2023-10-27 理化学研究所,高輝度光科学研究センター
理化学研究所(理研)放射光科学研究センター 先端光源加速器研究開発グループの田中 均 グループディレクター(研究当時)、基盤光源チームの稲垣 隆宏 チームリーダー、岩井 瑛人 客員研究員(高輝度光科学研究センター 加速器部門 主幹研究員)、先端ビームチームの原 徹 チームリーダー、前坂 比呂和 専任研究員、SACLAビームライン基盤グループの矢橋 牧名 グループディレクター、ビームライン開発チームの井上 伊知郎 研究員らの共同研究グループは、人工知能(AI)を用いてX線自由電子レーザー(XFEL)[1]施設「SACLA[2]」のビーム調整を自動的に行うことにより輝度を大幅に向上させることに成功しました。
本研究成果は、SACLAを利用したさまざまな実験において精度の向上や利用時間の増大に貢献すると期待されます。
今回、共同研究グループは、AIを利用してSACLAの多数の調整ノブを同時に変化させ、XFELの複数の性能指標を同時に最適化することで、人による調整では到達できない性能を実現しました。特に、XFELの強度だけでなくスペクトル[3]幅も同時に最適化できるよう、新開発の高分解能スペクトロメータ[3]を導入することで大幅に輝度を増大させることができました。また、SACLAの日々のビーム調整を短時間で済ませられるようになったため、より多くのXFELを利用実験に提供できるようになりました。
本研究は、科学雑誌『Journal of Synchrotron Radiation』オンライン版(10月27日付:日本時間 10月27日)に掲載されました。
背景
SACLAは2012年の共用開始以降さまざまな利用実験にXFELを提供し、数多くの研究成果が創出されています。同じXFELを用いる実験であっても、重要となるX線のパラメータは異なります。例えば、原子レベルのイメージングを行う回折実験では単純な(積分)レーザー強度が実験の精度を決定しますが、物質の機能や性能を調べる分光実験では使用する中心波長におけるレーザー強度(スペクトル輝度)が重要となります。今回、新たに導入した高分解能スペクトロメータ注1)を用いて、AIによるスペクトル輝度の自動調整に挑みました。
SACLAでは高度化の一環として、利用機会拡大を目指した複数ビームラインの高速振り分け運転[4]、注2)や、SACLAから大型放射光施設「SPring-8[5]」への電子ビーム入射によるグリーン化[6]などを進めてきました。一方で、これらの高度化により加速器の制御や調整はこれまで以上に高度で複雑なものとなりました。共同研究グループでは、複雑化する運転に対して、AIの一つである機械学習手法を用いた自動調整を開発することでビーム調整の合理化、効率化を進めてきました。
注1)Inoue, I., Iwai, E., Hara, T., Inubushi, Y., Tono, K. & Yabashi, M. (2022). Single-shot spectrometer using diamond microcrystals for X-ray free-electron laser pulses. J. Synchrotron Rad. 29, 862-865.
注2)2016年2月17日プレスリリース「SACLA マルチビームライン運転に成功」
研究手法と成果
SACLAではSASE(自己増幅自発放射)方式[7]という手法を用いてXFELを発生しています。この方式では、電子ビームを加速するとともに、電子密度が高い”小さな”ビームにする必要があります。具体的にはまず、最上流の熱電子銃から放出される超低エミッタンス[8]ビームを、その超低エミッタンスを保ちながら、入射部の7種類の大電力高周波のタイミングとバンチ圧縮器[9]を用いて進行方向(時間方向)に約100万分の1倍に圧縮し、数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)程度の電子ビームを生成します。その他、電子ビーム収束系のマッチングやアンジュレータ[10]での電子ビームとX線の重なりなど多数のパラメータを適切に調整することで、大強度のXFELが得られます。この複雑な多数のパラメータの最適化に対して、本研究ではAI、機械学習手法の一つであるガウス過程回帰を用いたベイズ最適化[11]による自動調整システムを開発、構築しました(図1)。
図1 AIを用いたレーザー強度の自動調整の例
SACLA立ち上げ直後のXFEL調整の例。16時前からの波線内がAIによる自動調整。これまで何時間もかかっていた調整が1時間ほどでできるようになった。
