2022-04-04 名古屋工業大学,茨城大学,広島市立大学,日本原子力研究開発機構,J-PARCセンター
【発表のポイント】
- パワーデバイスSiCの軽元素ドーパントの状態を世界で初めて決定しました。
- 日本でしかできない「白色中性子線ホログラフィー」の本格利用です。
- 日本が誇る軽元素戦略のキーテクノロジーとして貢献します。
【概要】
名古屋工業大学大学院工学研究科の林好一教授、茨城大学大学院理工学研究科の大山研司教授、広島市立大学大学院情報科学研究科の八方直久准教授、日本原子力研究開発機構J-PARCセンターの原田正英主任研究員、及川健一主任研究員、稲村泰弘副主任研究員らは共同で、本チームで開発・実用化した日本発「白色中性子ホログラフィー」を用いて、代表的パワーデバイス半導体材料である炭化ケイ素(SiC)の微量添加元素であるホウ素周辺の精密原子像取得に成功しました。その結果、6つある結晶サイトの2つにホウ素が優先的に侵入することが分かりました。また、そのホウ素が近傍に不連続な界面を誘起することが分かりました。
ホログラフィー(注1)は、物体を三次元的に記録する撮像法です。波長が原子サイズ程度の中性子を用いたホログラフィーを用いることによって、物質内部の3次元原子像を取得することができます。特に、水素やホウ素などの軽元素のイメージングに有効であることが実証されており、材料中の軽元素ドーパント(注2)の状態特定に期待されています。本成果で発見された特異構造は、X線回折(注3)や電子顕微鏡などの従来手法では発見できないものです。レアアースなどの希少元素を海外依存している日本では、豊富な元素を組み合わせて希少元素と同様の役割を持たせる研究が盛んです。特に豊富に存在している軽元素を添加して材料機能を強化する研究は、国家戦略の一つとして推進されています。ここで紹介するパワー半導体に加え、革新畜電池や電気自動車モーターの磁石など、エネルギー関連の材料開発において軽元素の有効利用は重要なファクターとなります。このような観点から、今後、「白色中性子ホログラフィー」の役割はいっそう重要となり、新規材料開発に向けたブレークスルーに貢献することが期待されます。
本研究成果は、2022年3月28日にApplied Physics Lettersに掲載されました。
(本論文のホログラムの画像は、3月28日号の表紙絵として採用)
【役割分担】
- 中性子ホログラフィー: 林好一教授、Maximilian Lederer博士、福本陽平氏、後藤雅司氏、山本裕太氏、八方直久准教授、原田正英主任研究員、及川健一主任研究員、稲村泰弘副主任研究員、大山研司教授
- 試料育成: Maximilian Lederer博士、Peter Wellmann教授
【研究開発の背景】
現代社会のインフラを支える基本技術の一つに半導体による様々なデバイス開発があります。この半導体材料の主流は依然としてシリコンが担っていますが、大電力化や高速通信などのニーズを満たすためには、電力の効率的な制御や変換を損失無く行えるパワーデバイスの開発が急務となっています。その有力候補材料となっているのが、炭化ケイ素(SiC)結晶であり、世界中で高品質の結晶ウエハーを開発する競争が激化しています。ただし、このSiC(6H-SiC)(注5)の結晶構造は、一つの結晶サイトしかないシリコンのように単純ではなく、6つの異なる結晶サイトを有するより複雑な構造です。これらの半導体に機能性を持たせ動作させるためには、不純物(ドーパント)を微量添加させる必要があります。SiCの6つのサイトのどこにホウ素が入るかによって、半導体としての性質が変わることが予測されているため、シリコンとは異なりドーパントのサイト制御も行う必要があり、より高度な結晶育成技術が要求されています。しかしながら、ホウ素や窒素などの軽元素のドーパントに対しては、適切な観測法がなく、どのサイトに入っているのか分かる手段がない状態でした。そのため、林教授、大山教授らが開発・実用化した「白色中性子線ホログラフィー」を、6H-SiCに微量添加されたホウ素の構造解析に適用し、その構造決定に成功しました。
図1 シリコン(Si)と6H型炭化ケイ素(6H-SiC)の結晶構造。シリコンは一つの結晶サイトしか存在しないが、6H型炭化ケイ素は6つの結晶サイトが存在する。「’」は等価なサイトを示しており、本稿では区別していない。
【研究の内容・成果】
「白色中性子ホログラフィー」は様々な波長をもつ中性子を試料に照射し、元素特有のガンマ線を観測することによって、100枚以上の異なる波長のホログラムを一度に測定できる手法です。この“多重波長ホログラム”を数値的に処理することによって、極めて精密な原子像を得ることができます。大強度陽子加速器施設J-PARC(茨城県東海村)(注4)の世界最高強度の白色中性子を用いることによって達成できる日本独自の技術であり、世界から注目されています。本研究では、ホウ素から放出されるガンマ線を測定することによって、ホウ素周辺の原子配列を記録した多重波長ホログラムを測定しました。図2(a)は、ある波長(0.49Å)で切り出したホログラムを表示しています。
