従来の放射能分析法よりも、少ない試料量かつ短時間で高精度な測定が可能に
2019-03-15 量子科学技術研究開発機構
発表のポイント
- 迅速かつ正確な測定が困難な環境試料中のストロンチウム90(90Sr)1)の分析法を開発した
- 質量分析法2)を用いることにより、少量の試料で、かつ測定までにかかる時間の大幅な短縮と高精度化に成功した
- 環境中の90Srのデータをより多く蓄積し、福島の環境への影響や、周辺環境から受ける被ばく線量のより的確な評価に役立つことが期待される
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫。以下「量研」という。)放射線医学総合研究所 福島再生支援本部のサフー サラタ クマール上席研究員とカバシ ノーベルト主任研究員は、質量分析法を用いた環境試料中のストロンチウム90(90Sr)の新たな分析法を開発し、従来の分析法に比べて少量の試料で、短時間で90Srを高精度に測定することに成功しました。
量研では、福島の住民の不安解消に資することを目的に、住民が将来にわたって周辺環境から受ける被ばく線量について、環境中の放射性セシウム(Cs)だけでなく、90Srやプルトニウム(Pu)放射性核種も含めた動きを加味して評価し、その低減化に焦点を当てて研究を進めてきました。
90Srは、放射性ヨウ素131(131I)、放射性CsやPuと同じように人工的に生成された放射性核種です。1950-60年代の大気圏内核兵器実験や原子力施設の事故などにより環境中に放出され、現在、降下物3)、土壌や水に存在しています。
131Iや放射性Csのような放射性核種は、それぞれ固有のエネルギーを有するガンマ線を放出するため、放射線計測法4)により測定試料に含まれるそれぞれの放射能濃度を測ることができます。一方、90Srは放出する放射線がベータ線のみであるため、その放射能濃度を放射線計測法で測定するには、同じくベータ線を放出し環境中に多く存在する自然放射性核種のカリウム40(40K)を化学処理して測定試料から取り除く必要があります。しかし、環境中の90Sr濃度は非常に低いため、化学処理に時間を要し最終的なデータ取得までに約1カ月以上かかる上に、正確に定量することが困難です。
そこで、近年注目されている質量分析法を用いて、従来の90Sr分析法に比べ、約1/10程度の少量の試料で、試料処理から定量までの所要時間が24時間以内と迅速に精度よく測定できる方法を確立しました。この新たな分析手法は、90Srのデータをより多く蓄積し、放射性Cs以外の放射性核種も含めた環境への影響や周辺環境から受ける被ばく線量をより的確に評価することに役立つと期待されます。
本研究は福島県放射線医学研究開発事業「放射性物質環境動態調査事業」、および日本学術振興会科学研究費補助金(15F14801)において実施されたもので、分析化学の分野において最も注目を集める科学誌の一つである「Analytical Chemistry」のオンライン版に2019年1月31日に掲載されました。
研究開発の背景と目的
降下物、土壌、陸水や海水などの環境試料中の90Srを測定するには、試料をイオン交換法、発煙硝酸法、シュウ酸塩や炭酸塩等の沈殿法などで前処理する必要がありますが、その処理が最終的な分析結果に大きな影響を与えます。このため、前処理を含む標準的分析・測定方法がマニュアル(放射能測定シリーズ(文部科学省および原子力規制庁))としてまとめられていますが、測定試料中の90Sr濃度が20mBq5)程度になるよう、一般的に乾燥土壌で100g、陸水は100Lもの試料量が必要となります。
マニュアルでは、試料からイオン交換法や沈殿法により、まずストロンチウムを分離・精製し、90Srが崩壊してできる娘核種のイットリウム-90(90Y)を十分に生成させます。90Yが十分生成して、90Srと 90Yの放射能量が一定の比率になった(平衡状態)後、90Yを分離し、90Yから放出されるベータ線を測定して算出した放射能量から 90Srの放射能量を算出します。しかし、90Srと 90Yが平衡状態になるまでには2週間以上の期間が必要となり、分離の化学処理の手間も非常に煩雑で、最終的なデータ取得までに約1ケ月以上の時間がかかりました。