スペクトル輝度の最適化を目的としたビーム調整のために、新開発の高分解能スペクトロメータを導入しました。例えば、光子エネルギー[12]10keVのXFELの典型的なスペクトル幅(半値全幅[13])はおよそ40eVですが、ビーム調整に利用可能なリアルタイム型のスペクトロメータの分解能はこれまでおよそ100eVでした。新開発の高分解能スペクトロメータは数eVの分解能を持ち、十分な精度でリアルタイムにXFELのスペクトル幅を測定することができます(図2)。
図2 新旧のスペクトロメータで得られたX線スペクトル
黒三角が既設、赤丸が新設されたスペクトロメータ。新スペクトロメータの分解能は数eVと高性能なため、XFELの通常のバンド幅約40eVが適切に測定できている。
この新設のスペクトロメータを用いて、XFELパルスごとのスペクトル幅、および、中心波長の変動幅を測定することにより実効的なスペクトル幅を計算し、レーザー強度との比をスペクトル輝度と定義しました。このスペクトル輝度を、前述のAIを用いた自動調整システムで最適化を行った結果が図3です。自動調整により、ピーク波長におけるスペクトル輝度を約1.7倍と大幅に増大することに成功しました。
図3 調整前後のX線自由電子レーザーの平均スペクトル
黒が調整前、赤が調整後。AIを用いたスペクトル輝度の自動調整により、ピーク波長でのスペクトル輝度は1.7倍改善した。
今後の期待
今回開発したAIを用いた自動調整技術は、多数のパラメータから成る複雑な加速器を効率的に調整・運転することができる技術です。本件では新開発の高分解能スペクトロメータを導入して適切な性能指標の最適化に応用しました。今後、電子ビームのサイズや形状、バンチ長(進行方向の長さ)など、適切な性能指標を用意することで、さまざまな電子ビームやXFELに合わせた最適化が可能となることが期待されます。また近年、著しく発展するAI、機械学習などの新手法を、今回開発した自動調整フレームワークに導入することでさらに高い性能をより効率的に最適化できるようになることが期待されます。
補足説明
1.X線自由電子レーザー(XFEL)
X線自由電子レーザーとは、X線領域におけるレーザーのこと。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビーム(自由電子)を媒体とするため、原理的な波長の制限はない。また、数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)の超短パルスを出力する。XFELはX-ray Free Electron Laserの略。
2.SACLA
理研と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本で初めてのXFEL施設。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLA(サクラ)と命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用運転が開始され、利用実験が行われている。大きさが諸外国の同様の施設と比べて数分の1とコンパクトであるにもかかわらず、0.1ナノメートル(nm、100億分の1m)以下という世界最短波長級のレーザーの生成能力を持つ。
3.スペクトル、高分解能スペクトロメータ
波を波長成分に分解したときの、各成分の強度分布をスペクトルと呼ぶ。また、波長成分に分解する装置をスペクトロメータと呼ぶ。身近な例として、虹は大気中の水滴が太陽光に対してスペクトロメータとして働き、波長成分(色)が分解されることで形成される。本研究では高分解能、かつ、リアルタイム測定が可能な新開発のスペクトロメータを導入した。
4.複数ビームラインの高速振り分け運転
SACLAの電子ビームは毎秒60パルス生成され、XFELビームライン2本とSPring-8の蓄積リングに供給される。電子ビームをパルスごとに高速に切り替えることで複数のビームラインを同時並行で運転している。また、電子ビームの性能(エネルギーなど)も各ビームラインに合わせてパルスごとに切り替えることができる。その反面、ビームラインごとに調整が必要となるため複雑な運転が余儀なくされる。
5.SPring-8
SACLAと同じく兵庫県の播磨科学公園都市にある、世界でもトップクラスの放射光を生み出す大型放射光施設である。理研が所有し、利用者支援等は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8GeVの略。放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
6.グリーン化
省エネルギー・省資源な施設に変えていくとともに、SACLAやSPring-8の利用実験を通じて地球温暖化や天然資源の枯渇などの環境問題に対処するためのイノベーションを創出することで持続可能な社会の実現を推し進めることを指す。理研と高輝度光科学研究センターは2021年8月23日にSPring-8・SACLAグリーンファシリティ宣言を行った。
