北極航路上の安全航行に備える
2018-03-15 東京大学,情報・システム研究機構 国立極地研究所
◆我が国初の北極海波浪観測により、波高の長期変化を検証するためのデータの取得に成功した。
◆夏季北極海における海氷面積は減少し、開放水面では強風が吹く確率が増大するため、船舶が遭遇しうる最大波高と最大風速は長期的に上昇していることを明らかにした。
◆北極航路の利用に伴う船舶の安全性に資する重要な知見を得ることができた。
東京大学大学院新領域創成科学研究科海洋技術環境学専攻早稲田卓爾教授のグループは、国立極地研究所の猪上淳准教授らとの共同研究により、北極海における我が国初の波浪観測を2016年9月から11月に行った。海洋研究開発機構の海洋地球研究船「みらい」にて、漂流型波浪ブイ(写真1)をボーフォート海に2基展開し、2か月間の観測を行った結果、北極低気圧通過時に、5m近い有義波高(注1)を観測した。その波浪観測データを用い、ヨーロッパ中期予報センターの推定による過去38年間の波浪場の検証を行った。観測データが限られる北極海において、妥当な推定がなされていることを確認のうえ、8月から10月にかけて氷の無い海面において発生しうる最大有義波高が、長期的にどのように変化したかを分析した。その結果、北極航路(北東航路)として利用されているラプテフ海、東シベリア海、チュクチ海、ボーフォート海をつなぐ開放水面における8月、9月、10月の有義波高最大値の期待値(注2)は、過去38年間にわたり上昇傾向にあることが確認され、特に10月の有義波高最大値の期待値は、2.3mから3.1mへと増大していた。この上昇は、同じ海域における最大風速の期待値が、12.0m/sから14.2m/sに上昇していたことと関連があることを明らかにした。北極海における低気圧の強度はこの38年間で大きくは変わっていないことから、これまで海氷の上で吹いていた強い風が、海氷の融解により現れた海面において吹き、高い波を起こすようになったからだと考えられる。今後、夏季北極海の海氷のさらなる減少に伴い、船舶の航行の機会が増えると想定されるが、同時に氷の無い海面での波高と風速がより一層高くなることが想定されるため、波浪の推定精度をさらに向上させることが望まれる。そのためには、今回行ったような現場での波浪観測の強化が期待されている。2018年の結氷期(11月)に同様の観測を行う予定である。
本研究は北極域研究推進プロジェクト(ArCS)の一環として実施したもので、その成果は2018年3月14日付けで、英国科学誌Scientific Reportsにオンライン掲載される予定である。
(備考)北極域研究推進プロジェクト(ArCS) https://www.nipr.ac.jp/arcs/achievement/
本研究はArCS国際共同研究推進テーマ1「気象・海氷・波浪予測研究と北極航路支援情報の統合」 https://www.nipr.ac.jp/arcs/achievement/project/theme01.htmlの中で実施された。
研究の背景と経緯
夏季北極海の海氷はここ数十年急激に減少しており、海氷の無い「開放水面」が広がっている。それに伴い開放水面を航行する北極航路の利用が進む一方、開放水面の広がった海域では風により生成される波浪も年々増大していることが判ってきた。これまでに、例えばボーフォート海では5m近い有義波高が観測されている。すなわち、数十年前には氷で覆われ、波浪が存在しなかった海域に、新たに波が発生しているのである。北極航路では、砕氷船ではない一般商船による航行を想定しているため、波浪は航行する船舶にとって抵抗となるだけでなく、しぶきが凍り船に着氷することが大きな問題となっている。本研究では、このような背景から、北極航路において船舶が遭遇しうる最大波高が長期的にどのように変化したかを過去38年間の波浪再解析データを用いて検討した。
研究成果の内容と意義
