2023-01-19 分子科学研究所
発表のポイント
• 通常は南北の区別しかできないと考えられていた磁石で、キラル(注1)結晶の左右が区別できることが明らかとなった。
• 左右の区別がある超伝導体(キラル超伝導体(注2))に交流電流を流すと、結晶の左右に応じた電子スピン(注3)が誘起されることを発見した。
• 磁石を使ったキラル分子の左右分別(光学分割)に基礎的な理解を与えることに成功した。
• 将来の超伝導スピントロニクス(注4)におけるスピン源としての発展も期待される。
概要
分子や結晶のキラリティ制御は、創薬やディスプレイ開発など多くの分野で重要な課題です。近年、これまで用いられてきた化学的キラリティ分別に加えて、磁石を用いた分子のキラリティ分別が試みられるようになってきました。しかし、その原理は物理法則の対称性から考えて、少し分かりにくく曖昧な点がありました。
分子科学研究所協奏分子システム研究センターの山本浩史教授・広部大地助教(現所属:静岡大学)・中島良太大学院生(総合研究大学院大学)らの研究チームは、同研究所メゾスコピック計測研究センターの岡本裕巳教授・成島哲也助教(現所属:文部科学省)らと共同で、有機キラル超伝導体を用いた電子デバイスの最新技術を応用し、キラル超伝導体中に発生したスピン蓄積の観測に成功しました。曖昧であったキラルな結晶構造とスピン蓄積との関係を研究チームは明らかにし、確かに磁石の表面でキラリティを分別できると実証しました。
本研究成果は、「Nature」誌に2023 年1月19日(木)1時(日本時間)に公開されました。
研究の背景
鏡に映ったものを見ると、左右の区別があるものは全て右・左が反転して見えます。鏡の中では髪の分け目は反対になり、心臓は右に、9時を指している時計の針は3時の方向を指しているように見えます。このように鏡に映ると左右反転が起きる物質をキラルである、と言います(図1)。キラルな分子においては、右巻き(右手系)の分子が薬になり、左巻き(左手系)の分子が毒になるようなことが度々あるので、キラルな分子の左右を分けることはとても重要です。一方で物理法則に関しては、右の世界・左の世界というものはありませんので、鏡に映しても変わることはありません(これは我々が普段暮らしている世界に限った話で、素粒子の世界では事情が異なります)。
図1:様々なものを鏡に映したときの左右反転の様子。鏡に映すと右巻きのらせん分子は左巻きに、UPスピンはDOWNスピンになって映ります(ただしここでスピンの回転軸と鏡は平行とします)。
ここでは物理法則の例として電磁コイルを採り上げ、キラリティとの関係について考えてみます。図2aのような右巻きコイル(電磁石)に電流を流して、コイルの周りに方位磁針を置いてみましょう。すると、方位磁針は図のような方向を指し示しますが、これはちょうど上がS極で下がN極の磁石がつくる磁力線と同じです。コイルの巻き方を右巻きから左巻きに変えると、磁力線の向きも変わるので、あたかも磁力線の向きを見ればコイルの左右巻きが区別できるように感じられます。ここでのポイントは、コイルの巻き方(キラリティ)と電流の向きの「両方」をあらかじめ知っているなら、磁力線の向きも一通りに決められるという点です。
図2:(a)電磁石の磁力線は、コイルの巻き方と電流の向きが分かれば予測できます。中央の箱の中では右巻きのコイル対して上から下に電流を流しているので、周りの方位磁石は図のように並びます。(b)観測者は箱の中身が分かっているので、上がS極で下がN極の磁石と同じ磁力線が出てくることを知って納得しました。(c)電磁石の入っている箱から磁力線が出ています。中身が直接見えない時、観測者にはコイルの巻き方が分かるでしょうか?(d)コイルの巻き方と電流の向きの組み合わせで2つの可能性があるので、磁力線の向きだけではコイルの右巻き・左巻きは決められません。
ではコイルと同様に、キラル分子の右巻き・左巻きを電磁気で区別できるか考えてみましょう。分子が住んでいるミクロの世界はコイルほど簡単ではありません。まず、物質の中のらせん構造は非常に小さく、その巻き方をあらかじめ把握するのは大変難しいです。また、キラル分子は気体や溶液の中で自由に動き回り、分子内の電子も様々な方向に揺さぶられます。上の例でいえば、コイルの巻き方も電流の向きも分からないのです。このような状況で分子の左右(キラリティ)を決める必要があります。そこでもう一度、磁力線だけを見てコイルの右巻きと左巻きを区別できるか考えてみましょう(図2c)。つまり、磁極の向きだけでコイルの巻き方を区別できるでしょうか。実はこれはできません。コイルの巻き方と電流の向きを同時にひっくり返しても、全く同じ磁力線になるからです。このように、磁石の向きだけではキラルな物質の左右(キラリティ)判定はできない――というのがこれまでの考え方です。
