2023-01-18 量子科学技術研究開発機構
発表のポイント
- 地中に伸びる根の中で起きている栄養の動きを可視化する技術を開発し、イネが干ばつ状況に応じて栄養を送る根を素早く切り替えていることを発見 。
- 干ばつに適応するイネの生存戦略を解明し、環境ストレスに頑健な作物生産への貢献 。
概要
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」という)量子ビーム科学部門高崎量子応用研究所プロジェクト「RIイメージング研究」の三好悠太主任研究員と河地有木プロジェクトリーダーらは、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(理事長 久間和生、以下「農研機構」という)作物研究部門作物デザイン開発グループの相馬史幸研究員と宇賀優作グループ長らと共同で、干ばつに見舞われたイネが水を求めて地中深くに伸ばした根に選択的に炭素栄養を送ろうとする生命活動を、映像として捉えることに世界で初めて成功しました。
毎年頻発する干ばつによって食料需給は世界各地で逼迫しています。私たちは、干ばつ下で生育できる植物の強靭さの仕組みを解明し、干ばつに強い作物、特にイネの開発を進めています。干ばつに強い陸稲などのイネ品種は地中深くまで伸びる太い根を持つことが知られています。そこで、私たちは干ばつ時に根がどのように水分を獲得するのか、根における炭素栄養の分配の仕組みから解明しようと考えました。農研機構が有する地中の根の構造を可視化するX線CT技術と、量研が得意とする植物体内の栄養元素の動きを可視化する植物ポジトロン(陽電子)イメージング技術とを融合し、地中に隠れた根の機能を探る新たなRI(ラジオアイソトープ)イメージング技術を開発しました。本手法を用いて、イネの根が干ばつ下に置かれた土壌環境と、水分が十分に存在する土壌環境下の炭素栄養の動きを観察・比較しました。その結果、干ばつ下では地中深くに存在する水分を求めて下方向に伸びる根に栄養を分配するのに対し、土壌中の水分が増えると地表近くの横方向に展開する根に分配することがわかりました。水分状況に応じて栄養の分配先を選択的に素早く切り替えるという仕組みを持つ、イネの干ばつを生き抜く戦略の一端が明らかになりました。
本研究で開発した技術は、多様な環境変化に適応する植物の生存戦略を詳細に解明する強力なツールです。本成果を環境ストレスに適応したイネの開発に活かすことで、持続的かつ安定した作物生産が可能な社会の実現に貢献することが期待されます。本成果は植物科学分野の欧文誌「Frontiers in Plant Science」誌に2023年1月18日(水)掲載される予定です。なお、本研究は、ムーンショット型農林水産研究開発事業の委託により、また科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「環境変動に対する植物の頑健性の解明と応用に向けた基盤技術の創出」領域(課題番号;JPMJCR17O1)およびACT-X「環境とバイオテクノロジー」領域(課題番号;JPMJAX20BI)、日本学術振興会科学研究費補助金の支援により行われました。
研究の経緯
根は、葉の光合成で作られた炭素栄養(用語説明1)をエネルギー源として伸長し、土壌から水分や養分を吸収します。また、根は干ばつによる土壌環境の変化を最初に感受し対応する器官でもあります。私たちの研究プロジェクトでは、干ばつ下でも生育できる作物の「強靭さ」のメカニズムを解明し、干ばつに強い作物(特に、イネ)を開発する技術の確立を進めています。これまでの研究で、根の浅い水稲よりも根の深い陸稲は干ばつに強いことが分かっており、より干ばつに強いイネを開発するためのカギは「根」にあると考えました。イネが干ばつにさらされた時、地中に存在し通常観察できない根がどのように反応し乾燥に適応するのかを明らかにすることは品種改良のための重要な情報となります。この情報を得るには、土中で複雑に発達する根の構造を解析し(課題1)、炭素栄養がそれらの根の中を運ばれる様子を観察する必要がありました(課題2)。そこで私たちは、農研機構が所有する地中の根の構造を可視化するX線CT(用語説明2)技術と、量研が得意とする植物体内の元素の動きを可視化する植物ポジトロンイメージング(用語説明3)技術を融合させ、新たなRIイメージング技術(用語説明4)を開発しました。
研究の内容
