2022-04-07 東京大学
1.発表者:
酒井 崇匡(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 教授)
藤藪 岳志(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 博士課程3年)
作道 直幸(東京大学 大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 特任講師)
眞弓 皓一(東京大学 物性研究所附属中性子科学研究施設 准教授)
2.発表のポイント:
◆ゲルを構成する高分子の網目は通常4方向に枝分かれする4分岐構造ですが、分岐数を減らす「引き算の構造設計」により3分岐構造のゲルを作製すると、30倍以上伸ばしても破断しない常識外れの強靱性を示すことを発見しました。
◆ゲルが伸びすぎて何倍伸びているのかの正確な測定が困難であったため、あえて伸びないゲルを作製したところ、理論限界の90%まで破断せずに伸びていることがわかりました。
◆「分岐構造の簡素化による高分子材料の強靱化」は、人工腱・靭帯用のゲル材料の開発や、材料寿命の延伸や添加剤の削減など環境負荷の低減に役立つ可能性があります。
3.発表概要:
ゲル(注1)は、ゼリーなどの食品やソフトコンタクトレンズなどの医用材料に用いられている、ウエットで柔らかい材料です。また、ゲルは、長いひも状の高分子鎖(注2)の間に橋を架ける架橋反応で作製される三次元の網目状高分子が水を保持した物質です。2本の高分子鎖を架橋すると、4方向に枝分かれした分岐点ができます(図1)。そのため、高分子材料の網目構造は4分岐が一般的であり、他の分岐数の検討例は多くはありませんでした。
今回、東京大学大学院工学系研究科の酒井崇匡教授、藤藪岳志大学院生らの研究グループは、一般的な4分岐構造を3分岐構造に簡素化した「3分岐ゲル」を開発したところ、最大30倍以上伸ばしても破断しない常識外れの強靭性を持つことを発見しました(図2)。しかし、3分岐ゲルは伸びすぎて、何倍伸びているのかの正確な測定が困難でした。そこで、研究グループは、あえて伸びないゲルを作製して正確な測定を行い、通常の4分岐ゲルは理論限界の30%で破断するのに対して、3分岐ゲルは理論限界近くまで伸びることを明らかにしました(図3)。それだけでなく、3分岐ゲルは、何度も繰り返し負荷を加えても常に一定の強靭性を示すロバスト強靭性(注3)を示すという顕著な特徴があることもわかりました。
3分岐ゲルの常識外れの強靭性のメカニズムを探るため、研究グループは大型放射光施設(SPring-8)の世界最高性能の放射光を用いたその場観察を行い(図4)、「伸張誘起結晶化」(注4)に由来することも明らかにしました。ゲルの伸張誘起結晶化は、特殊な構造を持つゲル(環動ゲル)で2021年に初めて観察された新しい強靱化メカニズムです。今回、網目構造の簡素化という簡便な方法で伸張誘起結晶化による強靱化が可能であることが明らかとなったため、今後の社会実装が容易になると期待されます。例えば、強度不足によりこれまで不可能であった、繰り返し衝撃が加わる過酷な環境で使用される人工腱・靭帯用のゲル材料の開発につながる可能性があります。また、高分子材料の材料寿命の延伸や添加剤の削減など、環境負荷の低減も期待されます。
本研究成果は、2022年4月6日(米国東部夏時間)に米国科学振興会発行の学術雑誌Science Advancesのオンライン版に掲載されました。
4.発表内容:
① 研究の背景
寝たきりや介護を必要とせずに日常生活を送れる「健康寿命」を伸ばすためには、骨、筋肉、関節、神経などの運動器の保全・維持が必要不可欠です。特に、腱や靱帯などの軟部組織は修復能にとぼしく、バイオマテリアルを用いた補助・置換が必要になります。しかし、現在、上市されている高分子を用いた人工腱・靱帯は、材料のレベルで力学特性および生体親和性に問題があり、医療のニーズを満たしてはいません。特に、腱・靱帯のように、絶え間なく繰り返し衝撃が加わる過酷な環境においても常に一定の力学応答を示し、生体に類似の組成を有する、新規材料が求められています。
