2020-01-31 東京大学
○発表者:
田中 肇(東京大学 生産技術研究所 教授)
○発表のポイント:
◆水のさまざまな異常性の起源については、1世紀以上にわたり長年論争が続いてきた。その理由は、液体の水の構造に関する深い理解の欠如にあった。今回、水の構造に関するシミュレーションと実際の水のX線散乱実験データの解析により、液体の水の中に2種類の構造が存在する直接的かつ決定的な証拠を見出した。
◆「水には、乱雑な構造と規則的な構造が共存している」という二状態モデルに直接的な証拠を与え、水の構造、さらには水の特異性の構造的起源をめぐる長年の議論に決着をつけた点に新規性がある。
◆この発見は、純粋な水のみならず、電解質溶液、生体内の水などのさまざまな系の水構造の理解に資すると考えられ、水の物理・化学的理解のみならず、化学、生物学、地質学、気象学、さらには応用も含め、水に関連した分野に大きな波及効果があると期待される。
○発表概要:
水は私たちの惑星で最も重要な液体であり、さまざまな化学的、生物学的、地質学的、気象学的プロセスで重要な役割を果たしている。水は4℃で密度が最大になるなど、他の液体にはない様々な特異な性質を示すことが知られている。その起源として、液体の構造の特殊性が考えられるが、何世紀にもわたる研究にもかかわらず、液体の水を理解する上で基礎となる構造については、液体特有の大きな熱揺らぎ(注1)のため不明のままであり、深刻な論争の種であり続けた。具体的には、レントゲン(1892)の時代から1世紀以上にわたって、構造が幅広い連続的な分布を持つという「連続体モデル」(ポープル(ノーベル化学賞受賞)らが提唱)と構造が2つの成分からなると考える「混合モデル」(レントゲン(ノーベル物理学賞受賞)、ポーリング(ノーベル化学賞受賞)らが提唱)という2つの考え方の間で論争が続いてきた。その原因は、これまで、水の中に2種類の構造が存在するという直接的かつ決定的な証拠がなかったことにある。
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授、シー・ルイ 特任研究員の研究グループは、一般的な水モデルのシミュレーションと最新のX線散乱実験データの詳細な解析により、水の構造因子(注2)には、見かけ上の「一つ目の回折ピーク」の中に、2つのピークが隠れていることを発見した(図1参照)。隠れたピークの1つは、水の中に形成される正四面体構造に関連したピークであり、もう1つのピークは、より乱れた構造から生じていることが明らかとなった。この結果は、水に2種類の構造が存在することを強く支持する結果であり、長年にわたる論争に終止符が打たれるものと期待される。
本成果は2020年1月30日(米国東部時間)に「Journal of the American Chemical Society (JACS)」のオンライン速報版で公開された。
○発表内容:
東京大学 生産技術研究所の田中 肇 教授、シー・ルイ 特任研究員の研究グループは、水の異常性の構造的起源を探るべく、3種類の一般的な水モデルのシミュレーションと最新のX線散乱実験データの詳細な解析により、水の構造因子には、見かけ上の「一つ目の回折ピーク」の中に、2つのピークが隠れていることを発見した。隠れたピークの1つは、水の中に形成される正四面体構造に関連した密度波に起因したピークで、もう1つのピークは、より乱れた構造に関係した密度波から生じていることが明らかとなった。この結果は、液体の水の中に2種類の構造が存在することを強く支持する結果であり、長年にわたる論争に終止符が打たれるものと期待される。
これまで、水の構造が、熱揺らぎの下で、「ある1つの構造の周りに幅広い分布を持つのか」、あるいは、「規則的な構造と乱れた構造といった2種類の構造の動的な混合物であり、その結果2つの構造の存在を反映して2つのピークを持った分布を示すのか」について、長年論争が続いてきた。このような論争が長年続いてきたのは、これまで、実験的に検証可能な水の構造の特徴に関する直接的証拠が存在しなかったためである。今回の研究結果は、X線散乱・中性子散乱により直接測定可能な、正四面体構造に起因したピークの存在を示したこと、またその強度が、研究グループが分子レベルの構造指標を用いて独立に求めた液体における正四面体構造の占める割合と比例していることを示した点に大きな意義がある。実際、本研究により、水の液体中には、温度低下に伴い、エネルギー的により安定な正四面体構造がより多く形成される直接的な証拠が得られた。これにより、「液体の水は、乱雑な構造と規則的な局所構造が動的に共存した状態である」という二状態モデルに基づく現象論(H. Tanaka, Phys. Rev. Lett. 80, 5750 (1998))の妥当性が、分子レベルで示されたといえる。
この発見は、レントゲン(ノーベル物理学賞受賞)とポーリングとポープル(ノーベル化学賞受賞)を含む、水の構造に関する1世紀以上にわたる長年の議論に終止符を打つ可能性があるという点で、重要なものであると考えられる。また、水が2つの状態の共存状態であるという事実は、水という物質の条件に依存して2つの液体状態が存在する可能性も示唆する。水の重要な性質の1つとして、水の状態が温度・圧力・イオン濃度などにより大きく変化するという環境適応能があるが、その鍵は、2つの状態の分率という、他の単純な液体にはない自由度を内包している点にあると考えられる。
この発見は、人類にとって極めて重要な水の構造をめぐる長年の未解決問題に実験的に決着をつける鍵となると期待される。また、純粋な水のみならず、電解質溶液、生体内の水などのさまざまな系の水構造の理解にも資すると考えられ、水の基礎的な物理・化学的理解のみならず、化学、生物学、地質学、気象学、さらには応用も含め、水に関連した分野に大きな波及効果があると期待される。
○発表雑誌:
雑誌名:「Journal of the American Chemical Society (JACS)」
論文タイトル: Direct Evidence in the Scattering Function for the Coexistence of Two Types of Local Structures in Liquid Water
著者: Rui Shi and Hajime Tanaka
○問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所
教授 田中 肇(たなか はじめ)
○用語解説:
(注1)熱揺らぎ
有限温度でみられる平均の状態からの微小かつランダムなずれのこと。温度が高くなると全ての熱揺らぎは大きくなり、絶対零度に近づくと熱揺らぎは小さくなる。
(注2)構造因子
物質からのX線散乱を記述する因子で、物質中の電子密度分布、すなわち構造を反映する。
○添付資料:
図1:液体の水からのX線(青い波矢印)散乱のイメージ図。左下の丸の中は、シミュレーションで得られた水の構造(青が正四面体的構造、赤が乱れた構造を示す)。右上の図は、その構造からのX線散乱の構造因子(青いピークは正四面体的構造からの散乱、赤いピークは乱れた構造からの散乱)。