小型中性子源で鋼材内部の応力の測定が可能に~現場での応力測定実現へ向けた技術開発~

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2022-05-17 理化学研究所

理化学研究所(理研)光量子工学研究センター中性子ビーム技術開発チームの岩本ちひろ研究員、髙村正人上級研究員、大竹淑恵チームリーダーらの研究チームは、小型中性子源を用いた中性子回折法[1]により、輸送機器などを構成する鋼材内部の平均的な応力[2]を精度よく測定する技術を確立しました。

本研究成果により、従来よりも中性子による応力測定が手軽になり、測定機会の増加による材料研究開発の進展や、自動車や船舶などの輸送機器の利用現場で非破壊応力計測による日常的な点検が可能になることが期待できます。

疲労破壊[3]や遅れ破壊[3]が原因の輸送機器損傷事故を防ぐには、応力測定の機会増加による研究開発の発展や、利用現場での鋼材内部の応力測定が重要です。しかし、小型中性子源を用いた中性子回折法では、これまで材料評価や品質評価に最低限必要な約500メガパスカル(MPa、1MPaは100万パスカル)の応力の測定は困難でした。

今回、研究チームは、理研小型中性子源システムRANS[4]の飛行時間法中性子回折計[5]を用いて、鋼材内部のより小さな応力を測定するため、パルス中性子ビーム[6]の時間幅広がりを抑制する「非結合型コリメータシステム」と、「応力決定に寄与する回折成分だけを抽出するデータ解析法」の二つの技術を確立しました。その結果、目標値(500MPa)の約4倍の応力決定精度を達成し、130MPaまで測定可能になりました。130MPaは、ステンレス鋼材に突き合わせ溶接加工を施した場合などに金属内部に残留する応力に相当します。

本研究は、科学雑誌『ISIJ International』(5月15日号)に掲載されました。

背景

高張力鋼[7]は、自動車をはじめとする輸送機器などの車体の主材料として広く使用されています。薄い形状でも強度を保つことが可能ですが、加工を施した際に内部に残る応力(残留応力)が疲労破壊や遅れ破壊を引き起こすことから、車体の損傷事故を防ぐために高張力鋼の材料評価や品質評価の技術が重要です。

このような金属材料内部の応力を非破壊で測定するために最適な手法が「中性子回折法」で、厚さ数ミリメートルの金属板内部の平均的な応力を測定できます。大型中性子ビーム施設では、数十メガパスカル(MPa、1MPaは100万パスカル)から数百MPa程度の応力の測定が実現しています注1)。小型中性子源でも中性子回折法を実現できれば、研究室での日常的な材料評価や、輸送機器の利用現場での品質評価が可能になります。

しかし、従来の小型中性子源では、中性子ビームの強度を弱めることなく、パルス幅の小さい中性子ビームを取り出すことは困難です。そのため、中性子回折現象を必要な精度で検出することが難しく、材料評価や品質評価に最低限必要な約500MPaの応力の測定は不可能であると考えられてきました。

注1)鈴木裕士, 勝山仁哉, 飛田徹, 森井幸生: 溶接学会論文集 第29巻 第4号 p.294-304 (2011)

研究手法と成果

今回、研究チームは、小型中性子源を用いた「飛行時間型中性子回折法(飛行時間法)」において中性子回折現象を精度よく検出するため、試料に照射するパルス中性子ビームの時間幅広がりを抑制できる「非結合型コリメータシステム」と、「応力決定に寄与する回折成分だけを抽出するデータ解析手法」の二つの技術を開発しました。

飛行時間法では、さまざまな波長の中性子線を試料に照射し、試料の結晶構造に応じた特定の波長を持つ中性子だけが回折現象を起こすことを利用して、結晶の状態を測定します。波長の異なる中性子線はそれぞれ異なる速度を持つため、中性子が飛行する距離があらかじめ分かっていれば、中性子が発生してから試料に当たり、検出器に到達するまでの時間を測定することで、検出された中性子の波長を特定できます。

