計算結果を基礎科学や医療等での中性子利用に資するデータベースとして公開
2021-02-10 日本原子力研究開発機構,九州大学,大阪大学
【発表のポイント】
- 基礎科学や医療等の分野で新たな中性子利用の検討が進められており、従来の中性子源では得られない高エネルギーの中性子が必要とされています。これに対し、陽子1つと中性子1つからなる「重陽子」が引き起こす核反応により中性子を得る方法が注目されていますが、この核反応から発生する中性子の量を広範な条件で精度良く予測することは困難でした。
- そこで、従来の予測手法では十分に取り入れられていなかった重陽子が持つ量子力学的性質に着目し、この性質を考慮した複数の理論モデルを組み合わせて、重陽子による核反応から生じる中性子量を予測する新たな計算手法を開発しました。実測値との比較から、従来の予測手法と比べ4倍以上の高精度化が達成されていることを確認しました。
- 本計算手法による予測値を中性子源の設計に用いられるシミュレーションソフトウェアで利用できる形にまとめ、核反応データベースJENDL/DEU-2020として整備し、公開しました。
- JENDL/DEU-2020を利用することで、シミュレーションの信頼性が大きく高まります。これにより利用目的に応じた様々な中性子源の検討・設計・運転が容易になり、原子核物理実験や医療用放射性物質の製造等の幅広い分野において新たな中性子利用の促進が期待されます。
本研究のイメージ図。
陽子(オレンジ)1つと中性子(水色)1つずつで構成される重陽子と他の原子核が衝突した際の核反応に関する様々な量を計算し、その結果をデータベースに整備した。
【概要】
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長 児玉敏雄)原子力基礎工学研究センターの中山梓介研究員と岩本修グループリーダー、国立大学法人九州大学(総長 石橋達朗)大学院総合理工学研究院の渡辺幸信教授、国立大学法人大阪大学(総長 西尾章治郎)核物理研究センターの緒方一介准教授は、重陽子1)による核反応からの中性子発生量を高精度に予測する計算手法を開発しました。また、その予測値を基に中性子源2)の設計のための核反応データベース3)JENDL/DEU-20204)を整備し、公開しました。
原子核物理実験における不安定原子核ビーム生成や医療用放射性物質の製造、また、核融合炉内での使用が想定される材料の試験などにおいて、10MeV5)を超えるエネルギーをもった中性子が大量に必要とされはじめています。しかし、原子炉などを用いた従来の中性子源では、この要求を満足する中性子を供給することはできませんでした。そこで、新たな中性子源として、重陽子による核反応を利用したものが注目されています。これは、加速器で発生させた重陽子をリチウムなどに衝突させ、そこで起きる核反応から高エネルギーの中性子を得るという手法です。
利用目的に応じた様々な仕様の中性子源を設計し、性能を検討するには、重陽子による核反応から発生する中性子の量を様々な条件(衝突させる重陽子のエネルギー、標的となる原子核の種類など)で精度良く予測できなければなりません。しかし、従来の予測手法では広範な条件での信頼性の高い予測ができませんでした。これは、重陽子が持つ量子力学的な「波」としての性質を十分に取り入れておらず、重陽子が陽子と中性子に分解する過程を適切に計算できていなかったためです。
本研究では量子力学的効果を考慮した複数の理論モデルを組み合わせることで、重陽子による核反応から生じる中性子量を予測する新たな計算手法を開発しました。実測値との比較から、開発した手法は従来の予測手法よりも中性子発生量の予測精度が4倍以上向上していることが確認されました。さらに、本手法による予測値を中性子源の設計に用いられるシミュレーションソフトウェアで利用できるデータベースの形にまとめ、JENDL/DEU-2020として整備し、公開しました。
JENDL/DEU-2020を使用することで、シミュレーションの信頼性が大きく高まります。これによって、利用目的に応じた様々な中性子源を検討・設計・運転することが容易になり、基礎科学や材料開発、医療など幅広い分野における中性子利用の促進が期待されます。また、JENDL/DEU-2020は国際原子力機関(IAEA)が主導する国際プロジェクトでも高く評価されており、核反応データベースFENDL6)への採用が予定されています。
JENDL/DEU-2020は以下のホームページから2021年2月10日に公開しました。
https://wwwndc.jaea.go.jp/index_J.html
本研究成果は、日本原子力学会英文論文誌「Journal of Nuclear Science and Technology」に2021年2月10日付でオンライン掲載されました。
【これまでの背景・経緯】
