新薬の心臓への副作用を定量的に評価し、創薬分野への応用に期待
2019/01/04 東京大学,理化学研究所,東京女子医科大学
1. 発表者:
染谷隆夫(Ph.D.) 東京大学大学院工学系研究科 教授
理化学研究所開拓研究本部染谷薄膜素子研究室 主任研究員
理化学研究所創発物性科学研究センター創発ソフトシステム
研究チーム チームリーダー
清水達也(M.D.,Ph.D.)東京女子医科大学先端生命医科学研究所 所長
2. 発表のポイント:
● 数層のナノファイバーからなるナノメッシュ構造を電極に応用し、細胞とほぼ同様な柔らかさを持つセンサーの開発に成功した。
● この柔らかいセンサーをダイナミックに拍動するヒト iPS 細胞由来心筋細胞シートに直に接触させ、拍動を阻害せずに表面電位を長時間安定して計測することに成功した。
● 今後、創薬分野において、新薬の心臓への副作用を定量的に評価するための手法として期待される。
3. 発表概要:
染谷隆夫博士(国立大学法人東京大学(総長:五神真)大学院工学系研究科教授、国立研究開発法人理化学研究所(理事長:松本紘)開拓研究本部染谷薄膜素子研究室主任 研究員、同研究所創発物性科学研究センター創発ソフトシステム研究チームチームリー ダー)と李成薫博士(特任研究員)らは、清水達也博士(学校法人東京女子医科大学(理事長:吉岡俊正)先端生命医科学研究所 所長)らと共同で、細胞と同じくらい柔らか いナノメッシュを電極としたセンサーを開発しました。このセンサーをヒトiPS細胞由来心筋細胞シート(用語1、以下、心筋シート)に直に接触させても、細胞シートはセンサーによってダイナミックな拍動が阻害されませんでした。拍動を継続した状態で、 表面電位(用語2)の分布を96時間に渡って安定に計測しました。ナノメッシュセン サーは高い液透過性を示すため、センサーが拍動する心筋シートに直接接触した状態で 薬を投与し、投薬前後における表面電位の変化を定量的に計測することができます。将来、心筋シートの創薬や再生医療への応用が期待されます。
本研究成果は、2018 年 12 月 31 日(英国時間)に英国科学誌「Nature Nanotechnology」 のオンライン版で公開されました。
本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。
科学研究費助成事業(科学研究費補助)
研究課題/領域番号: 17H06149
研究種目: 基盤研究(S)
研究プロジェクト : 「拍動する心筋細胞シートを用いた伸縮性多点電極アレ イによる薬
物反応の評価」
研究代表者 : 染谷 隆夫(東京大学 大学院工学系研究科 教授)
研究期間 :2017 年 5 月~2022 年3月
上記研究プロジェクトでは、極薄かつ伸縮性デバイスを開発し、拍動する心筋細胞の 生体表面に貼りつけて、薬物反応の評価などに応用することを目指しています。
4. 発表内容:
近年、ヒトの ES/iPS 細胞から作った心筋細胞による心臓モデルを使って、新薬の副 作用を培養皿上で調べる研究が活発に進められています(注1)。実際に、抗がん剤な どの創薬においては、膨大な動物実験や臨床試験を積み重ねた後の最終段階で、心臓へ の副作用が見つかり、実用化に至らないケースが少なくありません。心臓への副作用の 発生には種差が大きく、これを動物実験から予見するのは困難です。そのため、心筋シ ートを使って薬物反応を定量的に評価する技術が重要性を増しています(注2)。
従来の評価手法では、ガラスかプラスティック製の培養皿の内側に作製された多点の 電極を使って、心筋シートを培養皿に固定した状態で表面電位を計測していました。こ の場合、本来ダイナミックに拍動している心筋細胞の運動は、大きく制限されていまし た。実際の心臓の状態により近い環境で計測するために、健康な細胞シートが自由に拍 動できる状態で計測することが求められています。
ところが、連続して自由に運動している細胞シートの表面電位を評価できる手法はこ れまでに報告がありませんでした。その理由は、柔らかさと耐久性を兼ね備えた薄型の センサーを実現することが困難であったためです。細胞培養で作製する心筋シートは、 通常わずか数層(数十マイクロメートル)で構成されており、数ミリニュートンほどの 非常に弱い力しか発生していません。そのために、デバイスと物理的に接触することに 伴うごくわずかな負荷でも心筋シートの自然な動きに大きな影響を与えてしまうこと が課題とされていました。また、弱い力でも自由に変形するセンサーを長期間に渡り繰 り返し伸縮させても、電気的な機能を維持するための耐久性の実現も課題でした。
本研究グループは、ポリウレタンを電界紡糸法(用語3)によってナノファイバーを 形成し、それを数層積層した非常に薄いナノメッシュセンサーを開発しました(図1、 2)。ナノメッシュセンサーは、心筋シートと同じくらい柔らかく(5%伸長させるた めに必要な力が0.2ミリニュートン)、心筋シートの細胞から発生する非常に小さな 力によって、自由に変形・伸縮します(図3)。このセンサーは、ナノファイバーをテ ンプレートとして、金の薄膜(100ナノメートル)を蒸着法で形成することによって 高導電性を有しながらも、センサーが心筋シートとともに伸縮する柔らかさと耐久性を同時に兼ね備えています。また、金薄膜を形成したナノファイバーの周辺のみを高分子 膜(パリレン)でコーティングすることによって、絶縁性を向上し、電極間のクロスト ークを低減しています。
