執筆者:栗林 美紀(主任研究官)
学生の生体情報と理解度の関係
授業中の生体情報は、学生の自発的な反応であり、客観的で定量的な測定データを得られることから、学生の情意・感性面の変化の指標になりえると指摘され1)、一部では、生体情報から学生の心的状態の推定を試みる研究も進んできています。眼球運動や発汗量、自律神経の状態などの生体情報は、学生の学習理解度や心理状態と関係付ける指標となることが指摘されてきました。2)。
例えば、自律神経の活動をモニタリングする方法では、低周波数(LF)と高周波数(HF)の積算比LF/HFは自律神経機能の指標として用いられ、大きな値をとる時は交感神経が活発で活動的、小さな値をとる時は副交感神経が優位でリラックスした状態を示します。男子大学生に課題を与え、実施時間を水平矢印で表し、額に付ける測定装置を開発し、LF/HFの経時変化を見た調査では、心理負荷を与えた時にLF/HFの値が高い傾向にあります。3)
生体情報を活用する学習環境
我が国のこのような状況の中、南カリフォルニア大学(University of Southern California,USC)のThe Center for Human-Applied Reasoning and the Internet of Things(CHARIOT)では、臨床教育と電気工学の専門家が協力し、パーソナライズされた学習と指導のため、学生の複数の生体情報をIoTなどで収集し、ネットワークでつなげて提供できないか考えました。そこで、インドの企業Smartronと協力して、リアルタイムで収集した授業中の学生の生体情報を分析し、即座にそれぞれ学生の認知状況を教員にフィードバックすることで、適切な指導を行なうとともに、学習意欲を高める画期的な試みを始めています。5) Smartronは、ウェアラブル、モバイル、コンピューティングデバイスをシステム化し、IQ、ストレス、感情レベル、認知スキルと非認知スキルに基づいて、個々の学生の情報をリアルタイムに分析するプラットフォームを構築しました。6)
このプラットフォーム上では、教室のセンサーから学生の瞬き、目の動きのデータを収集し、また、学生が身に着けたリストバンドから、歩数や心拍数を記録し、これらのセンサーの測定値を解析して、教員にメッセージを送り、どの学生が助けを必要としているか、また、どのような助けなのかを教員に知らせることができるようになります。このようなウェアラブルや他のセンサーを使用して生理的・認知的データを収集し、機会学習することで、精神的労作や認知負荷の推定も可能になり、学生に対して、効果的な学習介入が見込めることに期待が寄せられます。7)8)
パーソナライズされた学習環境の構築に向けて
USCで、CHARIOTを設立したロシャー教育学部学部長のDr. Karen Symms Gallagher(2017年9月22日に筆者がインタビュー)は、「学生はそれぞれ達成したい目標も、望むものも違うので、個々のセンサーデバイスを使って目的に応じたパーソナライズされた教育が、未来のスタンダードだと思っています。また、情報収集されることを望まない学生や家族への説明や対応も必要と思われます。教員をサポートするシステム、悩んでいる学生がいたら効率的に支援することが、教員の教育方法や負担を改善していくことにつながります。」と力強く話されました。
日本では、2020年代に向けた教育の情報化に関しての取組として、教員自身が授業内容や学生の姿に応じてICTを活用しながら設計を行えるよう、段階的な整備を行っているところであり、また、環境センサーによる教室内の温度・湿度・二酸化炭素濃度といった大気状態を測定・可視化し、換気等を促すことで、より学習に適した教室環境の維持についての実証研究も進んでおり、未来社会に向けた資質・能力を育むための「学びの場」の形成への支援が推進されています。10)11)また、生体情報と学習データの統合解析を用いて、学習中のやる気状態を推定し、個人の状態に合わせた講義再生がされるオンライン教育システム開発の研究も進められています。12)
学生の生体情報に基づく学習の理解度の把握は、パーソナライズされた学習環境を提供し、教室の授業やオンライン学習において、リアルタイムで対応でき、モチベーションの向上にもつながっていくと思われますが、それとともに教育関係者が、生体情報分析の効果や精度への理解も深めていくことが大切であると思われます。
1)中山実・清水康敬(2000)生体情報による学習活動の評価, 日本教育工学会論文誌/ 日本教育工学雑誌24(1)15−23.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmet/24/1/24_KJ00003905428/_pdf/-char/ja
2)田和辻 可昌・宇野 達郎・岡崎 桂太・松居 辰則(2017)機械学習を用いた学習者の生体情報と心的状態の関係性抽出の試み,JASLA Research Report,Vol.2017 No.1.
https://kaigi.org/jsai/webprogram/2017/pdf/655.pdf
3)井上祥史・阿久津 洋巳・立花 正男・伊藤敏(2012)学習時における自律神経機能測定の試み,岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (11), 321-324.
4)宮西祐香子・長濱 澄・森田裕介(2017)指尖容積脈波計測装置による学習活動時のストレス測定と主観評価の関連分析, 日本教育工学会論文誌.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjet/advpub/0/advpub_S41082/_pdf
5)CISION PRWeb “Smartron announces research collaboration with University of Southern California’s Center for Human Applied Reasoning & IoT (CHARIOT)” 2018年3月22日 http://www.prweb.com/releases/2017/09/prweb14743989.htm
6)Smartronの紹介
https://smartron.com/tronx-edu.html
7)共同通信PRワイヤー プレリリース2016年12月15日
https://wirelesswire.jp/2016/12/58198/
8)CHARIOT
10)教育の情報化加速化プラン~ICTを活用した「次世代の学校・地域」の創生~
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/07/1375100.htm
11)総務省IoTサービス創出支援事業 パーソナルデータ利活用研究
https://ttps//ictconnect21.jp/wp-content/uploads/2018/01/180115_personaldata_swg_7.pdf
12)戦略的創造研究推進事業さきがけ:生体情報フィードバックを用いたテーラーメードオンライン教育システム開発(細田 千尋)
https://www.jst.go.jp/kisoken/presto/project/1112069/14531061.html
これまでの科学技術予測調査における関連トピック
・個人の興味・能力・時間などに合わせ、かつ学習者の生体反応を見ながら最適な教育を行うシステム。(社会実装:我が国の教育制度の一部として取り込まれる)(2015年:第10回)
・脳科学や認知科学の知見にもとづいて、個人の「最適な学習方法」を発見する技術が確立し、学習における生産性が向上する(2015年:第10回)