基礎科学から産業応用まで、中性子の利用は大きな広がりを見せています。その中で、原子核物理の実験や核融合炉用の材料試験、医療用放射性物質の製造などの分野では、10MeVを超える高いエネルギーをもった中性子が大量に必要とされはじめています。近年、この要求を満たす新たな中性子源として、重陽子加速器を用いたものが注目されています。これは、加速器で発生させた重陽子をリチウムやベリリウム、炭素といった原子核に衝突させ、そこで起きる核反応から高エネルギーの中性子を得るというものです(図1)。
図1 重陽子加速器を用いた中性子源のイメージ
図2に様々な中性子源から得られる中性子のエネルギー分布を示します。原子炉からは数MeV程度のエネルギーを持った中性子が多く得られるものの、10MeV以上の中性子はほとんど得られません(青線)。電子加速器を用いた場合でも同様です(緑線)。また、J-PARCのような陽子加速器を用いた核破砕中性子源でも、得られる中性子の大部分は10MeV以下です(黒線)。これに対し、重陽子加速器を用いると10MeV以上の中性子が多く得られます(赤線)。
図2 様々な中性子源から得られる中性子のエネルギー分布
(最大値が1になるよう規格化、中性子エネルギー0.1MeV以上の範囲を表示)
このように、高エネルギー中性子源として魅力的な特長を備えている重陽子加速器ですが、利用目的に応じた様々な仕様の中性子源を設計し、その性能を検討するには、重陽子による核反応から発生する中性子の量を様々な条件で精度良く予測できなければなりません。しかし、従来のシミュレーションソフトウェアでは、中性子源の設計に使えるような信頼性の高い予測をすることができませんでした。これはシミュレーションソフトウェア内で使われている計算モデルが、重陽子が持つ量子力学的な「波」としての性質を十分に取り入れていないことが一因です。
【今回の成果】
本研究では初めに、重陽子による核反応のための新たな計算手法を開発しました。重陽子は陽子と中性子がゆるく結合した粒子であるため、他の原子核と反応する中で容易に分解します(図3)。こうした分解過程は中性子発生量に大きな影響を与えることが知られています。そこで本研究では、この分解過程に特に着目し、量子力学に基づいた理論モデルを取り入れました。理論モデル間の物理的整合性を保ちつつ適切に組み合わせることで、中性子発生量の予測精度の向上を目指しました。
図3 重陽子による核反応のイメージ
計算結果を実測値と比較することで、本研究で開発した計算手法の予測精度を検証しました。結果の一例として、リチウムに40MeVのエネルギーをもった重陽子を衝突させた場合に発生する中性子のエネルギー分布を図4に示します。図には、シミュレーションソフトウェアPHITS7)に内蔵された核反応モデルによる予測値(緑線)、および既存の核反応データベースTENDL8)による予測値(青線)もあわせて示しています。本研究の結果(赤線)は他の予測値よりも実測値(□印)に近い値となり、予測精度が大幅に向上していることがわかります。また、図5では中性子発生量に関する実測値とのずれ9)を、重陽子エネルギーをいくつか変えて比較しています。TENDLの値は実測値を大幅に過小評価しているため、ずれがほぼ100%になっています。また、PHITS内蔵の核反応モデルによる値は実測値とのずれが200MeVでは20%程度に抑えられていますが、それ以下では50%以上のずれがあります。これは重陽子のエネルギーが低いほど、PHITS内蔵の核反応モデル内で十分に考慮されていない量子力学的な性質が顕著になるためです。一方、本研究の結果はいずれの重陽子エネルギーの場合でも実測値からのずれは15%以下に収まっており、平均で4倍以上予測精度が向上しています。ベリリウムや炭素についても、リチウムの場合と同程度に予測精度が向上していることが確認できました。このことから、本手法は広範な条件において中性子発生量を高精度に予測できると判断されます。
図4 リチウムに40MeVの重陽子を衝突させた際に発生する中性子のエネルギー分布
図5 リチウムに様々なエネルギーの重陽子を衝突させた際の中性子発生量の比較
(ずれが0%に近いほど実測値を再現している)
次に、中性子源の設計に適用できるよう、本計算手法による予測値をPHITS等のシミュレーションソフト内で利用できるデータベースの形にまとめ、重陽子加速器を用いた中性子源設計用の核反応データベースJENDL/DEU-2020として整備しました。データベースを用いることで、本計算手法をシミュレーションソフトウェア内に組み込むよりも、シミュレーションにかかる計算時間を大幅に短縮できます。JENDL/DEU-2020は、中性子源において標的として用いられることが想定されるリチウム、ベリリウム、炭素の各同位体に対し、十分なエネルギー範囲と考えられる200MeVまでの重陽子による核反応データを格納しています。JENDL/DEU-2020を用いることで、利用目的に応じた様々な仕様の中性子源の設計が可能となります。
