2022-02-11 日本原子力研究開発機構
発表のポイント:
- 「悪魔の階段」(注1)として知られる相転移において、伝導電子が多極子と呼ばれる局在スピン・軌道の複合自由度と強く相互作用することで現れる準粒子(注2)「多極子ポーラロン」を発見しました。
- 「悪魔の階段」で発生する局在スピン・軌道配列の変調に合わせて、自在に相互作用の強さを変える「多極子ポーラロン」の特殊な振る舞いを明らかにしました。
- 「多極子ポーラロン」は電気・磁気的な性質を持つことから、スピントロニクス利用に向けた磁性材料設計の新たな指針を提案するものです。
発表概要:
東京大学物性研究所(所長 森初果)の黒田健太助教(研究当時、現在:広島大学大学院先進理工系科学研究科准教授)、新井陽介大学院生、近藤猛准教授を中心とするグループは、東京大学大学院工学系研究科の野本拓也助教(理化学研究所創発物性科学研究センター計算物質科学研究チーム客員研究員兼任)、有田亮太郎教授(理化学研究所創発物性科学研究センター計算物質科学研究チームチームリーダー兼任)、大阪大学大学院理学研究科の宮坂茂樹准教授と田島節子名誉教授、茨城大学フロンティア応用原子科学研究センターの岩佐和晃教授らの協力のもと、セリウム・アンチモンが示す「悪魔の階段」の相転移において、多極子と呼ばれる局在スピン・軌道と強く相互作用する伝導電子が準粒子として振る舞う「多極子ポーラロン」を発見しました。
金属では結晶中を動きまわる伝導電子が電気的・磁気的な性質を支配しますが、結晶格子を成す原子など伝導電子を囲む環境との相互作用を通して動きにくくなることがあります。この場合、伝導電子は実効的に質量が増大したような粒子(準粒子)として振る舞います。準粒子の形成は超伝導などの量子物性現象をもたらすため、準粒子を特徴付ける相互作用を理解して制御することは物質科学で最も重要な要素の一つです。しかし、これまで実験で観測されてきた準粒子を発現させる相互作用は3種類(電子格子相互作用、電子スピン相互作用、電子プラズマ相互作用)に限られていました。
本研究グループは、セリウム・アンチモンが示す「悪魔の階段」という複雑な磁気相転移現象で変化する伝導電子の振る舞いを高精度に調べました。その結果、「悪魔の階段」を通して結晶中で綺麗に整列した局在スピン・軌道と強く相互作用する新しい準粒子「多極子ポーラロン」を世界で初めて発見しました。発見された伝導電子と局在スピン・軌道の新しい相互作用は、磁場や圧力で伝導電子を制御する磁気メモリなどの動作原理としても機能する可能性があるため、スピントロニクスに向けた磁性材料設計へ新たな展開が期待できます。
本成果は、Nature Materials 誌 (現地時間2月10日)に掲載されました。
発表内容:
① 研究の背景
現代テクノロジーを支える多様な物性は秩序化を伴う相転移を利用したものです。例えば、結晶を形作る原子配列は凝固という相転移で現れ、我々の生活を支える磁性も、バラバラに向いていたスピンを綺麗に配列させる磁気相転移として現れます。そして、結晶中を動き回る伝導電子が秩序化した周りの原子と相互作用することで動きにくくなるため、伝導電子は実効的に質量が増大したような粒子(準粒子)として振る舞い、物質そのものの電気的・磁気的な性質の大きな変化をもたらすことがあります。この相互作用を逆に考えると、温度・圧力・磁場などの条件で秩序配列を制御することで、物質の電気的・磁気的な性質を自在に操ることが可能になります。例えば、伝導電子と配列した原子との相互作用(電子格子相互作用)で形成される準粒子は超伝導を引き起こす一つの要因であることが知られています。このような理由から、準粒子を特徴付ける相互作用を理解して制御することは、物質科学で最も重要な要素の一つと考えられています。しかしながら、これまで長い歴史をもつ物質科学の分野において実験で観測されてきた準粒子を形成する相互作用はごく僅かな種類(電子格子相互作用、電子スピン相互作用、電子プラズマ相互作用)に限られていました。
② 研究内容