ゲルは、三次元の網目状分子が水を保持してできた物質です。また、ゲルは生体親和性が高く、ソフトコンタクトレンズなどの柔らかい医用材料に利用されています。しかし、ゲルを人工腱・靭帯などの強靭な医療材料へ応用するためには、ゲルの強度は不足しており、その強靭化が必要不可欠でした。これまで、多くの強靭化ゲルの研究が行われてきましたが、最初の1回の変形に対しては高い強靱性を発揮するものの、繰り返し負荷を加えると強度が著しく減少するという問題がありました。そのため、何度も繰り返し負荷を加えても常に一定の強靭性を示すロバスト強靭性を発揮するゲルの開発が望まれています。
②研究内容
今回、本研究グループは、網目の分岐数に着目し、3分岐網目構造を持つ「3分岐ゲル」の方が4分岐網目構造を持つ「4分岐ゲル」よりも圧倒的に強靭であることを示しました。すなわち、4分岐の網目から1つの分岐を取り去り3分岐に簡素化することでゲルがむしろ強靭化される、という直感に反した結果を得ました(図5)。さらに、3分岐ゲルは、何度も繰り返し負荷を加えても常に一定の強靭性を示すロバスト強靭性を示しました。
3分岐ゲルの強靭性を調査するために、3分岐ゲルと4分岐ゲルの延伸性を比較しました。その結果、3分岐ゲルは最大で30倍以上の延伸が可能でしたが、正確な測定が困難でした(図2)。そこで、あえて伸びない3分岐ゲル(注5)を設計・作製することで、延伸可能な理論限界(注6)との比較を行いました。3分岐ゲルと4分岐ゲルに加え、それぞれの分岐点を一定の割合で有する中間的な分岐数を持つゲルを複数作製して比較したところ、3分岐の割合が増えるとともに、延伸性が向上することが示されました(図5)。特に、3分岐ゲルは理論限界の90%という高い延伸性を示しました(図3)。
3分岐ゲルの高い強靱性のメカニズムを解明するために、大型放射光施設(SPring-8)の世界最高性能の放射光による小角・広角X線散乱測定(注7)を用いて、延伸状態の3分岐ゲルの網目構造をその場観察しました。その結果、3分岐ゲルの高い強靭性は、伸張誘起結晶化に由来することが明らかになりました(図4)。伸張誘起結晶化は、強く引き伸ばされた高分子の紐がお互いに寄り合ってナノスケールの微結晶を形成する現象です。一般的に、ゲルの破壊は、網目の弱いところに力が集中して小さなクラックが生じ、そのクラックが伝播することで起こります。一方で、伸張誘起結晶化が生じる場合は、力が集中して強く伸ばされた部位が結晶化によって硬化し、オンデマンドでの補強効果が生じるために、クラックの発生が抑制されます。ゲルの変形の際に、3分岐構造の方が4分岐構造と比較して高分子が配向しやすいことが、効率的な伸張誘起結晶化につながったと予想されます。
③社会的意義
本研究は、網目を簡素化することで、ゲルの強靭化が可能であることを見出しました。この発見は、繰り返し大きな負荷が加わっても高い強靭性が求められる人工腱・靭帯などへ適用可能な新規ゲル材料の開発につながると期待されます。また、本研究の結果は、ゴムなどの他の高分子材料においても、分岐構造を3分岐にすることで強靭化できる可能性を示唆しています。このような簡便な方法で高分子材料を強靭化することができれば、高分子材料の材料寿命の延伸や添加剤の削減など、環境負荷の低減につながる可能性があります。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST(No. JPMJCR1992) および、日本学術振興会(JSPS)科研費・基盤研究A(21H04688)、学術変革領域研究 (20H05733)、若手研究(19K14672)、特別研究員奨励費(19J22561)の支援を受けたものです。
5.発表雑誌:
雑誌名:Science Advances
論文タイトル:Tri-branched gels: Rubbery materials with the lowest branching factor approach the ideal elastic limit
著者:Takeshi Fujiyabu, Naoyuki Sakumichi, Takuya Katashima, Chang Liu, Koichi Mayumi, Ung-il Chung, and Takamasa Sakai *
6.用語解説:
(注1)ゲル
ゲルは、網目状の分子または粒子凝集体が溶媒を含んで膨潤した固体であり、広範な物質を指します。今回用いたゲルは、化学結合で架橋された高分子の網目構造を持つ「化学ゲル」です。また、溶媒が水である「ハイドロゲル」でもあります。