課題1を解決するために、物体の内部構造を非破壊で観察できるX線CT技術に着目しました。本研究では、CT画像から土中で3次元的に生長する根の構造を三次元再構築する技術を使用し、プラスチックポットに植えたイネの土中の根の生長を非破壊的に可視化しました。さらに再構築画像から、根の領域を抽出するソフトウェアRSAtrace3Dを用いて、土中の根のみを抽出しその構造を観察しました。図1では、プラスチックポットに植えた土壌中のイネの根を可視化した例を示しています。
図1 土壌中の根の可視化
次に、課題2を解決するために、量研独自の開放型positron emission tomography(OpenPET)装置(用語説明5)を用いて、生きたイネの体内の放射性同位元素(Radioisotope: RI)の動きをイメージングしました。図2では、イネの葉から根に運ばれる炭素栄養の観察を行うために、イネをOpenPETにセットした実験風景を示しています。イネの葉を密閉容器内に入れて、炭素のRIである炭素11(11C)(用語説明6)で標識した二酸化炭素(11CO2)を空気と一緒に与えた後、OpenPETで撮像しました。11Cは光合成によって生成された炭素栄養(11C-炭素栄養)の一部に目印として組み込まれ、葉から根に運ばれます。目印である11CのシグナルをOpenPETで追跡することで、根の隅々へ運ばれる11C-炭素栄養の動きを可視化できます。また、11Cの半減期が約20分と短いため、同じイネ個体に対して根の環境条件を変えて繰り返し撮像実験が実施できます。
図2 根への炭素栄養の分配を観察するための実験セットアップ
本実験では断続的な干ばつストレスに対する根の適応策を明らかにすることを目的とし、イネの根が干ばつ状況下に置かれた環境と、干ばつから回復し水分が十分に存在する環境下における炭素栄養の分配の様子を観察しました。図3に、実験の流れを示しています。まず、干ばつ状況に置かれたイネの地下部を農研機構のX線CTによって撮影しました。その後イネを量研へ運搬し、葉に11CO2を与えた後にOpenPETによって根へと11C-炭素栄養が運ばれる様子を3時間撮像しました。撮像終了後にプラスチックポットの底面を水に浸して、干ばつ状況下の土壌に給水しました。給水の開始と同時に再びイネの葉に11CO2を与え、根へ11C-炭素栄養が運ばれる様子を3時間撮像しました。2回目の撮像が終了し、給水を開始してから約4時間が経過した後、再びイネの葉に11CO2を与え根へ11C-炭素栄養が運ばれる様子を3時間撮像しました。
図3 OpenPETによる11C-炭素栄養の撮像試験の流れ
図4に、X線CT装置で撮像した根の構造と、OpenPETによる3時間の撮像で得られた積算画像を示します。RIイメージング技術を用いることで、目で見ることのできない土中の根に運ばれる炭素栄養の様子を可視化することができました。また、得られた画像より、土中の水分状態によって炭素栄養の分配先となる根が切り替わり、水分がほとんどない干ばつ状況下では土壌下層に向かって真下に伸びる根へ栄養を分配しているのに対し、土壌全体の水分量が増えると栄養の分配先が横方向に伸長する根へと切り替わることが分かりました。さらに、給水直後に実施した2回目の撮像時点で、真下へ伸びる根への炭素栄養の分配がほとんど観察できなくなっており、炭素栄養の分配先が切り替わる現象が土壌水分量の変化に応じて素早く行われていることが明らかになりました。以上のことから、イネは通常横方向に伸長する根により多くの炭素栄養を送り、水分や養分の獲得機能を強化しながら生長します。しかし、干ばつ状況下では土壌下層に存在する水分の吸収を最優先するために下方向に伸びる根へと炭素栄養を分配します。土壌に水が戻ると根の本来の機能を回復するため再び横方向に伸長する根に優先して炭素栄養を分配することが示されました。断続的な干ばつを生き抜くイネの生存戦略の一端を捉えることに世界で初めて成功しました。
図4 X線CT装置で捉えた根の構造(白黒画像)とOpenPETで可視化した11C-炭素栄養の様子(RGB画像)
今後の展開
本研究で開発したRIイメージング技術は、多種多様な作物が環境変化に適応するための生存戦略をより詳細に解明する上で強力なツールです。このRIイメージング技術を用いて、塩類集積など干ばつの他の土壌環境変化に対するイネの根の応答を解析します。また、ダイズなどの畑作物についても、それらが土壌環境の変化に応答する仕組みを明らかにしていきます。本研究成果は作物が持つ環境ストレスに対する生存戦略を明らかにし、今後さらに悪化する地球環境に適応した作物開発に活用され、持続的な農業および食料供給が可能な社会の実現に貢献することが期待されます。
特記事項