本研究グループは、膨大な数ある磁性体の中で最も複雑な磁性を示す物質の一つであるセリウム・アンチモンに注目しました。通常の磁性体と異なりセリウム・アンチモンでは、強いスピン軌道結合(注3)によって、希土類元素セリウムイオンの局在スピンと局在電子軌道の複合自由度が磁性を担い結晶中で綺麗に整列します。さらに、その磁気配列は通常の磁性体と比較して 20 倍もの超長周期性を示し、17 ケルビンから 8 ケルビンまでの狭い温度範囲で配列周期が7回も次々と移り変わります。この異常な相転移現象は、その複雑さから「悪魔の階段」として呼ばれます。本研究グループは、超高分解能レーザー光電子分光(注4)、レーザーラマン分光(注5)、中性子散乱分光(注6)などさまざまな手法を用いて、「悪魔の階段」で変化する伝導電子の振る舞いを高精度に調べました。その結果、本来自由に動き回るはずの伝導電子が局在スピン・軌道との相互作用を通して準粒子を形成していることを突き止めました(図1)。局在スピン・軌道と相互作用を通した準粒子はこれまでに観測された例がなく、本研究によって新しい準粒子「多極子ポーラロン」として発見されました。さらに、「悪魔の階段」における準粒子の温度変化を追跡する測定を行った結果、超長周期配列の変調に合わせながら相互作用の強さを自在に変えていることを明らかにしました(図2)。「悪魔の階段」の発現メカニズムは40年以上も謎のままでしたが、発見された「多極子ポーラロン」の特殊な振る舞いが要因であることを明らかにしました。
図1: (a) レーザー光電子分光で観測したセリウム・アンチモンの電子構造。相互作用で重くなった伝導電子(準粒子)に対応する電子構造の折れ曲がりが観測されました。(b, c) 本研究で明らかにした準粒子の概念図。本来物質中を自由に動き回るはずの伝導電子が、局在スピン・軌道との強い相互作用により質量が増大して動きにくくなります。
図2: (a) セリウム・アンチモンの「悪魔の階段」における磁気配列。(b, c) 「悪魔の階段」で変化する準粒子状態のイメージ。 温度が低くなるにつれて、スピン・電子軌道との相互作用が段々と強くなり質量が増大しています。(d)「悪魔の階段」に伴う準粒子の変化を観測したレーザー光電子分光の結果。「悪魔の階段」で起こる各磁気配列周期の変調に合わせて電子構造の折れ曲がり具合が大きく変化する様子が観測されました。
③ 社会的意義・今後の予定など
2020年に同グループは「悪魔の階段」の要因として伝導電子の電子構造の変化と疑ギャップ状態を突き止めておりました(Natu. Commun. 11, 2888(2020))が、本成果は「多極子ポーラロン」という新たな準粒子も「悪魔の階段」を誘発していることを示したものです。本研究で新たに見出した磁性と伝導電子の相関効果は「悪魔の階段」における秩序配列に敏感に反応しており、圧力・磁場などの条件で長周期配列を制御することにより電気輸送特性を劇的に変化させることが可能であることを示しています。このような機構を利用することで、スピトロニクデバイスへ向けた磁性材料設計の新たな展開が期待できます。
なお、本研究は、日本学術振興会の科学研究費(課題番号 JP21H04439, JP20H01848, JP19H02683, JP 19F19030, JP 19H00651, JP 18H01165)、文部科学省の光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP 課題番号 JPMXS0118068681)、文部科学省の「富岳」成果創出加速プログラム「量子物質の創発と機能のための基礎科学―「富岳」と最先端実験の密連携による革新的強相関電子科学」(課題番号: hp200132)、新学術領域 「量子液晶の制御と機能」における研究領域提案型課題 「量子液晶の物質科学」課題番号19H05826(研究代表:小林研介)。
発表雑誌:
雑誌名:「Nature Materials」
論文タイトル:Multipole polaron in the devil’s staircase of CeSb
著者:Y. Arai, Kenta Kuroda*, T. Nomoto, Z. H. Tin, S. Sakuragi, C. Bareille, S. Akebi, K. Kurokawa, Y. Kinoshita, W.-L. Zhang, S. Shin, M. Tokunaga, H. Kitazawa, Y. Haga, H. S. Suzuki, S. Miyasaka, S. Tajima, K. Iwasa, R. Arita, and Takeshi Kondo (*:責任著者)
DOI:10.1038/s41563-021-01188-9
発表者:
黒田 健太(東京大学物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター 助教(研究当時)
