エラーの起こりにくい量子計算機用素子に新たな展望
2018/09/15 東京大学,科学技術振興機構(JST),東北大学
ポイント
- 高品質な酸化物半導体に強い磁場を加えることで、エラーが起こりにくい量子計算が可能とされる、特殊な電子状態を作り出すことに成功した。
- このような電子状態は、これまで極めて不純物の少ないヒ化ガリウムで実現されていたが、今回酸化物半導体で初めて観測され、この電子状態が形成されるためには磁場の大きさだけでなく、磁場の向きが重要であるという新たな知見が得られた。
- 量子計算を行う際、計算エラーは結果の信頼性に致命的であることが知られているが、今回得られた研究成果は、酸化物半導体を用いた信頼性の高い量子計算実現に向けた基盤となる。
東京大学 大学院工学系研究科附属 量子相エレクトロニクス研究センター・物理工学専攻の川﨑 雅司 教授(理化学研究所 創発物性科学研究センター 強相関界面研究グループ グループディレクター)が率いる研究グループは東北大学 金属材料研究所の塚﨑 敦 教授、マックス・プランク固体研究所のJurgen H. Smet(ヨルグン・シメット) 博士のグループと共同で、酸化物半導体に強い磁場を加えることにより、エラーの起こりにくい量子計算注1)に応用可能な電子状態を作り出すことに成功した。
現在、量子計算機の開発に世界中の研究者がしのぎを削っており、超伝導体の微小接合を用いる手法が研究の主流であるが、大規模化やエラーの訂正を行うことが困難であると指摘されている。そのため、集積化が可能な半導体中の電子に強い磁場を加えることで、特殊な状態を作り出し、この状態の位相の不連続性を利用して原理的に計算過程でのエラーを発生させない量子情報媒体が実現可能であると理論的に提案されている。この電子状態は、不純物が極めて少ないヒ化ガリウムで実現されてきたが、電子濃度などの物理パラメーターを精密に制御する必要があり、安定して発現させるための条件が明らかでなかった。
今回の研究では、化学的に安定で高品質な酸化物を用いることで、ヒ化ガリウム以外でこの電子状態を観測することに成功した。また、外部磁場の向きが大きな影響を与えることを初めて見いだした。今後、酸化物材料を基盤とする信頼性の高い量子計算の実現が期待される。
本研究成果は米国オンライン科学雑誌「Science Advances」に2018年9月14日(米国東部時間)に掲載される。
本研究は科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「量子の状態制御と機能化(研究総括:伊藤 公平)」の研究課題「量子計算のための高品質酸化亜鉛を用いた材料基盤創出(さきがけ研究者:小塚 裕介)」(No. JPMJPR1763)、戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「二次元機能性原子・分子薄膜の創製と利用に資する基盤技術の創出(研究総括:黒部 篤)」の研究課題「トポロジカル絶縁体ヘテロ接合による量子技術の基盤創成(代表研究者:川﨑 雅司)」(No. JPMJCR16F1)、ドイツ研究振興協会(FA 1392/2-1)の支援を受けて行われた。
<研究背景>
厳密な物理法則に従った材料設計やインデックスのないデータベースからの検索など実用上重要な問題のいくつかは、現在の計算機では解決に膨大な時間がかかり、現実的には解くことが困難であることが知られている。一方、量子力学の原理によって動作する量子計算機では、これらの問題を比較的短時間で解けることが理論的に示されており、量子計算機の研究が世界中で盛んに行われている。特に、超伝導の接合を量子ビット注1)として用いる量子計算機は最も実用化に近いと予測されており、今の研究の主流となっている。しかしながら、超伝導量子ビットは外部からの影響(外乱)を受けやすく、将来的な大規模化を想定した場合、計算エラーが蓄積するという問題点が指摘されている。そこで、集積化が可能な半導体中に特殊な電子状態を作り出し、その位相が不連続に変化する特性を利用して、微小外乱による連続的な位相情報の消失を抑えることで、計算過程で原理的にエラーを生じにくい量子計算の手法が提案されている。この手法を利用するためには、半導体を絶対零度近くまで冷却し、永久磁石の100倍程度の強い磁場を加えたときに現れる「分数量子ホール効果注2)」を用いる必要がある。量子ビットとして利用できる分数量子ホール効果は、その中でも特殊な指数を持つものに限られており、これまで極めて不純物の少ないヒ化ガリウムでのみ観測されてきたが、電子濃度などの物理パラメーターに敏感に依存しており、安定にこの現象が観測される条件は明らかではなかった。
<研究内容>
本研究グループは、代表的な酸化物半導体である酸化亜鉛を低温に冷却し強い磁場を加えることで、分数量子ホール効果の観測を試みた(図1)。分数量子ホール効果は電子間にクーロン相互作用注3)による有効的な斥力や引力が働くと発現することが知られている。酸化物は古くから研究されているヒ化ガリウムなどの化合物半導体より電子間のクーロン相互作用が強く、分数量子ホール効果の発現には有利であると考えられる。酸化物半導体は通常欠陥が多く、分数量子ホール効果が観測される品質の結晶が作製されているのは酸化亜鉛に限られている。本研究グループは、2015年に極めて高品質な酸化亜鉛の単結晶薄膜作製手法を報告しており、世界的に稀有な酸化亜鉛薄膜を作製できる技術を保有している。