ただし、このとき中性子は必ずしも想定された経路を飛行するとは限りません。中性子発生標的から試料までの間に設置されたコリメータ[8]などの内壁と散乱したり、内壁の中に潜り込んで何度か内壁内の物質との散乱を繰り返して経路に戻ってきたりする中性子は、想定よりも遅く試料に到達します。このような中性子を「遅延中性子」と呼びます。飛行時間法では、遅延中性子が原因で、中性子の持つ波長の特定精度が下がります。

今回研究チームが開発した非結合型コリメータシステムは、遅延中性子による精度低下を防ぐ技術です。従来法では、開口の狭いコリメータを使い、中性子減速材の中央から試料の中央へ真っすぐ到達した理想的な中性子だけを測定していましたが(図1の緑の太枠矢印)、この方法では中性子ビームの強度が弱くなります。しかし、非結合型コリメータシステムの構造は、中性子ビーム取り出し口の開口を大きく保ちながら遅延中性子を減らすことが可能です(図1の黄色の面)。そのため、ビーム強度を弱めることなく、中性子波長を精度よく特定できます。

小型中性子源で鋼材内部の応力の測定が可能に~現場での応力測定実現へ向けた技術開発~

図1 非結合型コリメータシステムの概要

赤色は回折現象を起こす程度の波長を持つ中性子に対する吸収材。非結合型コリメータシステムは二つの要素から構成されている。一つ目は非結合型コリメータで、RANSのビーム取り出し口に挿入され、取り出し口の内壁にやってきた中性子を吸収することで、試料に遅延中性子が届かないようにしている(経路①)。二つ目は中性子飛行管の出口に取り付けられた中性子吸収スリットで、飛行管の内壁から散乱されてきた遅延中性子を遮蔽して、試料に届かないようにしている(経路②)。このシステムによって、中性子減速材の表面からの中性子だけを試料に照射する。

一方、非結合型コリメータシステムを用いても遅延中性子を完全になくすことは困難です。そこで、遅延中性子を含む中性子回折データから、応力測定に必要な情報だけを抽出する解析手法を導入しました。

図2に一般的な中性子回折分布を示します。横軸に中性子が発生してから検出されるまでの時間(中性子の飛行時間)、縦軸にその時間で検出器に到達した中性子の数を示しています。青点(十字)がある波長で回折された中性子の測定データです。理想的な経路でサンプルに到達した回折中性子の波長に対応する到達時間にピークを持つような分布をしていますが、遅延中性子は理想よりも到達時間が長くなるため、図2の右側(到達時間が長くなる方向)にピークの幅を広げます。これによりピークの形状がなだらかになることで、ピーク位置の同定精度が下がります。応力を測定するためには、このピーク位置を精度よく決定する必要があります。そこで、このような非対称なピーク形状を再現する関数を定義して回折線ピークをフィッティングし(図2の赤実線)、その中から遅延中性子成分を含まない回折ピークを抽出して(図2の青点線)、ピーク位置を決定する手法を導入しました。

中性子回折ピークフィッティング解析の図

図2 中性子回折ピークフィッティング解析

青点(十字)はある波長で回折されてきた中性子の測定データ。遅延中性子の効果で図2の右側(到達時間が長くなる方向)にピークの幅が広がっている。ピーク位置を精度よく決定するために、このような非対称なピーク形状を再現する関数を定義して回折線ピークをフィッティングした結果が赤実線であり、定義した関数の中から遅延中性子成分を含まない回折ピークを抽出した結果が青点線である。


以上の手法の評価実験を、理研小型中性子源システムRANSを用いて行いました。まず、飛行時間型中性子回折計に鉄粉試料を設置して、回折中性子の数を測定したところ、開口の小さいコリメータに比べて、非結合型コリメータシステムを使用した方が回折ピークを形成する中性子数が2倍程度多いことが分かりました(図3)。