(注2)高分子
分子量の非常に大きい巨大分子を高分子と言います。高分子には、紐状のもの、枝分かれ構造を持つもの、三次元的に網目構造を持つもの、などがあります。プラスチック・ゴム・ゲルなどは全て高分子です。また、生物の体のほとんどは高分子からできています。
(注3)ロバスト強靱性
変形や破壊に対する耐性を示す指標を強度、亀裂の進展しにくさの度合いを示す指標を靭性と呼び、材料の強度と靭性が共に高いときに「強靭性を示す」と言います。強靭性を示す材料であっても、繰り返しの変形に対してはダメージが蓄積し、一定の強靭性を示さない材料もあります。ロバスト強靭性とは、絶え間なく繰り返し衝撃が加わる過酷な環境においても常に一定の強靭性を示す性質を指します。
(注4)伸張誘起結晶化
伸張誘起結晶化とは、強く引き伸ばされた高分子の紐がお互いに寄り合ってナノスケールの結晶を形成する現象です。伸張誘起結晶化は、天然ゴムの強靭化メカニズムとして古くから知られていました。2021年には、共著者である眞弓らが、ゲルにおける伸張誘起結晶化を初めて観察しました。本研究は、同現象を、ゲルの構造を簡素化することのみで達成したものです。
プレスリリース:引っ張ると頑丈になる自己補強ゲル ~繰り返し負荷に耐えられる人工靭帯などへの応用に期待~ https://www.jst.go.jp/pr/announce/20210604/pdf/20210604.pdf
(注5)伸びない3分岐ゲル
今回提案された理論限界を示すモデルによると、ゲルの伸びは高分子の濃度と高分子の紐の長さに依存します。そこで、高分子の濃度や長さを適切に調整することで、あまり伸びない3分岐ゲルを作り出すことが可能になりました。
(注6)延伸可能な理論限界
自然な状態では、ゲルの網目を構成する高分子のひも(架橋点の間の部分鎖)はたわんでいます。ゲルを伸ばすと高分子のひもが伸びていきますが、理想的には完全に張り詰めた状態まで伸ばすことができるはずです。延伸可能な理論限界は、「張り詰めた時の長さ」を「たわんだ状態の端と端の間の距離」で割った値です。通常の4分岐ゲルは理論限界まで伸ばすことはできず、限界の30%程度で破断しますが、3分岐ゲルは理論限界の90%まで伸ばせます。
(注7)小角・広角X線散乱測定
小角・広角X線散乱測定は、物質に照射したX線の散乱現象や回折現象を観察する実験です。結晶などの原子が規則的に配列している物質にX線を照射すると、結晶中の原子から散乱されたX線が互いに干渉し、回折現象を起こします。この現象を利用することで、ナノスケールの分子構造を推定することができます。
7.添付資料:
図1: 紐と紐をつなぐと、自然に4分岐網目が形成される。また、AI画像生成アプリ(Dream by Wombo)にnetwork、grid、webなどと網目構造を想起させるキーワードを与えると、ほぼ4分岐網目構造の絵が生成される。AIは基本的には、与えられたデータセット(すなわち人により書かれてきた膨大な絵の集合)の内部での推論を行うため、「網目といえば4分岐構造」が一般的であると推定される。
図2: 3分岐ゲルは最大で30倍以上伸びるが、あまりに伸びすぎて、何倍伸びているのかの正確な測定が困難であった。
図3: あえて伸びないゲルを作製して正確な測定を行ったところ、通常の4分岐ゲルは理論限界の30%で破断するのに対して、3分岐ゲルは理論限界近くまで伸びることが明らかになった。
図4: 延伸時の3分岐ゲルの網目構造を、小角・広角X線散乱測定を用いて観察した結果、高い強靭性は、伸張誘起結晶化に由来することが明らかになった。一般的に、ゲルの破壊は、網目の弱いところに力が集中し、クラックが発生・伝播することで起こるが、伸張誘起結晶化が生じる場合は、クラックの発生が抑制され、強靭化される。
図5: 3分岐ゲルと4分岐ゲルに加え、3分岐と4分岐の分岐点を一定の分率で有する中間的な分岐数を持つゲルを複数作製し、比較を行なった。その結果、4分岐ゲルから枝を取り去り3分岐ゲルに近づけるごとに、よく伸びるようになり、強靭化することが示された。
Science Advances: https://www.science.org/doi/full/10.1126/sciadv.abk0010