7.SASE(自己増幅自発放射)方式
加速した高エネルギー電子を非常に長いアンジュレータに通して、電子から出るX線と周りの電子との相互作用によって電子を波長間隔に並べることでX線レーザーを発生させる方式。SASEはSelf Amplified Spontaneous Emissionの略。
8.エミッタンス
ビームの断面積と角度の広がりを掛けた値で、電子ビームの品質を表す指標の一つ。エミッタンスが大きいと低品質で大きく広がりやすい電子ビーム、エミッタンスが小さいと小さくシャープで良質な電子ビームといえる。単位はnm-radなど。
9.バンチ圧縮器
レーザー増幅可能な高輝度電子ビームを生成するため、時間方向(電子ビームの進行方向)に電子ビームの集団(バンチ)を圧縮するもの。前を走る電子ビームのエネルギーに比べ後を走る電子ビームのエネルギーを高くしておく。バンチ全体に、先頭から後ろに向かって、このようなエネルギーの差をつけておく。このバンチを電磁石のシケインに通すと、前の電子(低いエネルギー)の蛇行距離に比べ後の電子(高いエネルギー)の蛇行距離が短くなり、前と後の距離が詰まり電子の密度(電流)が高くなる。
10.アンジュレータ
NとSの磁極を交互に上下に配置し、その間を通り抜ける電子を周期的に小さく蛇行させ、特定の波長を持った光を作り出す装置。SACLAでは永久磁石を真空槽に入れた真空封止型のアンジュレータを採用し、上下の磁極間隔を狭くすることで短周期、かつ、高磁場を実現している。そのため、より小さな施設で短波長のXFELを生成することを可能とした。SACLAのアンジュレータの磁場周期は18mmで、1台の長さが約5mであり、1台当たり277周期となっている。
11.ガウス過程回帰を用いたベイズ最適化
未知の応答関数について、既存のデータからベイズの定理を用いて最大値/最小値を与える入力を確率的に推定し、この入力に対する応答を求めることで効率的に最適化する手法をベイズ最適化という。この関数の表現としてガウス過程回帰を用いることで、特定の関数形を仮定せずに少ない試行データから大域的な最適化を効率的に行うことができる。
12.光子エネルギー
光の持つエネルギーのことで、波長に反比例する値を持つ。通常、電子ボルト(eV、electron voltの略)で表される。1電子ボルトは電子1個を1ボルトの電圧で加速したときのエネルギーである。光子エネルギー10keV(10,000eV)のX線の波長は約0.124nmである。
13.半値全幅
山状の分布を持つ関数において、その分布における広がりの程度を表す指標。山状の関数の最大値に対して、相対的に半分の値を示す点に挟まれた領域の幅であり、統計的な計測の場合には、その分布のばらつきを示す。
共同研究グループ
理化学研究所 放射光科学研究センター
先端光源加速器研究開発グループ
グループディレクター(研究当時)田中 均(タナカ・ヒトシ)
基盤光源チーム
チームリーダー 稲垣 隆宏(イナガキ・タカヒロ)
客員研究員 岩井 瑛人(イワイ・エイト)
(高輝度光科学研究センター 加速器部門 主幹研究員)
先端ビームチーム
チームリーダー 原 徹(ハラ・トオル)
専任研究員 前坂 比呂和(マエサカ・ヒロカズ)
SACLAビームライン基盤グループ
グループディレクター 矢橋 牧名(ヤバシ・マキナ)
ビームライン開発チーム
研究員 井上 伊知郎(イノウエ・イチロウ)
スプリングエイトサービス株式会社
久保田 洸二(クボタ・コウジ)
原論文情報
Eito Iwai, Ichiro Inoue, Hirokazu Maesaka, Takahiro Inagaki, Makina Yabashi, Toru Hara, and Hitoshi Tanaka, “Spectral-brightness optimization of an X-ray free-electron laser by machine-learning-based tuning”, Journal of Synchrotron Radiation, 10.1107/S1600577523007737
発表者
理化学研究所
放射光科学研究センター 先端光源加速器研究開発グループ
グループディレクター(研究当時)田中 均(タナカ・ヒトシ)
基盤光源チーム
チームリーダー 稲垣 隆宏(イナガキ・タカヒロ)
客員研究員 岩井 瑛人(イワイ・エイト)
(高輝度光科学研究センター 加速器部門 主幹研究員)
先端ビームチーム
チームリーダー 原 徹(ハラ・トオル)
専任研究員 前坂 比呂和(マエサカ・ヒロカズ)
SACLAビームライン基盤グループ
グループディレクター 矢橋 牧名(ヤバシ・マキナ)
ビームライン開発チーム
研究員 井上 伊知郎(イノウエ・イチロウ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課