磁気の源「スピン」を利用した新しい熱エネルギー制御機能
2020-01-08 物質・材料研究機構,科学技術振興機構
NIMSは、磁性体に光を照射することにより、電流に付随して生じる熱流の方向や分布を自在に制御できることを初めて実証しました。本研究は、熱エネルギーの能動的な制御を可能にする磁性材料の新しいポテンシャルを明らかにしたものであり、ナノスケール電子デバイスにおいて重要となっている熱マネジメント技術注1)への将来展開や、磁気・熱・光の相互作用に関する基礎物理・物質科学のさらなる発展が期待されます。
金属や半導体における電流と熱流の変換現象は熱電効果と呼ばれ、代表的な例として電流に伴って熱流が生成されるペルチェ効果が古くから知られています。ペルチェ効果によって生成される熱流の方向は物質によって決まっていますが、磁性体においては、電流に伴う熱流の方向を磁気の源であるスピン注2)の性質によって制御することができます。近年、スピン制御技術の向上に伴い、スピンを用いて熱エネルギーを有効利用するための新原理・機能の創出を目指す「スピンカロリトロニクス」に関する研究が世界中で急速に進展しています。
そのような中、NIMSの研究チームは、これまでスピンカロリトロニクスと全く接点の無かった光磁気記録注3)の技術に注目し、光でスピンを制御することで、新しい熱エネルギー制御機能を創出しました。今回実証した手法を用いれば、磁性体中の光が照射された部分において、光の偏光状態注4)に依存して電流に伴う熱流の方向を局所的に変えることができるため、熱電効果によって発生する温度変化分布を自在にデザインすることが可能になります(図1)。
今回の実証実験に用いた物理現象は磁気・熱・光の相互作用に起因するものであり、従来のペルチェ効果とは異なる原理によって駆動されます。今後、光に応答する磁性体が示す熱電効果の微視的起源の解明と新材料開発を進めることで、電子デバイスの効率向上・省エネルギー化に資する熱マネジメント技術への応用を目指していきます。
本研究成果は、2020年1月7日(英国時間)に、英国科学誌「Nature Communications」にオンライン掲載されます。
本研究は、主にJST 戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR17I1)の一環として、NIMS 磁性・スピントロニクス材料研究拠点 スピンエネルギーグループの内田 健一 グループリーダー、磁気記録材料グループの高橋 有紀子 グループリーダー、若手国際研究センター(ICYS)の王 建(Jian WANG) ICYS研究員によって行われました。
<研究の背景>
物質中の電子が持っているスピンの性質を積極的に利用するエレクトロニクスはスピントロニクスと呼ばれており、その原理・技術は磁気センサーやメモリーとして利用されています。近年、スピントロニクスにさらに熱効果を取り込んだ融合分野「スピンカロリトロニクス」に関する研究が急速に進展しています。スピンカロリトロニクス分野では、2008年にスピンゼーベック効果注5)と呼ばれる物理現象が発見されたことを契機に、スピンを利用して熱から発電する原理・技術が世界中で開拓されてきました。このような研究に加えて、NIMSの内田グループリーダーらは、スピンカロリトロニクスによって熱エネルギーを制御することを目指した研究を進めてきました。その一環として、独自の熱イメージング技術を駆使することで、磁性体に電流を流した際に発生する熱流の方向や大きさがスピンに依存して変化する現象の観測に成功していました。
一方で、磁性・スピントロニクス分野においては磁気情報を効率良く記録するための研究開発も盛んに行われています。これまでは磁場や電流を磁気情報の書き込み原理として利用してきましたが、より高速かつ高密度な磁気記録を実現する手段として、磁性体にレーザー光を照射するだけで磁気情報の書き込みができる「光誘起磁化反転現象」注6)が注目を集めています。NIMSの高橋グループリーダー、王ICYS研究員らは、レーザー光の偏光状態に依存した光誘起磁化反転現象に着目し、高性能な光磁気記録を実現するための材料科学を推進してきました。