本研究成果は、2023年1月18日(水)にスイスのFrontiers Media社が出版する欧文誌Frontiers in Plant Science誌の特集号“Source-Sink Balance in Crops: Where does Carbon go?”に掲載されております。
タイトル:Rice immediately adapts the dynamics of photosynthates translocation to roots in response to changes in soil water environment
著者:三好 悠太a, 相馬 史幸b,尹 永根a,鈴井 伸郎a,野田 祐作a,榎本 一之a,長尾 悠人a,山口 充孝a,河地 有木a, 吉田 英治a,田島 英朗a,山谷 泰賀a,久家 徳之b,寺本 翔太b,宇賀 優作b,
(a量子科学技術研究開発機構, b農業・食品産業技術総合研究機構)
DOI:https://doi.org/10.3389/fpls.2022.1024144
また、本研究は、
- ムーンショット型農林水産研究開発事業「サイバーフィジカルシステムを利用した作物強靭化による食料リスクゼロの実現」(体系的番号;JPJ009237)
の委託により、また
- 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「環境変動に対する植物の頑健性の解明と応用に向けた基盤技術の創出」領域(課題番号;JPMJCR17O1)
- JST戦略的創造研究推進事業ACT-X「環境とバイオテクノロジー」領域(課題番号;JPMJAX20BI)
- 日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号;20H04465)
の支援により行われました。
用語解説
1)炭素栄養:
葉の光合成によって作られる炭素化合物のことを示します。葉で作られた炭素栄養は新葉や根、果実などの各器官へと送られ、生長や、水分・養分の獲得など生命活動のエネルギー源として使用されます。
2) X線CT(X線断層撮影、X-ray computed tomography):
電磁波の一種であるX線を用い、対象の内部構造を3次元的に可視化する撮像技術です。X線は物体を透過することができ、その透過しやすさが物質によって異なるため、レントゲン写真のように撮像対象の内部構造の観察が可能となります。X線CTでは撮影対象の様々な角度からX線を照射し、透過したX線の強度から撮影対象の3次元構造を描出します。
3)植物ポジトロンイメージング技術:
ポジトロン放出核種(11Cなど)で標識された物質の動きを植物が生きたままの状態で体外から観察できる技術です。温度、湿度や光強度など植物周辺の環境条件を調節できる人工気象器の中で植物体内の栄養元素の動きを可視化できるため、環境変化に適応する植物の様々な生理機能の解析に適しています。
4)RIイメージング技術:
植物体内に投与した放射性同位元素(RI: Radioisotope)の動きを可視化する技術です。植物に吸収された元素がどのように植物体内を巡り各器官へと蓄積されるのか、それら生理機能を明らかにします。ここではX線CTと植物ポジトロンイメージングの融合により、土壌中の植物の根の構造と、根へと運ばれる炭素栄養の動きを同時に可視化する技術のことを示します。
5)OpenPET装置:
量研が開発した世界初となる開放型のpositron emission tomography(PET)装置。OpenPETの小型試作機を植物のポジトロンイメージング用に改造し、植物体内のポジトロン放出核種で標識された物質の動きを3次元的に可視化できるようにしました。3次元放射線位置(DOI)検出器によって優れた感度と解像度を持ちます。
6)炭素11(11C):
質量数11の炭素の放射性同位元素で、生体内では天然に存在する炭素(12C)と同じ挙動をします。11C(半減期:20.38分)は、大型加速器サイクロトロンを用いた核反応により製造され、放出されるポジトロン(陽電子:電子の反粒子で正の電荷をもつ)をたよりに撮像できます。この11Cで目印を付けた二酸化炭素(11CO2)ガスを植物に与えると、植物は葉の気孔から11CO2を取り込み、光合成によって11Cの目印が付いた炭素栄養(11C-炭素栄養)を作ります。葉で作られた11C-炭素栄養が植物体内を移動し、根に運ばれる様子を観察することで、土壌環境の変化によって根への炭素栄養の分配の様子がどのように変化するか、解析することができます。