光電子運動量顕微鏡で明らかにしたグラファイト原子1層のステップ構造

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2022-07-13 分子科学研究所

発表のポイント

・グラファイトの結晶は炭素のハチの巣状の原子層が積み重なる構造を持つ。表面を層に平行にへき開切断すると、奇数層目と偶数層目とで、それぞれ鏡面に映した関係の3回対称の構造が表面に現れる。しかし、従来の測定では両者の表面構造を合わせて観測していたため、6回対称のデータが得られていた。そのため、これまでグラファイトの電子状態は6回対称であることが「常識」とされてきた。

・顕微鏡機能を融合した電子分析器とエネルギー可変の放射光源を活用し、グラファイトへき開最表面の局所的な電子状態を精密測定した。最適な励起光エネルギーを選択することで、今まで気付かれていなかった奇数層目と偶数層目の電子状態の違いを世界で初めて観測するのに成功した。

・この知見を基に原子1層のステップの可視化に成功した。炭素原子がジグザグに配列する方向にステップの端部が現れることを示した。

・放射光源を用いて、μmレベルの微視的な視野で精緻に電子状態を計測する手法がミクロ・ナノ物質の物性の正確な情報を得るために必須の技術であることを明らかにした。

概要

グラファイト(1)は安価で導電性があり熱に強く環境負荷も小さいことから電池の電極材をはじめ幅広い分野で基礎材料として利用されています。その性能を十分に発揮させるには表面や端部の微細な性質を知り制御することが求められています。これまでグラファイトの電子状態は、光電子分光(2)という分析手法を用いて詳細に調べられてきました。しかし、本来グラファイトの表面には3回対称の構造が現れるはずなのですが、従来の測定では、6回対称であることが「常識」とされてきました。そこで分子科学研究所極端紫外光研究施設(3)(UVSOR)では顕微機能を有する最新の光電子分光測定装置「光電子運動量顕微鏡(4)」を開発し、グラファイト表面の局所的な電子状態を精密測定しました。その結果、今まで気付かれていなかった微視的な電子状態を発見し、この知見を基に原子1層のステップの可視化にも成功しました。これまでよく研究されてきた物質でも、微視的な測定を行うことで、表面や端部の特徴的な構造が観測できるようになり、物性の正確な理解が飛躍的に進みます。本技術は、表面・薄膜・配向分子・化合物結晶試料の原子レベルでの電子状態解析にも広く応用できるので、ナノ材料科学・量子デバイス工学を展開するうえで極めて重要となると期待されます。本成果は2022年6月23日にPhysical Review B誌でオンライン公開されました。

研究の背景

光電子運動量顕微鏡で明らかにしたグラファイト原子1層のステップ構造

物質・材料の性質を決める電子状態を直接解析する手法が光電子分光法です。光電子分光では、X線や軟X線や真空紫外光を試料表面に照射し飛び出す光電子を計測し、試料の組成や電子物性を解明します。原子同士を結び付ける価電子帯(5)からの光電子の角度分布を測定することで物性の発現の謎を解明することができます。

グラファイトの結晶は炭素のハチの巣状の原子層が積み重なる構造を持ちます。へき開すると、奇数層目と偶数層目とで、それぞれ鏡面に映した関係の3回対称の構造が交互に表面に現れます。したがって1原子層のステップを挟んだ領域は異なる対称性を示します。走査型トンネル顕微鏡ではこうしたステップの原子構造が明らかにされてきましたが、従来の光電子分光測定では試料上のX線の照射範囲が大きく、両者の表面構造を全部一緒くたにして計測していたため、6回対称のデータが得られていました。そのため、これまでグラファイトの電子状態は6回対称であることが「常識」とされてきました。

新規物性の現象の解明や機能性材料・デバイス開発を展開するうえで、ますます原子レベルからの計測に基づいた理解が重要になってきます。興味深い物質や有用なデバイスはマイクロメートルの多結晶組織や微細構造であることが往々にしてあり、従来の平均構造を測る分析法ではなく、顕微機能を併せ持った高性能電子状態計測装置が待ち望まれていましたが、ここに装置と実験手法が実現しました。

研究の成果

極端紫外光研究施設UVSORでは最新の光電子分光測定装置「光電子運動量顕微鏡(4)」を開発してきました。不均一試料のμm微小部分を拡大して観察できる顕微機能と試料の物性を決定づける価電子のふるまい(2次元運動量)を可視化する機能を1つの装置で同時に実現します。本装置は価電子と主要な軽元素・遷移元素の内殻準位の両方を励起できる高輝度放射光軟X線源に設置され、特に選択した数μmの微小領域からの価電子帯分散や組成分析の光電子分光測定が同時に行えるので、組成・構造・電子状態がどのように物性・機能に結びついていくか研究することができます。

今回グラファイトの単結晶を真空中でへき開し、清浄な表面の電子状態を詳細に調べました。光電子運動量顕微鏡と軟X線を用い、運動量空間での全てのデータを取得したところ、特定の光エネルギーの軟X線で計測した場合(68 eVと100 eV、eV[電子ボルト]はエネルギーの単位)に明瞭な3回対称性の電子状態が現れました。本測定では顕微鏡で微小領域を拡大し、最適なエネルギーの光で計測できたことで、従来知られていなかった表面での電子状態の対称性の破れを見出すことができました。この知見を基に原子1層のステップの可視化に成功しました。また炭素原子がジグザグに配列する方向にステップの端部が現れることを明らかにしました。