しかし、スピンカロリトロニクスと光誘起磁化反転現象は、広い意味ではどちらも磁性・スピントロニクス分野に属しながら、これまで独立に研究されてきました。
<研究内容と成果>
今回、内田グループリーダーらは、これまで全く接点の無かったスピンカロリトロニクスの原理と光磁気記録の技術を融合することにより、新しい熱エネルギー制御機能を提案・実証しました。本手法を用いれば、磁性体の薄膜に光を照射することにより、電流に付随して生じる熱流の方向や分布を能動的かつ自在に制御することが可能になります。
この熱制御機能の実証実験に用いたのは、磁性体特有の熱電効果の1つである「異常エッチングスハウゼン効果」です。異常エッチングスハウゼン効果は、磁性体に電流を流した際に、電流と磁化の両方に垂直な方向に熱流が生成されるという現象です(図1(a))。この現象の存在自体は古くから知られていましたが、20世紀前半にごく限られた磁性金属の板材を用いた実験が報告されて以降、ほとんど研究されていませんでした。内田グループリーダーらは異常エッチングスハウゼン効果の汎用性の高い計測法を確立しており、2018年以降、さまざまな磁性体でこの現象が観測されるようになるとともに、板材のみならず薄膜デバイスにおいても実験が可能になりました。異常エッチングスハウゼン効果によって生成された熱流の方向は、磁性体の磁化方向によって決定されるため、磁化を反転させれば熱流の方向も反転します。すなわち、光誘起磁化反転現象を示す磁性体においては、光照射による磁化反転に伴って、異常エッチングスハウゼン効果によって生成される熱流を反転させることができます(図1(b))。重要なポイントは、熱流の反転はレーザー光を照射したエリアにおいてのみ生じ、熱流の方向は光が右回り円偏光か左回り円偏光かに依存して決定されるという点です。この手法を用いれば、光の照射パターンや偏光状態を変えることにより、磁性体中の熱流分布を自由にデザインすることが可能になります(図1(c))。
図2(b)に、光誘起磁化反転現象を示すことで知られるCo/Pt多層膜に電流を流しながら測定した温度変化分布の例を示しました。4つの熱画像は全て同じ材料に対する測定結果ですが、レーザー光照射であらかじめデザインした磁化分布(図2(a))に従い、さまざまな温度変化分布が生じていることが分かります。観測された温度分布は、異常エッチングスハウゼン効果による電流-熱流変換が示す振る舞いと整合していることが確かめられました。さらに本研究では、Co/Pt多層膜に直線偏光を照射することにより、温度変化信号が消失することも実証しました(図2(c))。円偏光を照射すれば、温度変化は再び発現します。
電流に伴う熱流分布の能動的制御は、従来のペルチェ効果に基づく熱電変換技術では実現できない機能であり、スピンカロリトロニクスの原理と光磁気記録の技術を融合することで初めて実現された成果であると言えます。
<今後の展開>
熱に関するさまざまな課題の解決や熱エネルギーの有効利用に向けて、ナノスケールにおける熱エネルギー制御原理・技術の開拓が進められています。今回の成果は、ナノスケール電子デバイスにおいてますます重要となっている熱マネジメント技術のための新機能を提案・実証したものであり、加熱・冷却能を大幅に向上させることができれば、スピントロニクスデバイスにおける熱制御に利用できる可能性があります。そのためには今後、光誘起磁化反転現象を示す磁性体における熱電効果の微視的起源の解明や、高い熱電変換効率を示す新材料の開発を進めていく必要があります。今回の実証実験においては異常エッチングスハウゼン効果を利用しましたが、「光で熱流を制御する」というコンセプトはこの現象に限定されるものではなく、最近観測された異方性磁気ペルチェ効果注7)やスピンペルチェ効果注8)などの各種スピンカロリトロニクス現象と光誘起磁化反転現象を組み合わせることにより、異なる特性を持つ能動的熱エネルギー制御機能を生み出せる可能性もあります。熱マネジメント技術としてのスピンカロリトロニクスの新たな可能性を示したことにより、本分野における基礎物理・物質科学のさらなる発展が期待されます。
<参考図>