観測されたホログラムに対し数値的処理を施すことにより、図2(b)のようなホウ素周辺の原子像を再生することができます。中心座標(原点)にはホウ素が存在しています。ここでは、ホウ素よりも下には多くの原子像が観測されますが、上には何も観測されません。この結果は、ホウ素の直上には不連続な界面が存在していることを強く示唆しています。
図2 ホウ素(B)ドープ6H型炭化ケイ素(6H-SiC)からの(a)中性子ホログラムと(b)原子像.(a)のホログラムは0.49Åの波長のホログラム.(b)中の赤丸は、ホウ素が置換したサイトの元素(例えば、Siに置換した場合はSi)の原子位置を示している。一方、青丸は置換先の元素と異なる原子位置を示している。(b)において、ホウ素の真横の原子像までは観測されているが、破線より上の上方の原子像は一切、観測されていない。このことは、ホウ素の直上に不連続界面が存在することを示唆している。
次に再生されている下方の原子像を用いてホウ素が占めるサイトの決定を行いました。ホウ素には6つの異なるサイトがあることを述べましたが、詳しくは、シリコン(Si)が本来占めるSi-hとSi-c1、 Si-c2の三種類、炭素(C)が本来占めるC-h、C-c1、C-c2の三種類が存在します。それぞれのサイトにホウ素が入った原子像のパターンは異なります。そのため単一サイトにしかホウ素が入っていなければ、すぐに判別できますが、そのような単純な状態ではありませんでした。従って、ここでは複数のサイトにホウ素が入っていると仮定し、最急降下法(注6)と呼ばれる計算法を用いてサイトの占有率を割り出しました。その結果、Si-c2に37.5%、C-c2に61.4%のホウ素が存在しており、他のサイトには殆ど入らないことが分かりました。このように定量的に添加されたホウ素の位置を決めることができたことは、世界初の快挙です。
図3は、以上の結果を組み合わせて作成したホウ素周辺のモデル図です。Si-c2及びC-c2は隣どうしのサイトであり、そこに濃化してホウ素が入っていることが考えられます。また、濃化したホウ素が何らかの作用を与え、直上に不連続界面を形成させたと考えられます。何故、直上なのかという点に関しては、SiC結晶の育成法と大きく関係します。シリコンなど多くの結晶は融体を凝固させつつ育成させますが、SiCは原子を図3の下から上に1層ずつ積み上げて結晶をつくっていく物理気相成長法(注7)という方法で作製しています。従って、Si-c2及びC-c2に入ったホウ素の直上にシリコンまたは炭素が降り積もる際に、不連続界面が形成されたと考えられます。このような、不完全な状態は必ずしもSiCの品質という観点からは望ましいものではないかもしれません。ただし、このような事実の発見が出発点となり、本研究での知見が今後のSiCウエハー開発に活かせるものと信じています。
【社会的意義】
5Gなどの高速通信、電気自動車における電力制御など、より省エネで動作できるパワー半導体に急速に置き換わっています。実用化されているのはSiCのみであり、半導体として機能をもたらすドーパントの制御・観測は最重要課題です。今後の社会インフラに直結している材料でもあり、今回、「白色中性子線ホログラフィー」によって正確にドーパントの構造が決定できたことは社会的インパクトが大きいと考えています。
図3 ホウ素(B)が入るサイトとその直上の不連続界面のモデル
【今後の展望】
キー技術である「白色中性子ホログラフィー」で複雑な結晶でもホウ素のような軽元素ドーパントの占める位置を決定することに成功しました。ここで紹介したパワー半導体以外にも、蓄電池、熱電材料、燃料電池といった現代社会に欠かせない材料において軽元素が重要な役割を果たします。「白色中性子ホログラフィー」はこれらの役割解明に大きく近づくことができる技術であり、今後、積極的に活用することによって、軽元素を駆使して新規材料開発を目指した「軽元素戦略」にも貢献でき、世界をリードできると期待されます。
本研究は、日本学術振興会 科学研究費 学術変革領域研究(A)「超秩序構造が創造する物性科学」、基盤研究(A)「超軽元素・磁気構造イメージングに向けた多波長中性子ホログラフィーの開発と応用」(代表者:林好一)、新学術領域研究「ハイドロジェノミクス」の公募研究、基盤研究(B)(代表者:大山研司)等の支援を受けて実施しました。また、日本学術振興会「日独共同大学院プログラム」の一環として行われました。
【論文情報】
雑誌名:Applied Physics Letters.