グラファイトの電子構造は6回対称だというのが「常識」でしたが、顕微機能で局所的に観察すると表面の積層の終端によって鏡面対称の2つのドメインAとBが存在することがわかります。従来の測定では両方の積算を見ていたのですが、光電子運動量顕微鏡を使うとグラファイトの単原子層ステップの境界が見えてくるのです。

学術的には、本研究で「表面」と「固体内部」の電子状態の相互作用の度合いを定量的に計測したことで、光電子分光法が本来どの程度正確に「固体内部」の電子状態を明らかにできるか、また「表面」の効果がどのような形で計測の精度に影響を及ぼすかを示した点で極めて意義深いものとなりました。

今後の展開・この研究の社会的意義

グラファイトは安価で導電性があり熱に強く環境負荷も小さいことから電池の電極材をはじめ幅広い分野で基礎材料として利用されています。その性能を十分に発揮させるには表面や端部の微細な性質を知り制御することが求められています。これまでよく研究されてきた物質でも、微視的な測定を行うことで、実用上で重要な表面や端部の特徴的な構造が観測できるようになり、物性の正確な理解が一段と進みます。

本装置は実空間・運動量空間の両方で拡大して計測できるほか試料温度を9 K (-264ºC)から400 K (127ºC)まで自在に変えられる点も大きな特徴で、超伝導や触媒活性が発現する箇所・条件を直接観察するなど、物質の状態変化をその場観察できるようになります。本技術は、表面・薄膜・配向分子・化合物結晶試料の原子レベルでの電子状態解析にも応用でき、ナノ材料科学・量子デバイス工学を展開するうえで大きな貢献をすると期待されます。また基礎科学・応用研究への波及効果だけではなく、この新しく開拓された分析器・分析法が測定技術革新の先端事例となることも目指しています。

用語解説

(1) グラファイト
炭素原子のみからなる物質で炭の主成分で、黒鉛ともよばれている。鉛筆の芯やリチウムイオン電池の電極材にも使われる古くて新しい材料である。ハチの巣状の格子は60°ずつ回転し、同じ構造となる(6回対称)が、2層目を考慮すると120°ずつ回転したときのみ同じ構造となる(3回対称)。

(2) 光電子分光
数eV以上の電磁波を導電性物質に当てると物質内部から電子が励起され光電子として飛び出す。その運動エネルギーや方位を計測することで物質の様々な情報を得ることができる。

(3) 分子科学研究所極端紫外光研究施設(UVSOR)
極端紫外光領域を中心としたエネルギー領域では世界的に最高水準の高性能を持つ放射光光源で、国内外の研究者に広く共同利用されている研究施設。極端紫外光は分子や固体の物性をつかさどる電子の挙動を観察するために最適なエネルギーである。1周約50 mの電子蓄積リングから放射されるシンクロトロン光(放射光)は10数台の実験装置に導かれ、物理化学分野にとどまらず、バイオ分野や環境・エネルギー・宇宙分野など、様々な研究が展開されている。1983年より稼働し、現役の放射光施設としては国内で2番目の古参光源であるが、2度の高度化を経て現在もトップの性能を維持している。

(4) 光電子運動量顕微鏡
光電子分光分析器に電子顕微鏡を複合させた装置で、これまでドイツを中心に開発されてきたが、欧州以外では2020年にUVSORに初めて導入された。空間位置分解能50 nm 、運動量分解能0.01 Å-1 、エネルギー分解能20 meV を達成、試料を9 Kまで冷却でき、数 μmの領域からの価電子帯分散やフェルミ面を測定することができる。

(5) 価電子帯
原子同士を結び付け、電子物性や化学反応性に中心的な役割を果たすのが価電子とよばれる電子で、そのふるまいはエネルギーと運動量の関係「価電子帯分散」に反映されている。光を試料に照射すると価電子はそのエネルギーを得て「光電子」として試料から飛び出すが、電子分析器による光電子の計測を通じて価電子帯分散を解析することができる。価電子帯分散が分かれば、超伝導・磁性・化学特性などの起源について原子レベルで理解できるようになる。

論文情報

掲載誌:Physical Review B
論文タイトル: “Coupling of kz-dispersing π band with surface localized states in graphite”
(「グラファイトの表面局在状態とkz分散したπバンドとの結合」)
著者:Fumihiko Matsui, Shigemasa Suga
掲載日:2022年6月23日(オンライン公開)
DOI:10.1103/PhysRevB.105.235126

研究グループ

分子科学研究所
大阪大学産業科学研究所

研究サポート

科研費 国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))19KK0137

研究に関するお問い合わせ先

松井文彦(まついふみひこ)
分子科学研究所 教授

菅滋正(すがしげまさ)
大阪大学産業科学研究所(SANKEN)招へい教員(招へい教授)

報道担当

自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
大阪大学 産業科学研究所 広報室

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