鉄粉試料からの中性子回折分布のコリメータによる違いの図

図3 鉄粉試料からの中性子回折分布のコリメータによる違い

赤点がコリメータを入れない場合、青点が開口の小さいコリメータを入れた場合、黒点が非結合型コリメータシステムを入れた場合。横軸は中性子が発生してから検出器に到達した時間、縦軸はその時間で検出器に到達した中性子数。各ピークに対して付与された数字は、回折に寄与する試料の各回折面指数。同じ測定時間でどの程度検出される中性子量が変化するかを比較している。


また、測定された回折分布のうち、ある特定の回折ピークについて、試料に照射した中性子ビームの強度で規格化した回折中性子強度を図4に示します。まず、コリメータ無しのときよりも非結合型コリメータシステムを入れたときの方が、回折ピーク強度が約25%強くなっています。これはコリメータにより遅延中性子成分を減らしたことで、理想により近い回折ピークを測定しやすくなったためだと考えられます。また、回折ピークの右側(到達時間が長くなる方向)へのピークの広がり方が、開口の小さいコリメータに比べて、非結合型コリメータシステムを使用した場合は30%程度小さくなりました。つまり、非結合型コリメータシステムは、開口の小さいコリメータに比べて検出中性子数を増やすだけでなく、遅延中性子の成分を減らし、ピーク位置を高い精度で同定することを可能にするといえます。

中性子ビーム強度で規格化した鉄粉試料からの中性子回折強度の図

図4 中性子ビーム強度で規格化した鉄粉試料からの中性子回折強度

横軸およびデータ点の種類は図3と同じ。211は回折に寄与した試料のある回折面指数を表す。回折線ピークの分解能を評価するために211回折線を使用した。


この回折ピークのデータに対して、新しい回折ピーク位置抽出解析手法を適用し、応力測定限界値を評価しました。その結果、非結合型コリメータシステムを用いたときに、最も測定限界値が小さくなりました(図5)。これは、ステンレス鋼材に突き合わせ溶接加工を施した場合などに金属内部に残留する応力に相当するレベルの130MPaまで測定可能であることを示しています。

応力測定限界値のコリメータによる違いの図

図5 応力測定限界値のコリメータによる違い

縦軸の値にヤング率をかけた値が測定できる応力の限界値に相当する。

今後の期待

今回の技術開発により小型中性子源で応力測定を行うことが可能になれば、大学の研究室や企業での日常的な材料開発研究の幅が広がり、基礎研究や新材料開発などのものづくり現場に貢献できると期待できます。

また自動車や船舶をはじめとするさまざまな輸送機器を利用する現場での非破壊応力計測による点検を可能とすることで、疲労破壊や遅れ破壊が原因の輸送機器損傷事故の防止に役立つと期待できます。

今後、非結合型コリメータシステムの最適化を進め、より小さな応力を現場で測定可能にすることも期待できます。

補足説明

1.中性子回折法
中性子線が持つ波の性質を利用して、結晶の格子面のような整列した原子の間で中性子を回折させ、原子間隔を測定する手法。回折法では測定したい間隔(鋼材では0.05~0.3ナノメートル程度)に近い波長を持つ放射線を使用し、中性子線のほかにもX線や電子線を用いた回折法が有名。中性子線は鋼材に対して比較的透過性が高く、数ミリメートルから数センチメートル程度の内部まで測定できる。

2.応力
物体の内部に生じる単位面積当たりにかかる力。物体に対して外から引っ張ったり押しつぶしたりといった外力を加えたときに、物体の内部にもこれらの外力に対応する応力が発生する。また、物体を加工した後に、外力をかけていない状態でも物体に応力が残っていることがある(残留応力)。

