量子力学的な粒子の空間断熱移送に成功~空間を飛び越える粒子~

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2020-01-20 京都大学

高橋義朗 理学研究科教授、田家慎太郎 同博士研究員らの研究グループは、「空間断熱移送」を質量を持った粒子で初めて実現しました。

量子力学で最も根本的な考え方の一つに、物質も波の性質を持つとすることが挙げられます。波の基本的な性質は、互いに重なり合って強めあったり打ち消しあったりする干渉効果です。この効果は真っ直ぐにつながった3つの容器の中の粒子でも見ることができます。3つの容器の間の遷移確率を上手くコントロールすると、干渉によって粒子が中央の容器には姿を現すことなく端から端へと飛び移る不思議な現象が起こります。この現象が空間断熱移送と呼ばれています。

本研究は、レーザー光がつくる規則正しい格子パターンに原子を閉じ込める「光格子」を用いることで遷移確率を精密に制御し、格子点の間の空間断熱移送を観測することに成功しました。この過程で実現される状態は磁石の力の源になる強磁性とも深く関わっており、この成果が物質の謎を解き明かす足掛かりになることが期待されます。

本研究成果は、2020年1月17日に、国際学術誌「Nature Communications」のオンライン版に掲載されました。

図:リープ格子のイメージ図。中央に示された3つの格子点が空間断熱移送に必要な3つの容器に対応する。

書誌情報

【DOI】 https://doi.org/10.1038/s41467-019-14165-3

【KURENAIアクセスURL】 http://hdl.handle.net/2433/245415

Shintaro Taie, Tomohiro Ichinose, Hideki Ozawa & Yoshiro Takahashi (2020). Spatial adiabatic passage of massive quantum particles in an optical Lieb lattice. Nature Communications, 11:257.

詳しい研究内容について

量子力学的な粒子の空間断熱移送に成功
-空間を飛び越える粒子-

概要
量子力学で最も根本的な考え方の一つに、物質も波の性質を持つとすることが挙げられます。波の基本的な性質は、互いに重なり合って強めあったり打ち消しあったりする干渉効果です。この効果は真っ直ぐにつながった3つの容器の中の粒子でも見ることができます。3つの容器の間の遷移確率を上手くコントロールすると、干渉によって粒子が中央の容器には姿を現すことなく端から端へと飛び移る不思議な現象が起こります。
京都大学大学院 理学研究科 高橋義朗 教授、田家慎太郎 同博士研究員らのグループは、この 空間断熱移送」を質量を持った粒子で初めて実現しました。本研究は、レーザー光がつくる規則正しい格子パターンに原子を閉じ込める 光格子」を用いることで遷移確率を精密に制御し、格子点の間の空間断熱移送を観測することに成功しました。この過程で実現される状態は磁石の力の源になる強磁性とも深く関わっており、この成果が物質の謎を解き明かす足掛かりになることが期待されます。
本研究成果は、2020 年 1 月 17 日に英国の国際学術誌 「Nature Communications」にオンライン掲載されました。


リープ格子のイメージ図。中央に示された 3 つの格子点が空間断熱移送に必要な 3 つの容器に対応する。

1.背景
原子 分子といった目に見えないミクロな対象の世界では、時に我々の直感とはかけ離れた現象を目の当たりにすることができます。このような現象を説明するのが量子力学という学問です。量子力学によると、すべての物質は波としての性質を持ちます。波というものが持つ大きな特徴に、2つの波が重なると強めあったり打ち消しあったりする 「干渉」が挙げられます(図1)。たった3つの状態を考えるときにも干渉の効果が現れます。条件を上手く制御することで、物質の波が常に1つの状態で打ち消しあい、残る2状態間でだけ往復するように仕向けることができます。これを応用して高効率な状態の移送を行う技術は原子物理学で古くから知られていました。
この 3 つの状態がそれぞれ別の場所にある容器だとしましょう( 図2)。容器 A, B, C がこの順番に真っ直ぐつながっていたらどうでしょうか。容器の中の粒子は量子力学のトンネル効果によって隣の容器へ飛び移ることができます。ただ、A から C へ行くためには B を経由しなければなりません。そこで先ほどの話を思い出してください。トンネル効果の確率を操作して B で物質の波が打ち消しあうようにすると、まるで粒子が突然 ワープ」したかのように A から C へ飛び移ります。この 空間断熱移送」と呼ばれる現象は古典的な光の波では観測されていましたが、量子力学的な粒子での実現はされていませんでした。


図 1. 波の干渉


図 2. 空間断熱移送。矢印はトンネル確率の大きさを表す

2.研究手法・成果
空間断熱移送の実現には、ミクロな粒子を入れる 3 つの極小の容器と、容器の間のトンネル確率を精密に制御する必要があります。このような目的のために最適な物理系の一つが、レーザー冷却された極低温の原子気体です。容器の役割を果たすのはレーザー光で、原子は真空中に集光されたレーザー光に保持されます。本研究グループは、光の波長サイズの規則正しい格子構造を持つ光格子のうち、 「リープ格子」と呼ばれる格子構造で3つの容器を作りこみました(図3)。このリープ格子は最小単位に3つの格子点を含み、そこに原子を捕獲することによって、要求される配置でトンネル効果を起こすことができます。さらに、レーザー光の強度によってトンネル確率を制御できるようにして、空間断熱移送の実験装置を作り上げました。
実験では、相互作用しないイッテルビウム原子の特定の同位体を用い、位置を運動量に転写するバンドマッピング法を応用することで、数万個の原子が同時に断熱移送される様子を捉えることに成功しました( 図4)。
移送効率は 95%という高い値が得られました。また、空間断熱移送の他に、3準位系における代表的な物理現象である 「電磁誘起透明化」に対応する現象を再現することにも成功しました。