実際に、ナノメッシュセンサーを貼りつけている心筋シートの動きを評価した結果、 センサーを張り付けていない心筋シートと同等の伸縮を示すことが確認できました。こ のように心筋シートが自由に拍動する状態で、心筋シートの表面電位を96時間連続し て安定に計測しました。さらに、多点で心筋シートの表面電位の分布を計測することに よって、各点の時間差から活動電位(用語4)信号がシート内を伝搬していく状態を計 測できます。
また、ナノメッシュセンサーは高い液透過性を有するため、細胞への薬物反応を評価 することに向いています。具体的には、ナノメッシュセンサーが直接心筋シートに接触 している状態でも、培養液からの栄養分や薬の成分を心筋シートに供給できます。実際 に、心筋シートの拍動数に影響を与える薬(イソプロテレノール)の投薬前後で、心筋 シートの拍動間隔が変化することを確認しました。
本手法では、心筋シートはダイナミックに拍動しており、実際に近い模擬環境で薬物 反応を評価できるため、創薬への応用が期待されます。さらに、再生医療の分野では、 ES/iPS 細胞から作った心筋細胞・組織の成熟度を定量的に評価する手法に活用できると 期待されます。
本研究成果は、東京大学大学院工学系研究科、東京女子医科大学、理化学研究所開拓 研究本部染谷薄膜素子研究室、同研究所創発物性科学研究センター創発ソフトシステム 研究チームの共同研究によるものです。日本学術振興会(JSPS)の科学研究費補助事業 基盤研究(S)(17H06149)の助成を得て進められました。
(注1) Human stem cell-derived cardiomyocytes (hSC-CMs; ES, iPS)を活用した Drug-induced QT prolongation の評価は、致命的な心室性不整脈の誘発を 評価する上で、一般的な手段になりつつある。
(注2) 国際的な創薬のガイドライン:2013 年 7 月 Health and Environmental Sciences Institute(HESI)と Food and Drug Administration (FDA)はヒト を 対 象 と す る 創 薬 開 発 の ガ イ ド ラ イ ン で Comprehensive in vitro Proarrhythmia Assay (CiPA)を通じて、QT prolongation と不整脈誘発を評 価するよう修正された。
5. 発表雑誌:
雑誌名:「Nature Nanotechnology」(12 月 31 日、オンライン版)
論 文 タ イ ト ル : Ultra-soft electronics to monitor dynamically pulsing cardiomyocytes
著者:Sunghoon Lee, Daisuke Sasaki, Dongmin Kim, Mami Mori, Tomoyuki Yokota, Hyunjae Lee, Sungjun Park, Kenjiro Fukuda, Masaki Sekino, Katsuhisa Matsuura, Tatsuya Shimizu, and Takao Someya*
DOI 番号:10.1038/s41565-018-0331-8
6. 問い合わせ先:
<研究に関すること>
東京大学大学院工学系研究科 電気系工学専攻
教授 染谷 隆夫(そめや たかお)
東京女子医科大学 先端生命医科学研究所
所長・教授 清水 達也(しみず たつや)
<報道担当>
東京大学 大学院工学系研究科 広報室
東京女子医科大学 総務部広報室
理化学研究所 広報室 報道担当
7. 用語解説:
(用語1)ヒト iPS 細胞由来心筋細胞シート
皮膚などの体細胞に遺伝子導入して得られた人工多能性幹細胞(iPS細胞)を心筋細胞に 分化させ、温度応答性培養皿上で一定期間培養することで回収される単層の心筋組織。
(用語2)表面電位
細胞外の表面に生じる電位。後述する細胞の活動電位の変化に伴い、特有の波形が生じ る。
(用語3)電界紡糸法(エレクトロスピニング法)
溶解した材料から紡糸する手法。細く尖ったノズルに高電圧をかけて液状の材料を噴 出させることによって、直径がナノ寸法のファイバーを作ることができる。
(用語4)活動電位
細胞膜に生じる細胞膜電位の変化。細胞内外のナトリウム、カリウム、カルシウムなど のイオン濃度の勾配による電位の変化を表す。
8. 添付資料:
図1 ナノメッシュセンサーを用いて心筋シートの表面電位を計測できる
図2 ナノメッシュセンサーの模式図(上)と写真(下)。心筋シートと接触する部分 はすべてナノメッシュ構造となっており、プロ―ブ、配線、基板から構成される。
図3 従来のセンサーによる心筋シートの表面電位の計測と、本研究のセンサーによる 心筋シートの表面電位の計測の比較。