【今後の展望】
重陽子に対する信頼性の高い核反応データベースが公開され、シミュレーションソフトウェア中で利用できるようになったことで、重陽子加速器を用いた中性子源の開発が大きく進展すると考えられます。これにより、基礎科学や材料開発、医療など幅広い分野において高エネルギー中性子の利用が促進されることが期待されます。例としては、原子核物理実験における不安定原子核ビーム生成、医療や環境調査に有用な放射性同位体の生成、大量の高エネルギー中性子にさらされる核融合炉内での使用が想定される材料の中性子照射試験、などが挙げられます。また本成果は、国際原子力機関(IAEA)が主導する核融合用核反応データベースFENDLの開発に向けた国際協力プロジェクトでも高く評価されており、JENDL/DEU-2020のデータはFENDLへの採用が予定されています。
【論文情報】
雑誌名:Journal of Nuclear Science and Technology
タイトル:JENDL/DEU-2020: deuteron nuclear data library for design studies of accelerator-based neutron sources
著者:Shinsuke Nakayama1, Osamu Iwamoto1, Yukinobu Watanabe2, and Kazuyuki Ogata3,4
所属:1日本原子力研究開発機構、2 九州大学、3 大阪大学、4 大阪市立大学
DOI番号:10.1080/00223131.2020.1870010
【助成金の情報】
本研究は日本学術振興会による科学研究費若手研究(19K15483)の助成を受け実施しました。
【各研究者の役割】
本研究において、原子力機構は計算手法およびその中で採用した理論モデルの開発、ならびにデータベースの開発と検証を行いました。九州大学と大阪大学は計算手法中で採用した理論モデルの開発に貢献しました。
【用語の説明】
1)重陽子
水素の同位体である重水素の原子核のこと。水素の原子核は陽子1個であるのに対し、重陽子は陽子1個と中性子1個から構成される。
2) 中性子源
中性子を発生させる装置のこと。代表的なものとしては、原子炉や加速器を用いたものが挙げられる。
3) 核反応データベース
反応の起りやすさや、反応から放出される粒子のエネルギー分布や角度分布など、原子核反応に関する種々の量(核反応データ)をデータベースとしてまとめ、シミュレーションソフト内で利用できるようにしたもの。核反応データは衝突する粒子の種類やエネルギー、標的となる原子核の種類によって多様に変化するため、核反応データベースの開発には非常に多くのデータが必要で、実測だけでなく計算に基づいた評価による補完が不可欠となる。
4) JENDL
日本で開発している核反応データベースのこと。「Japanese Evaluated Nuclear Data Library」の略称。中性子による核反応データベースについては、JENDL-1が最初のバージョンとして1977年に公開され、2010年に最新版のJENDL-4.0が公開されている。また、JENDLシリーズでは中性子以外にも陽子や光子などの核反応データベースも開発されているが、重陽子については今回のJENDL/DEU-2020が初となる。なお、DEUは重陽子の英語表記deuteronの略である。
5) MeV
エネルギーの単位。メガ(=100万)電子ボルトのこと。1電子ボルトは真空中の電子が1ボルトの電位差で加速されて得るエネルギーのこと。
6) FENDL
IAEAの主導で開発されている、核融合応用のための核反応データベースのこと。開発に当たっては、衝突させる粒子や標的原子核の種類ごとに各国の核反応データベースの中から最良と思われるデータを採用する方針が取られている。
7) PHITS
日本原子力研究開発機構が開発を進めている、放射線の振る舞いをシミュレーションするソフトウェアのこと。「Particle and Heavy Ion Transport code System」の略称。放射線施設の設計、医学物理計算、宇宙線科学など、国内外の様々な分野で広く利用されている。
8) TENDL
IAEAやスイスなどの研究者が共同で開発している核反応データベースのこと。重陽子だけでなく、中性子や陽子、光子などに対する核反応データも収録されている。TALYSという核反応計算システムの計算結果を基に作成されている。
9) 実測値とのずれ
本稿では、実測値と計算値の差の合計のこと。以下の式で計算した。
ここで、σiexp.はエネルギー分布のi番目の実験値、σicalc.は対応する計算値、∆Eiはエネルギーの幅、を表す。