図 3. 光格子で作られた3つのミクロな容器


図 4. 空間断熱移送の実現。B の存在確率を増やすことなく A から C へ粒子が移動している

3.波及効果、今後の予定
空間断熱移送の過程では、粒子の波は A と C に同時に存在する状態になっています。こうした 重ね合わせ」の状態を保持する操作をコヒーレント操作といい、量子計算や量子シミュレーションで重要な役割を果たします。今回用いた手法は同じ数学的特徴を持つ別の格子構造にも応用でき、新たなコヒーレント操作を開発したという意義があります。
加えて今回の成果は、元々3つの容器のみで考えられていた空間断熱移送を、無数の格子点を含む光格子で実現したことにも大きな意義があります。実は、移送の過程で実現される重ね合わせ状態は、物性物理学で関心を持たれている平坦バンド上の状態に相当します。平坦バンドの状態は運動が凍結し、相互作用のエネルギーが支配的になるという著しい特徴があります。磁石が鉄を引き付ける性質を強磁性と言いますが、そのメカニズムの本質はいまだ解明されていません。平坦バンド中の粒子は特定の条件下で強磁性を示すことが知られており、本研究がこのような長年にわたる物性物理学の問題を解決する足掛かりになる可能性があります。

4.研究プロジェクトについて
本研究は JST 戦略的創造研究推進事業 CREST (No. JPMJCR1673)、光 量子飛躍フラッグシッププログラム( Q-LEAP、No. JPMXS0118069021)、内閣府革新的研究開発推進プログラム( ImPACT)、および日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤 S、基盤 A、新学術)の支援によって行われました。

<用語解説>
トンネル効果
古典力学では、容器の中に入った粒子は容器の縁まで飛び上がるだけの運動エネルギーが無ければ外に出ることはできません。これに対して量子力学では、粒子は十分なエネルギーを持っていなくても一定の確率で容器の外へ出ることができます。これをトンネル効果と言います。
光格子
対向するレーザー光の干渉によって、電場の振幅が強めあう場所と打ち消しあう場所が規則正しく並んだ定在波ができます。極低温に冷やされた原子をその種類に応じてどちらかの場所に捕獲することができ、これを光格子と言います。光格子に原子集団を導入した系は多くの点で金属や半導体などの固体と似通っており、人工の固体結晶として物性物理の研究対象になっています。多数のレーザーを組み合わせることで様々な格子構造を作ることができます。
バンドマッピング法
光格子の実験で用いられる実験手法。A、B、C の各格子点にいる粒子にそれぞれ異なった速度を与え、一定時間待つことで違う格子点にいた粒子は互いに離れていきます。こうすることで、直接観測することが難しいほど小さな対象を見分けることができます。
リープ格子
下図のような格子構造。破線で囲まれた 3 つの格子点 A、 B、 C が基本単位になり、それを敷き詰めることで出来上がります。

3 準位系
3つの量子力学的な状態のみで構成される物理的な対象。原子 分子の内部状態に対して用いられることが一般的ですが、本研究の A、B、C に粒子がいる状態も 3 準位系と見なすことができます。
電磁誘起透明化
ある媒質では通常は吸収されてしまう光( 電磁波)を、別の光を当てることで完全に透過させることができます。この現象は電磁誘起透明化とよばれています。電磁誘起透明化が起こっている媒質中では光の速度が大きく変化し、 止まった光」を作り出すことも可能です。
量子シミュレーション
物理学者リチャード ファインマンにより提唱された概念で、従来の( 古典)計算機の能力では解くことの難しい量子力学の問題を、量子力学の法則に従う対象を使って解くことを言います。ある物理系を量子シミュレータとして使うには、興味のある問題を再現できることの他に、操作性の良さ、観測可能性などの条件が必要です。
平坦バンド
自由な空間では運動エネルギーは運動量の2乗に比例しますが、固体や光格子のような結晶中を動く粒子に対してはこの関係が変化することが知られています。極端な例が平坦バンドであり、運動量を増やしても運動エネルギーがゼロのままという凍結した状態が実現します。( 参考「 レーザーで作る光の結晶格子で 平 坦 バ ン ド を 実 現 ~ 難 解 な 磁 性 の 問 題 の 解 明 へ 新 た な 道 を 拓 く 」 http://www.kyotou.ac.jp/ja/research/research_results/2015/151120_3.html)

<研究者のコメント>
Google による量子超越性の論文が大きく取り上げられ、 量子」のワードが一般で聞かれることが多くなったように思います。量子物理学は既に私たちの生活を支える基盤となっていると同時に、発展途上の魅力的な学問分野でもあります。本記事を読んで下さった方々が( ビットコインの相場だけでなく!)少しでも量子の世界に興味を持っていただければ幸いです。

<論文タイトルと著者>
タイトル: Spatial Adiabatic Passage of Massive Quantum Particles in an Optical Lieb Lattice
(光リープ格子における質量を持った量子力学的粒子の空間断熱移送)
著 者: Shintaro Taie, Tomohiro Ichinose, Hideki Ozawa, Yoshiro Takahashi
掲 載 誌: Nature Communications  DOI「10.1038/s41467-019-14165-3

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