3.疲労破壊、遅れ破壊
材料は、ある一定以上の大きな外力や応力が加わると破壊が生じる。一方、加えられる外力や応力が小さくても、材料に長期間にわたって繰り返し応力がかかったり、一定の応力がかかり続けたりすることでも破壊が生じる。このような破壊を疲労破壊や遅れ破壊と呼ぶ。

4.理研小型中性子源システムRANS
理研が開発し、現在高度化を行っている普及型の小型中性子源システム。J-PARCに代表される大型中性子源よりも手軽な装置として、中性子線利用に適した金属材料や軽元素を扱うものづくり現場への普及を目指している。RANSは、RIKEN Accelerator-driven compact Neutron Sourceの略称。

5.飛行時間法中性子回折計
中性子が発生してから試料で回折されて検出されるまでにかかった時間(中性子の飛行時間)を測定することによって、回折中性子線の波長を特定しながら回折現象を検出するための測定システム。波長の異なる中性子線はそれぞれ異なる速度を持つため、あらかじめ中性子が飛行する距離が分かっていれば、飛行時間を測定することで検出された中性子の波長を特定できる。中性子の飛行距離は、測定する中性子の波長に合わせてある一定以上の長い距離である必要があり、また飛行距離が長いほうが波長の特定精度が向上する。小型中性子源では飛行距離に限界があるため、それ以外の方法で回折中性子線の波長の特定精度を向上させる必要がある。

6.パルス中性子ビーム
中性子は電荷を持たない中性な粒子であり、電子などをはじめとする電気を帯びた粒子との電気的な相互作用を起こさないため、金属などに対する透過性が高く、ビームとして照射してさまざまな試料の中を透視するために使用されている。パルス中性子ビームは、ある一定の時間幅と周期で発生するビームのこと。時間幅が広いと、中性子の飛行時間を測定するときの中性子発生時刻や検出器への到達時刻の幅も広がるため、その分飛行時間の測定精度が下がる。そのため飛行時間型中性子回折では、パルスビームの時間幅を小さく抑えることが精度の良い回折現象測定に重要である。

7.高張力鋼
一般的な鉄鋼材料よりも高い強度を持つ鋼材。引張や圧縮といった外力に強いため、加工しにくい一方で、薄くても強度を保てるため、軽量化しやすい。そのため、自動車などの輸送機器の構造部品に使用され、安全性を保ちながら運動性能や燃費の向上に寄与する。輸送機器の燃費向上は二酸化炭素排出力の削減にも寄与するため、昨今の温暖化対策としても重要な材料といわれている。

8.コリメータ
光線や放射線を平行に導く装置。中性子線の場合は、線源からあらゆる方向に放射される中性子のうち、試料へ真っすぐ到達する中性子のみを切り出すために、他の方向に放射される中性子を遮蔽するような構造をしている。測定に必要な中性子線のみを取り出すという構造上、中性子を取り出すコリメータの開口が小さくなるにつれて中性子線強度が低下する。

研究支援

本研究は、日本原子力研究開発機構との共同研究契約の枠組みの中、物質科学研究センター階層構造研究グループ研究副主幹の徐平光氏をはじめとする共同研究者との協力体制の元で実施されました。また、日本大学及び早稲田大学からの協力体制を得て実施されました。

原論文情報

Chihiro IWAMOTO, Masato TAKAMURA, Kota UENO, Minami KATAOKA, Ryo KURIHARA, Pingguang XU and Yoshie OTAKE, “Improvement of Neutron Diffraction at Compact Accelerator-driven Neutron Source RANS Using Peak Profile Deconvolution and Delayed Neutron Reduction for Stress Measurements”, ISIJ International, 10.2355/isijinternational.ISIJINT-2021-420

発表者

理化学研究所
光量子工学研究センター 中性子ビーム技術開発チーム
研究員 岩本 ちひろ(イワモト・チヒロ)
チームリーダー 大竹 淑恵(オオタケ・ヨシエ)
上級研究員 髙村 正人(タカムラ・マサト)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当

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