有機固体で実現する量子スピン液体の特異な性質を解明 人工ニューラルネットワーク第一原理計算による量子物質設計へ

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2022-04-21 東京大学,早稲田大学,豊田理化学研究所

発表のポイント
  • 「富岳」などのスーパーコンピュータを駆使して、人工ニューラルネットワークを活用した第一原理計算を行い、有機化合物内で生じる量子スピン液体をコンピュータの中に再現することに成功しました。
  • 再現した量子スピン液体は、「幾何学的フラストレーション」が誘発する「一次元化」と「スピン」が分数化した二次元的な創発粒子「スピノン」がともに出現する、一次元性と二次元性を併せ持つ新しいタイプの量子スピン液体であることを明らかにしました。
  • 量子スピン液体中に現れる創発粒子「スピノン」は、「量子もつれ」という基礎科学の難題を解き明かす鍵を握るとともに、量子コンピュータ素子としての応用も期待されています。また、開発した計算手法を用いて、新奇量子物質の設計が進むことも期待できます。
発表概要:

東京大学物性研究所の井戸康太助教、吉見一慶特任研究員は、北京量子信息科学研究院の三澤貴宏副研究員、早稲田大学/豊田理化学研究所の今田正俊上級研究員・研究院教授/フェローとの共同研究で、スーパーコンピュータ上で人工ニューラルネットワーク(注1)を活用した第一原理(注2)に基づく包括的な高精度な数値計算を実行し、量子スピン液体(注3)候補物質を含む、有機固体(注4)である5種類のPd(dmit)2塩の実験結果を再現することに成功しました。再現の結果、量子スピン液体となるPd(dmit)2塩では、「幾何学的フラストレーション」(注5)と呼ばれる効果が誘発する「一次元化」という創発的な機構が働き、空間的に一次元的な性格が出現するにもかかわらず、基本粒子である「スピン」(注6)が分裂した(分数化(注7)と呼ぶ)二次元的な創発粒子「スピノン」(注8)で特徴づけられ、強く量子もつれ(注9)した量子スピン液体が実現していることがわかりました。

電子が強い量子もつれを示す量子スピン液体は、基礎物理学的に興味深い舞台として注目されています。近年では、その強い量子もつれを利用した量子コンピュータ(注10)や省エネルギースピントロニクスデバイスなどの次世代デバイスへの応用が期待されています。そのため、量子スピン液体を示す物質探索が精力的に行われていますが、候補物質の結晶構造の情報から量子スピン液体かどうかを判定することはコンピュータ上であっても困難でした。

今回明らかになった量子スピン液体の出現条件や性質に関する知見は、量子コンピュータなどの量子デバイス材料設計の指針となることが期待されます。また開発した手法を用いて、量子スピン液体や高温超伝導体などの、量子もつれが強い量子物質の示す特異な性質の起源の解明や新奇量子物質の計算科学的探索が進むと期待されます。

本成果は、英国科学誌npj Quantum Materialsの電子版に4月21日に掲載されました。

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発表内容:
① 研究の背景

我々が現在暮らしている社会では、金属や磁石、ガラスなどのさまざまな物質が使われています。こうした物質の性質の多くは、物質中の電子の動きから理解できます。例えば、金属では概ね自由に動き回れる電子がいますが、ガラスやゴムなどの絶縁体では電子が動けません。一方、磁石などの磁性体では電子の“回転方向”であるスピンが揃っています。こうした物質開発がエレクトロニクス社会の発展に貢献していることは言うまでもありませんが、近年ではこれらの性質とは別の“量子スピン液体”と呼ばれる性質が注目を浴びています。
量子スピン液体を示すと考えられている代表的な候補物質群として、有機固体Pd(dmit)2塩が挙げられます。この物質群は、金属錯体(注11)Pd(dmit)2で構成される二次元層とカチオン分子(注12)で構成される二次元層が交互に積み重なってできています(図1)。Pd(dmit)2塩は、カチオン分子を変えることで磁性相や量子スピン液体相など様々な状態が実現するという面白い特徴があります。量子スピン液体を示すPd(dmit)2塩は2000年代に実験的に合成されましたが、量子スピン液体の出現条件やその性質については未だ議論が続いています。こうした物質の個性を数値シミュレーションから理解するために、第一原理計算手法がよく用いられます。第一原理計算を用いた先行研究により、金属錯体にある磁性を担っている電子スピンの配列が定まらなくなる幾何学的なフラストレーションの度合いがカチオン分子の種類によって変化すること、そして幾何学的フラストレーションが強くなることにより量子スピン液体が実現しているのであろうということが指摘されていました。しかし、Pd(dmit)2塩では電子と電子の間に働くクーロン相互作用の効果がとても強いため、様々なPd(dmit)2塩の個性を第一原理計算により統一的に再現し、量子スピン液体の性格を明らかにすることは非常に困難でした。そのため、強い相互作用を精度良く取り扱える第一原理計算手法を開発して適用することが望まれていました。