一方で、90Srと同様に物理学的半減期が長いウラン(U)やPuのような放射性核種の測定においては、放射線を計測する方法もありますが、低濃度でも測定できる質量分析法が有効です。近年、誘導結合プラズマ質量分析装置(ICP-MS)6)を用いた90Srの分析方法(検出下限値 10−15g(fg7)))が開発されました。しかしながら、プラズマ中のガスの反応による干渉や90Srと同じ質量数のジルコニウム90(90Zr)(安定同位体8))および88Sr(安定同位体)の影響があり、正確な測定が困難という課題が残っていました。そこでこれらの問題を解決すべく、デイリー・イオンカウンティング検出器を搭載した表面電離型質量分析装置(TIMS)9)を用いて、環境試料中の極微量(fgオーダー)の90Srの分析法を開発することを目的としました。
研究の手法と成果
Srには、次の4つの安定同位体があります。同位体毎にその存在度は異なり、84Sr (0.56%), 86Sr (9.86%), 87Sr (7.0%) と 88Sr (82.58%)となります。質量分析法では、試料中に含まれるこの安定同位体と90Srを同時に定量することにより、試料中の90Sr量を得ます。
本研究では表面電離型質量分析装置(TIMS)として、英国Isotopx社製のTIMS(型番Phoenix X62)を用いました。このTIMSには、ファラデーカップ検出器10)が9つ、デイリー・イオンカウンティング検出器11)が1つ搭載されています。これらの検出器の位置や配列を調整することにより、86Srと88Srをそれぞれ別のファラデーカップ検出器で、90Srをデイリー・イオンカウンティング検出器で同時に定量することを可能にしました(図1)。
図1 表面電離型質量分析装置(TIMS)のしくみ
金属フィラメントに、試料1μⅬを塗布、蒸着して、質量分析装置のイ
オンソース部内にセットします。フィラメントを高真空条件で加熱して
試料をイオン化し、電場と磁場でイオンをその質量によって分離し、質
量毎にそれぞれの検出器で同時に検出します。本研究の場合では、スト
ロンチウム同位体(化学的性質は同じだが質量が異なる)の存在比を測
定できます。
そのTIMSを用いて、炭酸ストロンチウム安定同位体標準物質(NIST-SRM-987)と90Sr標準溶液を組み合わせて作成した標準溶液(安定Sr:497~508 µg/g、90Sr:0.2~35.2 fg)を測定した結果、作成した標準溶液中の90Sr/88Sr同位体比は、理論値と計測値がほぼ一致し、TIMSで計測した90Sr/88Sr同位体比と測定試料中の90Sr濃度も高い直線性のある結果を得ることができました(図2)。またこれらの結果より、90Sr/88Sr同位体比が10-10の場合に検出下限値は1mBq(0.2fg)で、これまでの既報における90Sr分析法よりも一桁以上の低いレベルで検出できることが明らかとなりました。
図2 フィラメント上の90Sr放射能濃度とTIMSで計測した90Sr/88Sr同位体比の関係
また、このTIMSを用いてワイルドベリー(IRMM-426)1 gと湖底堆積物(NIST-4354)0.5 gの認証標準物質12)で90Srの定量を行いました。その結果、ワイルドベリー中の安定Sr濃度と90Sr濃度は、認証値が5.1 µg/gと124±24 Bq/kgに対して、実測値は4.5±0.6 µg/gと127±7 Bq/kgでした。湖底堆積物中の安定Sr濃度と90Sr濃度は、認証値が137 µg/gと512±118 Bq/kgに対して、実測値は81.5±5.3 µg/gと533±49 Bq/kgとなり、認証値と実測値がほぼ一致することを確認しました。
以上の2つの実験により、検出器の位置や配列を調整したTIMSを用いることで、90Srの定量が可能であることを確認しました。そこで、2015年10月に福島県浪江町で採取した土壌試料0.5gを用いて90Srを測定しました(図3)。