この酸化亜鉛薄膜を用いて、低温・強磁場中で電気抵抗の測定を行った結果、ヒ化ガリウムと同様の分数量子ホール効果を観測することに成功した(図2)。さらに、試料を回転させ試料面と磁場方向の角度を変化させながら(図1)分数量子ホール効果の測定を行った。これは、電子の持っている、軌道運動と自転(スピン)の2つのエネルギーの比を変化させるためであり、分数量子ホール効果の安定性を変化させられると期待できる。ヒ化ガリウムでは電子相関が弱く軌道運動が優勢のため、試料の回転は分数量子ホール効果の安定性にほとんど影響を及ぼさず、この手法は酸化物に特有の方法である。その結果、分数量子ホール効果の中でも量子計算に用いることができると理論的に予測されている、指数が5/2という特殊な分数量子ホール効果の観測に成功した。さらに、試料を磁場に対して回転させると、30度付近で指数が5/2の分数量子ホール効果は一旦消失するものの、数度さらに回転させることで再度現れることが観測された。この結果は試料に対し磁場を加える方向を変化させることで、分数量子ホール効果の出現と消失を制御できることを示しており、エラーの起こりにくい量子計算機の物理系を安定に構築する新たな手法を開発したといえる。
<今後の展望>
本研究では、高品質な酸化物薄膜に強い磁場を加えることで、量子計算に用いることのできる特殊な分数量子ホール状態を観測し、特定の磁場の方向でこの出現と消失を制御できることを発見した。この分数量子ホール効果を実際に量子計算に応用するためには、一つ一つの電子を操作し、移動させ、状態を読み取る技術の開発が必須である。これまで発展してきた半導体微細加工技術と計測技術を高度に活用することで、酸化物薄膜は将来的に信頼性の高い量子計算を実現する基盤となることが期待される。
<参考図>
図1 酸化亜鉛試料の写真と構造の模式図
酸化亜鉛(ZnO)とマグネシウム酸化亜鉛(MgZnO)を積層した試料の写真(左図)と積層構造の模式図(右図)。今回、試料を磁場中で回転させることによって量子ビットとして利用できる特殊な電子状態を観測した。
図2 酸化亜鉛試料の抵抗測定と分数量子ホール効果の観測
試料の回転角度(θ)を変化させ、縦抵抗とホール抵抗を量子ホール効果の指標に対して測定した。量子ホール効果の指標が5/2(赤矢印)のところで抵抗にくぼみが現れるとき、量子ビットとして利用できる特殊な電子状態が実現している。
<用語解説>
- 注1)量子計算、量子ビット
- 量子力学の重ね合わせの原理を利用する計算を量子計算と呼ぶ。例えば、電子の自転(スピン)の回転方向は右回りと左回りの2つが考えられるが、量子力学では両方の回転の状態が同時に起こっていると解釈できる中間の状態を取ることができる。このような量子力学の法則に従った2つの状態を取る性質を情報媒体として使うものを量子ビットと呼ぶ。そのため、複数の数を同時に含んだ「数(状態)」を用意でき、特定のアルゴリズムに従えば所望の答えだけが選びだされる量子計算を行うことが可能である。
- 注2)分数量子ホール効果
- 不純物や格子による散乱が極めて少ない半導体中の電子に磁場を加えると電子は円運動し、その場に留まるが、半導体の端では散乱を全く受けない非散逸な電流が流れる。これを量子ホール効果と呼ぶ。さらに、電子間の斥力や引力が加わると、電子が見かけ上分割された粒子が半導体の端を流れる非散逸電気伝導を担う。これを分数量子ホール効果と呼ぶ。その中でも、量子計算に用いることができると理論的に予測されているのは、引力相互作用が働く分数量子ホール効果で、指標が5/2や3/2など偶数を分母に持つ指標を取る。一方、斥力が働く場合は量子計算に用いることのできない分数量子ホール効果が現れ、1/3や2/5など奇数を分母に持つ指標を取る。
- 注3)クーロン相互作用
- プラスやマイナスの電気を帯びた電荷の間には、極性が同じ場合には斥力、極性が異なる場合には引力が働くことが知られている。この電気的な力が働くことをクーロン相互作用と呼ぶ。
<論文情報>
タイトル:“A cascade of phase transitions in an orbitally mixed half-filled Landau level”
DOI:10.1126/sciadv.eaat8742
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
川﨑 雅司(カワサキ マサシ)
東京大学 大学院工学系研究科附属 量子相エレクトロニクス研究センター 教授
小塚 裕介(コヅカ ユウスケ)
物質・材料研究機構 磁性・スピントロニクス材料研究拠点 独立研究者
<JST事業に関すること>
中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
<報道担当>
東京大学 大学院工学系研究科 広報室
科学技術振興機構 広報課
東北大学 金属材料研究所 情報企画室広報班