有機固体で実現する量子スピン液体の特異な性質を解明 人工ニューラルネットワーク第一原理計算による量子物質設計へ

図1: 有機固体EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2の結晶構造の拡大図と金属錯体層の模式図。左図の結晶構造はR. Kato and C. Hengbo, Crystals 2, 861 (2012)で提供されている結晶構造ファイルを可視化ソフトウェアVESTA [K. Momma and F. Izumi, J. Appl. Crystallogr, 44, 1272 (2011).] を利用して作成した。右図は金属錯体層の一部を二次元的に表示した模式図。灰色が金属錯体を表している。電子は2つの金属錯体を含んだ二量体(黒丸)内でよく束縛されており、三角格子を組んでいる。この物質では隣接する黒丸間でスピン(オレンジ色の矢印)の向きが反対向きに揃うような相互作用が働いているが、三角格子のような場合はスピンの向きを一意に定めることができない。こうした幾何学的フラストレーションが量子スピン液体の安定性に寄与していることは先行研究で指摘されていた。

② 研究の内容

本研究グループは、近年開発された人工ニューラルネットワーク(図2)を活用した高精度な第一原理計算手法を発展させることで、5種類の有機固体をスーパーコンピュータ上で解析することを可能にしました。特に幾何学的フラストレーションの強さがスピン液体の出現条件にどのように影響を与えているのかにも着目し研究を進めました。その結果、実験で観測されている結果をコンピュータ上で再現することに成功しました(図3)。また、この量子スピン液体の性質を理解するためにスピン同士の量子もつれの強さを調べたところ、金属錯体層において二次元的なスピンの量子もつれが生まれますが、この強い量子もつれは、スピンが“分裂”(分数化)して生まれるスピノンという創発的な新奇粒子により引き起こされていることもわかりました(図4)。さらに特定の一次元方向に長距離にわたって特に強く量子もつれを起こしていることもわかりました。フラストレーションがきっかけとなって、量子スピン同士が自己組織化的に一次元的に結びつき、量子スピン液体が出現しており、これは自己組織化的な低次元化とでも呼ぶべきものです。つまり、この結果は、Pd(dmit)2塩では一次元性と二次元性の両面を秘めた新奇の量子スピン液体が発現していることを示しています。

fig2

図2: 人工ニューラルネットワークである制限ボルツマン機械の模式図。Pd(dmit)2層にある電子の動きをニューロン層にある四角形の隠れユニットと接続されたネットワークを最適化することで表現している。本研究では、この制限ボルツマンマシンに加えて、Pd(dmit)2層の電子-電子間を繋ぐ別のネットワーク状態も利用している。

fig3

図3: 有機固体Pd(dmit)2塩の相図。縦のパネルが本研究で計算した量子スピン液体と反強磁性相のエネルギー差がフラストレーションの強さにどう依存するかをプロットしている。この値が負のとき、量子スピン液体が実現する。プロット近くの色付き文字はPd(dmit)2塩に含まれるカチオン分子を表記している。下のパネルでは、実験で観測された磁性相になる温度をフラストレーションの強さでプロットしている。青色、オレンジで塗られた領域は、それぞれ実験で観測された磁性相と量子スピン液体相の実現領域を簡易的に表現している。

fig4

図4: シミュレーションで予測したスピン(右)とスピノン(左)の運動量空間での励起構造。円錐状のエネルギー分散が見られる。実験では観測のできないスピノン(ギザギザ模様のある半円)が2つ励起されることにより、観測できるスピン励起(円)が生まれることを表している。

③ 社会的意義・今後の展望

今回の研究では、人工ニューラルネットワークを利用した高精度第一原理計算を用いて、Pd(dmit)2塩を包括的に調べて、実験で生じる量子スピン液体の出現条件と性質を明らかにしました。本研究で示した長距離にわたる強い量子もつれは、量子計算の実用上重要であるため、ここで明らかになった基礎科学的知見が量子コンピュータなどの量子デバイス材料への応用にヒントを与えることが期待されます。

また開発した手法を、他の量子スピン液体候補物質や銅酸化物といった高温超伝導体などの量子もつれの強い量子物質に網羅的に適用することで、量子物質で発現する特異な性質の起源をより広範に明らかにすることができることから、新奇機能性の発見に向けた提案に向けた活用も期待されます。

本研究では、東京大学物性研究所「Ohtaka」や東京大学情報基盤センター「Oakbridge-CX」、理化学研究所「富岳」(注13)といった日本を代表するスーパーコンピュータを利用しました。また、東京大学物性研究所 ソフトウェア開発・高度化プロジェクトの支援を受けて開発されたソフトウェアを用いました。なお本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業(16H06345, 19K14645)と文部科学省「富岳」成果創出加速プログラム「量子物質の創発と機能のための基礎科学―「富岳」と最先端実験の密連携による革新的強相関電子科学」(JPMXP1020200104)の一環として実施されたものです。また、本研究の一部は、スーパーコンピュータ「富岳」の計算資源の提供を受け、実施しました(課題番号:hp200132, hp210163)。

