水のナノメートル空間で現れる特殊なダイナミクス~長年の課題に新たな光明を投ずる~

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2021-07-21 理化学研究所

理化学研究所(理研)放射光科学研究センター利用技術開拓研究部門物質ダイナミクス研究グループのアルフレッド・バロングループディレクターらの研究チームは、水の「ナノメートル空間[1]」で観測される非弾性X線散乱スペクトル[2]の中に「ファノ効果[3]」と呼ばれる干渉効果に似た相互作用が現れることを発見しました。

本研究成果は、液体の運動の観測結果を解釈する上で重要な役割を果たすもので、メソスケール[4]における液体の運動についての理解が今後一層進むと期待できます。

水のナノメートル空間の運動については長年多くの研究が行われてきましたが、実験結果の解析や解釈について統一的な見解が得られていませんでした。

今回、研究チームは、大型放射光施設「SPring-8」[5]に設置されている高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータ[6]を用いて、1ミリ電子ボルト(meV、1meVは1,000分の1電子ボルト)以下という従来よりも高い精度で水の運動を観測することに成功しました。その結果、スペクトルの中にファノ効果と呼ばれる干渉効果に似た相互作用を発見しました。これは、ナノメートル空間で観測される水の運動を正確に理解するには、水の拡散(ランダムな運動)と音響波[7]だけでなく、それらの間に働く相互作用を考慮する必要があることを示しています。これにより、長年にわたる論争の問題はモード(運動のパターン)間の相互作用を考慮していなかった点にあることが明らかになりました。

本研究は、科学雑誌『Journal of the Physical Society of Japan』(7月21日付)にオンライン掲載されます。

背景

水は地球表面に存在する最も重要な物質です。液体の運動に関する研究分野は英語で「hydrodynamics」、つまり「水(hydro)-力学(dynamics)」ということからも分かるように、液体の運動はまさに”水に始まって、水に終わる”ともいえます。水についての研究はこれまで数多く行われてきましたが、それでもまだ解明されていない課題がいくつか残っています。

そのうちの一つが「ナノメートル空間」における水の運動です。1ナノメートル(nm)は10億分の1メートルで、ナノメートル空間とは一辺が1~10nmの非常に小さな空間のことです。そのような微小空間であっても、水は連続体の運動として記述できるのか、それとも連続体としての近似はもはや成り立たず、個々の水分子(H2O)の離散的な分布(最近接の分子間距離:約0.28nm)を考慮した運動を考えなければならないのか、分かっていませんでした。

この問題を解く実験的研究は、1980年代から1990年代にかけて欧州で始まり、研究者らはX線や中性子線を光源とし、精巧な装置を築いて取り組みました。その結果、観測する空間スケールを細かくしていくと、水の運動には何らかの新しいモード(運動のパターン)が現れることが多くの研究で示唆されました。しかし、実験結果の解析や解釈について統一的な見解が得られていませんでした。

研究手法と成果

研究チームは、大型放射光施設「SPring-8」に設置されている高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータを用いて、1ミリ電子ボルト(meV、1meVは1,000分の1電子ボルト)以下というこれまでにない非常に高い精度でナノメートル空間における水の集団運動を観測しました(図1)。

図1 大型放射光施設「SPring-8」に設置されている高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータ

その結果、二つのことが明らかになりました。一つは、これまで考えられていたよりも広い空間まで、水分子サイズの効果に起因する「粘弾性効果[8]」が働いていたことです。これは、従来の認識よりも大きな水分子集団が弾性体としての性質を持つことを示しています。

もう一つは、これまで必要だと考えられてきた新しいモードは実は不要だったということです。新しいモードと考えられてきたものは「ファノ効果」と呼ばれる水のダイナミクスの干渉効果に関係していたことが、非弾性散乱スペクトルの解析から分かりました(図2)。これは、ナノメートル空間で観測される水の運動を正確に理解するには、水の拡散(ランダムな運動)モードと音響モード[7]だけでなく、それらのモード間に働く相互作用を考慮する必要があることを示しています。

