化学構造式と粉末X線回折データから単結晶の移動度を簡便に予測
2020-02-18 東京大学
発表のポイント
分子の化学構造式注1)と粉末X線回折パターン注2)を使い、有機半導体の移動度注3)を予測するシミュレーションに成功しました。また、実際の材料を使って、その有用性を実証しました。
単結晶を作製してX線構造解析をする手間を省いても、高い精度で有機半導体の結晶構造や移動度の予測が可能となり、予測にかかる時間も大幅に削減することができます。
有機半導体の材料開発を効率化、低コスト化する成果です。他の分子性材料の機能予測にも適用可能な汎用性があり、材料開発の加速化が期待されます。
概要
筑波大学数理物質系の石井宏幸助教、小林伸彦教授、コンフレックス株式会社の小畑繁昭研究員、豊橋技術科学大学情報・知能工学系の後藤仁志准教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科の竹谷純一教授、岡本敏宏准教授、渡邉峻一郎特任准教授らの共同研究グループは、従来の有機半導体の移動度予測では必須とされる単結晶構造の測定データを使わずに移動度を予測するシミュレーションに成功、その有用性を実際の材料を用いて実証しました。
プリンテッド・フレキシブルエレクトロニクス注4)のための次世代電子材料として、有機半導体は盛んに研究されています。しかし高性能な有機半導体の材料探索には、候補分子の合成、単結晶作製、トランジスタ作製、移動度評価など何段階ものステップを経なければならず、多くの時間と労力を要します。
今回、共同研究グループは分子の化学構造式と粉末X線回折パターンから単結晶構造と材料特性(移動度など)を短期間で予測するシミュレーション法を開発しました。また、このシミュレーション法を高性能な有機半導体分子に適用し、その有用性を実証しました。
ここで提案した方法は、有機半導体の移動度予測だけでなく、熱電物性などの機能予測にも拡張可能です。この方法により材料開発の加速化が大いに期待されます。
*本研究の成果は、2020年2月17日19時(日本時間)に「Scientific Reports」で公開されました。
*本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金 18H01856, 17H03104, 17H02780, 17H06123, 17H06373, 26105011の一環として行われました。
発表内容
研究の背景
有機半導体は低温プロセスでの印刷が可能な次世代電子材料として期待され、盛んに研究されています。印刷性能を持った、さまざまな新規有機半導体分子が合成されていますが、RFIDタグ注5)やセンサーなどのハイエンドデバイスに使える高移動度な分子を開発するのは容易ではありません。
材料開発の現場では、非常に多くの試行錯誤を繰り返します。まずは、半導体分子をデザインして合成し、結晶成長条件などを調整して単結晶を作製します。得られた単結晶を用いて結晶のX線構造解析を実施し、材料に適したトランジスタを作製することで、ようやく移動度が評価され、材料としての良し悪しが判別されています。有機半導体の実用化を推進するには、この材料開発プロセスの効率化が鍵となっています(図1上)。
これまでも、シミュレーションを用いた移動度予測の研究はありますが、結晶構造のデータがなければできず、単結晶を用いたX線構造解析実験が必須となっています。また、化学構造式から結晶構造を理論予測する研究もありますが、予測精度に課題があります。一分子の化学構造式から、分子集合体である有機半導体の移動度などを迅速に高精度で予測する方法論の開発が望まれていました。
研究内容と成果
本共同研究グループは、多くの試行錯誤を必要とする単結晶作製とそのX線構造解析を実施することなく、分子の化学構造式から移動度を予測するシミュレーションに成功しました。(図1下)
石井・小林ら(筑波大)が、予測構造に対する移動度の大きさと温度依存性を迅速に予測する大規模量子伝導シミュレーション法注6), a)を開発してきました。また、小畑・後藤ら(コンフレックス、豊橋技科大)は、網羅的な結晶構造探索とエネルギー評価による結晶構造予測シミュレーション法注7), b)を開発してきました。
今回、これらのシミュレーション法に、大きな単結晶よりも簡便に得られる粉末結晶のX線回折パターンを利用した新しい評価法を導入することで予測精度を向上させ、予測時間も短縮させる方法論を開発しました。さらに、岡本・竹谷(東大)らが開発した高性能半導体分子C10-DNBDT c)にこれらの手法を用いたシミュレーションを適用した結果、渡邉・竹谷らが測定によって明らかにした結晶構造やトランジスタ移動度 d)を精度良く再現することを実証しました(図2)。
今後の展開
今回はC10-DNBDTで実証しましたが、今後は適用例を増やし、方法論の改良、更なる効率化や精度向上を目指していきます。また、大規模量子伝導シミュレーション法は温度差から発電する熱電物性の計算にも拡張できるため、本研究成果は有機半導体の移動度だけでなく、熱電物性や熱伝導などの機能予測にも展開可能で、幅広い分野への波及効果が期待できます。
参考図
図1上)今までの実験による材料開発プロセス。
下)本研究で提案する材料開発プロセス。
単結晶X線構造解析よりも簡便に測定できる粉末X線回析パターンを用いて迅速に結晶構造予測と移動度予測が可能に。
図2左)予測構造(赤)と実験構造(灰)の比較。
右)移動度の予測値(●)と単結晶トランジスタ移動度の実測値(△)の比較。
予測構造、移動度特性ともに実験値と良い一致が見られ、本方法の予測性能の高さを示している。
用語解説
注1)化学構造式
図1に示したように、分子を構成する原子と原子の結合を線で表したもの。六角形はベンゼン環を表す。
注2)粉末X線回折パターン
粉末結晶(多数の微小単結晶の集まり)にX線を照射して得られる回折現象。無機半導体ではこのパターンから結晶構造を決められる場合があるが、有機半導体では極めて困難。
注3)移動度
電場下における電荷の移動のし易さを表す量。デバイスの動作には10cm2/Vs以上の移動度が望ましい。
注4)プリンテッド・フレキシブルエレクトロニクス
軽くて柔らかいフィルム基板に電子回路を印刷してデバイスを作製する技術。印刷による簡素化された製造工程は低コスト化やオンデマンド製造を可能にする。また、柔らかさは、どこにでも貼れるRFIDタグやセンサー、ウェアラブル機器等の実現に欠かせない。
注5)RFIDタグ
電波を用いた無線通信により、個別識別コード情報(ID)をやりとりするタグ。Suicaなどの交通系ICカードもRFIDタグに含まれる。
注6)大規模量子伝導シミュレーション法
最大で約1億個からなる分子集合体の電子伝導物性(移動度など)を、原子・分子レベルから量子論に基づいて評価する計算理論「時間依存波束拡散法」。
注7)結晶構造予測シミュレーション法
化学構造式から取りうる単結晶構造を網羅的に調べ評価し、観測される構造を予測する方法。
参考文献
a) Hiroyuki Ishii, et al., Physical Review B 98, 235422 (2018).
b) Shigeaki Obata and Hitoshi Goto, AIP Conference Proceedings 1649, 130 (2015).
c) Chikahiko Mitsui, et al., Advanced Materials 26, 4546 (2014).
d) Junto Tsurumi, et al., Nature Physics 13, 994 (2017).
掲載論文
論文タイトル:Charge mobility calculation of organic semiconductors without use of experimental single-crystal data
単結晶測定データを用いない有機半導体の移動度計算
著者:Hiroyuki Ishii, Shigeaki Obata, Naoyuki Niitsu, Shun Watanabe, Hitoshi Goto, Kenji Hirose, Nobuhiko Kobayashi, Toshihiro Okamoto, and Jun Takeya
掲載誌:Scientific Reports