変形しながら落下する雨粒の数値シミュレーションが可能に

ad

2021-03-02 東京大学

王 家瑞(地球惑星科学専攻 特任研究員)
三浦 裕亮(地球惑星科学専攻 准教授)
小池 真(地球惑星科学専攻 准教授)

発表のポイント

  • 埋め込み境界法(注1) における気液境界面(注2) の表現を工夫し、落下する直径0.5mm以下の雨粒内部の水と周囲の空気の流れを同時に精度よく数値計算(シミュレーション)する手法を開発しました。
  • 新手法の適用は直径0.5mm程度以下の雨粒に限定されますが、実験が困難な様々な環境下において雨粒の落下速度を推定できるようになった点が重要です。
  • 気象・気候モデルが利用している雨粒落下速度の大気圧・気温依存性の経験式に最大で10%程度の誤差があることを示し、より正確な経験式を提案しました。

発表概要

「富岳」等のスーパーコンピュータを利用して気象・気候予測を行う気象モデル・気候モデルでは、降水粒子の落下速度をどのように設定するかによって、雨の降り方だけでなく地球温暖化の予測結果も変化します。しかし、これまでは落下速度を精度よく推定する手法がなく、雨粒に関しては1940-1960年代の実験データに当てはめた経験式が使用されてきました。しかし、実験室の大気条件と大きく異なる環境での経験式の信頼性は検証できていませんでした。

東京大学大学院理学系研究科の王家瑞特任研究員、三浦裕亮准教授、小池真准教授は、このような状況を打開するべく、直径0.5mm以下の変形しながら落下する雨粒の落下速度を精度よく計算する手法を開発しました(図1、2)。

変形しながら落下する雨粒の数値シミュレーションが可能に

図1:直径0.025mm、0.4mm、0.5mmの落下する雨粒(濃い水色で表示)内外の水と空気の流れの様子(流線)。直径が小さいときには空気の流れは雨粒を回り込むだけであるが、直径が大きくなると流れが複雑になり雨粒の上側に渦を生じる。

図2:雨粒の直径(横軸)と雨粒落下の終端速度(縦軸)の関係。黒点が本研究の数値シミュレーションの結果、赤破線が球形の小雲粒に対するHadamard-Rybczynskiの漸近解、黒線がGunn and Kinzer (1949)の実験データを表す。


本研究では、埋め込み境界法の気液境界面の表現に非回転の構造を保存する離散デルタ関数を導入し、従来手法で問題となっていた偽(にせ)の流れの発生を解決しました。この新手法により、これまで実験されてこなかった様々な大気圧・気温でも雨粒落下速度が精度良く推定できるようになり、その結果、雨粒落下速度の経験式には最大10 %程度の誤差が生じていたことが明らかになりました(図3)。

図3:高度1000m(気温13.5℃)、高度2000m(気温7℃)、高度3000m(気温0.5℃)の条件において推定した、現在使われている経験式による終端速度計算の誤差。縦軸左に高度、右に気温の条件を示した。横軸が誤差の割合。


本研究は、直径0.5mm程度以下の雨粒に限られたものですが、変形しながら落下する雨粒の落下速度を数値計算(シミュレーション)により推定することの有効性を示したという点が重要です。本研究は、気象モデル・気候モデルが使用する物理プロセスを表現する式の信頼性を大きく向上させるもので、気象・気候予測の不確実性の低減につながると期待されます。

発表内容

研究の背景
日々の天気予報や将来の地球温暖化の予測では、気象モデルあるいは気候モデルを用いた大規模な数値計算(シミュレーション)が行われます。気象モデル・気候モデルでは、流体力学や熱力学・大気放射学などの方程式を様々なレベルの近似を用いて表現し、適当な初期値からの時間積分により未来の気象や気候を計算します。これらの計算結果の信頼性は、近似の信頼性に大きく依存しますが、まだ不確実性の高いものがあります。例えば、大気海洋の流れは高精度で計算できる一方で、雲の成長と衰退の表現には大きな不確実性があり、気候予測の信頼性向上のボトルネックとなっています。

気候モデルにおける雲の表現方法は「地球シミュレータ」や「京」、そして「富岳」を代表とするスーパーコンピュータの高速化にともなって高度化してきており、雲のミクロなプロセス(雲微物理過程)を直接表現する方程式系を用いて計算できる時代が間近に迫っています。雲微物理過程では、液相と固相の水をその大きさにより雲水・雨滴・雲氷・雪・霰などに分け、それらの存在量や粒子数の時間変化を方程式で表現して計算します。

しかし、雲微物理過程を計算しても雲に関する不確実性は残ります。例えば、雨滴のような比較的大きい粒子については降水を表現するために落下速度を設定する必要がありますが、これまでは落下速度を精度よく推定する方法がなく、地表付近の環境(大気圧・気温)で取得された実験データを元にした経験式が広く用いられてきました。一方、近年の数値流体力学の発展により気体と液体からなる気液2相の流れの計算が実用化されつつあり、大気中の雨粒落下の直接数値計算が可能になると期待されてきました。しかし、空気と水の大きな密度差が障害となって雨粒の変形まで含めた流れの計算は実現できていませんでした。