図1 光照射による電流-熱流変換の制御
図2
(a)光誘起磁化反転現象でデザインした磁化分布の模式図。
(b)Co/Pt多層膜における異常エッチングスハウゼン効果の観測例。光でデザインした磁化分布に対応したさまざまな温度変化パターンが発生していることが分かる。ロックインサーモグラフィ法注9)により、ジュール熱によるバックグラウンドを除去した結果である。
(c)直線偏光照射による温度変化のON/OFF制御。
<用語解説>
- 注1)熱マネジメント技術
- 熱エネルギーを制御または有効利用することで省エネルギー化・高効率化を行う技術の総称。その対象は、電子デバイス、自動車からIT、住宅まで幅広いが、特に近年の電子デバイスの小型化・高性能化に伴ってその重要性が増してきている。
- 注2)スピン
- 電子が有する自転のような性質をスピンと呼ぶ。スピンは磁気の発生源であり、スピンが一方向に揃った材料が磁石(磁性体)になる。
- 注3)光磁気記録
- 光と磁気の相互作用または光加熱を利用して磁気情報の記録性能を向上させる技術。
- 注4)偏光状態
- 光は電磁波の一種であり、電場・磁場が光の進行方向と垂直に振動している横波である。電場の振動方向が一定である光を直線偏光、電場の振動が伝播に伴って円を描く光を円偏光と呼ぶ。円偏光には、電場振動の回転方向が異なる右回り円偏光・左回り円偏光の2種類がある。直線偏光は、右回り円偏光と左回り円偏光の重ね合わせで表現される。
- 注5)スピンゼーベック効果
- 磁性体と金属の接合構造に温度差を与えることによってスピンの流れが生成される現象。2008年に日本で発見された。
- 注6)光誘起磁化反転現象
- 磁性体薄膜の磁化がレーザー光照射によって反転する現象。磁場を使わずに光のみで磁化反転できるという特徴から、全光型磁化反転現象とも呼ばれる。光誘起磁化反転現象にはいくつかのタイプが存在するが、本研究では光照射後の磁化方向が偏光状態に依存する効果を用いた。すなわち、初期磁化状態によらず右回り円偏光・左回り円偏光の選択によって、光照射後の磁化方向を制御することができる。偏光状態に依存した光誘起磁化反転現象は、2007年にオランダ・日本の合同研究チームによって初めて観測された。
- 注7)異方性磁気ペルチェ効果
- 磁性体中で電流を曲げるだけで加熱や冷却ができる熱電変換現象。2018年にNIMSの内田グループリーダーらによって、異方性磁気ペルチェ効果によって誘起された温度変化の初めての直接観測が報告された。
- 注8)スピンペルチェ効果
- スピンゼーベック効果の逆効果であり、磁性体と金属の接合構造にスピンを流すことによって熱流が生成される現象。2014年にオランダで発見された。熱スピン変換効果に関する計測技術の発展によって、現在では比較的簡便に測定することができる。
- 注9)ロックインサーモグラフィ法
- サーモグラフィ法の一種であり、主に集積回路の動作・欠陥解析用途に利用されている技術。ロックインサーモグラフィ法では、試料に周期的に変化する電流を印加しながら赤外線カメラを用いて表面の温度分布を測定し、電流と同じ周波数で時間変化する温度変化だけを選択的に抽出することで高感度な熱イメージングを実現している。近年では、スピンカロリトロニクスの基礎研究にも利用されている。
<論文タイトル>
- “Magneto-optical painting of heat current”
- 著者:Jian Wang, Yukiko K. Takahashi, and Ken-ichi Uchida
- DOI:10.1038/s41467-019-13799-7
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
内田 健一(ウチダ ケンイチ)
物質・材料研究機構 磁性・スピントロニクス材料研究拠点 スピンエネルギーグループ グループリーダー
<JST事業に関すること>
中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
<報道担当>
物質・材料研究機構 経営企画部門 広報室
科学技術振興機構 広報課