研究の成果
ところが最近の研究において、磁石を使ってキラル分子の左右判別ができる、という報告が出てくるようになりました。これはCISS効果(注5)(CISS = Chirality-Induced Spin Selectivity キラリティ誘起スピン選択性)と呼ばれる効果を応用したものです。CISS効果により、キラル分子を通過した電子は、そのスピンが揃って出てくる、ということが提唱されています(図3)。この時出てくるスピンは、分子が右巻きの形をしているか、左巻きの形をしているかによって、反対の方向を向くことが知られています。例えばDNAは右巻きの分子なので、電子をDNAに通過させると、電子の進行方向に対してそのスピンは反対方向(後ろ向き)に出てきます。
図3:CISS効果の模式図。CISS効果とは、電子がキラル分子を通過してくると、進行方向に対して平行または反平行に電子スピンが向く効果です。実際にはキラル分子の形は様々ですが、ここでは分かりやすいようにDNAなどに見られるらせん構造で分子の左右を表現しています。
一見すると、CISS効果で揃った電子のスピンを見れば、分子の右・左が分かるような気がします。しかし、分子は気体や溶液の中で自由に回転ができるため、CISS効果で出てきたスピンも一緒に回転してしまいます。これでは、左右の分子がまったく同じ“電磁石”になれますので、外付けの磁石を用意しても左右の判別ができそうにありません。
そこで、互いにそっぽを向いたスピン2つが分子の両端にあれば、キラル分子の右・左を区別できるのでは、という仮説が唱えられるようになりました。キラル分子を通過した電子だけでなく、取り残される電子のスピンも考えようというわけです。互いにそっぽを向いたスピン2つを分子に載せ、分子をぐるぐる回してもスピンの対はそっぽを向いたままです。ところが鏡に映すと、スピンの対は向きを変えて互いに見つめ合うので、たしかにキラルな状態です(図4)。ただ分子はとても小さいので、そのような「2つの互いにそっぽを向いたスピン」がキラル分子に存在するかどうかを確かめることは誰にもできず、曖昧なままでした。
図4:CISS効果によってキラル分子に、スピンが出てきた状況を考えてみましょう。箱の中で分子は自由に運動していますが、磁石を下に置いておくと、磁石とキラル分子が磁力でくっついたり反発したりするはずです。もし左の箱のようにキラル分子にスピンが1つしかないとすると、分子の回転と一緒にスピンも回転するので、磁石によってキラル分子の左右は区別できません。しかし、右の箱のように、キラル分子に「2つの互いにそっぽを向いたスピン」があって、その「内向き・外向き」が分子の左右によって決まっているとすると、分子の左右で磁石にくっつくか反発するかが決められるようになります。キラル分子の中にこのような2つのスピンが存在するというのは、これまで実験結果を説明する仮説として唱えられていましたが、それを見た人はいませんでした。
研究グループは、キラル分子そのままではスピンの分布を観察するのに小さすぎると考えて、より大きなキラル構造を有する「キラル超伝導体」を使って検証実験をすることを思いつきました。超伝導体の中には多数の電子がありますが、量子力学的な波の位相(注2参照)が揃っており、分子の中で見られるような量子力学的干渉効果(注6)を、少なくとも1000倍以上の長さスケールで観察できるようになる可能性があります。つまり、キラル超伝導体があたかも1つの大きなキラル分子になり、CISS効果を“拡大”して検出できると考えました。
そこで、研究グループはκ-(BEDT-TTF)2Cu(NCS)2と呼ばれるキラルな有機超伝導体に電極を付けて(図5)、交流電流を流す実験を開始しました。その時に、上下の電極を磁石にしておいて、磁石のN極・S極と、超伝導体から出てくるスピンの上下の関係を電圧としてモニターできるようにしておきました。また、交流電流を流すのは、分子が溶液の中で自由に運動することによって、中の電子が揺さぶられる状態を再現するためです。そして低温でκ-(BEDT-TTF)2Cu(NCS)2が超伝導状態になると、確かにキラル超伝導体結晶の上下に「2つの互いにそっぽを向いたスピン」が現れたのです。さらに結晶の右・左を逆にすると、スピン対の「内向き・外向き」も逆になることが分かりました。従って、キラル超伝導体のスピンを外から磁石で観察すると、確かに結晶のキラリティが判定できる、ということが証明できたことになります。