88Srは、質量数88付近のみを頂点(ピーク)とする山型の波形(スペクトル)として検出されるのが理想ですが、試料中に高濃度で含まれるため、一部の88Srが90Srを検出するデイリー・イオンカウンティング検出器に入ります。これにより、88Srのピーク後部が質量数89以上にまで尾を引くピークテーリング13)を起こし、90Srのスペクトルと重なります。そこで、同時に安定的に質量数1の範囲(89.9-90.1)で検出できた86Srのスペクトルを90Srのスペクトルの位置に重ね合わせて90Srのスペクトルの範囲を判別しました。その結果、90Srのカウント数と90Sr/88Sr同位体比から土壌中の90Sr濃度は1,060±50 Bq/kg注)となり、標準的分析・測定法に従って放射線計測法により測定した結果と一致しました。
この結果から本分析法により環境試料中の90Srを定量できること、また、90Srを測定する際の質量数/電荷数(m/z=90)における存在量感度14)は、88Srに対して約1×10-10となり、88Srの1億分の1とわずかな量の90Srを測定できるほど非常に高感度であることを確認しました。
注)検出された90Sr濃度 について:本研究で示した2015年10月に福島県浪江町道路脇で採取した土壌中の137Csと90Sr濃度範囲はそれぞれ350-6,600 kBq/kgと70-1,050 Bq/kgで、その90Sr/137Cs濃度比は10-4レベルでした。別の論文*では、2011年12月に福島県大熊町で採取された土壌中の137Cs と90Sr濃度範囲はそれぞれ1,290-1,790 kBq/kgと1070-1,140 Bq/kgであることが発表されており、計算するとその90Sr/137Cs濃度比は10-4レベルでした。高い137Cs濃度を含む土壌中には一定の割合で90Srが含まれていることが考えられます。
*Steinhauser G, Schauer V, Shozugawa K., Concentration of strontium-90 at selected hot spots in Japan. PLoS One. 2013;8:e57760. doi: 10.1371/journal.pone.0057760.
図3 福島県土壌中のSr同位体をTIMSで測定した結果
88Srのスペクトルが質量数89を越えてピークテーリングを起こし、
90Srのスペクトルと重なります。そこで、ファラデーカップを用いて計
測した質量数1の範囲の86Srのスペクトルを90Srの位置に重ね合わせた
ところ、中央の質量数は90となり、90Srのスペクトルの範囲を判定でき
ました。
既報の分析方法と本法を比較する(表1)と、本法では土壌、堆積物や生物試料などは従来法よりも必要量が1/10程度となり、測定前の化学分離・精製が約2時間、その後1時間以内に測定開始でき、すべての操作を含めても24時間以内に定量することができます。
表1 90Sr分析法におけるメリット・デメリット
今後の展開
認証標準物質のワイルドベリーと湖底堆積物の90Srの定量を行った結果から、90Sr/88Sr同位体比が10-10以下と、90Srに対して88Srの濃度が極端に低い場合は精度が下がることがわかりました。TIMSによる90Srの定量は安定Srの定量とともに行われるため、極端に高い安定Sr濃度の骨試料や極端に安定Sr濃度の低い海水試料の分析には本法は適していません。陸水や尿などは安定Sr濃度が低い試料ですが、福島の環境影響や、周辺環境から受ける被ばく線量をより正確に評価する上で重要な測定対象です。そのため、安定Sr濃度の定量下限値を下げ、陸水などの環境試料や尿などの生体試料等、様々な試料に適用できるように本法の改良を進めています。
東京電力福島第一原子力発電所事故では、90Sr とは異なる放射性同位元素89Sr(物理学的半減期15)):50.53日)も環境中に放出されました。福島の住民が周辺環境から受ける被ばく線量を精密に評価するためには、89Srも測定対象となりますが、標準的な分析・測定法では、90Srと同じベータ線を放出する89Srを直接測定することはできません。また 90Srは物理学的半減期が28.79年と長いため、現在も大気圏核実験等に由来するものが測定されています。89Srを測定できれば、東京電力福島第一原発事故に由来する89Sr/90Sr同位体比を明らかにすることもできます。そこで、TIMSによる89Srの放射能濃度の定量についても検討を行います。