ファノ効果は分光学ではよく知られた現象ですが、これまで実験データの解析に取り入れられたことは全くありませんでした。このように今回、SPring-8で高精度のデータを取得できたおかげで、長年にわたる論争の問題点が明らかになりました。

ナノメートル空間で観測された水の集団運動の相互作用の図

図2 ナノメートル空間で観測された水の集団運動の相互作用

ナノメートル空間で観測された水の高分解能非弾性X線散乱スペクトル。拡散(ランダム)モード(赤破線)と音響モード(灰色)に加えて、新たにその二つのモード間の相互作用(ピンク色)の成分を取り入れることで、実験結果をよりシンプルなモデルでうまく説明できることが分かった。

今後の期待

本研究により、水のナノメートル空間の運動を理解するには、水の拡散モードと音響モード間の相互作用を考慮すればよいということが明らかになり、液体のモデルを必要以上に難しくせずに考えられるようになりました。

今後、他の多くの液体でもナノメートル空間の興味深い運動が観測されると考えられます。そして、今回明らかにした相互作用を考慮することで、液体の運動のより正確なモデルを作成でき、メソスケールの液体の運動の理解が一層進むものと期待できます。

補足説明

1.ナノメートル空間
1ナノメートル(nm)は10億分の1メートル。ナノメートル空間は、一辺の長さ1~10ナノメートルで作られる空間サイズを指す。

2.非弾性X線散乱スペクトル
X線を物質に照射したとき、物質のさまざまな励起状態とエネルギーをやり取りした結果、散乱X線のエネルギーが入射X線のエネルギーから変化する現象を非弾性X線散乱といい、エネルギーを変えながら散乱X線強度を観測したものを非弾性X線散乱スペクトルという。このスペクトルを精度よく測定することで、原子や分子の集団運動について詳しく知ることができる。

3.ファノ効果
エネルギー的に離散的な共鳴準位と連続的な準位間で起きる干渉をいう。この現象は非対称的なスペクトル波形として観測され、凝縮系物理学や原子物理学で広く観察されている。

4.メソスケール
巨視的な尺度(マクロスケール)と微視的な尺度(ミクロスケール)の中間の尺度を指す。

5.大型放射光施設「SPring-8」
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その運転管理は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する、細く強力な電磁波のこと。

6.高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータ
非弾性X線散乱スペクトルを高いエネルギー分解能で測定するための装置。音響波の励起エネルギーは、入射X線のエネルギーの1,000万~100万分の1程度で、非常に高精度でエネルギーの変化を検出しなければ物質の音響波を測定できない。SPring-8のBL43LXUに設置されている高分解能非弾性X線散乱スペクトロメータは、エネルギー分解能、X線強度ともに世界最高性能を持つ。

7.音響波・音響モード
局所的な密度変化または圧力変化が媒質中を伝播する波動。

8.粘弾性効果
観測する水分子の集団サイズを小さくすると流体としての性質が小さくなり、弾性体としての性質が顕著に現れるようになる。例えば、水中での音速は約1.5km/sだが、非常に小さな分子集団中で観測するとその約2倍になる。これは氷中での音速(約3.2km/s)と同程度である。

研究チーム

理化学研究所 放射光科学研究センター 利用技術開拓研究部門
物質ダイナミクス研究グループ
グループディレクター アルフレッド・バロン(Alfred Q. R. Baron)
客員研究員 石川 大介(いしかわ だいすけ)

原論文情報

Daisuke Ishikawa and Alfred Q.R. Baron*, “Interaction of Acoustic and Quasi-Elastic Modes in Liquid Water on Nanometer Length Scales”, Journal of the Physical Society of Japan, 10.7566/JPSJ.90.083602

発表者

理化学研究所
放射光科学研究センター 利用技術開拓研究部門 物質ダイナミクス研究グループ
グループディレクター アルフレッド・バロン(Alfred Q. R. Baron)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

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