ところで、電磁コイルに流す電流を逆向きにするとN極・S極が反転するのと同様に、スピンは時間の向きを反転させることによっても反転します。つまり、今回見つけた「2つの互いにそっぽを向いたスピン」は、時間反転によっても左右の反転する不思議なキラリティを表現していることになります。このようなことは分子や結晶のキラリティでは絶対に起きません。時間の向きを反転しても、右巻き分子は右巻きのまま、左巻き分子は左巻きのままだからです。このように時間反転で変わらないことを、物理学では「時間反転について偶」といいます。従来、このような時間反転(注7)でひっくり返ってしまうスピンのキラリティと分子のキラリティは、ほぼ無関係と考えられていました。しかし今回の実験で、分子のキラリティを外から区別するのに、時間反転で左右の入れ替わるスピンのキラリティを使っても良いのだということが分かりました。これを研究グループは「奇の時間反転を持ったキラリティ(T-odd chirality)」と名付けて、時間反転について偶ではないことを強調しています。
図5:キラル超伝導体デバイスの模式図。プラスチック基板の上に電線パターンとキラル超伝導体が載っています。電線の一部は磁石(ニッケル)で作ってあり、その電圧を測ることで、キラル超伝導体の中にあるスピンの向きを検出することができます。今回の実験では、キラル超伝導体の真ん中に交流を流した時に、超伝導体の2つの端に出てくるスピンを検出しました。
成果の意義および今後の展開
今回の結果で、磁石によるキラル分子の左右分別が理屈上可能だということが分かりました。今後はこのような現象を、数式を使って理論化していくことによって、キラル分子の光学分割効率を向上させる指針が立ち、キラル分子による創薬や機能性分子開発の研究が加速することが期待されます。さらに今回の実験で使われた技術は、将来超伝導スピントロニクスという分野で利用できる可能性があります。従来超伝導状態では、電子スピンが表に出てくることは非常にまれで、記憶や演算に使うほど安定的にスピンを取り出すことは実験的に難しいとされていました。しかし今回の実験で、キラル超伝導体を用いれば超伝導状態にスピンが簡単に誘起できることが分かりました。超伝導状態では、電子の波としての位相が揃っているので、量子コンピューターにも、その波の性質が積極的に使われています。そこに量子力学的性質の強いスピンを加えることができれば、スピンを使った新しいタイプの量子コンピューター開発につながることも期待されます。
用語解説
(注1)キラル/キラリティ:
分子や結晶のミクロ構造(原子の配置)には、右手・左手と同じように鏡に映したときに元の構造と重ねることができない構造となるものがあります。このような構造を持つ分子や結晶を、キラル分子、キラル結晶といい、このような左右の区別があることをキラリティといいます。薬になる分子もキラルなものが多くあり、右手分子は薬になるが、左手分子は毒になるようなケースもあるため、左右をきちんと作り分けることが重要であるとされています。2001年のノーベル化学賞は、触媒によるキラル分子の作り分けを実現した野依博士・ノールズ博士・シャープレス博士に授与されています(分子科学研究所は同研究で米国化学会からアジア初の「歴史的化学論文大賞」を受賞しています)。
(注2)超伝導/超伝導体:
電気を流す金属は冷やしていくと、熱による電子の散乱が減って電気抵抗が小さくなりますが、一般的にその抵抗がゼロになることはありません。しかし、一部の金属はある温度で突然電気抵抗がゼロになることが知られており、このような現象を超伝導現象と呼びます。また、このような現象を低温で示す物質を、通常の金属とは区別して超伝導体と呼びます。超伝導体の中では、電子は波としての性質(位相)を揃えて動き、1つの大きな波のように振る舞います。
(注3)電子スピン:
月や地球の自転運動にたとえられるような自由度を電子は持っており、この回転をスピンと名付けて回転軸を矢印で表します。さらに電子スピンは小さな磁石としても振る舞うことが知られています。電子のように小さくすばしっこい粒子には量子力学と相対論の法則が働きます。その結果、電子スピンの回転軸は“上向き”と“下向き”の二通りに限定され、決して止まることがありません。そういうわけで、電子1個1個でみれば、かならず小さな磁石になります。
(注4)スピントロニクス:
電子の磁石としての性質を用いて情報処理や光・熱制御などを行う研究分野のこと。電子の電気的な性質と組み合わせて、デジタル情報回路を始めとする様々なデバイスで利用される可能性があります。身近なところでは、ハードディスクドライブの高密度化を実現した磁気抵抗素子のように、磁石のN極・S極を電気抵抗の大小で検出する素子などが知られています。電子スピンは量子力学的な重ね合わせの性質が強いので、そのような性質を用いた量子コンピューターも提案されています。
(注5)CISS効果:
Chirality-Induced Spin Selectivityの略で、キラル分子の中を電子が通過すると、そのスピンが電子の進行方向に対して平行(同方向)あるいは反平行(逆向き)に揃うという効果のこと。平行になるか反平行になるかは、キラル分子の左右によって決まります。およそ20年前に発見された効果ですが、なぜそのような効果が出るのか、その詳細な理論はまだ分かっていません。近年はCISS効果の拡張として、磁石の表面で左右の混ざったキラル分子の結晶化を行うと、磁石のN極・S極の切り替えにより結晶として出てくる分子の左右を切り替えられるということが報告されています。
(注6)量子力学的干渉効果:
電子や陽子といった小さな粒子(量子)の世界で、物質は波として振る舞います。波には位相(山と谷)があるので、複数の波が重なり合うと、波の山同士が重なって大きな山になったり、山と谷が重なって平らになったりします。このような効果を波の干渉効果と呼び、小さな粒子の動きを記述する「量子力学」で見られる干渉効果を特に、量子力学的干渉効果と言います。量子力学的干渉効果は、分子や結晶が大きくなってくると、一般的には観測がより難しくなります。
(注7)時間反転:
ものの動きを考える時に、時間を逆向きに(反転)すると符号が変わるものと変わらないものがあります。例えば「質量」は時間を戻しても符号が変わることはありませんが、「速度」は時間を戻すと物質が逆方向に進むので符号がマイナスになります。このように物理量には時間反転に対して符合の変化がない量(時間の偶関数)と、符号の変化がある量(時間の奇関数)があり、それぞれ「時間反転について偶」「時間反転について奇」であると言います。キラリティは質量と同じように時間反転について偶ですが、今回観測したスピン対のキラリティは、時間反転について奇である点が、分子や結晶のキラリティと異なります。
論文情報
掲載誌:Nature
論文タイトル:Giant spin polarization and a pair of antiparallel spins in a chiral superconductor
著者:R. Nakajima, D. Hirobe, G. Kawaguchi, Y. Nabei, T. Sato, T. Narushima, H. Okamoto, H. M. Yamamoto
掲載日:2023 年1月19日(木)午前1時(日本時間)
DOI:10.1038/s41586-022-05589-x
研究グループ
本研究は、分子科学研究所・協奏分子システム研究センターの山本浩史教授・広部大地助教(現所属:静岡大学)・中島良太大学院生(総合研究大学院大学)らの研究チームおよび同研究所・メゾスコピック計測研究センターの岡本裕巳教授・成島哲也助教(現所属:文部科学省)らの研究チームとの共同研究により行われました。
研究サポート
本研究は、科学研究費補助金(20K20903、22K18695、20H01866、17H03014、20H01863、21H05439、21H04641、16H06505、22H05135、21K18884、19H00891)、JST戦略的創造研究推進事業さきがけ(JPMJPR20L9)、JST戦略的創造研究推進事業ERATO(JPMJER1301)などの支援を受けて実施されました。
お問い合わせ先
【研究に関すること】
山本 浩史(やまもと ひろし)
自然科学研究機構 分子科学研究所 協奏分子システム研究センター 教授
広部 大地(ひろべ だいち)
静岡大学 理学部 助教
【JST事業に関すること】
嶋林 ゆう子(しまばやし ゆうこ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
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自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室
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科学技術振興機構 広報課