2016年9月から11月にかけ、海洋研究開発機構の海洋地球研究船「みらい」にて、漂流型波浪観測ブイを2基展開し、波浪観測を行った(図1b, c)。海域はボーフォート海、アラスカ・バロー岬沖である。2基のブイは海流や風の影響で流されながら波浪を計測し、11月はじめに氷縁に到達した時点で通信を途絶した。その間、複数の嵐に遭遇し、9月に一度、そして、10月に2度、4mを超える有義波高を計測した(図2)。この観測データと、ヨーロッパ中期予報センターによる38年間の波浪再解析データとを比較し、良い一致を確認した。観測データが非常に限られる北極での波浪再解析(注3)は精度が劣ると考えられているため、今回検証できたのは大きな成果である。この波浪再解析データを用いて、西から、ラプテフ海、東シベリア海、チュクチ海、そしてボーフォート海にわたる海域における有義波高最大値の解析を行った(解析海域は図1aのオレンジ枠)。海氷の融解が激しい8月、海氷面積が最も小さい9月、そして結氷が開始する10月の3期間について、それぞれの海域で起こりうる最大波高の期待値を推定した(図3上段)。年ごとの値はばらつくものの、38年間にわたり明瞭に波高が上昇していることが判った(図3上段の直線)。上昇傾向は特に10月に大きくなる。この上昇傾向は開放水面の増大(図3下段)と関連するものの、開放水面における最大風速(図3中段)の増大に、より強い関連があることが明らかになった。一般的には開放水面が広がれば、風が吹く距離が長くなるため、波高が高くなると考えられるが、今回の解析の結果、その効果に加えて、強風が氷の上ではなく開放水面で吹く確率が高くなるために、波高が増大するということが判った。風速の増大に影響する可能性のある低気圧活動自体は過去38年の間に大きく変化しておらず、ここからも海氷の減少と波高・風速の増大の関係が裏付けられた。
本研究では、航行する船舶が遭遇しうる最大波高が海氷面積の減少に伴い徐々に増大することを明らかにした。北極航路の本格的な活用が始まりつつある現在、航行する船舶の安全性を確保することは必要不可欠である。北極海上の波浪の推定精度をさらに高めるためには様々な海上気象条件や海氷条件(面積・厚さ)における波浪データを取得することが必要である。2018年には結氷期(11月)における波浪場の計測を「みらい」の研究航海(首席研究者猪上准教授)で行う予定である。
発表雑誌
雑誌名:英国科学誌「Scientific Reports」(2018年3月14日付け)
論文タイトル:Correlated Increase of High Ocean Waves and Winds in the Ice-Free Waters of the Arctic Ocean
著者:早稲田卓爾(東京大学大学院 新領域創成科学研究科 海洋技術環境学専攻 教授)
Adrean Webb(東京大学大学院 新領域創成科学研究科 海洋技術環境学専攻 特任研究員、現:京都大学)
佐藤和敏(国立極地研究所 国際北極環境研究センター 特任研究員、現:北見工業大学)
猪上淳(国立極地研究所 国際北極環境研究センター 准教授)
Alison Kohout(National Institute of Water and Atmospheric Research、ニュージーランド)
Bill Penrose(P.A.S. Consultants Pty Ltd.、オーストラリア)
Scott Penrose(P.A.S. Consultants Pty Ltd.、オーストラリア)
DOI番号:10.1038/s41598-018-22500-9
アブストラクトURL:www.nature.com/articles/s41598-018-22500-9
用語
(注1)有義波高
海洋の波浪は様々な波高の波が分布するが、その代表的な波高のこと。大きな波から数え、1/3の波の高さの平均と定義される。波浪場の平均的なエネルギーとも同等である。
(注2)最大値の期待値
あるデータセットにおける最大値は、それ自体が統計的なばらつきを持つ。そのため、任意のデータセットにおける最大値が平均的にはどの程度となるかの見込みを最大値の期待値と呼ぶ。
(注3)再解析
数値シミュレーションの結果と観測データとを融合して作成された、より精度が高くかつ時間的にも空間的に均一なデータセットのことを再解析もしくは再解析データと呼ぶ。
写真1: 波浪観測ブイ
動画1:ブイ投入のようす(撮影:佐藤和敏氏)
図1:a) 2016年10月22日の北極海の海氷分布と気圧分布(線)を示す。オレンジ枠は長期再解析データを解析した海域。 b) 再解析データの海氷分布と展開したブイの軌跡。c) 再解析データの波高の分布とブイの軌跡。
図2:観測波高データ、a) Buoy 1(赤点), b) Buoy 2(緑点)と、ヨーロッパ中期予報センター波浪モデルと(白抜き丸)の比較。
図3:
上段:最大波高の期待値の経年変化;中段:風速最大値の期待値の経年変化;下段:開放水面の割合の経年変化。緑丸8月、青四角9月、赤三角10月。上段・中段の直線はそれぞれの月の値の長期トレンドを表す。下段の線は開放水面の割合の各年8月から10月の変化を示す。