研究の内容
東京大学大学院理学系研究科の王家瑞特任研究員らは、埋め込み境界法を用い、変形しながら空気中を落下する雨粒について、雨粒内部の水と周囲の空気の流れを同時に直接数値計算する手法を開発しました(図1)。従来の手法では、雨粒の表面付近に数値計算上の偽(にせ)の流れが発生してしまう問題がありました。王特任研究員らは、その原因が等方な離散デルタ関数を用いて表現した表面張力の偽の回転であることを理論的に示しました。そして、非回転の構造を保存する非等方な離散デルタ関数を用いることで、偽の流れの問題を解決しました。

本研究では、1940-1960年代に得られた実験データや、限定的な条件で得られている球形の雨粒落下の終端速度の漸近解を参照値として、本研究で得られた埋め込み境界法による雨粒落下の数値シミュレーションを検証しました。例えば、直径0.025mmと0.05mmの雨粒についてはHadamard-Rybczynskiの漸近解(0.05mm以下の雨粒に対して良い近似)とほぼ一致しており、直径0.1mm、0.2mm、0.3mm、0.4mm、および0.5mmの雨粒についてはGunn and Ginzer (1949)の実験データと良く合っています(図2)。雲粒の直径が0.05mmより大きくなると終端速度の増加が鈍る様子が捉えられています。

気象モデル・気候モデルで広く用いられている雨粒落下速度の大気圧・温度依存性の4つの経験式を、様々な大気圧・気温の条件において本手法の計算を参照値として検証したところ、それらの経験式には最大10 %程度もの大きな誤差があることが分かりました(図3)。経験式の基準になっている地表近くの条件では誤差が小さいものの、高度1000m(気温13.5℃)、高度2000m(気温7℃)、そして高度3000m(気温0.5℃)と地表の条件から外れるほど誤差が大きくなっています。この誤差を減らすため、気象モデル・気候モデルで利用可能な新しい経験式を提案しました。

今後の発展と社会的意義
本研究で改良した埋め込み境界法は、雨粒の形状に2次元軸対称を仮定して3次元空間での落下を表現しています。しかし、その適用範囲は直径0.5mm程度以下の雨粒に限定されます。その原因は、直径が0.5mmより大きい雨粒では落下する際に非軸対称運動が起こり、さらに大きい雨粒では運動がカオス的になることにあります。複数の雨粒が凝結と衝突・併合により成長し、分裂と蒸発により消滅するような、現実的な雨粒落下の数値シミュレーションを実現するには、さらなる手法の高度化が必要です。現在は、雨粒同士の衝突・併合や3次元的な雨粒表面の表現手法の研究に取り組んでいます。

近い将来に気候予測への応用が期待される全球雲解像モデルでは、雲微物理過程の方程式を直接数値計算することで雲の成長・衰退が現在より精緻に表現できるようになり、雲−放射相互作用などの気候にとって本質的に重要な物理プロセスの信頼性が飛躍的に高まると期待されています。本研究は、雲微物理過程のひとつの経験式について、その信頼性を大きく向上させるものです。そして、日々の気象予測において重要となる降水の分布や強度の再現性向上のみならず、近い将来の最先端の気候予測の信頼性向上の基礎となる成果です。

発表雑誌
雑誌名
Journal of the Atmospheric Sciences論文タイトル
The Terminal Velocity of Axisymmetric Cloud and Rain Drops Evaluated by the Immersed Boundary Method著者
Chia Rui Ong*, Hiroaki Miura, Makoto Koike

DOI番号
10.1175/JAS-D-20-0161.1

アブストラクトURL

用語解説

注1 埋め込み境界法
大気と水滴のような二つの異なる物質の境目を表現できる数値流体力学の手法の一つ。一般に流体計算では、3次元空間を分割する時間的に変化しない点(格子点)や領域(検査体積)で物理量を計算するが、物質の境目はギザギザした表現となってしまう。そこで、二つの物質の境目に目印となるマーカーを設置し、そのマーカーの運動を追跡することで変形する境界を表現する方法が考案された。埋め込み境界法では、流体の力学方程式であるナビエ・ストークス方程式は通常の流体計算と同様に解くことで計算コストを抑えつつ、二つの物質の境目はマーカーを使ってラグランジュ的に解析する。

注2 気液境界面
空気と液体(水)の境界面のこと。注1にあるように埋め込み境界法では、境界面に配置されたマーカーを追跡し、マーカー間は関数により補間することで、各時間における空気と液体の滑らかな境界面全体を計算可能としている。本研究の新手法では、マーカーの再配置方法や滑らかな補間関数の構成、境界を表現する関数として離散ヘビサイド関数を採用するなどのさまざまな工夫により、計算コストを抑制しつつ精度のよい計算を実現している。

1702地球物理及び地球化学
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました