲的な早期診断を可能にし、乳房炎被害の削減に貢献すると期待できます。

今回、共同研究チームは、パルスNMRを用いた乳汁のスピン-スピン緩和時間[3]の測定により求めた乳汁に含まれる微粒子の比表面積[4]と、乳房炎の炎症症状の指標である乳汁中の体細胞数の関係を調べました。その結果、SAに感染した乳房の乳汁の比表面積は、健常乳房の乳汁よりも低い値を示すことが分かりました。これは、乳房内でSAが増殖する際に、乳酸発酵[5]によって乳タンパク質(主にカゼイン)の微粒子が凝集し、見かけの比表面積が減少したからだと考えられます。これにより、SA増殖の初期段階を察知することができ、乳房炎の早期治療が可能になります。

本研究は、10月26日に仙台市で開催される『第24回日本乳房炎研究会学術集会』で発表されます。なお理研および農研機構は、「家畜の乳房炎の検査方法及び検査システム」として特許を共同出願しています。

黄色ブドウ球菌に感染した乳房と健常乳房における乳汁の体細胞数と比表面積値の観測例の図

図 黄色ブドウ球菌に感染した乳房と健常乳房における乳汁の体細胞数と比表面積値の観測例

背景

乳牛の乳房炎は乳汁生産に関わる重要な疾患で、さまざまな病原微生物が乳房に感染することで発症します。日本では乳牛の乳房炎は、年間800億円に上る経済損失注1)、生産者には乳質や乳量の低下、消費者には飲用乳汁の安全性低下の脅威をもたらします。

酪農の大規模経営化に伴い、日本においても搾乳作業などのロボット化が加速しています。今後は、個体単位の乳牛の管理から群単位の管理への移行がさらに進むことが予想され、多頭数の乳牛の健康状態を把握する必要が高まっています。そのため人に代わって、個体や乳房単位で乳牛の乳房炎の早期診断を可能にする新たな自動早期診断技術の開発が求められています。

そこで、共同研究チームは、パルス核磁気共鳴(NMR)を用いた非侵襲的な自動乳房炎診断技術の開発を試みました。

注1)生産病の今日的課題、日本獣医師会会誌61、論説、165.

研究手法と成果

共同研究チームはまず、農研機構動物衛生研究部門(北海道研究拠点)に供試された乳用牛(No.348)から採取した乳汁の体細胞数(SCC)を測定しました。SCCは乳房炎の炎症程度の指標であり、30万/mLを超える場合に乳房炎と判断されます。測定の結果、右前および左後の乳房の乳汁中SCCは、それぞれ60万/mL、224万/mLを示し、乳房炎を発症していましたが、いずれの乳汁からも黄色ブドウ球菌(SA)という難治性のグラム陽性菌[2]は検出されませんでした。一方で、右後と左前の乳房はいずれも5万/mL以下で、健常乳房であることが分かりました。

次に、パルスNMRを用いて、各乳房から搾乳した乳汁のスピン-スピン緩和時間(T2緩和時間)を26日間にわたって計測し、それらの値からそれぞれの比表面積(S-Area)を計算によって求めました。比表面積は乳汁に含まれる微粒子の単位質量あたりの表面積を表し、同じ質量なら粒子が細かいほど大きな値を示します。測定・計算の結果、乳房炎を発症した乳房から採取した乳汁では、全期間にわたってSCCが多いときは比表面積値も高い値を示しました(図1)。これは乳房炎発症乳房から得た乳汁には、健常乳にはない異質な微粒子状成分が混入したためと考えられます。

無菌性乳房炎を発症した乳牛から採取した乳汁の比表面積値と体細胞数の経日変化の図

図1 無菌性乳房炎を発症した乳牛から採取した乳汁の比表面積値と体細胞数の経日変化

乳房炎は発症しているが黄色ブドウ球菌(SA)には感染していない乳汁における、比表面積値(S-Area)と体細胞数(SCC)の26日間の経日変化を示す。S-Areaは○、SCCは棒グラフで示す。乳房炎を発症した、青で示した右前乳房(RF)と赤で示した左後乳房(LB)については、1~3日目、26日目のように、SCCが多いときはS-Areaも高い値を示すことが分かる。なおRBは右後乳房、LFは左前乳房を指す。

一方、実験的に黄色ブドウ球菌(SA)を別の乳牛(No.341)の左後乳房にのみ注入して、他の健常乳房から採取した乳汁とともに、SCCおよび比表面積を測定しました。その結果、注入後3日目に左後乳房の乳汁はSCCが253万/mLに達し、SA感染乳房炎を発症していましたが、比表面積値は健常乳房から採取した乳汁よりも低い値を示しました(図2)。これは、SA非感染乳房炎を発症したNo.348とは逆の結果です。

SA感染乳房炎を発症した乳牛から採取した乳汁の比表面積値と体細胞数の経日変化の図

図2 SA感染乳房炎を発症した乳牛から採取した乳汁の比表面積値と体細胞数の経日変化

四つの乳房のうち、左後(LB)にのみ黄色ブドウ球菌(SA)を注入し、ほかの三つは健常乳房の乳牛から採取した乳汁における、比表面積値(S-Area)と体細胞数(SCC)の25日間の経日変化を示す。S-Areaは○、SCCは棒グラフで示す。赤で示す左後乳房(LB)のみ、注入後3日目に乳汁のSCCが253万/mLに達し、SA感染乳房炎を発症したが、S-Areaは他の健常乳房よりも低い値を示した。