/現在:広島大学 大学院先進理工系科学研究科 准教授)
新井 陽介(東京大学物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター 博士課程2年生)
野本 拓也(東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 助教/理化学研究所
創発物性科学 研究センター 計算物質科学研究チーム 客員研究員 兼任)
宮坂 茂樹(大阪大学大学院理学研究科 物理学専攻 准教授)
田島 節子(大阪大学大学院理学研究科 名誉教授)
岩佐 和晃(茨城大学 フロンティア応用原子科学研究センター 教授)
鈴木 博之(東京大学物性研究所 高度学術専門職員)
芳賀 芳範(日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター 研究主幹)
有田 亮太郎(東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授/理化学研究所 創発物性科学
研究センター 計算物質科学研究チーム チームリーダー 兼任)
近藤 猛(東京大学物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター 准教授/
トランススケール量子科学国際連携研究機構 併任)
用語解説:
(注1)悪魔の階段 :
磁気配列が温度・磁場・圧力などの条件により複雑に磁気転移する現象。例えば、磁化測定などによってその様子を観察すると、条件の変化に対して、次々と磁気配列を移り替える転移が発生して磁化が階段状の変化として現れます。特に、セリウム・アンチモンでは、わずか 10 ケルビンの狭い温度範囲で磁気構造の長周期配列を 7 回も移り変える逐次的な転移として知られ、1977 年に観測されて以降その発現メカニズムが調べられてきましたが、未解決問題として残されていました。
(注2)準粒子 :
金属固体中では伝導電子が原子やスピンなどとさまざまな相互作用で絡み合っています。このとき電子と相互作用をひとまとめにして、相互作用をまとった電子として仮想的な一つの粒子として見なせる場合があります。このように新しく定義した仮想的粒子を準粒子と呼びます。
(注3)スピン軌道結合 :
電子は自転運動に由来するスピン角運動量と公転運動に由来する軌道角運動量を持ちますが、相対論的な効果によってこれら二つが結びつくことをスピン軌道結合と言います。一般に原子番号が大きくなるについてこの効果は大きくなります。そのため希土類元素では、スピン軌道結合が充分に大きく、多極子と呼ばれるスピン・軌道の複合自由度が顕著になります。
(注4)レーザー光電子分光 :
物質に光を照射して飛び出す電子 (光電子) を観察することで、物質内の電子状態を観察する実験手法を角度分解光電子分光と呼びます。さらに、励起光として高強度で単色性の高いレーザーを組み合わせたレーザー角度分解光電子分光を利用すれば、高い精度で物質の情報を抽出することができます。本研究では、物性研究所で開発された、世界最高の精度を誇るレーザー角度分解光電子分光装置を利用しました。
(注5)レーザーラマン散乱分光 :
物質に光を照射すると、光と物質の相互作用により入射光と異なるエネルギーの光が物質から放出されることがあります。この光をラマン散乱光と言い、ラマン散乱光のエネルギー(波長)を検出することで物質の構造や電子状態を観察する手法をラマン散乱分光と呼びます。本研究では、入射光としてレーザーを利用したレーザーラマン散乱分光を行うことで実現した精密測定で、セリウム・アンチモンの多極子状態を実証しました。
(注6)中性子散乱分光 :
物質に中性子線を照射すると、物質内での相互作用を通して運動方向やエネルギーが変化した中性子が散乱されます。この変化を観察する実験手法を中性子散乱分光と呼びます。中性子はスピンを持っているため、原子を構成する原子核と相互作用するだけでなく、電子の持つスピンとも相互作用します。これにより、中性子散乱では物質の構造だけでなくスピン配列やスピンの運動なども測定できます。
<付記>
本研究において、レーザー光電子分光は東大が、レーザーラマン散乱分光は東大と阪大が共同で、また中性子散乱分光は茨城大が行い、そこで用いた単結晶試料は東大と原子力機構により作製されました。理論計算は理研が中心に行い、結果の解釈には全ての機関が寄与しました。