論文タイトル:Determination of site occupancy of boron in 6H-SiC by multiple-wavelength neutron holography
著者:K. Hayashi, M. Lederer, Fukumoto, M. Goto, Y. Yamamoto, N. Happo, M. Harada, Y. Inamura, K. Oikawa, K. Ohoyama, and P. Wellmann
公表日:2022年3月28日
DOI:10.1063/5.0080895
URL:https://aip.scitation.org/doi/10.1063/5.0080895
【用語解説】
(注1)ホログラフィー
通常の写真とは異なり、物体の立体像を記録・再生することのできる技術をホログラフィーと呼びます。偽造防止のため、一万円札やクレジットカードに印刷してあり、社会にも広く普及している技術です。原理について図4に示しますが、通常の光学ホログラフィーの場合には、レーザーなどの干渉性の良い光源を用い、ある散乱物(図ではハート)に照射します。その散乱物によって光は散乱され物体波となります。物体波の位相(波の山・谷の位置に関する情報)は、散乱体の奥行きに関する情報が含まれていますが、物体波そのものを観測しただけでは、位相の情報は失われてしまいます。ホログラフィーでは位相を記録するために、光源から出る光(参照波)を物体波と干渉させます。その干渉パターンを記録したものがホログラムです。そして、再生光をホログラムの反対側から当てると、散乱物を再生することができます。
図4 ホログラフィーの原理。
本稿で紹介している「白色中性子ホログラフィー」は、太陽の光のような連続的な波長の中性子を試料に照射し、異なる波長で100枚以上のホログラムを一度に計測できる画期的な手法です。ホログラフィーは、三次元の物体情報を二次元のホログラムに圧縮して記録する撮像法ですが、その分、再生時に劣化が生じます。多波長ホログラムはその劣化を抑えられる唯一の解決法であり、100枚程度のホログラムがあれば、忠実に元の原子構造を再現させることができます。
(注2)軽元素ドーパント
ドーパントは料理に加える調味料のような役割を果たすもので、材料の機能性を創出させるために微量に添加する不純物元素を指します。現代社会で使用されている材料の多くは、必ず何らかの元素が添加されています。例えば、スマートフォンなどに入っている半導体のシリコンにはホウ素が添加されています。蓄電池や燃料電池などは、リチウムや水素などが利用されています。但し、これらの元素は、軽いがゆえに従来の観測法では難しいとされています。
(注3)X線回折法
一定波長のX線を分析試料に照射すると、散乱されたX線は、物質の原子・分子の配列状態によって、物質特有の回折パターンを示します。原子構造を正確に決定できるため、物質科学において広く用いられています。しかし、観測できるのは原子の平均的な配列であり、特定の元素の周りでの歪みのような、局所的な構造変化を観測するのは困難です。
(注4)大強度陽子加速器施設J-PARC
高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が共同で提案した茨城県東海村にある大型研究施設で、高エネルギー物理学、原子核物理学、材料科学、物性物理学、生物学、化学など、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われています。特に、J-PARC内の物質・生命科学実験施設では、世界最強強度の中性子線を用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まっています。
(注5)SiC(6H-SiC)
炭化ケイ素(SiC)は、絶縁破壊電界強度がSiの10倍、バンドギャップがSiの3倍と優れているため、Siの限界を超えるパワーデバイス用材料として期待されています。また、ドーピングによるp型やn型の制御も容易とされています。SiCには様々なポリタイプ(結晶多系)が存在し、それぞれ物性値が異なります。代表的なものに、3C、4H、6H、15Rがあります。
(注6)最急降下法
最急降下法は、関数の傾きのみから、関数の最小値を探索する連続最適化問題の勾配法のアルゴリズムの一つです。勾配法としては最も単純であり、直接・間接にこのアルゴリズムを使用している場合が多くあります。
(注7)物理気相成長法
原料をプラズマやレーザーで加熱して蒸発させ、対象とする基板や金属の表面に、物理的に材料を堆積させる方法を指します。通常は薄膜を作製する場合に用いられますが、実験に用いた炭化ケイ素結晶は厚みが20mm以上あるバルク(塊り)も成長させることができます。