用語解説
1)ストロンチウム90
元素記号は Sr で、原子番号38の元素である。(物理学的半減期:28.79年)アルカリ土類金属であるために、骨に蓄積されやすいことが知られている。
2)質量分析法
物質をイオン化法で原子や分子レベルのイオンに、その質量数と数を測定することによって、物質の同定や質量を測定する分析法のこと。
3)降下物
大気から地上に降下する雨、雪、ちりやほこりなどの物質のこと。
4)放射線計測法
私たちの身の回りには、地球起源や宇宙起源の放射線や放射能が存在します。そのためこれらの影響を受けないように、対象試料から目的とする放射性核種を分離・精製し、作成した測定試料中の放射線を計測する方法です。
5)Bq(ベクレル)
放射能を表す単位。1ベクレル(Bq)は、1秒間に1個の放射性核種が壊変する場合の放射能を表します。
6)誘導結合プラズマ質量分析装置(ICP-MS: Inductively Coupled Plasma-Mass Spectrometer)
イオン源としてプラズマ(ICP)を使用して元素をイオン化し、そのイオンを質量選別した後に質量分析部 (MS)で検出する装置です。ほとんどの元素が同時に測定可能であり、また質量分析であるため同位体比測定も可能です。
7)フェムトグラム(fg)
1グラム(g)の一兆分の1の重さを表す単位。
8)安定同位体
同一の原子番号であるものの、中性子の数が異なるものを同位体と呼びます。放射能をもつものを放射性同位体、放射能をもたないものを安定同位体と呼びます。
9)表面電離型質量分析装置(TIMS:Thermal Ionization Mass Spectrometry)
目的元素(試料)を塗布した金属フィラメントをイオン源に設置し、高真空条件で加熱して、試料をイオン化し、電場と磁場でイオンを質量数毎に分離し,検出器で直接測定する装置です。同位体の存在比を精密に測定することができます。
10)ファラデーカップ検出器
イオンをファラデーカップに入射させ、検出器の電位変化、または検出器に流れ込む電子の流れを測定することで、イオンの強度を計測する検出器のこと。
11)デイリー・イオンカウンティング検出器
イオンを二次電子、光に変換し、測定する検出器である。特長はイオンを再加速し,高エネルギーで金属に衝突させるため、高感度なイオン検出が可能となります。
12)認証標準物質
有効な手順を用いて一つ以上の指定された特性の値および付随する不確かさ、ならびに計量計測トレーサビリティを与える、権威ある機関から発行された文書が添えられた標準物質のこと。
13)ピークテーリング
ピークの分布が左右対称でなく、ピーク後部が裾を引いている現象のこと。
14)存在量感度
90Srを測定した時の86Srや88Srの存在量比を示します。
15)物理学的半減期
放射性物質は、放射線を出すことでエネルギー的に安定的な状態の物質になります。安定的な状態になると放射線を出さなくなります。こうして放射能が弱まり、はじめの量の半分になる時間のことを物理学的半減期と呼びます。
論文について
Method for 90Sr Analysis in Environmental Samples Using Thermal Ionization Mass Spectrometry with Daly Ion-Counting System
Norbert Kavasi, Sarata Kumar Sahoo
Fukushima Project Headquarters, National Institutes for Quantum and Radiological Science and Technology (QST) 4-9-1, Anagawa, Inage-ku, Chiba, 263-8555, Japan