この原因を探るため、in vitro(試験管内)で健常な乳汁に複数種のSAを添加し、37℃で保温して比表面積値の変化を調べました。その結果、いずれのSAを含んだ乳汁においても、経時的なpHの低下に伴い、乳汁の比表面積値が減少する傾向が示されました(図3)。これは、乳房内でSAが増殖する際に、乳汁中に含まれる乳タンパク質(主にカゼイン)の微粒子がSAから産生される乳酸(酸性物質)の作用(乳酸発酵)で凝集し、見かけの比表面積が減少したことによると考えられます。実際に、健常乳汁を乳酸発酵させたところ、経時的に比表面積値が低くなることが分かりました(図4)。

複数の異なる株種の黄色ブドウ球菌を添加した乳汁の比表面積値とpHの図

図3 複数の異なる株種の黄色ブドウ球菌を添加した乳汁の比表面積値とpH

健常乳(コントロール)と8種類の黄色ブドウ球菌(SA)を添加した乳汁について、比表面積の経時変化とpHを調べた。棒グラフの青は3時間後、橙は6時間後、灰色は9時間後、黄は21時間後の比表面積値、折れ線グラフは21時間後のpHを示す。SAを添加したどの乳汁においても、時間が経過するに伴い、比表面積値が減少したことが分かる。

乳汁の乳酸発酵における比表面積変化を観測した結果の図

図4 乳汁の乳酸発酵における比表面積変化を観測した結果

健常乳房から採取した乳汁を乳酸発酵させて、NMR測定を行い、比表面積を求めた。時間が経過するに伴い、比表面積値は低くなっていった。

以上の結果は、NMRによる乳汁計測によって乳房炎発症の有無に加え、原因菌を推定できることを示しています。

今後の期待

本研究成果は原因菌の増殖そのものを検知するため、早期に乳房炎発症の予兆を察知できます。さらに、超小型NMRを搾乳機に直接設置し、乳房ごとの比表面積値を搾乳時にモニターすることで、酪農作業の省力化や生産性向上にも役立ちます。

また、NMRによる乳汁検査でSA感染以外の乳房炎(乳酸発酵を行わない無菌性の乳房炎など)に対しても判別可能になるものと期待できます。

今後は、さまざまな乳房炎要因に対してデータを採取し、機械学習[6]や人工知能(AI)[6]と連動させ、信頼性の高い乳房炎検査技術に発展させたいと考えています。

補足説明

1.パルス核磁気共鳴装置(NMR)
静磁場に置かれたサンプルの高周波パルスに対する応答信号を検出し、水素原子核の磁気緩和時間を測定する装置。緩和時間の違いを利用して、化学反応や形状変化を追跡できる。NMRはNuclear Magnetic Resonanceの略。

2.黄色ブドウ球菌(SA)、グラム陽性菌
グラム陽性菌は、グラム染色によって染色される細菌のこと。黄色ブドウ球菌は、グラム陽性菌の一種であり、乳房炎の原因菌の中で難治性の乳房炎を引き起こすことが広く知られている。感染乳汁から搾乳者の手指、清拭用タオル、搾乳器などを介して他の乳房や牛に伝播する。SAはStaphylococcus aureusの略。

3.スピン-スピン緩和時間
磁場によって生じた原子核スピンの歳差運動の位相が一定である状態(コヒーレント状態)が、近傍のスピンの影響を受けて、次第にランダム状態に戻るまでの時間。

4.比表面積
微小粒子における単位質量あたりの表面積。同じ質量なら粒子が細かいほど大きくなる。パルスNMRの緩和時間から計算式によって求めることができる。

5.乳酸発酵
細菌や細胞が起こす醗酵の一種で、無酸素下でグルコースを乳酸に変換する。

6.機械学習、人工知能(AI)
人間の知的振る舞いを人工的に実現することを人工知能という。機械学習は人工知能の一種で、センサー計測やデータベースから得られる膨大なデータから、規則性や判断基準を抽出して、アルゴリズム(形式化)に発展させる。

共同研究チーム

理化学研究所 光量子工学研究センター
先端光学素子開発チーム
専任研究員 田島 右副(たじま ゆうすけ)
画像情報処理研究チーム
チームリーダー 横田 秀夫(よこた ひでお)

農業・食品産業技術総合研究機構 動物衛生研究部門
北海道研究調整監 林 智人(はやし ともひと)
病態研究領域寒地酪農衛生ユニット
上級研究員 菊 佳男(きく よしお)
上級研究員 三上 修(みかみ おさむ)
研究員 長澤 裕哉(ながさわ ゆうや)

研究支援

本研究は、「理化学研究所と農業・食品産業技術総合研究機構との連携・協力に関する協定」のもとで、平成29~31年度理化学研究所エンジニアリング・ネットワーク公募型プロジェクト「光超音波法を用いた牛乳房炎の非侵襲早期診断技術の開発」、平成30年度農研機構 動衛研部門長裁量型研究費「光量子工学的手法を用いた新たな乳房炎診断の技術開発を目指した正常分房と乳房炎分房における組織構造および成分分布の比較検討」による支援を受けて行われました。

原論文情報

田島右副、横田秀夫、菊佳男、長澤裕哉、三上修、林智人, “核磁気共鳴(NMR)緩和時間を用いた早期乳房炎診断”, 第24回日本乳房炎研究会学術集会(10月26日)

発表者

理化学研究所
光量子工学研究センター 先端光学素子開発チーム
専任研究員 田島 右副(たじま ゆうすけ)

農業・食品産業技術総合研究機構 動物衛生研究部門
病態研究領域 寒地酪農衛生ユニット
上級研究員 菊 佳男(きく よしお)

左から長澤研究員(農研機構)、横田チームリーダー(理研)、林調整監(農研機構)、
田島専任研究員(理研)、三上上級研究員(農研機構)、菊上級研究員(農研機構)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

農研機構動物衛生研究部門 企画連携室 広報プランナー

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