発表雑誌:
  • 雑誌名:npj Quantum Materials(4月21日オンライン掲載)
  • 論文タイトル: Unconventional dual 1D-2D quantum spin liquid revealed by ab initio studies on organic solids family
  • 著者:Kota Ido, Kazuyoshi Yoshimi, Takahiro Misawa, and Masatoshi Imada∗
  • DOI番号:10.1038/s41535-022-00452-8
用語解説:
(注1)人工ニューラルネットワーク:
脳の神経細胞の繋がり方を模したネットワークの総称。複雑な関数を効率よく表現でき、関数形がわからなくても、変数を与えたときの関数値を高精度で推定するように構成できる。近年では物質の状態を近似するためにも用いられている。本研究では、量子もつれした量子多体状態という極めて複雑な多変数関数である、波動関数を表現するために用いられた。例えば、本研究で用いられた制限ボルツマシン機械は、図2のように隠れニューロン層が一層あるニューラルネットワークである。
(注2)第一原理:
物質に含まれる原子や電子などの電荷、質量などの基本定数のみを用い、それ以外の任意パラメタを導入しないこと。第一原理を用いて物質の性質を明らかにする手法を第一原理手法と呼ぶ。また今回用いられた手法のように、実験で得られている結晶構造を用いて、物質の性質を明らかにする場合も第一原理手法と呼ぶ。このように物質ごとのパラメータ調節を必要とせず、電子の従う量子力学の基礎方程式と物質の基本情報のみを用いている数値計算は、第一原理計算と呼ばれる。
(注3)量子スピン液体:
自由に動ける電子がいないのが絶縁体であるが、そのうち強磁性体や反強磁性体のようにスピンが実空間で規則正しく揃っておらず、スピンの多数の状態の重ね合わせでしか状態を表せない、量子力学的にもつれた状態のこと(注9参照)。1973年にP. W. Andersonにより提唱されて以来、量子スピン液体状態を実現する条件について様々なグループが研究してた。研究当初は、量子スピン液体の安定性や性質解明といった基礎物理学の観点からの研究が多くあったが、現在では量子コンピュータやスピントロニクスなどの次世代デバイスへの応用という観点から、量子もつれの制御に関する研究も活発に行われるようになっている。
(注4)有機固体:
アルミニウムなどの原子が周期的に配置された無機固体と同様に、炭素原子を含む分子からなる有機化合物が規則正しく配列された物質。一般に複雑な有機分子が単位となるため、複雑な構造を持つ。
(注5)幾何学的フラストレーション:
隣接するスピンの向きを反対向きに揃える相互作用が働いている場合、スピンを三角格子上に配置しようとしても図1右のように最もエネルギーの低いスピンの向きが一意に決まらない。こうした物質の幾何学的な構造による効果のことを幾何学的フラストレーションという。
(注6)スピン:
量子力学的な角運動量自由度のこと。本稿のように電子の場合、電子の自転の右回転・左回転といった回転方向として表現されることがしばしばある。
(注7)分数化:
真空中では素粒子である電子のように、基本粒子と考えられている粒子が、物質中で粒子間に働く強い相互作用の結果、複数の別の粒子に分裂して、分裂した粒子が基本励起を担っているように見える現象のこと。
(注8)スピノン:
スピンが分数化したことにより生じた創発粒子。量子スピン液体において1つのスピンを反転させるスピン励起が起きると、2つのスピノンが創発され互いに独立に運動するように見えることがある。Pd(dmit)2塩の場合も、図4のように、独立した2つのスピノン励起がスピンの励起構造に反映していると考えられる。
(注9)量子もつれ:
複数の状態が量子力学的に重ね合わされたときに、一つの古典的な状態で表現できなくなった状況を表すために用いられる言葉。例えば空間的に離れた点AとBにいる2つのスピンをもった粒子が、Aに↓スピンがいてBに↑スピンがいる状態と、Aに↑スピンがいてBに↓がいる状態を重ね合わせた状態では、量子もつれが生じているという。
(注10)量子コンピュータ:
様々な状態が重ね合わさった量子もつれ状態を利用することで、従来の古典コンピュータの限界を超えた性能が期待されている新しい動作原理に基づくコンピュータ。
(注11)金属錯体とPd(dmit)2塩:
金属錯体とは金属原子を取り囲むように分子が配列している化合物。Pd(dmit)2塩に含まれる金属錯体の場合、金属原子がPd(パラジウム)、それを取り囲む分子がdmit(1,3-dithiole-2-thione-4,5-dithiolate)に対応している。結晶構造は図1左を参照。
(注12)カチオン分子:
電子を引きつける正に帯電した分子のこと。なお、負に帯電した分子のことはアニオン分子と呼ばれる。
(注13)「富岳」:
2021年より本格運用を開始している、理化学研究所と富士通によって共同開発された、現時点で世界最高峰のスーパーコンピュータ。
1700応用理学一般
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